俺の異世界転生が無くなった

近藤 わさび

第1話

 ――死んだ。


 後悔が波となって押し寄せてくる。

 これは夢ではないかと疑ってみるが、机の上のギフトカードが現実を突きつける。


 スクラッチシールが削られ、シリアルコードが露わになったギフトカードの額面は一万円。それが七枚、合計七万円。


 バイト二か月分の給料をソーシャルゲームのガチャにつぎ込んだのだ。それでも目当てのキャラは出ない。


「ああああぁぁぁぁ! なんでだよ!」


 人気ソーシャルゲーム『ブレイブファンタジー』の五周年記念ガチャ。そのトップレアである『刻幻魔王こくげんまおうフィア』は、そのステータスが発表されるとたちまちプレイヤーたちの話題を独り占めにした。


 性能が破格だったのだ。

 未来視みらいし次元移動じげんいどう超位闇魔法ちょういやみまほうとその一つでも持っていれば強いとされるスキルを三つも保有していた。ステータスも全て平均以上だ。


 本気ガチのプレイヤーには必須キャラだろう。けれど、オレは本気ガチのプレイヤーではない。普段は課金も月々千円ほどだ。


 チーム順位は毎回百位以内と好成績をだしているが、それはチームメイトが強いだけでオレが強いわけではない。個人ランクとしては上位三千位に入れるかどうかの実力だ。


 そのオレが課金を決めた理由はイラストだ。腰まで伸びる金髪をツインテールにまとめ、こちらを見つめる目は赤と青のオッドアイ、いたずらな笑みを浮かべる口元からは八重歯の先が覗いている。


 その淡いタッチで描かれた繊細なイラストは多くのプレイヤーの心を鷲掴みにし、検索キーワードで一時的にトレンド入りするほど人気を集めていた。


「くそっ……」


 新たなギフトカードを取り出し、スクラッチシールを削る。スマホのカメラが番号を認識し、残高が補充される。残高でジェムを購入し、震える手でガチャの十連ボタンを押す。


 外れた。


 一瞬、ここでやめた方がいいのではないかという考えがよぎる。が、ここまで課金したのだ。何としてもあのキャラを手に入れたい。祈るようにスマホを掲げ、十連ガチャのボタンを押した。


 画面が虹色に光る。

 最高レアリティが当たったのだ。

 光の中から少女が姿を現す。


 黒髪和服の少女。同じ最高レアリティでも彼女は、前のガチャのトップレアだ。オレが欲しいのはこの子じゃない。


 さらに、ガチャのボタンを押す。


 九枚目のギフトカードを使い。

 さらにガチャを回す。


 手が汗ばみ、息が苦しくなる。

 後悔があふれ出し、泣きそうになっていることに気が付いた。


 もういいや、行くとこまで行こう。

 投げやりな気持ちで十枚目のギフトカードを使った。


 外れ。

 はずれ。

 ハズレ。


 十万円が二次元のかなたに消えた。


「あは、ははは。バカだなオレ……」


 スマホを操作してゲーム用のチャットアプリを起動した。

 チャットは新しいガチャの大当たりや爆死報告で盛り上がっていた。


 オレも爆死報告を書き込む。

『爆死した。330連して魔王出ず、泣きそう(╥_╥)』


『団長⁉ どうしたんですか、いつもはあんまりガチャ引かないのに』

『と、止まるんじゃねえぞ、団長』

『いや、止めろよ。団長、無理な課金はアカンで』


 チームのメンバーが励ましの言葉を送ってくれた。

 多少メンバーは入れ替わったが、ゲームリリース当初からの気のいい仲間だ。みんなそれなりに課金をしたようだが、オレほどのバカはいないようだ。


『だんちょ~、990連して出ませんでした(泣)』


 いたよ! オレ以上のバカが!


『桜花さん、辛すぎ。大丈夫?』


『ありがとうございます、でも大丈夫です。自己責任で課金しましたから。それにお金はまた働けば入りますし』


 さすが、社会人。三十万はかなりの大金だが、気持ちの切り替えは出来ているらしい。桜花さんは過去のガチャでも月に四、五万は使っている。

 それだけ課金していれば、当然このゲームでも強さはトップクラス。最初はランカーの集まるチームに所属していたそうだが、チャットでの愚痴や誹謗中傷が多く、このチームに移籍してきた。ずっとログインしていないメンバーもいるこのチームの順位が百位以内に食い込めるのも桜花さんの活躍が大きい。


『あ、仕事が入ったみたいなのでこれで失礼します』


 桜花さんの仕事は誰も知らない。かなり時間は自由みたいなので自営業だろう。


 スマホのアラームが鳴り、バイトの時間を告げる。

 オレもチャットにメッセージを残し、家を出て自転車に乗った。


 バイト先は駅前の牛丼屋だ。

 坂を下り、交差点で停まり、信号が変わるのを待つ。


 桜花さんのおかげで鬱々として気持ちは少し晴れていた。

 自分より失敗した人を見て安心していることに自己嫌悪を感じつつ、体を動かして気分転換してしまいたい欲求に駆られる。


 遠くで悲鳴が上がった。


 交差点に向けて乗用車がまっすぐ突っ込んでくる。猛スピードで近づく車は、運転席に座る老人の驚愕にゆがむ顔が分かるほどすぐそばに迫っていた。


 一瞬、母親の顔が浮かぶ。


 きっと泣くだろう。

 大丈夫だろうか。立ち直れるだろうか。

 時がゆっくりと流れ、自分の最期を自覚した。


「させるかぁぁぁぁあああああ、ぶっ‼」


 車の前に少女が飛び出し、オレを突き飛ばした。

 目の前で少女の体が車のボンネットに沈み、頭部がガラスに叩きつけらた。


 歩道に乗り上げた車の右側が電柱に衝突して、やっと車は停車し、反動で投げ出され少女が力なく地面を転がる。


 何が起きたか分からなかった。

 あの少女が、オレを庇った……

 オレの身代わりになった……


 よろよろと立ち上がり、少女に駆け寄る。

 彼女は糸の切れた人形のように動かない。乱れた髪で表情も見えない。


 どうすればいい。

 触れていいのか、動かしても大丈夫なのか。

 いや、まず救急車だ。

 スマホを取り出して、119にかけた。




 気付けば、オレは病院の診察室にいた。

 駆けつけた救急隊員に「君もケガをしているから」と乗せられたのだ。


 それからのことは、断片的にしか覚えていない。

 担架に乗せられた少女、無線で叫ぶ救急隊員、血まみれの自分の手。救急車のサイレンの音が、まだ耳に残っているような気がした。


「うん、検査では異常はないね。でも脳のダメージはあとから症状がでることもあるから何かあればすぐに来てね」


 医者はそういうと、腕に当てていたガーゼを取り替え、包帯を巻いてくれた。車の破片が飛んできて腕を切ったようだ。あれだけの事故にもかかわらず、ケガはそれだけだった。


 彼女が守ってくれたから……


「お母さんに連絡取れたからね。すぐに来てくれるって。それと警察の人が事故の状況を聞きたいそうだから、あとでね」


 医者に彼女のことを聞いても「他の医者が診ているからあとで教える」としか答えてくれない。


 突然、診察室のドアが勢いよく開けられた。

 母親が必死の形相で飛び込んできて、オレを抱きしめた。


「よかった……無事で、本当によかった……」


 何度もそう繰り返し、目には涙を浮かべていた。


「ごめん、心配を掛けて」


「あんたが車に轢かれたって聞いて、心臓が止まるかと思ったわ」


「彼女が……知らない女の子が助けてくれて……それで……代わりに」


 だめだ。

 涙が溢れて、言葉が続かない。

 あの少女は自分の命と引き換えにオレを守ってくれたんだ。


「あっ、いたいた。探したわよ、あんたに話があるの」


「ええええええええええええええええええ! なんで⁉ 君、車に轢かれたよね⁉」


 オレを庇った少女が診察室の入り口の前に立っていた。

 金色の髪を腰まで伸ばし、左右で色の違う瞳、人形のように整った顔は少し吊り上がった目じりのせいで気の強そうな印象を与える。


「ええ、思っていたより衝撃が強くて気を失っていたわ」


「無事なの? ケガは?」


「ないわよ、このとおり」


 少女はくるりとその場で一回転。

 フリルの付いた黒いセーラー服、そのスカートの裾が切れていたため、黒い下着がチラリ。


「そんなことより、あなたに話があるの」


「いたわっ、こっちよ!」


 少女の言葉を看護婦が遮った。手を掴み、少女を引きずっていく。


「勝手に抜け出して、まだ検査が終わっていないのに」


「ちょっ、待って。私は大丈夫、それよりあいつに話が……」


「正面から車に轢かれて無事なわけないでしょ!」


 看護婦たちに囲まれて、少女は廊下の奥へと連れ去れていった。

 彼女たちと入れ替わりで今度は警察官が入ってくる。現場で事故の詳しい状況を説明してくれ、ということだ。


 現場に戻り事故の詳しい状況を説明し、開放されたのは二時間後だった。

 家に帰ると母親のスマホが鳴った。どうやら会社でトラブルが起こり、戻らなければならないそうだ。


「大丈夫だよ。痛い所もないし、検査も問題なかったから」


 母親は最後まで心配していたが、会社に戻らないわけにもいかず、しぶしぶ家を出て行った。あの様子だとかなり無理をして会社を抜けて来たのだろう。


 スマホを確認する。バイト先からメッセージが八件。

 しまった、連絡するのを忘れていた。


 開いてみると、最初のは『今日シフトだけど忘れてない?』というものだったが、そのあとはどれもオレの身を案じたものだった。

 オレが事故に遭ったことはニュースで知っていたらしい。どうやら夕方のニュースでかなり大きく扱われているそうだ。他のメッセージにも無事であることを返信していく。


 終わった頃にはすっかり日は沈んでいた。腹が減った。冷蔵を開けてみるが、牛乳と漬物しかない。今日はバイトの賄いで済ませる予定だったから仕方ない。


 財布を持って家の向かいのコンビニに向かう。マンションの階段を下り、エントランスから歩道を歩く、そこで――


「させるかぁぁぁぁあああああ、ぶっ‼」


 また少女に突き飛ばされた。

 夜でも街灯の灯りを淡く反射する美しい金髪に、植木鉢が落下した。陶器が甲高い音を立てて砕け、少女は頭から土まみれになる。


「大丈夫か⁉」


 起き上がり少女に近づく。


「だ、大丈夫よ。それよりあんたに話があるの」


「オレもだ。君にお礼が言いたかったんだ。あのとき、助けてくれて本当にありがとう。あの、もしよかったら家に来ないか。お礼もしたいし、その格好だし……」


 少女が着ている黒いセーラー服は、スカートの裾が破れ、タイツにも穴が開き、上半身は土まみれだ。彼女は頭の土を払うと、今更自分の姿に気が付いたように恥ずかしそうに目を逸らして頷いた。


 家に戻り、タオルを渡すと彼女は浴室でシャワーを浴びた。一応、妹の服を借りて脱衣所に置いておいたのだが、着ているはボロボロのセーラー服のままだった。


「さてと、改めてあなたに話があるの」


 居間のソファーに座ると、彼女は話始めた。


「けれど、話を始める前に……出てきなさい、死神」


 中二病ということが頭に浮かんだ。

 しかしオレの予想を裏切り、廊下の陰からフードを目深にかぶった人影が現れた。手にはその低い身長に不釣り合いな大鎌が握られている。ゆったりしたロングコートの胸元が持ち上げられていることから女性なのは間違いないだろう。


「フードを取りなさい、死神」


 死神がゆっくりとフードを外すと、幼さの残る少女の顔が現れた。黒髪のボブに、大きな栗色の瞳の下には何日も寝ていないかのような隈ができていた。


「ど、どうしてここに魔王が……こ、これは私の仕事なの……じゃ、邪魔しないでください」


 死神はどもりながら、セーラー服の少女を睨んだ。胸の前で大鎌を握る手がカタカタと震えている。


「分かっているわ。神から彼を連れて来るように言われたんでしょ、させないわよ」


「そ、そんな……こ、困ります」


 死神では魔王と呼ばれた彼女に対抗するのは難しいのだろう。あの大鎌で実力行使に出る気配はない。死神はオレの方を向くと、まるでセールスマンが物を売るように話し始めた。


「あ、あの、異世界転生しませんか……て、転生先はブレイブファンタジーっていうゲームそっくりで……キャラも可愛いですし……ま、魔法もあって……」


「そのゲームなら知ってる。キャラも可愛いし、ストーリーも設定が細かくていいよね。戦闘システムもやり込み要素が多いし」


「で、ですよね。キャラ可愛いですよね。私、このゲームが好きでよく課金しちゃうんです。さ、さっきも給料全額課金してしまって……990連爆死しましたけど、それでもいいって思えちゃうんです」


「桜花さん、それはまずいですよ」


 その感覚はマジでやばい。もう少し金銭感覚を引き締めないと生活が立ち行かなくなるぞ、この人。


「な、ななななんで私の名前を」


「オレ、330連爆死」


「だ、団長⁉ あわわわわわわわわわわ。わ、私は団長を殺そうと……で、でも仕事しないと首になってガチャ回せないし……あうう、どうしたら」


 頭を抱える桜花さんのコートのポケットから音楽が響いた。


「あ、あの……出てもいいですか?」


「どうぞ」


「は、はい……はい神様……はい、今目の前に……わ、分かりました」


 桜花さん、神様からの着信音ダースベーダーのテーマにしてるんだ。それ本人に聞かれたらひと悶着あるぞ。


「あ、あの神様からです」


 桜花さんはそういうとスマホのスピーカーをオンにした。


「うははははははっ、計画通り!」


 スピーカーから意地の悪そうな声が響いた。


「私の勝ちだ魔王。お前を倒せる唯一の者を転生させようとすれば、必ずお前はそれを止めにくる。それを読んでいた私は、お前が次元を超えたあとこの世界と異世界を完全に分断したのだ。これでお前の力でも異世界にはもどれまい。ざまぁ!」


「プー、プー、プー」と通話の終了音だけが残された。


 なんか性格の悪そうな神様だった。

 桜花さんが着信音をダースベーダーのテーマにしているのも頷ける気がしてきた。


「さて、死神」


 魔王の呼びかけに桜花さんは体を震わせて反応した。


「あんたもここに居る必要はないんじゃないの?」


 魔王がこの世界に閉じ込められたことで、異世界を脅かす脅威はいなくなった。つまり、オレが異世界転生をする必要がなくなったということだ。


「は、ひゃい……で、ですが少しやらないといけないことが……」


 桜花さんはスマホを操作した。

 オレのスマホが震えた。ゲームアプリに通知の印が表示されている。見てみると桜花さんがチームを脱退していた。


「あ、あの、殺そうとして本当にごめんなさい。そ、それでは失礼します」


 立ち去ろうとする桜花さんのスマホに新着を知らせる音が鳴った。躊躇するように立ち止まり、画面を覗くがくしゃくしゃに歪んだ。桜花さんにチームへのスカウトを送ったのだ。


「わ、私チームにいていいんですか」


「うん」


「怒ってないんですか」


 殺されかけたことには、確かにしこりが残っている。けれど怒ってはいない。たぶん異世界召喚も悪くないと思ってしまっていたからだ。何も知らず問答無用で殺されて異世界転生することになれば、小説の主人公同様にオレも喜んでいると思う。


 もっとも、この世界か異世界か選べる機会があるのなら間違いなくオレは家族や友達のいるこの世界を選ぶけどね。


「怒ってないよ」


「ふえ……あ、ありがとうございます。ふ、不束者ですが今後とも末永くよろしくお願いします」


 まるで嫁入りの娘のようなセリフを残して、桜花さんは廊下の暗闇の中に消えた。部屋に残されたのはオレと魔王だけ。


「で、全部計画どおりか?」


魔王がきょとんとして、こちらを見ている。


「ふふふふふ、さすがお兄ちゃんね。驚かそうと思ったのに。いつ気が付いたの?」


 魔王は不敵な笑みを浮かべながら、オレをお兄ちゃんと呼んだ。


「その姿を見て、似ていると思っていた。案内していないのに浴室の場所を知っていたしな。確信したのは死神が魔法のように現れて、異世界転生の話を聞いてからだ」


 三年前、交通事故で無くなった妹。

『刻幻魔王フィア』のイラストは色こそ違えど、妹そっくりだった。

 妹が大好きだったゲームで妹そっくりのキャラを見たとき、彼女がゲームの中で生きているような気がした。


「大変だったんだから、転生するときにこっちに戻れそうなチート能力を選んで、それでも足りないから闇落ちして新しいスキルを手に入れて、さらに魔王の称号でしか獲得できない次元操作系のスキルも習得したりしたんだから」


「こっちだって大変だった。訳もわからないまま葬式をして、遺品の整理もぜんぜんできなくて、色んなところに面影が残ってて、未だに涙が止まらなくて……」


「いいや、絶対私の方が大変だった」


「オレだって大変だった」


「むむむ……もう、なんか思ってた再会と違う。私がいなくて寂しかったんじゃない? ほら、お帰りのハグしてもいいよ」


 いたずらっ子の笑みを浮かべて、妹が両手を伸ばす。


 神はオレだけが魔王を倒せると言った。

 ゲームの腕ならもっとうまい奴がいるだろう、知識ならもっと頭のいい奴がいるだろう、肉体の強さならもっと強い奴がいるだろう。それなのにオレだけが魔王を倒せると言った。


 それは力の差ではなく、彼女が最後まで戦わなかったからだ。もし異世界転生していれば、彼女は元の世界に戻ろうと必死に努力したにもかかわらず、倒されることを選ぶのだろう。たとえ、オレがどんなに止めたとしても。この妹はこうすると決めたら、絶対に折れない。


 妹は頑固なのだ。

 だから仕方ない。ここはオレが折れよう。


「……めちゃくちゃ……さびしかった……」


 妹をぎゅっと抱きしめた。

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俺の異世界転生が無くなった 近藤 わさび @wasabi_kondou

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