第4話 落下
「ちょっとしたハイキングね。これならいくら歩いても全然平気よ」
「エレーヌ様は、お元気ですね。でも、あまり無理をしないでゆっくり歩いてまいりましょう。この辺(あたり)からは少し登り道になりますので。足がつってしまわないように……」
「道に詳しい侍女がいてよかった。この辺にもいろいろな種類の石があるわね」
「はい、上へ登って行くほど岩石が露出しているところが多くなりますので」
更にどんどん坂道を登って行く。人が分け入った道は踏み固められているが、傾斜がきつくなり息が上がってきた。
「エレーヌ様、この辺で休憩いたしましょうか? 丁度良い木切り株がありますので」
「切り株があるということは、人が入って木を切っているということ。木こりが歩いている道なのですね」
「はいそうでございます」
「では、迷うことはない。安心だということですね。休憩が済んだらまた、この辺りから探しましょう」
「はい、飲み物もしっかり飲んでください」
木陰でひんやりとした空気の中で休憩していると、2人の疲れは幾分和らいだ。ここで石を採ることが出来れば……ミラクルストーンを採りさえすれば、戻り道は喜びに満ちた気持ちで歩くことができる、エレーヌはそう確信していた。
「私、今度はその辺で探してみるわ」
「くれぐれもお気をつけて」
「分かっています。慎重に歩きますから」
一歩一歩慎重に地面を踏みしめ、前へ進む。森の中は、思いのほか傾斜がきつく滑りやすい。油断をするとずるずると下へ落ちてしまいそうになる。遥か下には、深い森が待ち受けている。
エレーヌは図鑑から切り取った図柄を手に持ち、そこらじゅうの石を手当たり次第に見ていった。
「これは色が全く違う。これは光沢が似ていない。あっ、これはよく似ているけど、……やはり、輝きが違う」
「あまり私から離れて行かないように、お願いします!」
「大丈夫よ。しっかり地面を踏みしめているから。ーーああ、これもちがうわね」
片端から見比べてみたが、図鑑の絵と同じものは一つとしてない。時間だけが過ぎてゆき、中腰の姿勢を続けていたせいか、足が思うように動かなくなってきた。子供のころから庭で走り回るのが好きだったエレーヌだが、次第に足腰がきつくなってきた。
ミラクルストーンはどこ
奇跡を起こしてくれる石はどこにあるの
見つけることが出来なければ
私の愛は
捕まえられない
侍女のリズも、エレーヌに任せてばかりではいられない。坂道を上り、中腰になって探しはじめる。
「エレーヌ様、わたくしのそばを離れないようにしてください。それから坂がきつくなってきましたので、くれぐれもお気を付けください!」
「分かっているわ、でもこの辺にはないわねえ。もう少しあちらへ、もう少しだけあちらへ行ってみましょうか」
「日が陰(かげ)ってきました。今日はもうこのぐらいにして帰りましょう。やはり……言い伝えの通り奇跡の石は幻のものなのでしょうか? 人を危険にまで晒して……」
そんなはずはない、とエレーヌは信じている。この図鑑は、権威ある学者が何年もの年月をかけ、自分の足で歩き観察して作ったもの。今は亡きこの図鑑の作者が、どれほどの距離を歩き、道なき道へも踏み入って観察したかという学者魂は今も伝えられている。それを証拠に図鑑の中にあるものは、実際に存在するものがほとんどだったのだ。
「季節が夏でよかったです。木陰に入れば、涼しいですし……」
リズがエレーヌに声を掛けようと振り返ったその時だった。
――あっ
助けて――! 足が滑って……ア―――!
「エレーヌ様! エレーヌ様! どこにいらっしゃるのですかー? 私の手におつかまりください!」
リズ――
キャー
「エレーヌ様~~! えっ、あんな下に――――どうして――あんなに下まで……見えなくなって……しまいます!」
あっという間の出来事だった。エレーヌは斜面で足を滑らせ、そのままずるずると下へ下へと滑り落ちていく。まるで滑り台を滑る子供のように、下へ下へと下っていく。
「エレーヌ様――、エレーヌ様――、御者を呼んでまいりますので、そのまま下においでください。私ではとてもこの斜面は下りられませーん」
お互いの姿が見えず、声だけしか聞こえなくなった。
その間にも、エレーヌはさらに下方へと向かっていた。まるで奈落の底へ向かうように。
この辺りは、ルコンテ王国の北の端に当たる。隣国ボルブドールとの国境あたりだが、谷が深く警備の兵も常駐していない。隣国とておなじこと。命がけで谷を越えてくるものは皆無だから、警備をする必要もない。まして友好関係にある両国のこと。国境を警備する必要性はない。
エレーヌの耳にははるか遠くから、リズの叫び声が聞こえてくるが、自分では体を立て直して止まることができない。水分を含んで柔らかくなった地面を、滑り台を滑る子供の様に、
ーーさらに下へと転がってゆく。
……そして……ようやく……体は止まった。
少しだけ平らになっているところがあった。自分の体を見るのが恐ろしくなるほど、泥まみれであちこちに落ち葉なども張り付いている。長い袖とスカートが体と腕を守ってくれたが、顔や足は落ちてくる途中、あちこちに擦(こす)りつけられ、足からは血が出ていた。距離は長かったが、一瞬の出来事だった。
「ああ、ここはどこ。どれだけ下まで落ちてしまったのかしら」
ひとり呟いて上を見上げた。何とか声を出せることがわかり、命拾いしたと思う。しかし見上げてみても
……木以外何も見えなかった。
「リズ! 私はここよ! 聞こえる?」
ーー何度も叫んだ。
しかしリズからは何の返答もなかった。声が聞こえないほど下へ落ちてしまったのか、聞こえない場所へ迷い込んでしまったのか、皆目見当がつかなかった。
エレーヌは、森の中で静寂に包まれていた。
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