第36話 奇跡 

 トーマスを襲って捕らえられた刺客は、そのままレザール王国へ引き渡された。


 レザール王国での取り調べの結果、トーマスの予想通り叔父が暗殺を企てたことが分かった。最近よく外出するようになったトーマス王子をつけ狙い、一人になる隙を狙っていた。王子と従者だけになり、人目のない森の中に入ったところを狙われたのだ。


 トーマス王子は、一か月ほどボルブドール城で治療を受け、迎えに来た兵士たちとともに無事ラザール王国へ帰ることができた。それ以降は、やんちゃな性格で、色々なところへ自由に行き来していた生活はかなり制限されることとなった。


 彼が提案した国境沿いの市場での両国の生産物売買の件は、ジャン王と大臣たちとともに検討を重ねた結果、前向きに進めようということになった。トーマスの提案が生かされる形となった。



              ⋆


 エレーヌはルコンテ城へ戻ってから毎日忙しく過ごしていた。結婚式は春に行われることとなり、それまであと数か月間しかない。準備と言っても、エレーヌは普通にしているのが一番だと言われ、特に何もしなくてもよいと言われたのだが、リハビリや、ダンス、いくつかのお稽古事は今まで通り行われた。 


 今までやったことのなかった刺繍や料理なども試しにやってみた。それなりの成果は出せるようになった。レザール王国の収穫祭で食べたタルトのおいしさに魅せられて、果物を使ったタルト作りに夢中になっていた。ハロルドも作った作品をはじめは不思議そうなものを見る目で食べていたが、練習するうちにおいしいと喜んでくれるようになった。


 ハロルドは剣術の稽古に忙しかったが、何かと理由を付け会いに来てくれる。その日もまっすぐに歩く訓練をしていたところだった。ホールで、床の木目に沿って歩いてみる。怪我をする前は簡単にできていたことが意外と難しく、よろけてしまう。エレーヌは額に汗をかいて奮闘していた。


「エレーヌ様、精が出ますね。あまり無理をして、また怪我をなさらないでくださいね」


「わあ! ハロルド様、いらっしゃっていたのですね。ずっとご覧になっていたんですか?」


「いえいえ、たった今来たところです」


「あの、ハロルド様、お願いがあるのですが。今度一緒にレザール王国へ行っていただけませんか。収穫祭の時にある御令嬢からドレスをお借りしたのです。ドレスは使いの者に持たせて、もうお返ししたのですが、もう一度その方にあってお礼が言いたいのです。それにトーマス様のお見舞いにもお伺いしたいですし」


「トーマス様か、元気にしているだろうか。ぜひ会いに行きましょう。彼は僕たちのキューピッドのような方だからな。今度きちんとお礼をしに行きたいですね。御都合をお伺いしたら、行ってみましょう」


「ハロルド様、後でタルトをお召し上がりくださいね。今日も作ってみたんです。やってみると意外に楽しいです」


「おお、それは楽しみです」


「では、持ってまいりますので、こちらでお待ちになっていてください」


 エレーヌはタルトを取りに行き、戻ってきたときはメイドが一緒にお茶を持ってきた。


「お茶と一緒にいただくと美味しいでしょうね。早速いただきましょう」


「うん、果物の甘さが生地と混ざり合ってちょうどいい味ですね。お菓子つくりの腕を上げましたね」


「お菓子は上手に作れました。ハロルド様に褒めて頂いて幸せです」


「次はどんな風に作っているのかその姿も見せてください」


「まあ、必死になって作っているので、驚かれるかもしれませんよ。粉だらけになっている姿をお見せするようです」


「それもまた楽しみです。僕にもあなたを驚かすことがあるんです」


「あら、何ですか?」


「ボルブドール王国へ来た時にお教えします。本当に驚きますよ。お楽しみに」


 ハロルドは、ふと思い出し、エレーヌに訊いた。


「トーマス王子から、いつぞや奇跡の石をもらったとおっしゃっていましたね。是非見せてください」


「ええ、異国から入ってきたものだそうです。たくさん採れる国があるらしいですね。私の部屋へどうぞ。大切にしまってありますので」


「あなたのお部屋へお邪魔するのは二度目ですね。かわいらしい部屋でしたが、あのままですか?」


「ええ、大体は。少し刺繍なども習いましたので、そんな飾りも増えました。どうぞいらしてください」


 二人は階段を昇り二階のエレーヌの部屋へ入った。


 ピンクや赤などの色を基調とした明るく温かみのある部屋だ。子供のころから大切にしてきた人形や縫いぐるみのほかに、テーブルの上には作りかけの刺繍が置かれていた。


「完成したら、持っていきます。二人のお部屋に飾りましょう」


 その図柄は、ここから見た森の風景画を基にしたものだった。


「そうですね。あなたの国の風景です。大切にしましょう」


 エレーヌはチェストの一番上から、木の箱を取り出した。そっと蓋を開けると中にはピンク色の輝きを放つ石が置かれていた。


「素晴らしい! 明るくて、温かみのあるピンクですね。透明で美しく輝やいていますね。持っているといいことがありそうです。トーマス王子は貴重なものを下さいましたね」


「私がこれを見ていつも何を思っているかわかりますか?」


「さあ、何を思っているんだろう?」


「当ててみてください!」


「う~ん、僕に愛されるようにお願いしているんでしょう?」


「まあ! でも違います」


「違うんですか?」


「もっといいことです」


「分かった。僕に拾われてよかったと思っているんでしょう」


「まったく、ハロルド様ったら! それもありますが、ハロルド様がいつも私のそばにいて、愛せますようにと願いしているんです」


「愛せますようにって、そんなことですか。この石がなくても叶うでしょう」


「離れ離れになってしまったら、愛することが出来なくなってしまいますから。一緒にいられることだけをお願いしています」


 ハロルドは箱の中からそっと石を取り出して手の平に載せてみた。エレーヌの方から見ると、ピンク色の透明感のある石の向こうに、ハロルドの輝くような済んだ瞳が見えた。森の中で、救世主のように見えた彼の顔と重なった。


―――私の奇跡の石はハロルド様だった


「命がけで石を取りに行って、あなたに会えたのですね」


「そうですよ。凄いですね。命がけで僕に会いに来たようなものです。僕はあなたにとって奇跡の石のようなものですね。そして、僕があなたを見つけたのも奇跡のようなものです」


「私たち凄いですね!」


「そうですよ。奇跡のカップルです」


 ハロルドはそっとエレーヌの唇にキスした。


 エレーヌの髪の毛の香りがさっと漂い、ハロルドがエレーヌの背に両腕を回して抱きしめた。


「初めてあなたに会った時、何かを感じました」


「私も、森の中で出会ったときから、これからあなたとずっと一緒にいる運命を感じていました」


 ハロルドの手が、エレーヌの髪の毛を優しくなで、体中を包み込んだ。エレーヌは、夢のような気持で、ハロルドの胸に顔を埋めた。心臓の鼓動までが聞こえてきそうなほど二人は近くにいた。


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