第35話 トーマス王子危機一髪

 コツコツとこの扉をたたく硬質な音がした。

「やっと二人で話が出来たのに、誰でしょうか?」

 

 名残惜しそうに、エレーヌから手を離した。


「どうぞお入りください」


 ドアが開いて、トーマスの満足げな顔がのぞいた。


「トーマス! 話はエレーヌ様から聞きました。何とお礼を言ったらいいのかわからない」


「どういたしまして。僕は悪だくみばかりをしている人間ではないんですよ。わかりましたか?」


「ああ、こんなに素晴らしいやり方で借りを返してくれるとは思わなかった。君は本当はいい奴なんだな!」


「ちょっとは見直しましたか? 舞踏会の話を聞いた時のエレーヌ様の狼狽ぶりを見ていると、たまらなくなりました。苦悩されていて、見ているこちらもつらかった」


「そうだったのですか。しかし、大胆なことを考えたものです。舞踏会に忍び込んでしまうとは。今回は本当に感謝しています」


「やっぱりエレーヌ様には、ハロルド様がよくお似合いですから」


「それで、何か言いたいことがあったのではありませんか?」


「流石ハロルド様、御察しがいいですね。お二人の仲もうまくいったのでちょっとお願いがありまして……」


「そんなことだろうと思った。で、何をしてほしいんですか?」


「ボルブドール王国とレザール王国の国境沿いですが、商売上のいさかいが多かったのは御存じですね。そこで、もう少し、出入りを自由にして、お互いの国で商売ができるようにしたらどうかと思います」


「そんなことをしたら、自分の国で作った物が売れなくなってしまうだろう。相手の国の物の方が安かったらなおさらだ」


「そこで、相手国で生産していないものを主に売買していいことにするのです。同じものを安く売ることは禁止します。商売をするときには身元を保証するものを領主からもらってくることにしたらどうでしょうか。販売してよい市場も制限して、それ以外の場所では取引できないようにしましょう。警備も万全にするために見張りを立てましょう。色々な制約を付ければできないことはないでしょうが、きっとうまくいくと思います。どうですか、素晴らしい案だと思いませんか? 両国の民は珍しい品物を手に入れることができますし、相手の国の商売の妨げにはなりません」


「ふ~ん、トーマス様は頭の良い方ですね。面白い案を考えたものです。しかし、よほど慎重に準備をしてから始めないと、うまくいかないでしょうね。王や、大臣たちとも相談して、皆で考えからお返事をします。まったくもう、トーマスは策士ですね。こんな狙いがあったなんて」


 話を聞いていたエレーヌが、興味津々で話に加わる。


「トーマス様には、そんなお考えがあったんですね。うまくいったら素晴らしいですね!」


 ハロルドが意見を述べた。


「その方法で、争いもなく国が潤ったら、素晴らしいですね。今度は僕に借りを作るつもりですか?」


「私のせいで、借りを作ってしまったんでしょうか? 申し訳ありません」


「いや、いいですよ。彼は良かれと思って考えていることですから」


「持ちつ持たれつです」


 トーマスが涼しい顔で言った。


「これからは、争いごとをしないで協力してやっていきましょう」


「そうですね。ハロルド様も、エレーヌ様のことをしっかりつなぎとめておかなきゃだめですよ。まったくエレーヌ様ときたら、自分の魅力にいつまで気がつかないんだか、困ったものです」


「まあ、褒めてくださったんですね。嬉しいです」


「まあ、それは秘密にしておくべきだったかな」


「私も普通に生きていくことにしたんです。その方がいいってリズにも言われました」


「じゃあいつまでもお二人でここに隠れていないで、皆さんのところに行きましょう」


 トーマス王子が、二人を急かした。


「そうですね」


            ⋆ 


 帰り道は、トーマスはレザール王国へ、エレーヌはルコンテ王国へ、二手に分かれてそれぞれ最短のルートで帰ることにした。すぐにでも帰らなければならないということで、トーマスが先に出発した。ハロルド王子は、自分とエレーヌとの仲を取り持つためにここまでしてくれたトーマス王子のことを見直すとともに、感謝の気持ちを伝えた。


「舞踏会でこのようなサプライズをしてくれるとは思いませんでした。すべてトーマス王子のおかげです。危険を顧みずエレーヌ様を連れてきてくださって、ありがとうございました。今までも支えになってくれたそうで、今では君は僕の大親友です」


「なに、彼女の思いが通じたのでしょう。僕はただその思いに動かされただけです」


 二人は城門を出て、トーマス王子はここへ来るまでの旅の話をし、ハロルド王子はどんなに今日まで憂鬱な気持ちで過ごしてきたかを語った。

 ひとしきり話が終わり、二人はいつかまた会うことを約束し固く抱き合った。トーマスと従者を載せた馬車は出発した。それを、じっとハロルドは見えなくなるまで見送っていた。


 見えなくなってからも彼のことを考え続け、戻ろうと踵を返そうとしたその時、木陰から二頭の馬とそれに乗った騎士が馬車の走り去った方向を目指して一目散で走り去った。


―――なぜあんなところに隠れていたんだ! 


―――しかもあんなスピードで馬車が見えなくなった方へ向かっている!


 騎士のようだが、ルブドール王国の騎士とは違う身なりをしている。胸騒ぎがした。嫌な予感がして、大急ぎで、門番の持っている弓を馬に装備し、その場にいた直ぐに動ける兵士を連れて、後を追った。


―――トーマス王子は付けられているのではないか? なぜ狙われているんだ!


―――急がねば!


 ハロルドは全速力で馬に鞭を当てた。森の道に入り道幅は狭くなる。どの程走っているのか見当がつかないぐらい必死で走り続けた。


 木々の間から前を走っていく二頭の馬が小さく見え隠れしている。その少し前に馬車が走っているのだろう。馬車のスピードに比べて馬の方が格段に速い。


 予感は的中した!


―――早く追いつかなければトーマス王子の命が危ない。


 と、その時、ヒヒーンという馬のいななく声がして、馬車の動きがおかしくなった。馬が驚いているのだ。

 ビュンという弓矢の当たる音と、「うわっ!」 という男の悲鳴が聞こえた。


―――しまった間に合わなかったか! 助かってくれよ!


 更にスピードを上げて、前方の馬を追う。馬車の扉を開け、中から急いで降りる男の姿が見えた。


 トーマス王子だ!


 それをめがけて弓矢が放たれる。急いで体を交わしたが、ほんの少し遅かった。弓は、トーマス王子の心臓を狙ったものだったのだろう、下方によけたおかげて肩に当たって、鈍い音を立てて刺さった。あと少し動きが遅かったら、心臓を貫いていたかもしれなかった。


 しかし追っ手はさらに距離を縮めている。ハロルドは、弓を構えて、狙いを定めるとスピードを緩めトーマス王子に近づいていく兵士に向けて矢を放った。矢は緩やかな弧を描いて、男の背中に刺さった。


「うっ!」


 といううめき声がして、男が落馬して、地面に落ちる音がした。

 横を走っていたもう一人の兵士も、トーマスに近寄ろうとしている。もう一度弓を構えると、その男めがけて放った。今度は空振りして、木の幹に刺さった。


 男は、振り返ってトーマスの方へ方向転換した。まずいこのままでは一騎打ちになる。剣での打ち合いになる前になんとなんとかせねば!


 もう一矢、弓を射ることができるかもしれない。構えて再び狙いを定める。これが最後のチャンスだ!


 びゅんという鋭い音と共に男の体目指して矢が飛んでいった。男は急いで体をかわそうとしたが、一足遅く脇腹に当たる鋭い音がした。「うわっ!」といううめき声とともに、ばさりと大きな体が、地面に激突した。


―――早くトーマスのところに行ってあげなければ!


 森をさらに進んでゆく。途中で二人の兵士が倒れているのが見えた。二人は起き上ることもできない様子だった。そこを通り越すと、トーマスの従者が倒れていた。馬車の脇には、肩を押さえ、脂汗を額ににじませ苦痛にうめくトーマスの姿があった。


「トーマス! しっかりしろ!」


「肩を、やられた……」


「大丈夫だ、出血はあるが、急所は外れている。このまま城へ引き返そう」


「彼は?」


「従者ももちろん乗せていく、怪我をしている。彼は僕が馬車に乗せるから君も早く乗れ!」


 急いで馬車は方向を変えて、ボルブドール城へ引き返した。急いで医師を呼び手当が行われた。帰り支度をしていたエレーヌたちはトーマスの姿を見て、悲鳴を上げた。


「奴らは何者なんだ。何で、君の命を狙ったんだ!」


「恐らく、叔父の手の者……父には王子が僕しかいないんだ。だから、僕がいなくなれば……」


「すまなかった。僕のために、こんなことになってしまって。こんな近くにいながら……もう声を出すな!」


 アルバート王が、トーマスの手を握っている。


「共の兵があなたを襲った輩たちを捕らえ連れてきた。重傷を負っているようだ。牢に入れて、だれの差し金でここへ来たのか突き止めよう」


 医師は二人の傷の具合を見て、怪我の様子を告げた。


「トーマス様の怪我は、肩に食い込んではいますが、急所は外れています。いずれ傷がふさがればよくなるでしょう。くれぐれも化膿しないように薬を調合しておきます。侍従様の傷も致命傷ではありませんでした。毎日消毒して化膿しないように気を付けましょう。私は、今晩はこちらへ泊って待機させていただきます。その後も毎日ご様子を見にお伺いします」


 エレーヌは、目に涙を浮かべて二人を見つめている。


 二人から顔を上げた医師が、エレーヌの顔を見た。


「あれ、エレーヌお嬢様、またお会いしました」


「先生には、私も大変お世話になりました」


「すっかりお元気になられてよかった。それから、ハロルド王子様とのご婚約おめでとうございます。こちらへはよく怪我人が運ばれてきますな。どうかお気を付けください」


 ハロルドは、彼らの姿を見つめ唇をかんだ。


「僕のために、こんなことになってしまった。絶対良くなってくれよ!」


「その思いがきっと通じますよ」


 医師は、ハロルドの手を強く握った。


「お二人とも、完治して故郷へ帰れますとも! 私も全力を尽くします」


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