山根九郎右衛門という男

「馬鹿な。そのようなことが」

 九郎は、驚いている。彼は、まさか南の国を統治する、彼らがお上と呼ぶ機構がほんとうに九郎の北の領土を召し上げる通告をしてくるとは思っていなかった。

「どうして、お上がこのようなことを戯れて仰せになりましょうか」

 九郎が受け取ったのは、アムンペツの領内における民の叛乱の収束を求める内容のものだった。雪融けまでにそれが叶わなければ、九郎は強制的に南に戻され、この地には別の者が入ることになる。

「殿。いつまでも、甘いことを言っていてはなりませぬ」

「殿の後ろには、国元の兵やその妻子、そして数千数万の民がいることを、ゆめゆめお忘れなく」

 重臣どもは、口々にこの年若で理想家の主君を諌めようとした。中には、

「ああ、このようなとき、大殿がいらっしゃれば」

 と露骨に嘆く者もあった。九郎の父は彼とは違って武張った性格で、まだ南のあちこちに立っていた小さな国が互いに争い乱れていた頃に無名の兵から名を挙げて家を為すに至った九郎の祖父の気性をよく受け継いでいた。普段は物静かであるが、父も祖父も眉間にいつも皺を寄せていて、不正を許さず、必要であれば刀槍に訴えることもあった。

 しかし、優しかった。九郎の生まれた頃はおろかその父の頃でも南の国はすでにまとまっており、九郎はその祖父が戦場に出ていた姿など知らぬ。その薫陶を直接受けて育った父も、己が祖父から何を教わったのかは言わぬ。九郎が知る二人は、いつも厳しく寡黙で、そして優しかった。

 してはならぬことをすればきつく叱られ、ときに手を上げることもあった。すべきことを完遂すれば褒められ、それでこそ男子よ、もののふよと喜んだ。家中の者や領民にも優しく、些細なことでも彼らの意見をよく聞き、自ら思考し、自らに連なるあらゆる者がより多くの幸福を享受できるよう努めた。

 九郎が彼らから教わったことは、たった一つ。それこそが、領主たるものの務めだということ。人を安んじ、家を栄えさせること。

 だから、九郎は、その父に伴われてこの大地にやってきたとき、思った。

 ――この豊かな地にもともと暮らす人も、わが民ではないか。

 と。そして父が病に倒れて死に、彼が家を継いだとき、考えた。

 ――手を取り合うべきだ。もう、戦いなどどこにもないのだから。

 と。南の者はその風習により成人すると帯刀するが、それを抜くことはあってはならないのだ。九郎もまたそれを振るう技については厳しい修練を積んではいるが、それを実際に使うことは無い方がよいに決まっている。彼は、そのように考えた。

 ――いつまでも、彼らを牛や馬のように使うことはできない。彼らは、人だ。わが民だ。同じ赤い血が流れ、いのちを育み、子を為し、それを育てる人だ。我らが我らの子をたいせつにするように、我らもまた、彼らをたいせつにし、彼らにたいせつにされねば。そのような、領主であらねば。

 また、それこそが領主たるものであると、彼は思い定めた。


 しかし、現実は違った。家中の者は彼に隠れてこれまでの通り北の民を思うままに使役し、それをいくら禁じても厳罰に処せられることはないということを分かっている。

 そして、鬼があらわれた。それは北の者の歌の中の存在などではなく、じっさいに形のあるものとしてあらわれた。

 南の者が北の民から奪う。その悲しみや恨みや怒りが、神に通じたのだろうか。

 それは、剣。

 それは、血。

 それは、制裁。

 この北の地に風とともに渦を巻くものが、それらをもたらした。そして、それを振るうのは、あまりに細い腕。あまりに小さな体。あまりに美しい瞳。

 それにすら九郎は哀れみを感じるが、どうすることもできない。セキトウは、南の者を襲い、その血を流したのだ。不問にして放逐することはできない。だからといってその責めを負わせて彼女の首を刎ねてしまえば、自分がこれまでの南の統治の仕方と同じ方法でもって北の民に接することとなる。

 九郎がセキトウをここに留め置いているのは、彼女の安全のためでもある。彼女に夫を殺された女が、父を奪われた子が、朋輩ともがらや兄弟を奪われた男がいるのだ。そういう者が集まり、謀れば、また北と南が分け合い、知り合い、ともに生きてゆくことができる日は遠くなる。


 今、アムンペツの民は立ち上がり、糾合し、山根家が本拠としているこの砦を目指しつつある。また、血が流れるのだ。

 それを防ぐ手立ては。そのことを、必死で考えた。重臣どもの意見は聞けない。彼らはそもそも九郎のことを甘く見ており、従う気が薄い。九郎の父や祖父の代のことばかりを思い、九郎を出来損ないだと思っている。ちらりと視線をやると、案の定、

「今なら、まだ間に合いまする。ただちに兵を起こし、叛く者どもを一息に討ってしまいましょう」

 と家中第二の力を持つ重臣は眉を吊り上げている。

「いいや、それでは時がかかりすぎる。和解のしるしとして食い物を与えるとして彼らを集め、そこに矢の雨を降らせて皆殺しにしてしまえばよろしい」

 とまで言う者もいる。さすがに、

「そのような無体を働けば、この九郎右衛門、未来永劫暴君の名をこの大地に刻むわ」

 と制したが、発言した者は面白くなさそうな顔を横に向けるのみであった。

 自分で、やるしかない。重臣の意見を取り入れれば、必ず争いになる。お上が言ってきているのは、早々に叛乱を収めるべし、ということである。べつに、戦いでもってそれを皆殺しにせよとは言っていない。そうであるならば、その方法は何も刀や槍や弓矢によらずともよいはずである。

 今こそ。九郎は、そう思った。


 重臣たちを集めての評定を中座し、九郎は砦の中を散策していた。あてもなくそうしていたのではなく、その足をムスビとセキトウにあてがってやった小屋に向けた。薪を割っていたムスビが手を止め、九郎は積まれた薪に腰掛け、話した。

「お前は、この地が好きか」

「好きとか嫌いとか、考えたこともない」

「お前の親は、南の者に殺されたと言ったな」

「言った。それが、どうした」

 ムスビから、あきらかな拒絶を感じた。九郎はムスビに親しく声をかけたり、食い物を与えてやったりしているし、彼から何一つとして奪ってはいない。ムスビがこのように棘をむき出しにした態度を取るのは、九郎が南の者だからである。それ以外の理由はない。

「お前の父や母が死に、お前は悲しかったか」

「はじめ、よく分からなかった。だけど、村を出て星を見上げたりする度に、お父やお母はもういないんだということが分かって、怖くなった」

 質問には、答える気があるらしい。ただし、薪を割る手を休めることはない。癒えつつあるとはいえまだ完全ではないセキトウの身体を暖めるための薪だから、その手を休めるわけにはゆかぬらしい。

「怖くなった、か。俺と、同じだな」

「また、それか。同じ同じと、うるさいな」

「おっと、こいつは怖いことだ。しかし、俺も、俺の父を亡くしたとき、とても怖かった」

 ムスビがぽつぽつと降る雪に汗を飛ばしながら、訝しい顔をした。南の者が何を怖がることがあるのだろうと単純に思ったのかもしれない。

「父は、家臣にもとても慕われ、敬われていた。それに引き換え、俺はいつまでも若殿としか呼ばれず、侮られている。父という後ろ盾を失った俺が、己の力で人を従え、導いてゆけるのかどうか、とても怖かった」

「お前のお父は、何もせぬのに誰かに殺されたりはしていないだろう」

「それは、そうだ」

「じゃあ、おれとお前は違う」

「そうか、違うか。おなじだと思ったのだが、残念だ」

 ちらりと視線だけをやり、ムスビは斧を振りかぶった。薪を捉えるはずのそれは逸れ、土台にしている木にめり込んだ。

「貸してみろ」

 九郎はそれを軽く取り上げ、手本を見せてやった。しかし、やはり上手く割れなかった。

「なんだ、お前、だらしない奴だな」

「済まん。家臣たちにも、そう言われるのだ。そうか、お前の目から見ても、そうか」

「変な奴だなあ」

 少し、距離が縮まったような気がした。九郎は斧を返してやり、ムスビの薪割りを眺める姿勢に戻った。

「お前のお父上は、どのような方であったのだ」

「おれを育てたお父は、南の奴に殺された。そのとき、お母も一緒に」

「育ての父がいたのか。では、ほんとうの父は?」

「知らない。南の奴だったらしい。きっとそいつがお母を思うようにしてできたのが、おれなのさ」

 九郎は、言葉を失った。ムスビのような子供は、あちこちにいる。子だけの村にゆくことを勧めたときには分からなかった彼の生誕のことを聞き、かけてやる言葉が見つからない。

「お前の母上は、それを恨んでいたのか」

「それが――」

 はじめて、ムスビが手を止めた。じっと、斧の刃に眼を落としている。

「わからない。お母は、いつも言っていた。これからは、北も南もない時代が来る、と。お前の父はたしかに南の人であったが、とても優しく、立派な人であったと」

 それを聞いた九郎は、すこし胸が楽になるのを感じた。

「お前の父も母も亡い今、確かめる術はない、か。しかし、おそらく、ほんとうのことがどうであったにせよ、お前の母にとってのお前とは、かけがえのない子であったことは間違いなかろう」

「そうだろうか。お母は優しかったからおれには言わないけれど、おれのことを恨んでいたんじゃないだろうか。南の血と混じって産まれてきた、このおれを」

「愚か者」

 九郎が太く、厳しい声を上げたので、ムスビはぎょっとした顔を上げた。

「どこの世に、我が子を恨みながら守り育てる親がある。お前は、知っているはずだ。お前の母が、お前を育てた父が、どのような眼でお前を見ていたかを。それを疑い、己を疑うなど、もってのほかだ」

 ムスビは、ぽかんと口を開けて九郎を見つめている。その顔を見て九郎は慌てて語調を正し、やわらかく笑んだ。

「声を荒げて、済まなんだ。なあ、ムスビ。お前の名であるムスビという言葉の意味が、分かるか」

「南の言葉だろ。結び、って。それくらい、赤ん坊でも知ってるよ」

「そうだな。では、お前にその名が与えられた意味は?」

 ムスビは、答えられない。首を傾げたまま、黙ってしまった。

「その意味をお前が見出したとき、お前は己の血を呪うことはなくなるやもしれん」

 手を止めてやっては可哀想だと思い、立ち上がった。

「セキトウの具合は、どうだ」

「お前に心配されなくったって、お姉があれくらいでへこたれるもんか」

「そうか。労わってやれ」

 返ってくることのない笑顔を残し、立ち去った。その背を、薪を割る音が追いかけた。

 評定の場に戻り、待ちくたびれた様子の家臣どもの前に座す。

 そして、口を開く。

「決めた。どのようにして、乱れを収めるのか」

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