第15話 神聖な世界
「部屋へ戻って少し休んだら、元気になりました。さあ、皆さんのところへお戻りください。お父様も心配なさいますから」
「そうだね。じゃあ、また来るから。部屋でおとなしくしてて」
ハロルドは、保護者のような言い方をして、エレーヌの頭にそっと手を当て撫でると、手を振って出て行った。やっとこぼれそうな涙をこらえることができた。
ど んなにつらい結果が待っていたとしても、ヴィクトルの本心を聞かなければならない。うやむやにしておくのは嫌だ。はっきりさせなければ、先へ進めないと思った。
左足の傷はナースに毎日消毒してもらっているのだが、縫ったところがまだ赤みがかっている。その赤みが取れ、肌の色とほぼ同じにならなければ完全には治っていないのだという。骨折した右足も、骨はほぼつながっているのだが、体の重みを支えるほどにはなっていない。故郷(くに)の父からは、干し肉や、果物、保存のきく焼き菓子などが定期的に届けられている。馬車に乗れるようになったら、いったん帰った方がいいのだろうか。それとも、できるだけヴィクトル様のそばにいた方がいいのだろうか。本心では、ここへとどまりたい。ヴィクトルの事だけではなく、優しくしてくれるハロルドへの気持ちが、そう思わせている。
こんなことで悩んでしまうとは思ってもいなかった。ベッドに腰かけ、今後のことを考える。自分に好意のかけらすら見せないヴィクトルのもとを去るべきなのだろうかと悩み続けている。
―――あの、奇跡の石を採ることが出来なかったからだ。
失敗して怪我をした自分の浅はかさも身に沁みた。ドレスを脱ぎ捨てベッドにもぐりこみ、深い眠りに落ちていった。
⋆
どれだけ眠ったのか、目を覚まし、廊下の物音を聞きとろうとした。すでにひっそりと静まり返っている。もうパーティーは終わっていた。
静かすぎて逆に目がさえてしまい、起き上がり、そっと廊下に出てみた。
あら、誰かいるの
もうパーティーは終わっているようだけど
あそこにいるのはヴィクトル、それともハロルド?
美しい令嬢と
うっとりするような二人だけの世界
来る者を拒むような神聖な世界
私は見てはいけないものを見ている
部屋へ戻ることも、前に進むこともできない
あ、あれはヴィクトルだ
ガラス細工に振れるようにそっと手を取り、その華奢な手に唇を寄せている男がいる。彼らは間違いなくヴィクトルと、コーデリアだった。金縛りにあったように、松葉づえでやっと立っている姿に、さらなる衝撃的なシーンが繰り広げられた。ヴィクトルの両腕がコーデリアの腰に回され、その勢いで引き寄せられた彼女に、ヴィクトルは勢いよく唇を寄せていった。あっ、あっ、あっ、あんなに勢い良くキスをしたら、唇にぶつかって痛いだろうに、とエレーヌは考え後ずさった。しかも二人の動作はあくまで自然だ。はっとして、見つかってしまっただろうかと慌てたのだが、二人はお互いに夢中で、何も目に入らないようだった。やはり、あの二人はそういうことだったのか、とそっとドアを開け再びベッドに腰を下ろした。
二人の決定的なキスシーンを見せつけられて、冷静でいられるはずがない。自分は一国の王女、口惜しさと情けなさで脱力感を味わい、へたり込んだ。しかし、もう自分が求めていた愛情は、手に入ることはない。エレーヌは涙でぐしゃぐしゃになりながら、布団をかぶり朝が来るまで耐え続けた。
⋆
翌朝、寝不足で腫れぼったい顔で朝食に顔を合わせるのが辛かったが、部屋にこもっているのもどうかと思い、よろよろと食堂へ歩いていった。昨夜は夜遅くまで起きていたせいか、皆一様に疲れた顔をしている。
「おはようございます」
エレーヌの第一声に、皆彼女の方へ視線を向けた。ジャン王や、グロリア王妃は気まずそうな表情をしている。
「ああ、おはよう」
「昨日は遅くまで見知らぬ人に囲まれて、あなたも疲れたでしょう」
「いえ、久しぶりに華やかな席に同席させていただいて、大勢の方にお目にかかれて、楽しい時間でした」
エレーヌは、本心を隠すために、できるだけ平静を装って答えた。
「親しくしている方々がお集まりになったので、あなたも顔を見せてくれてよかったわ。お知り合いになっておいた方がいい方々ばかりだから」
「はい、御心遣いありがとうございます」
「でも、ちょっと居心地が悪かったでしょう、エレーヌ」
ハロルドが、ずばりと言い切った。
「そっ、そんなことは」
「兄さん、もうちょっとエレーヌさんの気持ちを考えてほしい」
「いいの、ハロルド様。お食事の時間よ」
「そうだな、食事は美味しくいただきたいものな」
どうも、話をするほど険悪なムードになり、皆もくもくと食べ物を口に運んでいる。
食べ終わってからも、エレーヌに視線を合わせないように、皆そそくさと部屋へ戻っていった。しかし、このまま他の女性と親しげに振る舞うヴィクトルのそばにいるのは茨の中に一人で立ち尽くしているようなものだった。去っていくヴィクトルの後を、必死で追いかけて廊下まで行った。しかし、二人の話を誰かに聞かれるのは嫌だ。
「ヴィクトル様。昨日の伯爵のお嬢様とは……」
「お名前は、コーデリアと言います」
「そうでした、コーデリア様とは、仲がよろしいように見受けられましたが」
「もう、何年も前からの知り合いだから」
「ただのお知り合いではなく、それ以上の御関係なのでしょうか? 特別にご好意を持たれている方なのでは?」
「そんなふうに見えましたか。何でもありませんよ」
ヴィクトルは、二人の関係を隠したいのだと思ったが、隠せば隠すほど後でわかった時の心の傷が深くなりそうだと思い、思い切って聞いた。
「愛していらっしゃるのではありませんか。あの方を?」
「唐突な質問だな」
「すいません。失礼を承知でお聞きしました。とても大切なことだと思い」
「そうですか。結婚は、愛情だけではできませんから」
「では、あの方とお付き合いしているのはなぜですか?」
「あの方とは、結婚は致しません。あなたと婚約した以上は」
「結婚は、愛する人とでなければ長続きしないのではありませんか?」
「そうでしょうか?……ああ、あなたは、そう考えるのですね。わかりました」
「どうお分かりになったのですか? 私にはよくヴィクトル様のお考えがわかりません」
エレーヌは、これではいくら話をしても、無駄なのではないか。というか、全く会話がかみ合っていないような気がしてならなかった。
二人とも次の言葉を探して黙ってしまった。
「ところで、エレーヌさん、足の具合はいかがですか。松葉杖を使えば、だいぶ歩けるようになってきたようですが、まだ痛みますか?」
「だいぶ痛みはなくなってきました。ただ、お医者様が骨折した右足は、あまり使わない方がいいとおっしゃいましたので、こんな姿で歩いています」
「どうか、無理はなさらないように」
「優しいお言葉、ありがとうございます」
ヴィクトルは、敢えて話題を変えたのだとわかったが、優しく声を掛けられるのはうれしかった。
エレーヌは、複雑な心境のまま部屋へ戻った。
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