第8話 ハロルド王子のトラウマ

 怪我をして部屋にこもっているエレーヌにとって、一週間はあっという間の時間だった。その間は、部屋でじっとしているしかなく、考えばかりを巡らせていた。 自分はいつも何か一生懸命やろうとしてもうまくいかない。それならば、いっそのこと成り行きに任せて、普通にこなしていく方がいいのではないか。


 今日は医師のヘクター先生がやってきて、診察してくれた。


「どれどれ、見せてごらん。傷の方は……いくらか良くなってきたかな。若いから治りが早いんでしょう。ここで安静にしていたおかげだ」


 エレーヌはそれを聞いて、一安心した。


「先生! ではもうすぐ帰れますよね!」


「いやいや、まだまだ時間がかかるぞ」


 自分で見てもわかるように、治療する前は、ぱっくりと傷口が開き酷(ひど)い状態だった。滋養のあるものを取り、静かに体を休めることができたおかげで、前とは見違えるようにきれいになったと思う。


「すべて、ヘクター先生と……ハロルド様のおかげです! 治ったらお礼をしなければ……」


「ハロルド様にお礼ですか……私は子供のころからハロルド様を診察しておりますが、女の人と話すのは苦手なんです。美しい女性を前にすると、いつも引っ込んでしまわれた。美しい女性に対して何かトラウマでもあるんでしょうかねえ。そうだなあ、お礼と言っても、何がいいかなあ、皆目わかりません」


「美しい……女性が、苦手、なのですか?」


 エレーヌは考えた。ハロルド王子の眼には、自分は女性に写らないのだろうかと。細い体、切れ長の目、頬と唇は丸くふっくらしているが、女性的とは程遠いと思う。


―――自分のように美人ではない女性は、苦手ではないということか―――


 ハロルド王子も医師が来ていると聞き、部屋へやってきた。


「どうだ? 少しは良くなってきたか? 先生、エレーヌの傷ははどうですか?」


 何だか保護者のような態度だ。


「一週間前とは見違えるようによくなっています。体の治癒力が高いのでしょう。元々丈夫な娘さんなんでしょうね。縫った膝と額の傷はだいぶふさがっているようですし、あと少しで抜糸ができるでしょう。どれどれこちら側の足はどうかな……な、な、何ということだ。、右の足首が張れてきている。痛みはあるか?」


 医師は、エレーヌの右足首に手を触れている。


「い、痛いです。触っただけで。力も入りません………立ち上がろうとしても、全くバランスが取れなくて。どうなってしまったんでしょうか、先生!」


 今度は、足首の骨も念入りに触ってみた。


「この間は、傷の酷かった左足しか見なかった……右足は、なんと骨が折れているぞ。私としたことが。足首を固定しておかねばならない。こちらの足が元通りになり、歩けるようになるのには、一か月以上はかかるな」


「先生、骨も折れていたんですか。ヘクター先生、しっかりしてくださいよー。何で気が付かなかったのかなあ。しかし、さらに一か月以上かかるのか」


 ハロルドは、あごに手を当てて考え込むふりをしている。あまり残念がっていないところがエレーヌには悔しい。


「気長に治療するしかありません。また様子を見に来ますので」


 ヘクター先生は、ちょっときまり悪そうな顔をした。


 エレーヌはヘクター先生に訊いてみた。


「一週間はあっという間でした。私の足は、本当に治るんでしょうか」


「いままでどおり毎日消毒して、傷が膿まないようにすれば大丈夫です。そんなに心配しないで……骨折したところは動かさないように、今まで以上に気を付けなさい。ところで、君の親はどこにいるのだ」


「あのう、ここへ来た時からお伝えしているのですが、ルコンテ王国の王で、アルバートと申しまして、母はカトリーヌと言います。どうか私がこんな様子だと、お伝えいただきたいのですが。よろしくお願いいたします。本当です、先生は信じてくださいますよね」


 エレーヌは一気にそれだけ話した。


―――今度こそ信じてほしいと念じながら。


「何と、隣国の王が、おまえの両親というのか。これは驚いた。そんなお姫様が、どうして森で行方不明になってしまっているのか、とんとわかりませんが。しかも、姫は病気で寝込んでいるという書簡が来ているそうですが」


「ああ、それは……嘘なんですよ。もう絶望的です。誰も信じてくれないんですから」


「王が嘘をついているのか? うーん、エレーヌさんは、記憶喪失になってしまったんだな。自分が王の娘だと妄想しているんじゃないのか」


 ヘクター医師はエレーヌを憐憫の情を込めて見つめた。


「もう、私を変人扱いして! いいです! 自分で何とかしますから」


「わかった、わかった、まずは歩けるようにしましょう。ご協力しますよ」


 何がわかったんだか、信じてくれるだろうと思ったヘクター医師も、信じてくれなかった。私は誰の目にも王女に見えないのだろうか、とがっくりした。


               ⋆



 医師が部屋を出て行き、エレーヌのそばにはハロルド王子だけが残った。


「ふふーん、ルコンテ王の娘だと随分強く主張しているな。俺が王に書簡を送ってみようか? 大怪我をして、娘はボルブドール王国の城にいると」


 もったいぶった言い方をしながら、エレーヌのそばにすり寄ってきた。


「えっ、書簡を送ってくださるのですか。お願いします」


「君は本当に王の娘だったんだろう? それなら敬語を使わないでもっと気軽に話せ」


「ああ、わかりま……分かった。お願いね」


「君の言葉を信用して書くんだぞ。嘘だったら、その時は傷が治っていなくても、僕の言うとおりにしろよ」


 まだ全く信じていないようだ。


「嘘だったら、僕の言うとおりにするんだぞ」


「します、必ずします」


「う~ん、嘘だったら、僕の専属のメイドにする!」


「なります、なります。絶対になります」


「ふ~ん。嘘だったら……面白いな」


「嘘じゃありません。だからハロルド様の専属メイドにはなりません! 本当だから。そんなことにはなりません」


「ふーん、いやに自信たっぷり」


「お願いしますよ、早く、早く!」


 エレーヌは、今度こそは、自分の身元がわかるだろう。ようやく自分の真の味方が出来たとばかり、元気が出てきた。


「でも、父に相談したら、そんな手紙出すのをやめろと言われるにきまってる。僕の一存で出すよ」


「はい、王様は私の言うことを信じていらっしゃいませんでしたからね。それがいいと思います」


「こんな文面でどうだ?『森で、村娘の身なりの娘を拾ってきたら、その娘はルコンテ王国のエレーヌ王女殿下だと言っています。彼女は斜面を滑り落ち大怪我をしているので、こちらでお世話しております。どうか迎えに来てください』こんな内容かな?」


「『王女殿下だと言っています』のところは、『王女殿下です』と断定する言い方に直してください……ね」


「分かった。出しておくよ。でも、村娘のままここにいるのも悪くないんじゃないのか?俺は、お前の味方だからな。覚えててくれ」


「もちろんですとも、国へ帰ってもハロルド様の恩は一生忘れません」


「ははは、元気になったな。この調子ならすぐよくなる」


 ここで、ハロルド様の専属のメイドになる、何だかその言葉を聞いた時にエレーヌはぞくりとした。しかし、その気持ちが何なのかには気が付かなかった


 不思議な女性を見るような眼でエレーヌを見て、ハロルド王子は部屋を後にした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る