第8話 日比谷焼き討ち事件~河野広中
「血あるもの、涙あるもの、骨あるもの、鉄心あるもの、義を知るもの、恥を知るもの! 講和条約に反対せよ!」
自由民権派の議員・河野広中は、集まった人々を声高らかに扇動した。
これは日露戦争のポーツマス条約が調印された直後のことである。
講和条約反対と戦争継続を求める国民集会は各地で行われ、邪魔な現閣僚や薩長元老をすべて処分して、ロシアとの戦争を続けるのだと民衆は息巻いていた。
民衆を煽ったのは野党民権派議員だけでなく、新聞や政治運動家・団体もである。
朝日新聞を始めとした新聞は「日本は賠償金が数十億円は取れる」とか「樺太全土が譲渡される」などの予想記事を勝手に出していた。
政治活動家はさらにイルクーツクより東のロシア帝国領土が日本に割譲されると民衆を扇動した。
しかし、ポーツマス条約は賠償金なし、南樺太や後に満鉄になる土地など得られたものは少しだけであった。
日本は最後の常設師団である第七師団まで旅順での戦いに出し、ギリギリの状態だったのである。
それをロシア側に悟られて、講和条約が不利にならないよう、窮状を国内に報じさせなかったこともあり、民衆はまだまだ戦えると勘違いしていたし、新聞の勝手な予想でどんどん期待だけが膨らんでいた。
結果、ポーツマス条約の内容を知り、怒り出したのである。
朝日新聞は内閣や外務大臣・小村寿太郎を許しがたいと糾弾し、民衆は「桂とともにお鯉を殺せ!」と首相の愛妾にまで殺意を向けた。
実際に小村寿太郎の家は投石が止まらず、小村の妻は精神を病み、別居している。
河野広中は集まった人々を扇動しただけではない。
馬に乗って街中を走り、人々を集会に参加させようと煽った。
「来たれ、来たれ! 集まっていっせいに卑屈醜辱なる講和条約に対する不満の声を
馬がいななき、広中の声が飛ぶ。
広中の勇ましい声は人々を集め、自由民権派の議員たちは講和条約反対に集まった民衆による決起集会を開こうとした。
警察庁はその危険を感じ、禁止令を出したが、公園の入り口を封鎖する警察官に怒り、民衆たちは日比谷公園に侵入。
その後は文字通り、暴動となった。
内務大臣官邸が抜刀した人々に襲撃され、壊される。
政府系新聞と考えられていた徳富蘇峰の國民新聞も襲撃され、交番や警察署も破壊され火を点けられ、各地で建物が燃えた。
少なくとも市内13ヶ所で火が点けられている。
鎮圧のために近衛兵が街に出て、ニコライ堂や関連施設を護衛したが、講和に協力したアメリカまで民衆の怒りを向けられ、アメリカ公使館やアメリカ人牧師のキリスト教会まで襲撃された。
市内を走っていた路面電車まで火を点けられて焼かれ、東京は無政府状態になり、ついに政府は緊急勅令を出すことになった。
今では見られないような暴動であるが、日露戦争の講和条約反対、戦争継続を求める民衆の暴動はすさまじいものだったのである。
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