第7話 村娘として

村娘の服を着て

ボルブドールの城へ来て

本当に村娘になってしまった

ヴィクトル様と婚約しているのに

誰も私に気が付かない


これは何かのいたずらか

悪運にとりつかれただけなのか

それとも思いがけない事故なのか


奇跡の石を取りに山へ行ったことは

ヴィクトル王子には絶対に秘密にしなければならない

そんなものを使って彼の心を手に入れようとした

浅はかな姫のみじめな結末

何があっても告げてはならない

何があっても

絶対に……



 使用人の部屋は地下の厨房の並びにあった。


 時折遠くから、人の声やガチャガチャと調理器具や食器が触れ合う音が聞こえる。ルコンテ王国の城も、こんなふうに地下に厨房があった。しかしこんな傍(そば)に自分の身を置いたことはなかった。こんな音楽を奏でるような音がして、あんなふうに声を掛け合って仕事をしてることを初めて知った。嫌な音ではない。今頃食卓へ並ぶ料理の支度をしているのだろう。


 目を開けて部屋を見渡す。見渡すといっても小さなベッドに、デスクがあるだけの簡素な部屋だ。木の小さな椅子が一脚だけ、デスクの前に置かれている。


 しかし、森の中で夜を明かしたことを想えば、ベッドの上で布団をかけて寝られるだけでもありがたい。

天井の梁の色が温かく見える。人の手が加えられている物は、こんなにも温かいのだ。布団にくるまっていると、手足の先まで温まってくる。


 ドアがコツコツとたたかれる音がした。


「食事を持ってきたわ。開けますよ」


 声がして、侍女のマ-ガレットとともに、メイドの制服を着た若い少女が食事を運んできた。彼女の持つ盆の上から湯気が立ち上るのを見ただけで、さらに体が温まった。そして、空腹だったことを思い出した。


「こちらに置いておきます。しかし王子様に拾ってもらえて、なんて幸運な方なの」


 メイドは、慣れない手つきで盆を置いた。


「余計なことを言わないの! アン」


 アンと呼ばれたメイドは、机の上に湯気の立っているスープとパンを一切れ置いて出て行った。


「王様のご命令なので、部屋には鍵をかけておきます。まだあなたのことがわからないので……悪く思わないでね」


「鍵がかけられていたんですか。この部屋からは出られないのですね。私の身元を証明してくれる人が来るまで……」


 二人が出て行くと、エレーヌは良い香りのするスープに引き付けられるように起き上がり、一口すくって口に入れた。思えば二日ぶりに口にする食事だ。夢中でパンとスープを平らげた。お腹がいっぱいになると急に疲れが出て、再びベッドにもぐりこんだ。


 ルコンテ王国からこちらへ送られた書状によると、エレーヌは病で床に臥せているということだった。勿論奇跡の石を採りに行ったことなどこちらには知らされていない。そうすると、山へ入り行方知れずになったことも知らされていない。いくら、自分が山の斜面を転げ落ち、こちらの国へ来たのだと言ったところで、信じてはもらえない。ルコンテ城には、自分が隣の国にいることを知らせる手段がないのだ。ならば、しばらくここで、村の娘として振る舞いハロルド王子に面倒を見てもらうしかない。考えても、考えても、それしか良い方法は思い浮かばなかった。エレーヌは、自分がおろかだから他の方法を思いつけないのだ、とがっかりした。


 では、傷が治りここを追い出される時が来たら、何と説明しようか。今は考える余裕がない。その時はその時で考えようと思い、目を閉じて眠りについた。



―――翌日、ハロルド王子が侍女のマーガレットと共に部屋へやってきた。彼女に鍵を開けさせていた。


「眠れたか、娘。そういえば、名前を聞いていなかったな。何という名前だ」


「エレーヌと申します。暖かい部屋を用意して下さり、お食事まで、何と感謝申し上げればよいのか……、ぐっすり眠って、ようやく生きた心地がしております」


「まあ、あまり堅苦しくなるな。食事はできたようだが、食べたいものがあったら用意させるぞ」


 村娘にこんなに優しい言葉をかけるのかと、エレーヌはちらりとハロルドの顔を見た。剣術で鍛えたたくましい体からは想像できないような無邪気で無防備な表情で、エレーヌを見下していた。


「卵の料理が食べたいのですが……卵は滋養がありますから、怪我も早く治ると思います」


 少し厚かましいかなと思ったが、優しそうな表情を見てつい言ってみた。


「わかった、メイドに申し付けておこう。早く治った方がいいからな。しかし、エレーヌ。森で何か珍しいものは見つかったのか? お前が命懸けで見つけようとしていた物は何だったんだ?」


 エレーヌは胸の内を見透かされたようで、一瞬戸惑った。


「見つかりませんでした。珍しいものですので」


「そうか。体が元に戻ったらまた探しに行くんだろうな。危ないから気を付けろよ」


「たぶん、また、探しに行くと思います。私にとっては絶対に必要なものですから」


「絶対に必要なものねえ……何だろう? そんなものが、森の中にあるのか?」


 ハロルド王子は、面白そうにエレーヌの顔を見た。


「足の痛みはどうだ? いくらかましになったか?」


「昨日よりは格段に良くなりました。でもまだ傷口がふさがらないようで、痛みます」


「無理をして歩くと、また傷口が開いてしまう。そうなったら、傷跡はさらに醜くなり、治るのは一層遅くなるからなあ」


「脅かさないでください!」


 すぐ目の前に王子の顔があることに気づき、エレーヌは布団にくるまり顔を隠した。女性をからかうのに慣れているんだわ、と思い身を固くした。


「また、様子を見に来るぞ、森が好きな娘」


「はあ」


 侍女が帰り際に言った言葉が気になった。


「ハロルド様は、女性をからかってばかりで、真面目にお話しすることが苦手なのです」

そして、ばたりと部屋の戸が閉まる音がした。


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