第29話 クローバーの花言葉

 離れがたい思いを抱いたまま、二人はそれぞれの国へ帰った。エレーヌはルコンテ王国に戻ってからは、ハロルドと交わした楽しい会話や、彼の面影を追い求めては、物思いにふけっていた。食事をしていてもその手が止まり、名前を呼びかけられたり、うっかりと部屋着のまま外へ出かけてしまったり、何をするのも上の空だった。侍女のリズは、そんなエレーヌのことが気の毒でならない。あえて自分だけはと明るく振る舞った。

 エレーヌは沈んでいたかと思うと、次の瞬間遠くを見てニコニコしていたり、ここ最近かなり様子がおかしい。この間の密会の事を思い出しているのだろう。


「お嬢様、あの方のことを思い出しているんですね。遠くの方を見て、にこにこしていましたよ」


「いえいえ、別に何も考えていませんよ」


「もう。顔に楽しかったって書いてありますから」


 そんな調子なので、どれだけ会いたがっているか侍女から執事に伝えられ、執事は王に進言した。ハロルド様がこちらへ来るのをお許しくださいと。アルバート王には、二人はお友達ということで会うのだということにしてくださいとお願いした。すぐにはできないでしょうが、考えてみるという前向きな返事をくれた。この国に入ることを許してもらえても、ボルブドール王が良い顔をしないだろうが。



                ⋆


 暫くして、再びトーマスがエレーヌの元を訪れた。トーマスは得意げに言った。


「これを見たら、きっとびっくりしますよ。あなたが命懸けで採ろうとしたものです」


 じらすようにゆっくりと鞄の中から木箱を取り出し、エレーヌの目の前のテーブルの上に置いた。そして、もう一度エレーヌの顔を見た。


「いいですか。よーく見てくださいね! きっと驚きますよ!」


 慎重に木箱の蓋を取った。その中には……ピンク色の光輝く石が置かれていた。その瞬間、エレーヌは目を疑った。


「こ、こっ、これは、奇跡の石? そうですね?」


「正解です。どうです? 本物でしょう?」


 トーマスは、再びエレーヌの顔を覗き込む。


「どこで採ったのですか? もしかしてトーマス様が山へ採りに行ってくださったのですか?」


「どこから来たか知りたいでしょう。これは、レザール王国に入港する南方の商人から買い求めたものです」


「こ、こんなにきれいな石が採れる国があるのですか?」


「はい、あなたの国の山でも少量は採れますが、こんなに美しい輝きを持つ石が多く採掘される国もあるんです」


 奇跡の石などもういらないと思っていたが、実際に目にするとやはりほしくなった。トーマスは、エレーヌの顔を覗き込んでいった。


「これをあなたにプレゼントします」


「えっ、高価なものなのでしょう?」


「これを持っているとあなたの望みが叶うんでしたよね。あなたが好きだと思っている方の愛が得られるかもしれません」


「そんな、困ります。こんな珍しいものを……いただくわけにはいきません」


「遠慮なさらなずに、受け取ってください。あなたから見返りなどは求めませんので。意中の人がいらっしゃるあなたが持っていてこそ、役に立つのではありませんか?」


「そ、そうですが……」


 エレーヌは、じっとその石を見つめ続けた。


「さあ、お受け取り下さい」


 トーマスは、箱に蓋をすると、エレーヌの手に載せて、それをしっかりと握らせた。


「本当に、これを私に」


「これでいいんですよ」


 トーマスは、自分は道化の役割を果たしただけなのだなと、少しだけ残念な気持ちになったが、あまりの喜びようにまんざらでもないようだった。


「本当に、ありがとうございます。感激で……何と言ったらいいか……胸がいっぱいです」


「その石は、南方でも愛が叶う石と言われているそうですよ」


 トーマスは友達になってほしいと口では言ったが、エレーヌに対してはそれ以上の気持ちを持っていた。


「外でピクニックばかりではなく、今度はお城へもお邪魔したいですね」


「お城ですか?」


 エレーヌは焦ったところを気づかれないように慎重に言葉を選んだ。


「私、ずっと部屋の中にいたものですから。外へ出たいのです、気持ちがいいですから」


「そうですか……それは、そうですね」


 トーマスが失望したのが見て取れた。やはり、ハロルドが言ったとおり、用心はしておくべきだろう。


「ああそういえば、ボルブドール王国のヴィクトル様ですが、正式に伯爵令嬢のコーデリア様と婚約されたそうですね。元あなたの婚約者だった方ですが」


「そうでしたか。あのお二人でしたらお似合いですもの」


「もう残念がらないのですね」


「はい、今はもう祝福したい気持ちです」


「相手の方とは、お知り合いだったんですね」


「ええまあ。あちらにいるときに一度お会いしました。とても美しく上品な女性です。あの方ならヴィクトル様のお妃としてふさわしいでしょうね」


「そうですか。あっさりしていらっしゃるんですね」


「もうヴィクトル様への気持ちはないですから。それに、くよくよしても仕方ないですよね。ところで、私、お祭りで食べたタルトの味が忘れられなくて、こちらでも作ってみたんです。今度是非試食してください! 本場の味になっているかどうか教えてください」


「是非作ったら食べさせてください。きっとおいしくできますよ!」


「そうだといいのですが、私、あまり器用じゃないんです。次は、お持ちします」


 ハロルドと頻繁に会えないことを知り、トーマスが何かと声を掛けてくる。彼は気さくで飾り気のない性格でこちらも気軽に会うことができるのだが、ハロルドに会う時とは違う気持ちだ。それに、レザール王国で会ったあの伯爵令嬢が彼にはふさわしいと思う。


                 ⋆


 トーマスと一緒に馬車に乗り、城から少しだけ離れた牧草地へ出てみた。


「あっ、ここで止めてください」


「はい。降りて少し歩いてみますか?」


「ええ、クローバーが目についたものだから。摘んでいきます」


「かわいらしい花ですね」


「どこにでも咲いていて、雑草みたいで、私にぴったりですね」


「そうですか? あなたにぴったりだと、どなたかに言われたのですか? この花の花ことばを知っていますか?」


「いいえ、何ですか?」


「『私を思って・幸運・約束』です」


「知りませんでした……そんな花言葉だとは……」


 エレーヌの胸は締め付けられるように苦しくなった。


―――私を思って


「可愛い花ですね。確かにあなたにぴったりだ」


 ハロルドは花ことばの意味を知っていてこの花をくれたのだろう。そうだったのか!……今にしてようやく彼の深い思いが胸に迫ってきた。


「どうしたんですか。こんな話を聞いて、涙が出て……溢れそうですよ。そんなに感動的な話でしたか?」


「素敵な花ことばで、感激してしまい……」


「面白い人ですね、そろそろ戻りましょうか」


「はい」


 もうそのあとの会話は、訊いていても内容はほとんど頭の中に入ってこなかった。

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