微笑みを数える日 ~別れのうた~
野森ちえこ
またね
あの人が泣いている。
あの子も泣いている。
ねぇ、泣かないで。
あたしはしあわせだったのよ。
あなたの奥さんになれて。
あなたのお母さんになれて。
とてもとても。
しあわせだったのよ。
◇
あの人もあの子も、不器用なところはそっくり。お米を炊くだけで大騒ぎしてる。
大丈夫かしら。
ハラハラするわ。
もうすこし、ふたりに家事を教えておくんだったわね。
だって、あまりにも突然だったのよ。
ある日ちょっとめまいがして、転んでしまったそこが歩道橋の長い階段の上だったものだから、もう大変。おばあちゃんになるまでふつうに生きるつもりでいたのに、階段をゴロゴロごろごろ転がって――人間、いつどうなるかわからないわね。
こんなことなら普段からいろいろと準備しておくべきだったわ。なんて、今さら反省しても遅いかしら。ううん。気持ちが大切よね。反省。
ああ、大変! お鍋がコゲてる! 気がついて!
◇
あの子に恋人ができたのね。
あの人はやきもき落ちつかない。理解ある父親でいたいのに、それができなくてふてくされてる。まったく、どちらが子どもかわからないわね。
大丈夫よ。あの子はあなたとわたしの娘じゃないの。あの子がえらんだ人なら大丈夫。
ほら、ね? とても素敵な人じゃないの。もう、むくれてないで、仲よくしなきゃだめよ。それにね、あなた。あの子の恋人はその彼で三人目なのよ。仏壇のまえで、あたしにはこっそり打ちあけてくれてたの。うらやましい? いいじゃないの。あなたに紹介したということは、つまり、そういうこと。人生のパートナーをみつけたの。よろこんであげましょうよ。
◇
毎日毎日、ふたりとも仏壇のまえで泣いていたわね。
長い長い時間をかけて、すこしずつ微笑んでくれるようになった。
今日は四回。きのうは五回だったのに残念、減っちゃった。けど翌日は六回に増えた。よかった。そうやって、あなたたちの微笑み数えては一喜一憂してた。
今ではもう、そんな必要もないくらい、ニコニコと明るい笑顔を見せてくれる。
もう大丈夫ね。
あたしはしあわせだった。
あなたの奥さんになれて。
あなたのお母さんになれて。
とてもとても。
しあわせだったのよ。
だからもう、いくわね。
親切な死神さんが、待ちくたびれてあくびをしてる。
またね。
いつかの未来でまた、家族になれますように。
あなたの奥さんになれて。
あなたのお母さんになれて。
あたしは、とてもとても。
しあわせな人生でした。
(おわり)
微笑みを数える日 ~別れのうた~ 野森ちえこ @nono_chie
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