妄想だけのつもりが、痴女っぽくなってしまったみたい

深山瑠璃

第1話


 そろそろ限界だったのだと思う。



 誰とも口を利かないで終わる毎日。ひたすら時間が過ぎるのを待つだけの日常が苦しくて、耐えられなくて。



 そんなわたしの逃げ道は妄想だけだった。



 定番の妄想ネタは大抵二次元だったのだけど。たまには趣向を変えてみたくて、図書室でよく見かける男の子をネタにしてみた。



 わたしと同じように図書室に通いつめている、やぼったい髪形のメガネをかけた根暗な感じの。要するにわたしと同類だと思われる男子。



 彼を妄想のネタに選んだのは、彼ならばわたしの気持ちを理解してくれるかもしれない。そう思ったからだ。よし。彼とは両片思いの設定にしてみよう。お互いが気になっているけど近づく勇気のない者同士。



 前提条件としてこれは結構大事だ。なぜなら、今からする妄想はちょっと犯罪的だから。まったく気のない相手にされたら通報されそうな案件。妄想なのに、こんな保険を掛ける自分の小心さが嫌になるけどね。




「えっ、なっ、なに」



 そう。そんな風に焦る彼に、背後からわたしはしがみついていた。いきなりだからびっくりしたと思うけれど、そんなに震えなくてもいいのに。



「じっとして」



 もう限界なの。人のぬくもりが欲しい。人恋しくて、誰かに気づいて欲しくて、妄想の中なんだから、わたしの思い通りの夢を見させてくれるよね。



「少しの時間でいいから。このまま。このままでいて欲しい」



 あぁ、男子を抱きしめるとこんな感触なんだ。細身だし、筋肉なんてなさそうなのに、わたしと比べると意外なほど大きくて、ゴツゴツしている。自分以外の匂いをこんなに近くで嗅いだのは随分と久しぶりだ。



 はぁ~妄想でも、ハグって癒されるんだね。



 あったかくて気持ちいい。ドキドキする。しばらくそうしていると心がポカポカしてきた。妄想なんだから、もう少し大胆でも良いかな。



 後ろから回していた手をもぞもぞ動かして、彼の胸板をまさぐってみる。



 うはぁ~興奮する。妄想万歳。こんなに気分が高揚したのはいつ以来だろう。



「気持ちよかった。ストレス値がほんの少しだけ下がった気がする」



 よし、帰ろう。脳裏に――服装が乱れて涙目になった男の子が映像として浮かんだけれど、大丈夫。現実ならこのまま帰ったら、やり捨て野郎みたいだけど、妄想だから問題なし。



 二次元ネタの妄想じゃなくても、これは意外とハマるかもしれない。




 実際にハマってしまったわたしは次の日も同じように妄想を始めた。ちょっとだけシチュエーションを変えてみる。



 今度は正面からのハグだ。図書室の奥の方、隠れるように立っていた彼の姿を見つけるなり、駆け寄ってギュッと抱きついて、頬を胸板に擦りつけた。



 うん、やっぱり、ささくれ立っていた気持ちが穏やかになる気がする。一日誰にも話しかけられずに、我慢して我慢して我慢して、時間をやり過ごしていた分のストレスを癒すハグ。この妄想、しばらく止められそうにないかも。



「あぁ、でも残念だ」



 ハグをしたまま見あげてみると、彼の髪型がやぼったい。こう、ちょっと残念な感じなんだよね。



「むさ苦しい。もう少し短く切ったら爽やかになると思うのに」



 彼の体がビクッと震えた。



 ひどい言い方かもしれないけど、妄想の中だから問題ないよね。




 次の日、図書館に行ってみると。あれ? その男子の髪が短くなっている。どうして? 重たげだった髪が爽やかになっている。ねぇ、ちょっとそれは女子受け高すぎる髪形じゃないかな。なぜかイラっとくるわ。




 仕方ない。今日は妄想を止めて、帰ろう。



 トボトボ歩いているうちに、何を血迷ったのか美容院に立ち寄ってしまった。



 もっさりしたロングの髪を、思い切ってボブカットにしてもらう。美容師のサービストークが炸裂して「ちょっと大人っぽくて可愛くなりましたよ」なんて言ってくれるけど、だ、騙されないから。



 でもこれなら、あの若干イケメンふうに爽やかな髪形になってしまった男子との妄想を続けていられる気がして、ホッとする。





 さて、ハグもそろそろマンネリだし、今日はどんな妄想をしよう。



 やっぱり定番だけど、キスかな。



 妄想の中だと自由自在だから良いよね。



 どうやって、キスされる展開にすればいいかなぁ。うーん。躓いて持っていた本を落としてしまったら彼は拾ってくれるかな。あ、そうそう。良いね。ちゃんと拾ってくれた。優しいじゃない。



 照れながらもちゃんとありがとうと言って、そうしたら、目が合って。そうそうこんなふうに。



 それから、やっぱり少々強引だけど、無理やり気味に本棚に押しつけられて、むさぼるようなキスかな。うん。



 現実にやったら犯罪だけど、妄想だから許してくれるよね。



 キスをした後は、無言じゃダメだよね。台詞はこんな感じかな。



「ごめん、思わず、君があまりにも可愛かったから」



 とかなんとか。きゃぁー。恥ずかしすぎる。あれ、どうして君がそんなに真っ赤になってるの。その表情はわたしのものだよ。





 まぁいいか、細かいことは気にしないでいこう。えっと、妄想なんだからもう少し大胆にしてみても良いかも。



 舌も入れてみたい。



 あぁ。なんか、あれ。激しい。ちょ、待って。妄想が追いつかない。でも、きもちいい。うぐ。なんだこれ、妄想がちょっと暴走してる? でも、求められている感が、トゲトゲしていた心が溶けて癒されていく気がする。



 イライラして、ネガティブだった気持ちまでほぐれて、満たされていくような。



 なんだろうこの気持ち。そうか、これ、幸せな気分だ。



 はぁ、顔が火照る。今日の妄想も満足だ。帰ろう。ふらふらする。



 あれ? 帰り際にちらっと見た彼の顔が……真っ赤に火照って蕩けていた気がするけど。気のせいだよね。妄想の中でしている彼の表情が、あんな感じだったはずだから、えっと、妄想と現実が何だかよく分からなくなってきているかも。




 家に帰って、鏡を見て気づいた。



 あああああ、わたしの唇、つやつや感が足らない。こんな唇じゃ、妄想が続けられない。明日は図書室に寄らないで、リップとか唇のケアをするためのものを色々と買いに行こう。



 うん。どうせならプルプルでキスしたくてたまらなくなる唇を目指そう。風呂上がりの唇ケアも頑張るぞ。



 あはは。そうやって気にしていると、心なしかプルプルで柔らかくなってきた気がする。それに、最近なんだか肌艶自体も良くなってきた気がするんだよねぇ。



 妄想が女性ホルモンに良い影響でも与えているのだろうか。




 んんんん? しばらくぶりに図書室に行ってみると、わたしと同じように彼の唇もつやつやしているではないか。なんだあの唇は! けしからん。キスしたくてたまらなくなるじゃないか!



 あれ、なんだか変じゃない? 髪形の時もそうだったけれど、もしかしてわたしが妄想すると、何らかの力が働いて、彼に影響しているのかな。



 なんてね、厨二病乙。



 そんなはずがないだろう。だよね? まさかね。




 さて、次の妄想は何にしよう。キスの次は何だろうか。図書室でのエッチはさすがに刺激的すぎるよね。うん、わたしには無理だ。



 あ、キスはしたけど、告白の妄想がまだだった。



「うーん。でも、告白ってどうするんだっけ」




 本を読んでいるフリをしながら、じーっと、彼を見つめ続ける。



「あのメガネもう少し何とかならないのかな。外したらどんな顔なんだろう」



 あ、妄想なら取り外し自由だった。どれどれ、妄想の中ぐらいとってみようか。あ、うん。凄いイケメンとかじゃないけど。メガネじゃない方が好き。告白の時はやっぱりメガネなしかな。



 するとまたも彼の体がビクッとしたような。




 え、まさか、ほんとにメガネを外してきた。次の日、彼の顔にはメガネがなかったのだ。まさか、コンタクト? もしかして、本当にわたしの妄想が彼に影響を与えているの?





「あの、藤田由奈さん。なんか今さら変な感じだけど、僕と付き合ってもらえないかな」



 え? なんで、わたし告白されているの?



「前からいつも図書室で出会って気にはなっていたんだけど、そんな女の子に突然ハグされたり、キスされたりして、その、ダメ出しも食らって、だから告白ぐらいは僕からしたいと思って」



 は? 意味がわからない?



「あ、分かった。これも妄想だ。そうきたか。なるほど。それか夢かな、目が覚めたら保健室コースだね、あ、今度は保険の先生にいたずらされる妄想なんていうのもいいかも――」


「ねぇ、戻ってきて。僕以外の誰かで妄想するのは禁止だから!」



 妄想の中の彼が、暴走している。なぜか、怒っている。



 わたしの思い通りに動かないなんて。こんなはずじゃなかったのに。



「ねぇ、藤田さん、もしかして、僕の名前も知らないってことないよね?」


「知ってるよ。でも下の名前は知らない」


「中西高志。覚えてね」



 妄想が暴走して告白してきた彼は、なぜか押しが強い。



「……はい」


「で、付き合ってくれるよね。急に抱きついてきたと思ったら、急に来なくなったり、もうダメかと思ったら突然キスしてきたり、翻弄されて、弄ばれて、どんどん藤田さんは綺麗になっていくし、頭がおかしくなりそうだったんだから、責任取ってくれるよね?」


「…………はい」


「ねぇ、今度の日曜日に、水族館にでも行かない?」


「行かない。水族館デートの妄想はまだしたことないから無理」

 


 冷たく言い放つ。けど、仕方ないよね。



 妄想していただけなのに、わたしの妄想が暴走を始めてもうパニックだ。どうしたらいいか分からない。



「じゃぁ、早急に。日曜日までにデートの妄想してみて。もちろん、相手は僕だからね」



 うるさい。この妄想彼氏煩い。



 どうしよう。どうしたらいいんだろう。



「一緒に帰ろう」



 あ、勝手にわたしの手を繋いでる。許可ぐらいとろうよ。



 調子に乗ってるよ、この妄想彼氏。



 でも、なぜだろう。繋いだ手が、すごくあったかい。泣きそう。




 ふわふわした気持ちで、手を繋いだまま帰る途中。パン屋のガラスに映る二人の姿が見えた。



 妄想なら映らないはずの中西くんとしっかり手を繋いでいるわたし。二人の姿は意外にもダサくない気がする。



 そう。わりと普通にお似合いのカップルが恥ずかしそうに立っていたのだ。


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妄想だけのつもりが、痴女っぽくなってしまったみたい 深山瑠璃 @raitn-278s

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