第33話 舞踏会
「うまくいきました。さあ、いよいよですね。僕の役割はここまでです。後は、エレーヌさんが自分自身の力で頑張ってください!」
「はいっ!」
控えの間に入るとすでに数十人もの女性たちがいて、付き添いとともに最終的な衣装や化粧のチェックに余念がない。
「私はもうこれで完成! もう万全」
「どれどれ、お顔をお見せください。あとちょっとだけ口紅を塗っておきましょうか。それから頬をほんのり薄桃色に染めましょう」
「ああ、もうそのくらいで十分。自然な方がいいでしょ?」
「あらあら、そうでした」
「私の事すぐわかるかしらね」
「すぐに気がつかれると思いますよ。何せ、最愛の御方ですから」
「だといいんだけど」
「私も傍で目配せしてましょうか、目立つように。それでは、トーマス様が外でお待ちでしょうから、戻りましょうか」
「ええ、心臓の鼓動が自分の耳にも聞こえてきそう」
二人は手提げの袋を持ち、控室を後にした。廊下ではトーマスが支度を終えて部屋から出てくる女性たちを眺めて待っていた。
「国中から女性たちが集まっているだけあって、皆さんお美しいですね。ハロルド様は目移りしてしまうかもしれませんよ」
「まあ、何をおっしゃっているんですか。エレーヌお嬢様を選ばれるにきまってますよ」
「リズさん、まあそんなに興奮なさらないで」
三人は舞踏会が始まるまで、他の女性たちの様子を見ながら待ち続けた。
全員が準備ができた頃、舞踏室へ移動するように指示され大移動が始まった。数百人が収容できそうな広い舞踏室の床は、ピカピカに磨かれて輝いている。天井からは美しいシャンデリアがいくつも下がっていて、まばゆいばかりの明かりで部屋を照らしている。
どの女性たちも美しいドレスに身を包み、髪を結い、身に着けたアクセサリーはシャンデリアの明かりに照らされて光を放っていた。こんなに大勢の女性たちがいたのかと思えるほどのおびただしい数の女性たちが集まっている。
「よくぞこんなに集まってきたものですね」
トーマス王子がため息交じりにつぶやいた。
「それはそうですよ。ここで選ばれれば、お妃候補になれるのですから。どこのお嬢様も参加されるでしょう」
リズが、自信をもって答えている。
「ハロルド様は私を見つけ出せるかしら?」
エレーヌが言った。
「きっと見つけ出してくださいます。そのために来たんじゃありませんか」
「すごい人数ですが、きっと大丈夫よね。今日は楽しみましょう」
トーマスが、またしても面白そうに言った。
「そうそう、思い切り楽しい時間を過ごしましょう」
侍従が出てきて、挨拶した。
「この度はこのように多くのお嬢様方にお集まりいただきまして、本当に光栄でございます。その中から、たったお一人を選ぶのは至難の業でございます。ハロルド王子に選ばれた方が妃候補となります」
そう言うと、女性たちから、ふーっとため息が漏れた。
「それでは音楽の演奏が始まります」
ホールに立っていると、まるで市場の雑踏の中にいるようだ。
「皆様、真ん中を開けて。ハロルド王子が回って歩きますので、御手を取られた方が一緒にダンスをすることができます」
「凄い舞踏会ですね。海辺の砂の中から、たった一粒の砂を見つけ出すようなものですね。ハロルド王子、こちらを見てくれるでしょうか」
トーマス王子が、また冷やかすようなことを言っている。
「この辺りに立っていましょう」
エレーヌはじっと彼の姿を目で追っていた。やっと会えたと思うと、心臓の鼓動が早まった。
ハロルド王子はどの女性にも興味なさそうに、お付きの人と暗い表情で歩いて回りながら、しぶしぶ端から一人一人の顔を見ている。一歩一歩移動してそろそろ、あと数歩というところまでやってきた。そして、手を伸ばせば届くほどの至近距離になった。
エレーヌはベールをちらりとあげ、横から顔をじっくりと見た。
―――ああ、懐かしい
エレーヌの視線に気が付いたのだろうか。こちらを怪訝そうな顔で見ている。
―――まさかエレーヌがここに、そんなはずがないだろう
そのまさかのエレーヌが目の前に立っている。ベール越しでもその懐かしい顔がちらりと見えた。胸の鼓動が自然と高鳴る。
「エ、エレーヌ様! あなたでしょう? 見逃すはずがありません」
「ハロルド様! お分かりですか」
二人はほんの小さい声でそのやり取りをした。周りの人々にはほとんど聞こえない位の声で。エレーヌの不安げな顔が、喜びの表情に変わり、足取りは軽くなった。
ハロルドは、そっとエレーヌの手を取りホールの中央へ連れていった。まだ顔にはベールがけられたままで、服装もこの地方の民族衣装だ。侍従もその娘が誰か気が付かなかった。
ハロルドはそこに集まっている人に会釈した。
―――お妃候補は決まった。この人と僕はダンスをする。
楽団の演奏が始まり、二人はゆったりと踊り始めた。誕生日に言ったあの言葉は忘れていなかった。踊りながら二人の思いはあふれ出てきた。
「右足は僕の足に載せてください。今日のドレスも似合いますね。あなたは何を着ても素敵です」
「ハロルド様も、こんなに素晴らしい方たちの中から、私を選んで下さり、ありがとうございます」
「あなたがここへ来るとは、思いもよりませんでした。もう僕は絶望的な気持ちで、誰も選ばないことにしていたんですよ」
「では、私が紛れ込んでいてよかったのですね」
「当たり前です! 今まで僕の気持ちに気が付かなかったのですか」
「私も、ハロルド様を、森でお会いした時から、ずっと好きだったのです。でも最初はヴィクトル様の婚約者でしたし、すぐに戻ることになってしまったり。好きだお伝えする機会がありませんでした」
「やっと機会が巡ってきたわけですね。今日の衣装も似合っています。あなたは何を着ても似合います」
「夢のようなお言葉です。ここまで来るのに随分回り道をしました。もう迷いません」
「僕も、誰にも邪魔はさせません」
うっとりとするような時間が流れ、周りにいる女性たちはみな溜息をついた。
ダンスの曲が終わり、二人はホールの中央でもう一度皆に会釈をした。
「この方をお妃候補とします。僕がここで選んだ方です。皆さん認めてくださいますね?」
そう言われて、エレーヌは再び会釈をした。
侍従が質問をした。
「お嬢様の名前をお教えください」
「エレーヌです」
「エレーヌ様? すいませんベールをお取りください」
「はい」
エレーヌは、そっとベールを上にあげ、顔を見せた。すると、ウオーッと歓声が上がった。
「エレーヌ様だって!」 「どちらのお嬢様だろう?」
民族衣装を着ていては、名前だけ聞いても誰かはわからない。しかし、王と王妃は、その顔に見覚えがある。驚きの声を上げた。
「エレーヌさん!」 「どうしてここへ!」
二人からの質問に、体が動かなくなってしまった。
侍従が懐かしそうに言った。
「エレーヌ様でしたか。お元気になられて、お久しぶりでございます」
「あっ、ああ、お久しぶりです。大変懐かしいです」
「まさか、エレーヌ様が参加されるとは、何としたものか……」
ハロルドが、堂々とした態度で答える。
「この舞踏会で選んだ女性がお妃候補。そうでしたよね?」
最高のほほえみを侍従に向けた。王と王妃も傍へ寄ってきて、エレーヌの姿を見た。
「あら、すっかり元気になられて、良かったわ」
「認めよう。エレーヌ様をハロルドの妃候補とする」
侍従は、ほっとして二人の方を見た。
「王様もこのようにおっしゃっていますので、そういうことでございます」
ハロルドは、エレーヌの瞳を見つめ相好をくずし笑顔を見せ、抱き寄せた。
「どんな姿でもあなたは美しいのです。何もしなくても、自然なままでいいのですよ。あなたは自分に魅力がないと思いいつも背伸びしていた。自分のことをダメだと思い後ろに下がっていた。そんなことはしないでください。僕の前では素顔を見せてください」
「そんなふうに思っていてくださったんでね。リズの言ったとおり、私は普通にしていればよかったんですね。そのままの自分で」
「この城へ来てください。いいでしょう?」
「もちろん、喜んでそうさせてください」
「父上、もう今後に及んで反対はしないでください。またこちらへ来てもらっていいでしょう? ヴィクトルも、他の令嬢と婚約したのですから。いつまでも強情を張らないでください」
「いいだろう。若い二人がそれほどまで愛し合っているのなら」
「そうねえ。もう私たちが反対する理由はないわね」
グロリア王妃も、二人を見てほほ笑んでいる。
「しかし、今日の衣装も素敵よ。こちらではお祭りの時に着る衣装だけど。あなたが考えたの、エレーヌさん?」
「初めてお会いしたときは村娘でしたので、今日はそのお祭りの衣装にしました。レザール王国のトーマス王子が手配してくださいました」
「まあトーマス王子が? 楽しい方ね」
「トーマス様もこちらへいらしてください」
エレーヌは、トーマスの方を見ていった。
その様子を輪の中で見守っていたトーマス王子がホールの中央に出てきた。
「すべてはエレーヌ様のハロルド様を思う気持ちがさせたこと。僕はそのお手伝いをさせていただいただけです。お役に立ててよかった。それから、ハロルド様、いつぞやの借りは返しましたよ。この続きは、あなたの努力次第……お任せします。今度エレーヌ様に悲しい思いをさせたら、僕が黙っていませんからね」
「こんな形で借りを返してくれるなんて、トーマス王子もしゃれたことをしますね。今度エレーヌさんとレザール王国へ遊びに行きますよ」
「いつでも大歓迎です」
侍従が、集まった人々に二人の婚約を発表した。
「ハロルド王子のお妃候補は決まりましたが、舞踏会はまだ続いております。皆様、楽しくおくつろぎください」
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