第11話 ヴィクトルの自己紹介
「ふーん、エレーヌさんは兄さんの婚約者だったんですね。森で出会ったときは、考えてもみなかった。君は僕が拾ったんだって有頂天になっていた。身元が分かってしまった以上、これからは兄さんの婚約者としてあなたに接しなければならないのか。運命とは残酷なものだ……」
エレーヌに言っているのか、自分自身に言い聞かせているのか、どちらなのだろうか。
「私は、ボルブドール城へ来た時には、ヴィクトル様の姿を探していました。私の婚約者はどんな方なのかと。しかし、ヴィクトル様は、私には全くご興味を示されませんでした。いつか私の身元が分かった時に、見向いてくださるだろうと期待をしていました」
「そうだよな。エレーヌさんはずっとそれを考えていたんだよな」
ハロルドは、エレーヌの身元が明らかになったことは嬉しかったが、これからは自分を頼ってくれなくなるのだろうな、と残念そうだ。
「お二人とも、急に態度を変えなくても構いません。今まで通りに接してください。その方が私も気が楽です」
エレーヌは必死で強がっている。
「俺もあなたが姫だと言われても全くピンとこない。じゃあそうしますよ」
ハロルドはいたずらっぽく言った。ヴィクトルも、ベッドのそばへ来て、顔を覗き込んだ。彼は村娘だと思っていた時と全く変わらない態度だ。
「君の身元が分かったようなので、あらためて自己紹介をします。僕はこの国の第一王子ヴィクトルです。父は国王のジャンだが、母は王の前の妃で、アンという女性です。母は僕を生んで、数か月後に亡くなったのです。赤子だった僕の小さい手を握りしめ、亡くなったそうです。だから、僕は母親の記憶は全くありません。唯一肖像画の中で微笑む姿しか知らない」
「まあ、お気の毒なことです。いままで寂しい思いをされたでしょうね」
「この話をすると誰もが、同情し気の毒そうな顔をする。その代わり、乳母や侍女たちが俺の機嫌を取ろうと必死で面倒を見てくれた。彼女たちが母親として振る舞おうとすればするほど、僕は意固地になった。彼女たちは、母親の代わりにはならないのです」
ヴィクトルは、ぼそりとつぶやくと、エレーヌから視線を逸らした。
「その後、父は二年後に新しい妃グロリアを迎えて、数年後第二王子ハロルドが生まれた。僕は26歳でハロルドは21歳、ちょっと年が離れています。これが僕の自己紹介、以上です」
ヴィクトルの孤独な一面を垣間見た気がした。エレーヌは何か言わなければと思った。
「お母様の代わりにはなれませんが、何かお力になれれば……」
すると、立ち去りかけていたヴィクトルが振り向いた。困ったような表情をしていた。
「あなたの力を借りなくても、俺は今まで通り大丈夫ですが、いまの言葉覚えておきますよ」
強がっているわけでもない。エレーヌにあまり関心がないのだ。ヴィクトルはドアをバタンと閉めた。
エレーヌは、ふーっとため息を吐いた。素敵な人だろうと、一人で期待していた。自分にとっては人生の一大事だと、命がけで奇跡の石を求めてこんな大怪我をしてしまった。その結果出会った人は、自分には無関心な様子。
突然の事で、どう反応したらよいかわからないだけ。そう思おうとしても、いくら男女の心の機微に疎いエレーヌでも、ヴィクトルのそっけない態度はこたえる。今までずっと自分に関わってくれたハロルドとは正反対だ。
「ハロルド様、お兄様はいつもあんなふうなのですか?」
「あんな風というと、女性にそっけないということですか?」
「――まあ、そんなことですが……」
「何人か、紹介して下さったご令嬢はいたのですが、兄のそっけない態度に自信を無くして……皆、諦めて去っていきました。悪い人ではないのですが……僕に対しても母親が違うということで、距離を取っているようです。僕は本当の兄だと思っているのに」
「そうでしたか……」
「あ、そうでした。車いすを用意しました。これに乗れば、少し動き回ることができ、気分転換になりますよ」
「うまく乗れるかしら。そこへ乗り移るのも大変そう」
「さあ、手を貸しますから。俺の肩につかまって……そう、そう、その調子です」
「左足は、切り傷、右足は骨折だなんて、全く酷いものです。よいしょ」
「うまく、乗り移れました。あとは、車輪を回せば、前後に動けますから。これで少しは気晴らしができるでしょう」
「あら、本当。すいすい動きますね。座ったままで動けるなんて、不思議な気持ちです」
「乗り移るときは、また肩を貸しますから」
エレーヌは、このころにはすっかりハロルドと打ち解けていた。身の回りの世話や、怪我の手当ての殆どが彼の指示で行われていた。彼も、自分が連れきたのだからと責任を感じて、面倒を見ていた。そのころには、エレーヌは安心しきって、彼が部屋へ入ってくるのを心待ちするようになっていた。
―――私、ハロルド様が来るとこんなに楽しい気持ちになる
……どうしたらいいの。
彼は婚約者の弟。しかし、彼の態度は、森で私を発見したときからずっと変わらない。
……いつも優しい
エレーヌは、車椅子に座り、車輪を動かしては、そんなことを想った。
「庭の花がきれいです。俺が外へご案内します。外の空気を吸うと気持ちも晴れますよ」
ハロルドの提案で、散歩することにした。車椅子をゆっくり押して庭へ出た。
「ルコンテ王国は、山がちの気候ですから、咲いている花々が違うかもしれません」
「美しい庭園ですね。私の国にはこれほど色とりどりお花は咲いておりません。平地の多いボルブドール王国のほうが温暖なのでしょうね。花壇も広々として、大きいこと。素晴らしいです」
「良かったです。でもね、山には山の可憐な花がありますよ。気晴らしになって良かった。ここへ連れてきたかいがありました。また来ましょう」
「私も、自分で車椅子を動かせるように頑張ります。それから、ここを歩けるようになりたいです」
「そうすれば、俺と歩いて散歩できるし……」
ハロルドはそこまで言って、ふと思い出したように話題を変えた。
「ところで、兄さんとの縁談はいつ聞いたんですか?」
「ほんの一か月ほど前に……父から聞きました。まだ十六歳なので、私には早すぎると言ったのですは、そんなことはない、もうそろそろいい年ごろだと説得されました」
「十六歳か。若いな。俺だったらまだまだ他国(よそ)へ行って暮らすのは無理だ」
「私は、何の取り柄もないので、よいお話だと言われました。――あら、私こんなことまで話してしまいました」
「へえ、取り柄がないのか、自分で気が付かないのかもしれませんよ。怪我が治ったら探すのが楽しみだな」
「何を言ってるんですか……」
メイドのアンが、かわいらしいエプロン姿で現れた。
「楽しそうに、笑い声が聞こえていましたよ、ハロルド様。お茶をお持ちしましたので、こちらへ置いていきます」
「ああ、アン。ありがと」
「女性と楽しそうに話すこともおありになるんですね」
「おい、こら。余計なことを言ってないで、そこへ置いて帰れ」
「はい、はい、わかりました。退散いたします」
「全く変な奴だなあ。じゃあ、お茶でものんで、ゆっくりして。まあおまえはいつもゆっくりしてるしかないがな」
「その通りですね。急ごうとしても急げませんから」
二人で大笑いしながら、お茶を飲んだ。
その日の晩も、夕食を頂きながら、いつものように部屋で過ごしていた。色々なことが一度に起こり、食はあまり進まなかった。一口食べては、考え込んだ。この縁談はうまくいきそうもないのではないだろうか。怪我が治ったら、すぐ帰ることになるだろうと、エレーヌは思い始めていた。お父様はさぞかしがっかりするだろう。自分に魅力がないばかりに、とエレーヌは情けなくなった。
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