第六話 「私がお前の父親だ」
まだ日が頭を出したばかりで薄暗い中、何者かの咽び泣く声が俺を起こした。
当然この辺りには俺とカレンの二人しかいないわけで。
「ぐすっ……。待ってよパパ、ママ。おいてかないで……」
悪い夢を見ているのか。
頭の片隅に残された記憶が再生されているのか。
少女は眠りながらも苦悶の表情を浮かべ、目の端からは涙を流している。
「いやだ、死んじゃやだよ……」
「……大丈夫だよ。死んでもすぐに蘇るから」
寝言に答えてはいけないとよく言われるが、つい答えてしまった。
しかしこのまま話していけば、カレンの封じられた記憶を少しずつ引き出せるのでは?
「もう朝だぞ。起きろ起きろ」
などと邪な考えが脳裏をよぎったが、『エルフ街の悪夢』と呼ばれて恐れられたのは遠い過去のことだ。
今の俺はいたいけな少女が悲しむのを黙って見過ごせないほどに優しくなってしまった。
「ほーら帰ってこい帰ってこい。悪い夢から帰ってこーい!」
「……んん」
俺が呼びかけてすぐにむくりと起き上がり、目を擦り始める。
「おはよう、カレン」
「……おはよう」
それから二人並んで川で顔を洗ったのち、朝食を摂りはじめた。
「……ねぇ」
「ん?」
「もしかしてあたし、泣いてた?」
せっかく何も聞いていないことにしてあげたのに、わざわざそっちから言い出すなんて。
「そうだな」
「あたし、よく変な寝言を言って泣く癖があるみたいなの。ごめんなさい」
カレンはきっと我慢強い子なのだろう。
それでいてその小さな身には大きすぎる悲しみを背負っているのだ。
そして恥じらいに邪魔されて日中吐き出せない分を眠りながら吐き出す。
何も悪いことではない。
そんな少女に俺ができることは……。
「よし。君の親を見つけるまで、俺が君の父さんだ!」
「…………アンタ何言ってるの?」
「そのアンタ呼びも禁止だ。これからはアレンパパまたはアレンお父様と呼びなさい」
父代わりとなることだ。
「……実を言うとなカレン、私がお前の父親なのだ! 遠い国の言葉ではたしか……アイ、アムユアファーザー!」
「そんなの嘘よ! そんなことあるわけないでしょ!!」
「心を読んでみろ、本当だと分かるはずだ」
さすがにそれは冗談だとしてもだ。
いずれにしろ、この子に広い世界を見せてあげるために様々な国や街に寄り、多種多様な人種と出会うだろう。
その際の身分はどうする?
『俺が五千歳超えの不死者で、こちらは記憶を無くした未成年の少女です』
などと馬鹿正直に言ってみたらどうなるか。
大抵の場合、衛兵に確保されて事情聴取からの投獄をくらう。運が悪けりゃ死刑、からの研究対象だ。
しかしこれが父と娘だったら何も問題はない。
「はぁ……。やっぱりアンタ、馬鹿なんじゃないの?」
「たしかに人見知りで人嫌いの気があるカレンには大変かもしれないが」
「えっ?」
「人と人は何かしら関わりができてしまうものなんだ。奴らはこちらから行かず、その上近寄るなと言っても力を求めて押し寄せてくる。そしてせっかく与えた力を誇りや大義などというくだらぬもののために使い、アッサリとその命を散らす。……馬鹿者が」
「ちょっと! いきなり何言ってるの? それにあたし、人嫌いでも人見知りでもないわよ!?」
おっと。
つい遠い昔の馬鹿弟子達の事を思い出してしまった。
それはそうと人嫌いでも人見知りでもないと言ったか?
「子供達が君のことを人嫌いだと言っていたのだが、違うのかい?」
「それはその、あたしは大人だから子供の相手はしたくないだけよ」
なるほど。
「そうだなぁ……。大人なカレンなら、この先どうすれば都合がいいか分かるはずだよ? それともなにかい、俺の首が刎ね飛ばされるのを見たいのかい?」
君はまだまだ子供だ、と言ってもどうせ頑として否定するのだ。
ならばそれを逆手に取らせてもらおう。
「それは、その」
「さぁ言うんだ。アレンパパと」
「……卑怯者」
「老獪と言ってくれ。アレンお父様でも問題ないぞ?」
年の功というものだ。
君のような大人ぶった子供を絡めとるのは慣れているのだよ。
「ア……アレ……」
「年のせいか耳が遠くてのぅ……。よく聞こえないなぁ?」
「…………アレン!! これでいいでしょ!? アレンパパはなんかイヤなの!」
「あぁそれでいい。……よろしく、カレン」
♦♦♦
朝食や寝床の片付けなどの後始末を全て終え、二人並んで歩き出す。
出てきた村とは反対方向に道なりに歩き続けてしばらくすると。
「ねぇアレン、あそこに誰かいるよ」
「あれはたぶん行商人だね」
道端に一台の荷馬車が停まっているのが見えた。
そのすぐ近くの木の下では一人の男性が腰を下ろしている。
「おじさん、おはよう!」
近づくと、俺がするより先にカレンが飛び出して元気よく挨拶をした。
それを見る限りたしかに人見知りでも人嫌いでもないようだ。
「よう嬢ちゃん。これから親父さんとピクニックにでも行くのかい?」
「うん、だいたいそんなところ。それでおじさんはギョーショーニンなの?」
「おうそうだ。そこに積んであるものは全部売り物だから好きに見ていってくれ。欲しい物があったら親父さんが買ってくれるってよ。それに嬢ちゃんはべっぴんさんだから値引きしてやる」
「ほんと!?」
カレンが商人と俺を交互に見て言う。
その「ほんと」は値引き発言と俺への両方に対する確認だった。
しかし値引きと言ってもどうせ、元から銀貨一枚のものを銀貨二枚で売り、それを値引きで半額にしてやるなどというアレだろう。
「おう、全部半額にしてやるぜ」
ほら。
「ねえ! 全部半額だってよアレン!」
そして子供はそれにまんまと騙される、と。
後でそういう仕組みについても教えてやらないとな。
「……銀貨三枚までだ」
「わぁい!」
そして子供を盾にされることで大人は断れなくなる、と。
俺もまだまだ甘いな。
「どれにするかな、どれがいいかなぁ」
浮き足立って商品を物色しているカレンをよそに、今のうちに聞き込みをしておこう。
「やぁ。銀貨三枚分お聞きしたいことがあるのだけど、よろしいかな?」
「おう、いいぜ」
「まずはこの地図なんですけどね」
村で買っておいた地図を取り出して広げた。
世界は陸地と海の割合が半々で、中央には主に人間の住まう巨大な大陸が一つ。
北東にはその三分の一程度の大陸が。ここは主に魔人が住んでいるので封魔大陸だの魔界だのと呼ばれている。
中央大陸の西にはさらに封魔大陸の三分の一程度の大陸がある……がしかし俺はこの大陸を知らない。俺の記憶が正しければ、千年前の地図にはこんな大陸は無かったはずだ。
「ここにルーフンダという国はあります?」
中央大陸の南東部を指差して尋ねる。
この辺りには千年前、海洋貿易と貴金属の採掘で栄えた巨大な商業国家が存在していたはずだ。
「それはもしかして、大昔に滅んだ国のことを言ってんのか?」
「あぁ、滅んだんですか。ならここは――」
それから数分ほど聞き込みを続けて、
「――なんだ旦那、まるで千年も眠ってたみてえにズレてんな」
「い……いやぁ、実は昨日頭を打ってしまいましてね。ハハハ」
俺の知っている国はほとんど滅び失せたか、名前が変わっていた。
これがいわゆる世代ズレ、ジェネレーションギャップなのだろう。
それと俺の知らない西の大陸は、ちょうど千年ほど前に現れたらしい。
大陸が急に現れるなんてのは自然ではまずありえないので、何かしら人為的な力が関わっているに違いない。後で観に行かなくては。
「それで世界情勢の方はどんなもんで? 平和な世界になりましたか?」
「何ボケたこと言ってんだ? 北では魔獣が溢れ、西でも東でも戦火は消えず、南では疫病と飢饉が蔓延して酷えことになってるらしいぜ。それこそ平和なのは西の大陸ぐらいだと」
「そこまでとは……」
予想の斜め上を行く暗黒時代であることに、言葉を失ってしまった。
千年前はせいぜい亜人種の反乱や革命が流行していた程度だったのになぁ。
もっとも、俺が見てきた中で完全な世界平和などというものは一度も訪れなかったのだが。
ある場所で平和と幸福を噛み締めている者がいるのなら、必ず別の場所で酸を啜っている者がいるのがこの世の常というものだ。
それでもこうも酷いとなると、まだ五百年くらいは石の中にいればよかったかもしれない。
そんなことを考えても割れてしまったものはどうにもならないので、そろそろ行くとするかな。
「どうだカレン、何を買うか決まったか?」
「うん。おじさん、これを二つちょうだい!」
「あいよ。まいどあり!」
カレンが三枚の銀貨と引き換えに手に入れたのは笛。昔ながらの小さな石笛だった。
それだけ買うと、カレンは行商人のおじさんに手を振って歩き出す。
そして馬車が見えなくなってからすぐに笛を二つ手に取り、
「はいこれ。アレンの分」
「おぉ、ありがとう」
片方を俺に手渡してくれた。
本当にいい子だのう。いっそこのまま養子にしてしまおうか?
「えーと、こうやって…………。あれ、うまく吹けない」
いくつも穴の空いた石笛に必死に息を吹き込んではいるが、まともな音を出せずに苦戦している。
そんなカレンを見て少しホッとした自分がいる。
魔法や武術の才能だけでなく、音楽の才能まであったらどうしようかと案じていたのだ。
……どれ、見せてやろう。
「いいかカレン。これはこうやって吹くんだ」
いくつかの穴を指先で押さえ、笛に息を吹き込む。
ピィーと、鳥の囀りの如き音が鳴り響く。
「わぁ、綺麗な音。もしかして何か曲も吹けたりするの?」
「もちろんだとも。それでは一曲聴かせてあげよう」
カレンの求めに応じて石笛を吹き鳴らす。
思い浮かべるは親しかった者達、行き交った国々、そして様々な理由で死んでいった俺自身。
物悲しい音色が鳴り響き、風に乗って運ばれてゆく。
「……ふぅ。どうかな」
「なんで、そんなに上手いの?」
「練習したからさ。たしか千歳半ばくらいだったかな。音楽だけで食っていこうとした時期があってね。百年ほど音楽に打ち込んだんだ」
そして百年かけて判明したのは、やはり俺に才能は無かったという事実だがね。
「へぇ……。それにしても今のはなんて曲なの? とても懐かしくて、とても悲しかったの」
「レクイエム、つまり鎮魂歌だよ」
「なにそれ?」
「死んだ者に捧げる曲さ。この曲だけは誰よりも上手に弾ける自信があるんだ。不死者だからね」
さらに言えばレクイエムのレパートリーだけは百曲を超えている。
これについても少しずつ教え込んでいこうと思う。
「……へんなの」
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