第七話 「臨終食」
川沿いの一本道を歩き続け、ついに選択の時間が訪れた。
「分かれ道だけど、どうするの?」
少し先を歩いていたカレンが足を止め、振り返って尋ねてくる。
このまま真っ直ぐには川沿いの道が続いている。川の上流へと向かう道だ。
左手には川橋が架かっており、その先には鬱蒼と茂る森の中へと続く道が。
一転して右手の道は低木や草花がまばらに植生するだだっ広い草原に伸びている。
「三択だね。どの道に行けばカレンの両親に出会えると思う?」
「んー……わかんないや。なんかそういう魔法はないの?」
「あるにはあるよ。だけどそれには探したい人の持ち物が必要なんだ。お父さんのペンとかお母さんのお飾りとか、何か持っているかい?」
その問いかけに対し、カレンは首を横に振る。
これはもう、仕方のないことだ。
記憶を消すほどに用意周到な奴が所持品を残すわけがない。
なのでこの方法を取るのが一番良いだろう。
「これを持って」
そこら辺に落ちている棒切れを拾い、それをカレンに持たせた。途端に眉をひそませて、不安げな顔になる。
「これってまさか」
「そのまさかだ。それを落とし、倒れた先に君の両親はいる、はずだ」
「やっぱり運任せじゃない! はずって何よ、はずって!?」
「手がかりは何も無く、魔法の類も使えない、となるとこれしかないだろう? 他に何か方法があるのなら教えてくれ」
「それは……」
俺の言葉を受けてバツが悪そうに口籠もる。
だからといって何も悪いことではない、五千歳の知恵者でもお手上げなのだ。
悪いのは何の手がかりも残さなかった両親と、この世界だ。
「大丈夫だ。君なら上手くいく」
俺のような神々に嫌われた男がそれをやろうとしたら確実に失敗するだろうが、きっとこの子は神々に愛されている。
カレンが求めるものは与えられ、自らの望みを叶えるために運命を捻じ曲げることだってできるだろう。
この先の人生で窮地に陥った際には、必ずや強い味方がカレンに救いの手を差し伸べるだろう。
そう思えるほどに祝福された少女の運任せが外れるだろうか。外れるわけがない。
「もう、分かったわよ。……えいっ!」
カレンが両手をパッと離し、その間に挟まっていた棒切れがストンと落ちる。
僅かに土を抉った棒切れがパタンと倒れ…………
「倒れない……だと?」
信じられないことに棒切れは奇妙なバランスを保ったまま、完全には倒れずに傾いたままになっているではないか。
その先端は俺の顔を……いや、その背後にある太陽を指している。
「ねぇアレン、これは」
「なるほどなるほど、君の親御さんはお天道様に住んでいるんだね……ってなるかバカッ!! ……もう一度やってごらん」
「う、うん」
流石にこの俺でも太陽に達することはまず無理なので、もう一度やらせることにする。
それでも知り合いの天文学者が言うには、二万年ほど時間をかければ辿り着けるらしい。のだが、たった千年間石の中に閉じ込められただけでも気が狂ったので絶対に行く気はない。
「えいっ!」
先ほどと同じようにカレンが棒切れを手放す。
今度こそ棒切れはパタンと倒れ、川に架かる橋と、その先でひしめく深緑を指していた。
「怖くはないかい? 今ならあっちの平原に変えてもいいんだよ」
「怖くなんかないってば!」
カレンはそれを証明するかのように、一人走って森の中へ消えていった。
うむ、元気があって大変よろしい。
♦♦♦
足の裏に感じるしっとりとした土の感触に、老若様々な草木の香りが鼻腔をくすぐる。
目を閉じれば、どこからともなく虫の声や小さな獣の走り回る音が鮮明に聞こえてくる。
無垢なる生命の集いし所、それが森。
それなのに不思議と静かで、俗世で疲れ切った心を癒してくれる。
やはり森は良いものだ。
「少々頂戴いたす」
垂れ下がった枝に見覚えのある赤い実が無数に成っていたので三粒摘み取った。
そして口に投げ入れると、クセになる甘酸っぱさに満たされる。
「カレンの分も持っていくか」
追加で実を二十ほど摘み取ってから足早に歩く。
すぐに道の端でしゃがみ込んでいる少女が目に入った。
「どうしたカレン、そこに何かいるのか?」
「これ、食べれるかな」
カレンが指で軽くつついているのは、黄色い斑点の入った拳大の白キノコであった。
「これはそうだなぁ……。俺が食べていいと言ってから食べるんだ」
「うん?」
「絶対にだよ、いいね?」
「……うん」
「それじゃ、お一つ頂戴して……」
焦がしたバターに似た香りを放つそれを一つもぎ取り、そのまま生で齧り付く。
とても肉厚で噛み締めるたび、ジュワッと濃い汁が溢れ出る。
もしも知らない人が口にしたら、キノコではなく肉だと勘違いしてしまうほど濃厚な旨みが口いっぱいに広がり、半強制的に頬が緩む。
「久しぶりに食べたけど、やっぱり美味しいなぁ……。生きてるって素晴らしいねぇ」
「ねぇー、まだなの? あたしも早く食べたいのに!」
「まぁ待ちなさい。もうすぐ表れるはずだから。それまでこっちの赤い実を食べていなさい」
「むぅー……」
カレンが実を頬張るのを眺めながら数分経ち、やっと身体に異変を感じるようになった。
それでは一生忘れることのないように、アレン先生の特別授業にて教えてあげるとしよう。
「このキノコの名前はオカエシダケと言うんだ」
もう一つそれをもぎ取ってカレンによく見せる。
その際に小指が一本抜け落ちたが、気付いてはいないようだ。
「オカエシダケはその美味しさから、死ぬ間際に食べたい『臨終食』の一つに数えられているんだ」
「そんなに美味しいなら早く食べさせてよ!」
「おっと、その前に一つ問題だ。どうしてオカエシダケなんて名前だと思う? これに答えた後に食べさせてあげよう」
「うぅん……」
カレンは目を細め、眉間に皺を寄せ、小さな頭を抱えて模索している。
そのせいか俺の左手が酷く黒ずみ、今にも腐り落ちそうなことにすら気付いていない。
「――分かった! 何かお返しをしたくなるほど美味し……キャアーッ!!」
「やっと気付いたようだね」
文字通り俺の両目が飛び出てから、ようやく答えを見つけ出したようで。
「なっ、なんなのよそれ!? なんで目も鼻もないの!?」
「よく見ろ、左手と右足もないぞ」
「うわ、本当に……って、言ってる場合じゃないでしょ! どうするのよそれ!?」
「こうする」
なるべく血で服を汚さないために、眼窩の奥に小枝を差し込んで捻り、一度死ぬことに。
そして目が覚めるといつも通りの身体に。
「アレン! ねぇアレン!? 大丈夫なの!?」
起き上がるとすぐにカレンが揺さぶってきた。
俺の両肩をぎゅっと掴んで離そうとしない。
そして人形のように整った顔を少し、いやかなり泣き出しそうに歪ませてくれて大変嬉しく思う。
「あぁ、心配してくれてありがとう。ちょっと死んで綺麗な身体に戻しただけだから大丈夫さ」
「それは大丈夫って言わないわよ!」
どんな死に方をしようが傷一つない体で蘇ることを伝えてはいるが、やはり定命の者がそう簡単に受け入れることはできないか。
とはいえ子供にしては信じられない耐性を持っている。
普通は腐りゆく人間なんてものを見たら吐いて当たり前、下手すれば一生消えない心の傷を負うかもしれないというのに。
まるでそんなものは何度も見たから慣れていると言わんばかりだ。
俺の死についても、そのうち慣れるのを気長に待つとしよう。
「では気を取り直してさっきの続きだ。カレンの答えはたしか……『お返しをしたくなるほど美味しいから』だったね?」
「……うん」
「それだと半分正解ってところかな。実はオカエシダケを取って食べるとすぐに身体が腐り、崩れ落ちるんだ。そしてそれが土に還り、次のオカエシダケのための栄養となる」
それはついさっきまで体の一部だったものが証明している。
腐臭を放つそれらは時間をかけて土に溶け込み、新たな生命の糧になるだろう。
森へお還り。
「つまり正解は、『オカエシダケを食べたらその体でお返しをしなきゃならないから』でした! ……さぁカレン、食べていいぞ」
「食べるわけないでしょ!! バカ!」
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