第16話 失意

森で奇跡の石を採ることができていたら

今頃ヴィクトル様は私を愛してくれていただろうか

ヴィクトル様の心はほかの方のものなのに

心を変えることができるだろうか

好きな人がいるのにあえて使うだろうか


私は…… もう……

――ヴィクトル様と結婚する資格はない


 もう泣くのはやめようと決心する。しかし、一人になるとどっと涙が溢れ、声に出して泣いてしまった。

 

 故郷(くに)にいるときは夢にまで見て、どんな方なのかとドキドキして、お名前を聞いては憧れた。

 ここへ来てからも、どこか寂しげで愁いを含んだ横顔を拝見するだけで、心臓の鼓動が高鳴った。

 ヴィクトル様は、コーデリア様と別れて私と結婚して、幸せになれるだろうか。


―――もう一度、あともう一度だけ気持ちを確かめてみようと思う


「ヴィクトル様、こんなことを聞くのはどうかと思ったのですが、あと一度だけ聞かせてください」


 昨日の事もあり、振り絞るような思いでエレーヌは言い切った。


「真剣な顔をしているな。言ってください」


「ヴィクトル様は、コーデリア様ではなく、私と結婚できるのでしょうか。もし結婚したら、幸せになれるのでしょうか?」


 ヴィクトルは、眉間にしわを寄せて、考え込んだ。考えないで、すぐさま肯定してほしかった。


「僕も、昨日あなたに言われたことを考えていたんです。あなたと婚約して、いずれ結婚しても、誰も幸せになれないんじゃないかと……」


 やはり、恐れていた言葉が、ヴィクトルの口から出てしまった。


「僕も、あなたも、コーデリアも幸せにはなれない。僕は、以前からコーデリアが好きだったんじゃないだろうか? コーデリアも僕のことが好きなんじゃないかと」


 昨日見た様子では、その通りだろう。


「私が見たことは、本当だったんですね」


 嘘であってほしい、という気持ちが粉々に砕けて散っていく。


「コーデリアは、自分の気持ちを控えめにあらわす人だったが、僕が婚約したと知り焦燥感に駆られて、僕を繋ぎとめようとしていた。僕も自分の気持ちに今頃気が付いた」


「――ああ、やっぱり、そうだったんですか……私、私」


 訊かなければよかったと後悔したが、後の祭りだった。


 松葉杖で立っているのもやっとだ。その場にへたり込んでしまいそうになりながら、必死に両手を突っ張り、立ち続けた。両目からあふれる涙を、ぬぐうこともできずに絨毯に流れ落ちていった。


―――もうこれで終わってしまった


幕引きをしたのは私



               ⋆


 ヴィクトルの気持ちはジャン王とグロリア王妃に伝えられ、翌日そのことで話があると呼び出された。エレーヌの前には三人が座り、気まずそうにジャン王が言った。


「あのう、言いにくいことなんだが、聞いてほしい」


 エレーヌは覚悟を決め、小さい声で返事をした。


「はい、何なりと」


「ヴィクトルとの婚約を、解消してください。父上のアルバート王にお伝えしてお詫びするつもりです。詳しいことはヴィクトルから聞きました。ヴィクトルの決心は固いようです」


「は、はいそうだと思いました」


「あなたには申し訳ないことをした。何とお詫びしたらよいかわからない。ヴィクトルのわがままを許してやって欲しい」


「わがままだなんて。そして、許してほしいだなんて。私の、責任ですから……」


「悪いのはヴィクトルの方です。エレーヌさんは全く悪くない」


 じっとうつむいていたヴィクトルが顔を上げて、真剣な面立ちで言った。


「こうするしかないと思う。ごめんなさい……」


「謝まらないでください」


 謝られると余計みじめになる。エレーヌは、父に何と説明しようか、こんなことがあるなんて、想定外すぎて言葉が見つからない。グロリア妃も黙って二人の話を聞いて、目に涙を浮かべていた。


「私、すぐにでも……ルコンテ王国に―――帰ります。こんなに親切に……けがの治療をしてくださって、それだけで有難いです」


 最初は、村娘だと思いながらも、優しく看護してくれた。その事だけでもいくら感謝してもしきれない。


「本当にごめんなさい。ヴィクトルのせいで」


 エレーヌは、これ以上言葉が……出なかった。立ち上がり、松葉杖を頼りに自室に戻り、ぼうっと窓の外を見た。ここへ来てから一か月以上が経っていた。

 美しい庭園、優しく看病し、家族同様に大切にしてくれた人々、ここへ来て流れた優しい時間。ハロルドの優しい気持ちを噛みしめ、遠くに見える山々の向こうに思いをはせた。

 あの山の向こうに、ルコンテ王国がある。もうすぐ帰ることができる。ああ、やっと故郷に帰れるのかと思ったら、逆にほっとしてしまった。


 優しくしてくれたハロルドとお別れの時間が迫ってきた。彼が命を救ってくれたから、今ここで生きていることができる。


―――ハロルドに話をして、お別れの挨拶をしなければ。


「ハロルド様、私はもうルコンテ王国に帰ります。ここにいる理由が無くなってしまったから。今まで一緒に居られて、どんなに心強く楽しかったか、言葉では言い表せません」


「ずっといてほしかった、兄さんの妃としてではなく……」


 ハロルドは椅子に腰かけているエレーヌの手をそっと握り、口づけた。暖かい感触が、手の平からエレーヌの胸の中に伝わった。


「あなたは僕が森で見つけたんだ。覚えておいてください。どんなに元気になって、庭を走り回れるようになっても、あの時の出会いを忘れないでください。だって、僕にとってはかけがえのない思い出だから」


「私にとっても、一生忘れられないでしょう。ここの景色も忘れないようによく目に焼き付けておきます」


「あっという間でしたね。辛く大変な一か月間でしたが、僕は楽しくもあった」


 ハロルドは、エレーヌの隣にぴったりと寄り添い、肩を強く抱きしめた。


「もう、馬車に乗っても大丈夫でしょう。僕が付き添っていきますから安心してください」


 こうして胸に切ない思いを残して、エレーヌは、故郷のルコンテ王国に向かった。馬車の中から振り返ってみると、次第に城が小さくなり、やがて視界から消えていった。外の景色とハロルドの顔を交互に見続け、馬車はボルブドール王国の道を進んでいった。


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