第13話 帰路
帰り道でハロルドは、ヴィクトルに訊いた。最近気になって仕方がなかったことだ。
「ねえ、兄さん。婚約者のエレーヌさんのこと……どう思っている?」
「どう……って、どういう意味だ? 父が決めた婚約者、ただそれだけだ」
「じゃあ、あまり良くは思っていないの? いい女(ひと)だなとか、あまり好きなタイプじゃないとか?」
「そんなことを聞いてどうするんだ?」
「どうって、別に。どうするつもりもないが。好きじゃない人と婚約するのは不自然だなと思って、それが気になった」
「お前、女性に興味を示すの、珍しいな。女性と話をすると、汗をかいて言葉が出てこなくなるんじゃなかったのか。何かよほど嫌な思い出があって、それがトラウマになっていたんじゃないのか?」
「う~ん、まあそうだったかな……エレーヌさんといても、気にならない。なぜか、懐かしいような気持で、自然に一緒にいられるんだ。森で見つけた時に、村の娘だと思っていたからな。自分でもなぜかわからない。あの時は無我夢中で、助けてあげることしか考えなかった」
「お前は、命の恩人ってわけだな。婚約者の命を救ってくれた……」
―――ハロルドは照れ臭そうに微笑んだ。
「ちょっと兄さん、ここで待っててくれ」
ハロルドは、牧場の片隅で馬を止めて、草原の中の白い花の咲くあたりへ歩いていった。一面にクローバーが咲いていた。綺麗に咲いている花を右手で一つ一つ摘み、左手は花束になるほど花でいっぱいになった。兄のヴィクトルは、そんな弟の姿を黙って見つめていた。
ハロルドはひもで結わえて花束を作ると自分の背負い鞄の中につぶれないように丁寧に入れた。
―――さあ、城まであと少しだ
「道草して御免。もういいよ」
二人は、騎士たちとともに城へ戻った。
城では、ジャン王と王妃のグロリアが心配そうに二人の王子の帰りを待ちわびていた。
「王様、国境付近の村の様子を見てきました。市場でのいざこざが原因で、住民とレザール王国の若者との間で争いがありました。警護の兵を増やすことにしました」
「二人とも、ご苦労だったな。争いごとは小さいうちに何とかせねばな。放っておくと手遅れになり、大きな戦争に発展してしまう」
「逐一連絡してくることになっていますので、ご安心ください」
「ヴィクトル、お前は行動が早い。そんなお前のことをわしは評価しているんだ。これからもその調子だ」
「ハロルドも、兄を見習って行動するように。母は違うが、仲良く行動しなさい」
「分かりました、お父様」
母は違うというところをさりげなく言うが、ヴィクトルにとってはグロリア王妃やハロルドは別の家族のような気がしているのだ。父ジャンが溺愛する現在の妃グロリアとその息子、自分にとっては他人のようなものだ。結局自分は父にとっても遠い存在になってしまったと感じている。
「あなたたちのことが心配だったわ、争いに巻き込まれてしまうのではないかと」
「お母様、僕たちが駆け付けたときには、いさかいはすでに終わっておりましたから。ご安心ください」
ハロルドがクスリと笑い、グロリア王妃に無邪気な顔をしてみた。ヴィクトルはこんな笑顔を王妃に見せることはない。
「ヴィクトル、あなたも無事でなによりだったわ」
「お母様、心配には及びません。日ごろから剣術で鍛えておりますから」
ついついそっけない言い方をしてしまう。
二人は報告を終えると、それぞれ向きを変えた。ヴィクトルは部屋へ、ハロルドは、エレーヌの部屋へと。エレーヌも、二人が急に馬で出かけたので大変心配していた。侍女のマーガレットが部屋へ来た時に、出かけて行った理由をさりげなく聞き出した。それからは、無事に帰ってくることだけを祈って、窓の外ばかりを見ていた。その眼は無意識に、ハロルドに向けられていた。
―――ドアが開けられてハロルドの姿を見た時は、一瞬どきりとして、胸が温かくなった。
「ハロルド様、ご無事で、よかった……」
「当たり前だ、戦に行ったわけじゃないんだ」
―――ハロルドは、一瞬ためらい後ろ手に持った花束を、照れくさそうに胸の前に持ってきた。
「ほら、これを途中で摘んできた。あなたに似合う花だと思って……」
「これがですか……野に咲く、クローバーですが」
「綺麗でしょう、一生懸命に咲いているところがいじらしい。それにたくましくて、野原が似合う……」
「――それって、私のことをけなしていませんか」
「いや、けなしてない。――どちらかというと褒めている。もう、こんなこといわせないでくれ!」
「花瓶でも用意して、生けておこう。待ってて」
いったん部屋を出て、小さな瓶に水を入れて戻ってきた。
「ほら、これでいいでしょう。立派な花束です。それと、ちょっとは気がまぎれると思って」
「ちょっとどころか、帰り道で、私のことを思い出して摘んでくださっただけでうれしいです。見るたびに心が癒されます」
「それならよかった、こんな花でも摘んできたかいがあった。じゃあ、早く良くなってくださいね」
「はい、この足が良くなったら、ハロルド様と庭を散歩しますので」
「じゃあ、また」
ヴィクトルは、自己紹介に一度部屋を訪れたきり、エレーヌの部屋を訪れたことはない。もう少し良くなったら、話をしてくれるだろうかと、エレーヌは淡い期待をしていた。
エレーヌがボルブドール王国の城へ来てから、一か月が経とうとしていた。その間何度も医師のヘクターが診察に来て治療をしていた。傷口が大きくて、縫って塞(ふさ)いだ左ひざの傷の抜糸は無事に終わり、骨折した右足もだいぶ良くなってきた。額の傷もふさがり、髪の毛を前におろしていれば、気にならない程度にはなってきた。松葉杖をつけば、自由に動き回れるほどに回復していた。もっとも、自由に歩けると言っても、許可されていたのは部屋から食堂までの間だけだったが。
エレーヌの怪我が治ってくるにつれ、グロリア王妃はヴィクトルの無関心ぶりが気になってきた。怪我が治り、部屋から出られるようになれば、もっと身近な存在になるだろうと思っていた。どれだけ怪我が治るかは気になったが、エレーヌはグロリア王妃から見れば、可憐で魅力的な女性だ。やはり、今までの様に女性にそっけない態度を取り、相手の人は自分に好意がないとあきらめて去っていくのだろうか……
せっかく婚約した明るく美しい令嬢に無関心なヴィクトルにやきもきしていた。何度も同じようなことがあれば、そのうち相手にされなくなり、無駄に年を重ねてしまうのではないだろうか。二十六歳になったばかりだが、そんな心配をしていた。
その代わりに、今まで通りハロルドが歩けるようになったエレーヌを連れて、庭を散歩していた。ゆっくりと一歩一歩庭を歩いて回ると、花でいっぱいの花壇からはかぐわしい香りがして、気持ちがよかった。戻ってきた二人を見たグロリア妃の表情は複雑だった。
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