第二章 北と南

南の魂を持つ者

「九郎右衛門め。家うちのことを、まだまとめ上げられぬらしいな」

「お若い。歳も、お考えも」

「それに比べ、我が神北家かみきたけの、安泰なことよ」

 髭と揉み上げが繋がった中年の男が酒臭い息とともに気炎を吐き出している。周囲には、それにおもねる家臣たち。

「これは、戦いなのだ。それを、あ奴ははき違えておる」

「まことに。隣家のことながら、見ていて腹がこそばゆくなりまする」

「あ奴の治めるアムンペツの地は、川にはよく鮭が上り、森も多く豊かであるな」

 一座の首魁である男が、目を細めた。

「このまま家うちがまとまらぬままなら、お上から仕置き不十分として沙汰があり、あ奴は南に還されるかもしれぬな」

 そういう決まりが、南にはある。いちおう、彼らは南の地を束ねる者に許されて北を切り取っているという形になっている。したがって、その家うちや領土が治まらぬとなったら、北の領地を取り上げられ、南の本来の領地に送還されるのだ。そして、空いた地は、別の者に与えられる。

「ああ、欲しい。アムンペツが、欲しい」

 まるで童子のように、それでいて岩から水の染み出すようにして男は言った。

「殿」

 と、その男は呼ばれた。

「それほど欲しいなら、ってしまわれませ」

「ほう。──して、どのように?」

「かねてより飼うている、北の者」

 と、家臣の一人が暗い笑みを浮かべた。

「あの者を、使われませ。アムンペツにあの者を入れ、家うちをさらに乱すのです」

「乱すとは、どのように?」


 その者は口の端を卑しく歪め、言葉を継いだ。

「北の者には、北の者。かの者をアムンペツに入れ、あちこちの村の者に結託して山根家に叛かせるのです」

 神北家から山根家に働きかけをすることはできない。それをすれば家同士の争いであることになり、どちらの家も改易になってしまう。だから、この家臣は、豊かなアムンペツの地を欲する我が主君の願いを叶えるために、アムンペツの地の北の民に叛乱を起こさせ、その責を問う意味で山根家を北から撤退させてしまおうという提案をした。

「お前が拾え拾えと言ってうるさかったあの者が、役に立つということか」

「左様にございます。かの者は、なんでも、鬼神を宿して舞うという。かつて滅んだ、そういう村の出なのです」

「その話は、あの者を拾うときにも聞いた。しかし、まことにそのようなことがあるとは思えんな」

「しかし、アムンペツの黒い鬼の話がお耳に入らぬことはないでしょうに」

「そうだな。身寄りを全て奪われ、血でもって意趣返しをするという、あの鬼の話だな」

 それを、利用する。

 南に全てを奪われて鬼となった者が、北の民を集め、立ち上がらせる。この家臣は、自分たちの手の内で拾い犬のようにして飼っている者を、アムンペツの鬼にやろうと言うのだ。


「鬼が民を率い、山根に矛を向ける。それに手を焼き、どうにもならぬ山根に代わり、神北がそれを治める。そうなれば、お上は必ずアムンペツを我々に下さりましょうて」

「面白い。この神北石見かみきたいわみ、これほど面白い策は聞いたことがないわ」

 家臣どもが殿と呼ぶ石見は大きく膝を叩いてその案を容れ、手にしていた濁り酒を飲み乾した。


 その翌日の夜。

 北では、蝉は鳴かぬ。ふと、故郷の蝉の声を思い出して物思いに耽っていた石見は、砦の中の居館から見える岩の狭間に、生き物の気配を見た。

 それは北では見ることのない蜥蜴とかげのようであり、大鷲のようでもあった。

「久しいな。近う寄れ」

 石見はそれが何者なのか分かるらしく、声をかけた。そうすると気配は途端に人の形になり、庭のようにして拓いてあるところに現れた。

「お久しうございます。お召しに預かり、恐悦の至りでございます」

 完璧な、南の言葉である。北の民でも南の言葉を理解もするし話もするが、これは全く南の者しかせぬような言い回しである。

 百年という時間をかけ、少しずつ南は北を染め上げている。言葉も、血も。その結果、北の言葉は徐々に失われてゆき、血も混じり、北でも南でもない子が大人になったりしており、そして、この者のように、南の言葉を完全に理解して操る者まで現れている。


 言葉というのは、その者が産まれ、育ち、生きてきた背景によるところが大きい。ここまで完璧に南の言葉を使うということは、この者はもう完全に南の魂を持つようになっていると言うことができるかもしれない。

 だから、あの家臣は、この者を使うことを提案したのだ。

 しかし、この者がいかに南の魂を持とうとも、北の産まれの北の血であることに変わりはない。だから、いざ事がしくじっても、躊躇なく使い捨てに──この場合、口封じのために刺客を差し向けることになるたろう──することができる。

 山根九郎右衛門は、自ら治めるアムンペツにおいて、北と南の融和を望んでいる。まだ若い九郎右衛門は、これからは北の民だからと言っていたずらにそれを損なうようなことはせず、実りをもたらしてくれる大切な存在として守ってゆかねばならぬと考えているようであるが、石見などは違う。彼らは、旧来どおりの見方である、

 ──北の者など、人ではない。犬畜生にも劣るものだ。

 という目で見ている。それは神北家だけのことではなく、山根家の先代からの家臣たちもそうである。

 ──かならず、家中も乱れる。

 そう、石見は踏んでいる。そのことはわざわざ目の前の影のような男には言わず、ただ言葉をかけてやるに留めた。


「オニビシ」

 呼ばれた男は、我が名を主君が呼ぶときに南の者がそうするようにちょっと畏まって頭を下げた。

「お前、刀をよく使うそうだな」

「は。かつて、いささか悪戯をしていたことがあります」

 ここで諧謔混じりに悪戯というような表現をするあたり、やはりオニビシは南の心を持っている。北の者は詩的ではあるが、歌を歌ったり神に物語を捧げたりするとき以外、あまり余分な言葉を使わないものである。

「鬼神を降ろすとは、まことか」

「さあ。北には、そのようなものはありません。神といのちとは、同じものでありますゆえ」

 含みがある。そう見えた。石見は一人の武人として、オニビシに興味が湧いてきた。拾ったときに一度目通りを許したが、そのときは文字通り汚れた野狐のような若者でしかないと思ったが、あれから四年が経ち、生物としての成熟を迎え、なおかつ南の装束と髪結いをして再び目の前に現れると、見違えるようだった。

「それは、南の刀だな」

「はい。宿禰すくね様より、拝領したものです。北の剣は本来、枝を払うためのものですが、南の刀は見事なものです。風のように振るうことができ、刃がこぼれることも少なくあります」

 つまり、この腰の刀を振るい、刃がこぼれるようなをしたことがあるということである。宿禰というのは石見の子飼いの家臣で、これまで幾度となく策を授け、その興隆を支えてきたが、北に来てからもこういう者を使い、石見すら知らぬようなことをしているのかもしれない。しかしそれは色には出さず、鷹揚に笑った。

「宿禰は、お前をよほど買っていると見える。昨夜も、しきりとお前を使えとうるさかったのは、あやつなのだ」

「身に余ること」

 片膝をついたまま、オニビシはこうべを垂れた。

「詳しい話は、宿禰から聞いているな」

 は、と短い音節を発し、オニビシはにじり下がった。


 ふと、石見は木々が漏らす光に眼をやった。それはささやかに揺れていて、なにごとかの訪れを報せるようでもあった。

 北の者は、これにもいのちがあると考える。

 獣ですらない北の者が、生意気な。そう鼻で笑ってやりたいようにも思うが、南でもまた、花を愛で、虫の声に耳を澄ますことをする。現に、石見は、その木々の葉の隙間から蝉の声が降ってくるのを、懐かしく思っているのだ。

 ──北にあって、南を思う、か。蝉が鳴かぬからこそ、揺れる葉から蝉の声が聴こえるような気がする。

 そういう詩想に駆られ、硯箱に眼を移した。オニビシが去ったあと、墨を擦り、南では誰でも詠むような歌にするのだろう。

 ──この者は、南の歌をも詠むのだろうか。それとも、話に聞く通り、鬼神を降ろすとき、北の歌をうたうのだろうか。

 問うてみたいような気持ちになり、口を開きかけたが、すでにオニビシの姿は北のみじかい夏に溶けていた。

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