第4話 逓信四天王~石井忠亮

 明治時代に『逓信四天王』と呼ばれる人たちがいた。


 郵便の前島密まえしまひそか、鉄道の井上勝いのうえまさるは有名だろう。


 もう一人は電信の石丸安世いしまるやすよ、そして、今回の主役である電話の石井忠亮いしいただあきら(ただすけ)である。


 佐賀藩士だった石井は、政府軍として、戊辰戦争で佐賀藩海軍の陽春丸に船将として乗り、箱館戦争に参加する。


 その後、海軍から工部省に移籍し、欧州各国で電信事情を視察し、上海で電話交換局を視察した石井はこう主張し始める。


「日本にも早急な電話事業の開設が必要だ」


 まだ1883年(明治16年)という大日本帝国憲法も発布される前であり、工部省はインフラ整備に忙しかったが、石井は工部卿・佐々木高行に国営電話事業の必要性を強く訴え、国営電話事業の開設を政府に建言する。


 石井の熱意の結果、国営の電話事業が始まった。


 1890年12月16日の開設当初、電話が通じたのは東京と横浜のみであり、東京の加入者が155、横浜の加入者が42と非常に少なかった。


 かけそば1杯が1銭で食べられるのに、5分で15銭の通話料がかかる電話は高級品だったのである。


 ちなみに12月16日は『電話が一般的に開通した日』であり、試験通話は明治10年に行われており、留学していた金子堅太郎や伊沢修二はグラハム・ベルの開発した電話の試験通話で使ったことがある。


 金子堅太郎は後の大日本帝国憲法を作り、ポーツマス条約締結に活躍、伊沢修二は現在の東京芸術大学音楽学部と東京ろうあ学校の校長となり、日本の西洋音楽化と吃音矯正の第一人者となっていく。


 あまり目立つ存在ではない石井だが、電信の石丸安世と共に、佐賀出身の才能が日本の電信電話事業を発展させたのだ。

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