第6話 日露戦争の頃の師団と連隊と出身地について

 まず師団と連隊についてですが、師団の中にいくつかの連隊が所属します。


 明治の日露戦争あたりは、歩兵連隊が三、四つくらい一つの師団に入っていました。

 他にも工兵・騎兵・砲兵・輜重兵の隊がいて、衛生兵とか通信兵とか病馬廠とか防疫とか、それらが合わさって一つの師団になります。


 東京の第一師団には四つの連隊がいました。


 東京麻布の歩兵第一連隊、歩兵第三連隊。

 千葉県佐倉の歩兵第二連隊。(第二連隊は宇都宮→佐倉→水戸と移っていますが、日露の頃は佐倉です)

 群馬県高崎の歩兵第十五連隊。


 そのため第一師団所属の歩兵だと、関東出身じゃないかなとなるわけです。


 ただ、師団の中にいる連隊が、全部同じ地方とは限りません。


 仙台の第二師団に所属する隊の中でも、歩兵第四連隊は仙台で歩兵二十九連隊は会津若松ですが、歩兵第十六連隊は新潟の新発田です。

 

 名古屋の第三師団も、歩兵第六連隊と十九連隊は名古屋で、歩兵十八連隊も豊橋ですが、歩兵第七連隊は石川県の金沢です。


 このように師団の中にいる大体の連隊は、その師団本拠地の地元かその近くだけど、一部の連隊は遠いということもあります。

 なお、連隊もいつも同じ師団に所属しているわけではなく、時代や新しい師団の創設によって移動したりします。


 各師団はそもそもは先にあった各地の鎮台が元になっていて、第四師団は大阪、第五師団は広島、第六師団は熊本です。


 余談ですが、各師団には略称があり、第四師団は淀、第五師団は鯉、第六師団は明です。


 ちょっと事情が異なるのは第七師団です。


 第七師団より前に出来た師団は、それまでその地域にあった鎮台を元に作られました。

 鎮台の歩兵は、当初は各藩の志願者、明治六年に徴兵制が施行された後は平民の兵士でしたが、連隊地に縁がある人たちでした。


 しかし、北海道は他の場所のように元々、藩があったわけではなく、たくさんの人が住んでいたわけでもありません。 

 第七師団の各連隊は北海道の人口がそもそも少なかったため、必要な数を集められませんでした。


 そのため、第七師団の各連隊は本州からも人を徴募します。明治32年に各隊に入営した初年兵の出身地もこんな感じです。


 第一師団管 873名

 第二師団管 171名

 第七師団管 697名

 第八師団管 37名


 北海道の第七師団管の土地の人たちよりも、第一師団管の関東の人たちの人が多く、他は仙台の第二師団管、青森弘前の第八師団管の東北の人たちという感じです。

 

 このため、第七師団は関東以北の人たちが多く、関東以北の本州といってもかなり広いため、他の連隊に比べて、出身地がバラバラになっています。

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