第7話 やめたくてもやめられない~明治天皇

 それは伊藤博文が辞表を提出しに行った時のこと。

 

 明治天皇は内閣総理大臣を辞めるという伊藤に視線を向け、溜息と皮肉が混じった声で言った。


「伊藤たちは辞表を出せばやめられるが、朕は辞表は出せないからな」


 この10年ほど前に制定された皇室典範で、明治天皇は譲位することを許されなくなったのである。


 それは、不治の病であろうとも退位は許されないというものだった。


 伊藤の部下であり、法制官僚である井上毅いのうえこわしは外国の学者の言葉を引用し、不治の病にあるときは譲位できるようにすべきだと主張した。

 

 しかし、伊藤は退位に関する規定は全文削除しろと命じ、明治天皇は不治の病になろうとも一生、天皇であることを義務付けられたのである。


 伊藤は明治天皇の言葉にひたすら恐縮するしかなかった。


 昭和の頃に、男性皇族が多くなり、それぞれの宮様に陸海軍がついてあれこれ言い出したことを考えれば、伊藤の譲位に関する規定を無くしたのは正解だったかもしれない。


 しかし、明治天皇からすれば、自分の意志とは関係なく、退位は絶対に認めないという状況になってしまったので、一言くらい言いたかったのかもしれない。


 そして、月日が過ぎ、明治150年を迎える少し前に、天皇陛下の譲位が決まり、憲政史上初めて、譲位が行われることになる。


 絶対に退位は許されないとしていた伊藤と、不治の病であれば退位も認めるべきとしていた井上毅が草葉の陰でどう思っているか、ちょっと興味のあるところである。


※わかりやすくするため、本来は存命の時には使わない明治天皇という表記にしています。

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