第9話 野に咲くクローバー

 ハロルドが、エレーヌの部屋から出てきたのを見て、ヴィクトルは顔をしかめた。


 ヴィクトルは、エレーヌの事で言っておきたいことがあるようだ。


「ハロルド、あの娘を城へまで連れてきて、随分かわいがっているようだが、俺はどこの娘かどうかもわからず心配だ。この国の村の娘ならまだしも、隣国のスパイだったらどうするんだ。ルコンテ王国とは、友好関係を築いているんだ。ここで、何か事件でも起こり、両国の関係が崩れるようになっては……」


 彼女に関わろうとしなかったヴィクトルが、まさかそんなことを考えているとは。


「ちょっと待ってくれ。兄さんは心配しすぎだと思う。あの娘に色仕掛けでスパイができるような色気はない。しかもなあ、あの娘(こ)、ルコンテ王国の王女だと、いまだに主張してるんだ。手紙を出して確認してほしいとも言っている」


 ハロルドには、彼女がスパイだとはとても思えなかった。なぜだかわからない、直観的にそう思うだけだが。


「ルコンテ王国の……王女? あんなやせぎすで、おなかをすかせた鹿のような女がか?」


「おなかをすかせた鹿だって? そりゃひどすぎだ。野に咲く花ぐらいに例えてやったらどうだい。例えば、クローバーとか。そうだ、、どこにでも咲いている、たくましくて、ちょっと可憐なクローバー、ぴったりじゃないか」


 クローバーというたとえを思いつき、悦に入っている。ついついハロルドは、エレーヌを弁護したくなる。彼女がけなされると、たまらなく悔しく、嫌な気分になる。


「クローバー、野に咲く花かあ。物は言いようだな。で、その王女様が手紙を出してほしいと言ってるんだな?」


「ああ。ルコンテ王に、ここにいることを伝えてほしいと言ってきたので、希望通りにしてあげると答えた」


 ハロルドのお人よしにもほどがある、とヴィクトルはあきれているようだ。ハロルドの村娘に対する以上の対応を見て馬鹿にしている。


「ハロルド、おまえは物好きだな。まあ、それが本当の事だったら、知らせなければならないがな。勿論父には黙っているんだろ。娘が冗談を言っている思って、まるっきり相手にしていなかったんだからな」


「その通りだ、やはり兄さん、よく分かってるじゃないか」


「でも、警戒はしておいた方がいい。女スパイの可能性は無きにしも非ずだ。油断させようと、わざと間抜けなふりをしているのかもしれない。そして忍び込もうとして、怪我をしたのをよいことに、人の好いお前を利用して、城に入り込んだ……」

ヴィクトルは、何処までもスパイ説を主張している。


「間抜けなふりとは?、また酷(ひど)いことを。全く想像たくましいんだな、兄さんは。書簡をあちらの王へ送ってみればすぐにわかることだ。さて、どんな返事が来るか楽しみに待っていよう」


 ヴィクトルは、女性を前にしても逃げ出さずにかかわろうとするハロルドに興味津々だ。


「ハロルド、美しい女性が苦手なわりに、あの娘を相手にして楽しそうだな」


―――変なところを突っ込まれ、焦っている。


「さて、そろそろ剣術の稽古でも始めようかな。今は平和だが、いつ何時攻められるかわからないものな」



                  *


 その日の夜、ハロルド王子は、自室で手紙を書いた。エレーヌと約束したルコンテ王国のアルバート王にあてた手紙だ。


『ルコンテ王国  アルバート王様


―――突然のお手紙、失礼いたします。


 一週間ほど前、ボルブドール王国領の森で、王様のご息女エレーヌ様とお名乗りになる女性を発見いたしました。大怪我をしておりましたので、城へ連れて帰り治療し、ただいま城内で療養しております。専属医師の診察によりますと、切り傷と、足の骨折があり、1か月以上の療養が必要かと思われます。こちらでお世話いたしております。ご息女は、山の斜面を滑り落ち、こちらの領地へ迷い込んだと申しております。是非とも王様に連絡してほしいと申しましたので、連絡した次第です。ボルブドール王国 王子ハロルド』


これでいいか……、


―――まあ、これしか書きようがないと考え、厳重に封をして使いの者に、馬で届けさせた。


―――これが本当だったらエレーヌとはあと少しでお別れか、と思うとハロルドは無性に寂しくなった。

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