第14話 みにくいアヒルの子
「まあ、二人とも、仲がよろしいこと。ハロルドがいつもあなたの面倒を見てあげているのね。エレーヌさんもよろしかったわね。ハロルドがいて」
グロリア王妃の言葉には、嫌みは感じられない。ハロルドを信頼し愛情を持って接しているからこそ出た言葉だ。
「命の恩人ですから。ハロルド様が見つけてくれなければ、今頃私は……」
「そうよね。森の狼にでも食べられてしまったかもしれませんものね。あの子もよくそう言っていましたから」
本当にその通りなので、エレーヌは返す言葉がない。
「ヴィクトル様とも、もっとお話ししなければと思っています」
「あら、あなたが気にすることはないですよ。ヴィクトルの自由にさせてあげているだけですから……あの子の気持ちも尊重しなければね」
エレーヌに言った言葉に、横からハロルドが弁解する。、
「兄さんがもっと気を使ってあげなければ。婚約者をほったらかしにしておくから……」
「まあ、やめてください! ハロルド様。私があまりに情けない姿で、この城へ来たからいけないんです。なんせ瀕死の重傷、当然と言えば当然」
「こんな言い争いはやめましょう。本人のいないところで。たくさん歩いて疲れたでしょう。お部屋で休憩していらっしゃい」
「すみません。グロリア様、ありがとうございます」
エレーヌはハロルドに支えてもらいながら、部屋へ戻った。
「あなたを放っておくなんてひどいな、兄さんは」
エレーヌは黙ってうつむいた。
「私が、いけないんです。私何のとりえもないし、ドキドキするような出会いもできなくて……」
「そんなことは問題ではないでしょう」
「大問題です。私、カッコ悪すぎです」
「あなたのことを全く見てないじゃないか。見ようともしないんだ」
「お兄さんを責めてないでください。――でも、ありがとうございます。ハロルド様は―――優しいんですね」
ハロルドは、言われた瞬間はっとしたような表情をした。キリリとした瞳が優しげにエレーヌに向けられている。よく見ると、社交の場で普通に出会っていたら、自分など相手にされないのではないかと思えるほどの美男子だ。きっと、この国のご令嬢たちのあこがれの的なのではないかと思う。自分は、今こんな素敵な男性を独り占めしているのかとドキドキしている。心密かにいつまでも治らなければいいのにと思う別の自分がいた。そう、これは今だけの私の特権なのだと。
松葉杖をついて食堂へ行けるようになってからは、一家と一緒に食事をすることになった。自分が動けるようになったことや、ヴィクトルの婚約者として認められて席を与えられたことは嬉しい。しかし自分に対して無口なヴィクトルに対して、どう接してよいのかわからない。
何か言ってくれれば、自分ももっと心を開くことができるだろう。かといって、エレーヌは、自分から積極的に話しかけるのも、不躾(ぶしつけ)でヴィクトルの機嫌を損ねるのではないかと、びくびくしていた。そんな気持ちを察して、ハロルドが優しく声を掛けてくれる。
「兄さん、何か話したらどうですか。ようやく婚約者が歩けるようになったのですから。何か声を掛けて差し上げないのですか?」
そんな言葉を聞くと、悲しくなる。
「ああ、歩けるようになって良かったですね。もうすぐ松葉杖なしでも歩けるようになりますよ」
「兄さん、お医者さんの話を聞いたのですか? ちゃんと歩けるようになるかどうかは、今後の経過次第だとおっしゃいましたよ。今はようやく骨折した部分が元に戻ってきただけ。軽々しくことは言わないでください!」
「ハロルド様、そんな言い方をしないでください! 私が辛くなります……」
「無神経なことを行ってしまいましたか。だけど、もっとエレーヌさんに関心を持ってください」
二人のやり取りを聞いていた、グロリア妃がぴしゃりと言った。
「ハロルド、おやめなさい。ヴィクトルは、恥ずかしがり屋なんですよ。今に、エレーヌさんに優しくするようになりますよ」
「そうだ、ハロルド。エレーヌさんも心配しないでください。僕との婚約は、もう決まっていることなんですから」
始めて、ヴィクトルから出た婚約という言葉に、エレーヌははっとした。この一か月ハロルドだけに頼り切って生活していたのだ。そしてハロルドの姿ばかりを追っていた。
これから食事の度に顔を合わせることになるのだが、一人で部屋にいた時には比べようもない程の張りつめた気持ちになった。自分が試されているような気がしていた。
エレーヌは、侍女のマーガレットが部屋へ来た時にそっと聞いてみた。
「ヴィクトル様には、どなたか好きな方がいらっしゃるのですか?」
「いいえ、私は存じ上げませんが……何か気になることがおありですか」
「私には、あまり言葉をかけてくださいませんので」
「以前にお会いしたご令嬢とも、ほとんどお話しませんでした」
「そうなのですか……」
侍女に訊いても真相はわからなかった。
⋆
そんな折、城ではジャン王の誕生パーティーが催されることになった。厨房では朝から料理の準備で忙しく、多くの人が調度品を磨いたり花の準備をしていた。
時間が迫ると多くの馬車が城内に乗り入れ、美しく着飾った男女が入ってきた。シャンデリアに明かりが灯り、きらびやかで広々としたホールには、国の有力者や貴族、その奥方や令嬢、子息がそろった。
楽団が美しい音楽を奏で始めた。ダンスの楽曲が始まると、次々にカップルができ中央のホールに集まり、華麗な姿で踊りを披露した。エレーヌは、まだ長く立っていることが難しいため、隅の方で椅子に座りその様子を見守っていた。ヴィクトルとハロルドは、ひさしぶりの華やかな会で、楽しそうに談笑していた。
王のところには、ひっきりなしに妃や、令嬢、令息を連れて有力者や貴族たちが挨拶に来た。その中の一人、伯爵家の男性が親しそうにジャン王と話しをしていた。隣には、美しく着飾った令嬢がいた。すると、ヴィクトルは傍らにいた令嬢を誘い、ダンスを始めた。どんないきさつなのかはわからなかったが、二人はごく自然にカップルになり踊っていた。
「あのう……ハロルド様」
エレーヌは近くにいたハロルドに恐る恐る聞いた。
「あの方は、ヴィクトル様のお知り合いなのですか?」
「――ああ、知り合いというか……父は側近の人以外にも何人か親しくしている相談相手がいて、その方のお嬢さん。伯爵家のご令嬢で、コーデリア様だ。パーティーにはいつもいらっしゃっているから、ヴィクトルとも知り合いなんです」
「毎年いらっしゃるんですね?」
「――毎年、というより、年に何度かパーティーがあるときはいつも……かな」
「とても仲がよさそう」
「やきもちを焼いているんですね。そう言われてみれば、兄さん、もしやあの方が……」
「それ以上言わないでください……なんかいい雰囲気です」
「あなたは、まだ踊るには、早いからでしょう。その、足の方が治れば」
「私、何のためにここにいるのでしょうね。悲しくなります」
「今は、元気になることだけを考えて! 僕が力になりますよ」
二人で、壁際でダンスを見ている間に、一曲が終わった。私たちの方へ近寄ってきた。
「コーデリアと申します。久しぶりにヴィクトル様とお会いして、ダンスのお相手をしていただきました」
ハロルドは、冷たい目で二人を見つめた。
「そんな顔をするな、ハロルド。いつも父の力になってくださっている伯爵家のご令嬢だ」
「別に言い訳しなくたっていいんだ。誰とダンスをしても自由ですから」
「おい、ハロルド、失礼だぞ。コーデリア様、飲み物はいかがですか? 僕が持ってきましょう」
「ワインをお願いします」
「白がいいですね?」
「はい、ありがとうヴィクトル様」
エレーヌも自己紹介した。
「エレーヌと申します。怪我をしているので、今は自由に歩くことが出来なくて、申し訳ありません。座ってばかりで」
「無理をなさらないで。座っていらしてください。ヴィクトルと婚約されたとお伺いしましたが……」
「はい、私です」
エレーヌは言葉少なく答えた。その場から消えてしまいたい程、自分自身が情けない。
「お綺麗な方、ヴィクトルも幸せね」
そう言ったコーデリアの方が数倍美しいと、エレーヌは思った。整った顔立ちに、ふんわりと揺れる前髪、愁いを含んだ瞳、ドレスの胸元からは豊かな胸がのぞき、すらりとした立ち姿もダンスを踊るときのまっすぐ伸びた体のラインも美しい。それに比べて、今の自分は、醜いアヒルの子のようだ。彼女の言葉は、お世辞にしか聞こえない。
「ヴィクトル様と、昔からのお知り合いなのですか?」
「そうです。いつ頃からかしら、物心ついたころから、こちらへお邪魔するたびに、お会いしています」
「そんなに親しい方がいらしたのですね」
エレーヌはなぜ、コーデリアがいるのに自分との縁談を決めたのか、理解できなかった。親同士が決めたこととはいえ、エレーヌは真剣に愛情が欲しいと考えていたのだ。
「疲れませんか、エレーヌ」
ハロルドが、エレーヌの顔を覗き込んだ。悲しい顔をしているのが、見え見えだったのだろう。
「こんな体で長くいるのもご迷惑でしょう。そろそろ失礼します」
「僕が部屋まで送っていくよ。気を付けて」
ハロルドが優しくエスコートして、エレーヌは部屋へ戻った。部屋で一人きりになると、今にも泣きだしそうなことが分かったのだろう。ハロルドは、そのままエレーヌの部屋で、一緒に椅子に座った。
「いいですか。あなたはまだ、普通に動ける状態じゃないのです。くよくよしちゃいけません」
「ハロルド、ありがとう。あなたがいてくれてよかった」
「日に日に歩けるようになってきてます。この調子ですよ。あなたの頑張りはすごいです。いつも感心しています」
ハロルドは、一生懸命慰めようとしていた。元々体力のあるエレーヌの回復ぶりは確かに目覚ましかった。
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