第20話 晋作の才識と九一の誠実
明治44年に
これが
タイトルはこのお話に合った中の、好きな一文です。
(※内容は変えていませんが、適宜、読みやすいように言葉を補ったり、漢字を開いたり、表現を現代風にしている部分があります。また、読み方は複数ある場合もありますので、これとは違うルビを振っている本もあります。気になる方は現本のほうをお読みください)
入江九一、名は
また長州藩士なり。
その性格、
されど、これは別に尊ぶに足らぬが、ただ尊ぶところのものは、彼が国を憂うるの
安政六年の春、水戸中納言より密使を我藩に差し向け、引き続き、播磨の大高又次郎備前の平島武次郎など来り、藩の有司と事を議し、また大原三位重徳も、我藩の志士を召し、ひそかに事を謀られけるにぞ、一藩の人々囁き合い、行末いかにと案じ煩う頃、松陰ひとや(※人屋。罪人を閉じ込めておく建物)に入れられながら、しきりに時事を論じてやまず。
この頃、古き弟子たちは、多く他方に行きて居らざりしが、九一ひとり尽力して、松陰が思うむね果させんと、弟・和作と共に
文久三年の春、これまで卒の身分なりしを、改めて士の格に取り立てらる。
二月、朋友・杉山松介等と志すところ有て都に上るが、その頃かしこにひそみ居たる若者共、洛西等持院に安置せる、足利将軍尊氏以下三人の首引き抜き、三條大橋の際に
間もなく朝廷より、
この頃、世の人、晋作の才識と九一の誠実とを勤王士中の聯壁と言いあへり。
ほどなく、また京都に上りけるに、次の年七月、ついにかの大変(※禁門の変)に及ぶ。
九一、この時、鷹司家の屋敷にありしに、敵兵四面より寄せ来たり。今はこれまでと為りける時、久坂義助きっと覚悟し、九一に向かい、後々の事、こまごまと言い含めけるに九一も共に死なんと言う。
義助いらって、強いて落とさしめんとしけるにぞ、九一すなわち囲みを切り抜け、かけ出でんとする折から、不運にも流れ玉が飛び来たり、ついに撃たれて、門前に斃る。
時に年二十七。
長州藩中、軽き身分より出て、王事に身を果たせる者、九一と吉田稔麿と、杉山松介の三人とが、その巨臂なりといはれるにける。
寺島忠三郎、名は昌昭、この時、久坂入江と共に節に殉す。
その人その功、決して劣らざれど、事すべて前二人に同じきもの故、遺憾ながらここに略せり。
九一の弟・野村和作、この時、免れて、ついに志を達す。即ち野村子爵これなり。
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