第5話 人の死を晒す明治人、見たがる明治人~三浦梧楼
明治42年(1909年)10月26日。
伊藤博文が
伊藤の腹心であり、共に大日本帝国憲法を作った
「伊藤はかねてから自分は畳の上では満足な死にかたはできぬ。
梅子は涙を見せず、
---------------
その冬。熱海に行こうとしていた長州の元軍人・
『伊藤博文が撃たれたときの写真を、両国の
「はぁ!?」
思わず声から怒りが
三浦は急いで同じ長州出身であり、元老である
「おい、山縣、これはなんだ!」
持ってきた新聞広告を突きつけ、三浦は山縣にまくし立てた。
「伊藤さんは国家の
三浦の
「いや、私はちっとも知らなかった」
山縣は三浦が苦手だった。
三浦が長州出身でありながら
元々、
「今日の新聞にこういう広告があったんだ。僕は明日熱海に行こうと思うから、どうか
総理大臣の
「
山縣がそう承諾したので、三浦はこれで大丈夫だろうと安心して熱海に向かった。
だが、一月になると、伊藤博文の写真が
三浦は怒りを込めて手紙を書いた。
『伊藤の
井上とは伊藤の五十年来の親友である井上馨である。
『こういうことを捨て置いて、何が友人だ。それが出来ないなら政府に買い取らせてもいいだろう。とにかくあんな写真を公衆の面前に
政治や戦争などで立場を
三浦は即刻辞めさせろと山縣に手紙を出した。
山縣は慌てて謝罪の返事を送り、年末年始の忙しさで忘れていたこと、
しかし、山縣は一度忘れているので、三浦は
「実は写真といっても、真っ
だが、写真が黒かろうがどうだろうか三浦にとって問題ではない。
国家の功臣たる伊藤が撃たれた話を、写真を
最終的には政府がこの写真を買い取り、興行は終わった。
今も昔も人間のこういった気質は変わらないのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます