第五話 「驚愕と期待」
意識を取り戻してからゆっくりと瞼を上げた。
目の前には変わらずこちらを見下げている少女の姿が。
「まだピンピンしてる……。もう一度やらなきゃ」
未だ冷静さを欠いているカレンが、またしても俺の息子を潰そうと足を振り上げる。
「ま、待ってくれカレン! さっきので死んだから! 本当に死んだから!!」
「……そのまま死んどけばいいのに! バカ! ヘンタイ! ロリコン!」
「それは誤解だ! 風呂だよ風呂。就寝前に風呂に入らせようとしたんだよ!」
「えっ?」
それから至極丁寧に事情を説明すると、なんとか怒りを収めてくれた。
「ごめんなさい。つい……」
「いや、俺も悪かったよ。カレンが大人の女性だったのをすっかり忘れていたよ」
歳の差考えろよ、五千歳差だぞ。俺からしたら君は赤ん坊、いや、胎児のようなものだ。欲情するわけないだろ。
などと言いたいところではあったが、それを言うと泣かれそうな気がしたのでそっと腹に飲み込んだ。
「それにしても、さっきのとんでもなく鋭い蹴りは一体誰から習ったんだい?」
まさか、こんなか細い少女がアレほどの蹴りを繰り出せるなんて。
確実に睾丸を潰し、ショック死に至らせるほどの殺人技を一体誰が教えたのだろう。
「分かんない。実はさっきのは身体が勝手に動いて……」
つまり記憶を失う前に、身体に染み込むように教え込まれたというわけだ。
そしてそれを教え込んだのはきっと、名前も顔も知らない両親であろう。
捜し出した暁には、俺がやられた分をきっちり返してやろう。
「それじゃあ、そろそろ風呂に入っておこうかね」
「でも、こんな所にお風呂なんてあるの?」
「すぐそこにあるじゃないか」
俺の視線の先には透き通った水が流れている。
そこで魚を取ったり、スープを作るのにも使った。
今度は風呂として使わせてもらおうと思う。
「これ、お風呂じゃなくて川だよ? 冷たい水だよ?」
「そうだね。冷たい水だね。じゃあ、これを風呂にするにはどうすると思う?」
「うーん……。このスープみたいに大きな器を作って、そこに水を汲んで燃やすとか?」
「三十点ってところかな。それだと時間がかかってしまう」
「じゃあどうするっていうのよ?」
こうするんだ。
「――《
川辺に寄って手の平を地につけ、一つ魔法の言葉を唱えた。
するとすぐに川の底から粘土質の土が盛り上がり、温泉のように仕切りが作られる。
「そしてこうする。《
次に冷たい水の中に手を差し込み、また別の魔法を唱えた。
瞬く間に水温が上昇し、土壁で仕切られた中から白い湯気が立ち上る。
「最後に湯加減を調整して…………と。よし、完成だ!」
「わぁ……」
カレンの方を見やると、ものの数分で風呂を作ってしまったのを見て驚きを隠せないでいる。
「どうだい? 簡単にできただろう?」
「今のは魔法、なのよね?」
「そうだよ。とても便利だろう? カレンも使ってみたいのなら後々教えてあげよう。君にはエルフの血が流れているから十年も練習すればできるはずだ」
「……あたし、もしかしたらできるかも」
「なんだって?」
魔法が使える、だと?
「うん、たぶんできると思う」
それは、子供ながらの強がりなんだよな?
幼少期特有の一度見れば自分もできると思い込んでしまう万能感だよな?
……たしかに俺は簡単にやってみせたが、アレができるまでに五百年もの歳月を捧げたのだ。
才能のない人間は死ぬまでに魔法の一つも使えず、百人に一人の才を持つ人間でも何十年もの修練が必要だというのに。
いくらハーフエルフで魔法適性が高いとはいえ、十歳とそこらの小娘にできるわけがなかろうに。
そんな俺の戸惑いをよそにカレンは川縁でしゃがみ込み、地に手をつけた。そして、
「えっと……《堤タル泥塊》!」
粘土質の土が川の底より隆起し、水の流れを堰き止める堤となる。
「《生命ノ地熱》!!」
堤で囲まれた水から、湯気が立ち上る。
「できたっ!」
あろうことかカレンは宣言通りに魔法を用い、俺が作ったのと同じものを完成させた。
……いや、まだだ。
「待て! 手を見せなさい!」
「手?」
その場で飛び跳ねて喜んでいるカレンの手を取る。
たしかに風呂を完成させたとはいえ、完璧な温度調整までできるわけがない。
本人は興奮のあまり気付いていないだけで、水を温める際に火傷をしているかもしれないのだ。
俺だって完璧な調整ができるようになるまでは何千回も肉を焦がし骨を焼いたのだ。
「大丈夫か? ヒリヒリしないか?」
「ヒリヒリ? 何も感じないけど……」
小さな手を押したり揉んだりして確かめてみるが、どこにも異常はないし本人も痛がったりはしない。
「それよりもほらっ! あたしもできたよ! ちゃんと確かめてよ!」
「あ、あぁ」
カレンは大人の女性ゆえに「褒めて褒めて」とは口に出さないが、その姿は初めて作った花の冠や砂の城なんかを親に見せびらかす子供そのものだ。
まぁ、火傷するほど熱していないとすれば人の体温程度にぬるいのだろう。それでも魔法を使えるという時点で十分褒めるに値する。
不死者ポイントを贈呈してあげよう。
「どれ……」
カレンが作った風呂に近づき、右手首までを差し込む。
するとすぐに骨の芯まで温かくなる。
それでいて熱すぎることもなく、このまま一気に肩まで浸かりたくなってしまう心地良さだ。
「これは夢、なのか?」
「何言ってるの?」
「いや、カレンが余りにも素晴らしいものを作ってしまったからさ」
「ほんと? やったぁ!」
「それじゃあ俺は寝床を作っておくから、先に入っておきなさい」
「うん!」
カレンが恥ずかしがらないようにその場を離れると、すぐにバシャンと飛び込む音と可愛らしい鼻歌が聞こえてきた。
俺はその間に寝心地の良さそうな柔らかい地面を見つけ、大人一人が横になれる大きさの布を敷いておく。
その上に枝で骨組みを作って網を被せれば、簡易型蚊帳の完成だ。
寝袋については本人がちゃんと持ってきていたようだ。
ついでに俺が寝る用のハンモックを設置し、後はカレンが風呂からあがるのを待つのみとなった。
「……さて、と」
どすっと腰を下ろし、ぼんやりと揺れる火を眺めながら一人だけの精神世界に入った。
やっと抜け出せたばかりだというのに、今日はあまりにも刺激が多すぎる。想定外な事ばかりが起こる。
ここまで濃厚な一日は数十年に一度しかないだろう。
「ふぅー……」
白湯を喉に流し込んでから、大きく息を吐いた。
そもそも何者なんだこの子は。
あの歳で完璧に魔法を使いこなし、いくら油断していたとはいえこの俺をショック死させるほどの蹴りを放つ。
控え目に言っても天才、数百年に一人の逸材だ。さらにそれを教え込んだ周りの環境までもが超高水準であったことは容易に想像がつく。
それでいて記憶がないときたもんだ。
もしかしたら十三歳ではなく、千と十三歳ということは……ないな。あの言動は無邪気な子供そのものだ。
それともまさか、この千年の間に生物が急激な進化と成長を遂げたとでもいうのか?
それから暫く生物の進化と変化について真剣に考察していたら、薄汚れたポンチョの端を引っ張られた。
「ねぇ。ねぇってば」
「あぁ、すまない。少し考え事をしていてね」
言いながら振り返ると、胸下まで伸びる髪をしっとりとさせた少女の姿があった。
やはり何度見てもただの少女にしか見えない。髪の乾かし方すら知らない、無知で無邪気な子供だ。
「どれ、風邪をひかないように髪を乾かしてあげ…………もしかしてだけど、この魔法も使えるかい?」
「どれ?」
「その前に一緒に手を濡らしにいこうか」
「うん?」
二人して川の側に立ち、二人して手を濡らした。
「両手をこちらに向けてくれ」
「うん」
「ではいくよ。《
「わぁ……ちゃんと乾いた。これを髪にやればいいんでしょ?」
「まぁ待ちなさい」
言うのは簡単だ。
だからこうやって一つずつ教え込んでいくしかない。
「しっかり俺の右手を見ておくんだ。《飛沫ヨ昇レ》」
水に濡れた手に魔法をかけるとすぐにそれは乾いた。
「…………えっ」
だけにとどまらず、体内の水分までをも奪い取ってゆく。
みるみるうちに皺み、萎み、干乾び、右肘から先が骨と皮だけのミイラと化した。
「な、なによこれ!?」
「これは水気を取り去る魔法なんだ。そして失敗すると体内の水分までもが奪われてこうなる。……これで迂闊に魔法を使ってはいけないことが分かっただろう?」
枯れ果てた右手を握ったり開いたりして、それが本物であることを証明する。
「そんなことよりも大丈夫なの!? ちゃんと戻るのよね!?」
「それはこうすれば……」
枯木の枝を折る要領で肘を逆方向に折り、
「ひっ!?」
それを捻ってちぎり取り、
「うわ……」
最後にチョロっと肘先を生やせば、
「これで元通り、っと。どうかな?」
新しく生やした手も握ったり開いたりして、これも本物であることを愕然としている少女に見せつけた。
とはいえ大丈夫だろうか。
カレンの心の強さを信じてワザと見せつけたが、これがトラウマになってしまうような人間は多いからなぁ。
「どうって……い、痛くないの?」
「四肢の欠損には慣れているさ。親の顔より見たからね。痛いかどうかについてはまぁ、痩せ我慢でなんとかなる程度だよ」
「やっぱり痛いんじゃない!」
カレンは人の痛みが分かる善い子であったようで。
「さぁ、それらを踏まえてこの濡れている左手を乾かしてみなさい」
もう一度左手を水に浸けてから、カレンの目の前に差し出した。
「いやだ、やりたくない。もしも失敗したら……」
「酷いやカレンちゃん、ボクの犠牲は無駄だったのかい?」
どうせ拒否するのは目に見えていたので、下に落ちている右腕を拾って、その心中を腹話術にて訴えた。
「わ、分かったわよ。やればいいんでしょ」
「やりたいようにやりなさい。俺の心配はしなくていい」
「……うん」
するとなんとも見事と言うべきか、酷く顔を強張らせていたのが一転して落ち着いた表情になった。
実は魔法を寸分の狂いなく用いる際にあたって、心を落ち着かせることは最も大事な要素の一つなのだ。
カレンは言わずともそれができている。
やはりこの子に魔法を教えた者は賢者などと呼ばれるような偉大な魔法使いであったことに間違いない。
俺ほどではないだろうがな。
「《飛沫ヨ昇レ》!!」
意を決したカレンがそれを唱える。
最悪体中の水分が奪われるのを覚悟していたが、これは……。
「ねぇ、大丈夫なの?」
さて、どうすべきか。
ベタ褒めするか、それとも素っ気なくするか。
魔法学院永世名誉学長の立場としては褒めちぎってやりたい。しかしそうすることで増長し、図に乗ってしまうかもしれない。
そうした気の乱れや慢心から魔法を誤爆し、身を滅ぼした者達を数多く見てきたのだ。
「成功だ、何も問題はない。だけどこれから思い出した魔法を使う時は、必ず俺に言いなさい。勝手に使ってはいけないよ? いいね?」
「……うん、わかった」
だから認めながらも注意をした。
加えて乾かしてもらった手でぽんと頭を撫でてあげると小恥ずかしそうな顔になり、特に反抗することもなく俺の言葉を受け入れてくれた。
それから先に寝ておくように言いつけてから、消耗した心と体を癒すため風呂に入ることに。
「ふぅー」
湯船に浸かってまず一つ、溜め息が零れた。
これだけ気が滅入れば溜め息が出るのは当たり前だ。
「……くくっ!」
しかしながら、次に漏れ出たのは笑いだった。
それも苦笑いなんかじゃない。
純粋にワクワクするのだ。
久方ぶりの広い世界、そして物珍しい少女との二人旅を前にして、年甲斐もなく胸が躍っている。
「うーん、楽しい旅になりそうだぁ……!」
その十数分後、うっかり眠りこけてしまった俺が溺れ死んだことは言うまでもない。
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