子だけの村
果たして、九郎右衛門の言う通り、その村はあった。
短い夏がこぼれ落ちる森の奥にひっそりと隠れるようにして拓かれたそこには、多くの子供がいた。見渡したところ、大人の姿はない。
「お客さんだ」
「旅の人だ」
「また、おれたちの仲間?」
子らが駆け寄ってきて、明るい声で二人を迎え入れる。肌の色つやも良く、手足が痩せ細るようなこともなく、皆快活な動きをしている。
不安げな顔をしているムスビの背をとんと押し、セキトウは子らに語りかけた。
「父も母も、失ってしまった子だ。仲間に入れてやってはくれぬか」
「いいけど。お前、何ができるんだ」
人見知りをするのか、セキトウの後ろに隠れてしまったムスビの代わりに、答えてやる。
「弓ができるそうだ。獲物を獲り、皆と分けたいと言っている」
「なんだ、弓なんか」
一人が、笑い声を上げた。
「獲物は、男の人たちが二日に一度は持ってきてくれるよ。だから、おれたちは、籠を作ったり服や
男の人たちというのは、南の者だろうか。彼らに日用品や衣服などを提供する代わりに食い物を得ているというなら、九郎右衛門が言った通り、彼の領土においては他の地域のような理不尽な弾圧や殺戮は減りつつあるのかもしれない。
「長に、この子のことを頼みたい。長に、会わせてくれぬか」
「サンシカ様だね。いいけど、さいきん身体の調子がよくないんだ。聞いてみるから、ついておいで」
病なのだろうか。心の底から案ずるような子の表情に、サンシカという長は子らに慕われ、頼られていることが見える。
子の一人に連れられ、村の奥へ。そこには、長の家であることを示す飾りのかかった小屋があった。
「サンシカ様。また、旅の人だよ。弓ができる子だって言うけど、仲間に入れてやれないかな」
子が朗らかに呼ばわると、奥から気配がし、それが女の姿となって現れた。
「ようこそ、我が村へ。その子を、ここで預かればよいのですか」
「あなたが、長か」
切れ長の目とそれを飾る刺青を細め、サンシカは頷いた。白く美しい手の甲からも、見事な刺青が覗いている。
「サンシカと言います。その子を、歓迎します。ここにいれば、食べるものには困りません」
サンシカは炉のそばに二人を招じ入れ、案内してきた子に仕事に戻るよう促した。
「ずいぶん、子が多いのですね。大人は、おらぬのですか」
「この村にいた大人は、皆南の者に殺されてしまいました。わたしだけが生き残ってしまったので、せめてと思い、こうして子を育てているのです」
思い返すように、サンシカは顎を上げた。それでちらりと覗いた首筋に、セキトウは視線をやった。
「子ばかりを育てるのは、大変でしょう。子らが、食べ物は男たちが持ってくると言っていましたが?」
「ええ。この村を襲った、南の者たちです」
それに縋ってでも、子らを生きさせなければならない。サンシカは、美しい顔に深く刻まれた疲労の色を隠すようにして笑った。病というよりは、身体そのものが弱っている。そういう色であるように見えた。
「ところで、あなた、その剣は──」
セキトウの傍らのクトネシリカを認め、細い目を見開く。
「なんでもありません。抜くことすらできぬ、ただの棒きれです」
それをサンシカの視界から隠すようにして、後ろ手で自らの背に置き直した。
「まさか、あなたが、神の山の民の生き残り?」
セキトウは、答えない。それが答えだと思ったのか、サンシカは深く頷き、
「ほんとうだったのですね。痛みを与える南の者を、血でもって裁く神が降りたというのは」
と合点した。
「わたしは、そのような──」
「神の山の民は、平地の者や谷の者、森の者などより、ずっと神と親しいと聞きました。求めに応じて神に会い、その身体に降ろし、舞い、歌うのだと」
「古い言い伝えです。村にはその真似事のような儀式だけが残っていました」
「しかし、あなたは剣を携え、旅をしている」
それは、確かなことである。クトネシリカが抜けるとき、セキトウはセキトウでありながら、別のものに衝き動かされるようにして剣を振るうことも。曖昧な夢のようにしか、それを振るっている間のことは覚えていないことも。
「悲しみのあるところに、それを癒すための剣はもたらされる。わたしのところにあなたが来たのは、そのためなのでしょう」
セキトウには、分からない。クトネシリカを振るい、多くの血を大地に吸わせてきたが、誰かの痛みを癒せたことなどない。ただ、裁きと、それがもたらす新たな恨みと、流れなくともよい血が流れるだけである。
斬って、殺して、半端に刺青の刻まれた手で人の涙を拭っても、その手にこびりついた汚れが人の涙に混じって跡になるだけ。これほどに虚しく、悲しいことがあろうか。
「この村にも悲しみや痛みがある。それを、知っているのですね」
サンシカは白い肌を笑ませ、眼を伏せた。
「わたしには、分からない。ただ、この子を預かってもらいに来た」
ムスビが、セキトウを見上げる。
「あなた、名は?」
「ムスビ」
「そう。いい響きの名ね。あなたは、ここで暮らしたいと思う?」
ムスビは答えず、指をもじもじとさせた。やがて困ったように、
「お姉と、一緒にいたい」
と小さく答えた。それを聞いたサンシカは袖を口にして笑い、優しげな声でムスビを包んだ。
「そうですか。無理にとは言いませんよ。とりあえず、今夜はこの村でお休みなさい。住み手のいない小屋なら、たくさんあります。明日、ほかの子らがどのようにして過ごしているのか、ご覧なさい。そして、どうするのか決めればいいではありませんか」
直ちに選択をし、決断をしなくともよいと分かり、ムスビは安堵して頷いた。
「今から日が暮れるまででも、少し村の様子を見させてもらったらどうだ」
セキトウが促すが、ムスビは腰を上げようとしない。
「わたしは、サンシカと話をする」
と重ねて言い、ようやく腰を上げさせた。
「どんなことをしてでも、子らを育ててゆかなければならない。彼らはやがて大人になり、他の人々と繋がりを持ち、人に与えることができる人となる。彼らが、この暗い世を明るくしてくれる」
二人になって、サンシカは声の色をやや変えてセキトウに向かって言った。
「心も魂も南の者にくれてやっても、子のためなら惜しくないということですか。身体を悪くするほどに」
「やはり、見抜いていましたか」
悲しげにサンシカは笑い、首筋に手をやった。さきほどセキトウが視線をやったそこには、赤っぽい痣が刻まれていた。
「あなたにはまだ刺青はないようですが、女同士。隠すことはできぬものですね」
「そうまでして、子を守る。わたしには、とてもできることではない」
サンシカは、南の者に、我が身体を捧げているのだ。新しい痣は、おそらく昨晩にも男たちがやって来たのだろう。
彼女を買う対価は、子らが口にする食い物。表向きは、子らの作ったものに対する対価となっているようだ。
「彼らの主人が死に、その若い子が後を継ぎました。その方はとてもお優しい方で、このあたりにいる南の者に、我々に決して乱暴なことはせぬようにと厳しく言いつけられました。だから、男たちは、子らの作ったものと食い物とを交換するという名目で、ここにやって来るのです」
そして夜通し、代わる代わるサンシカの身体を
サンシカの顔に濃く浮き出ている疲労の色は、そのせいであろう。病ではなく、眠っていないのだ。
「わたしの身など、どうでもよい。あの子らが、健やかでありさえすれば」
セキトウには、言葉もない。ただサンシカの美しい顔を傾きかけた陽が照らしているのを見つめるしかなかった。
日が暮れる前に食い物を振る舞われ、腹を満たし、セキトウとムスビはあてがわれた小屋に入った。
炉に焚いた火に、サンシカの言葉が浮かぶ。
「おれ、やっぱり、お姉について行きたい」
ムスビが、申し訳なさそうに言った。
「なぜ、わたしに」
会って間もないセキトウにこれほど懐く理由がない。ここにいて他の子らと共に暮らす方が、いいに決まっている。
「お姉と一緒なら、寂しくない」
「他の子と一緒の方が、寂しくないだろう」
「みんな、辛いことがあって、ここに来たんだろう。だけど、みんな、すごく幸せそうな顔をしている。おれは、そんな顔をして生きていくような気には、なれないんだ」
背負わずともよいものを、背負う必要はない。そう言おうかと思ったが、いずれ考えが変わるかもしれぬと思い、もう数日この村に滞在させてもらうようサンシカに頼んでみようと思った。
言葉は途切れ、狼が夜が更けゆくのを告げる。
小さくなった火の脇で、セキトウは寝息を立てている。その甘い香りと火の燃える匂いから、ムスビはそっと身を離した。
──サンシカは、眠ってしまっただろうか。そうだとしても、起こして、この村にはいられないと、ちゃんと言おう。
ムスビがそう思いながら土を踏んで駆けるのは、この年代特有の行動力だろうか。口は強く、威勢もいいが、いざとなると物怖じする。しかし、だからこそ、それに反発するような部分が芽生えているのかもしれない。
サンシカの家には、まだ灯りがあった。部屋を照らすための灯りであるから、ムスビはサンシカがまだ起きているものと思い、戸口を覗いた。
思わず、あっと声を上げた。彼が目にしたのは、男が丸裸になってサンシカの上に乗って腰を振り、サンシカがそれに応じるように腿を開いたり閉じたりしながら嬌声を上げる異様な光景であった。傍らにはもう一人別の男がいて、やはり全裸の状態でそれを眺めながら、自らの男のものをサンシカに握らせ、酒を食らっている。
声に気付いた、酒を食らっている男が立ち上がり、様子を見に来る。腰を振る男は夢中になっていてそれどころではない。
ムスビの頭は、真っ白になった。
母が、南の男に同じようなことをされていた。幼い日の記憶が、目の前にあった。母は泣き叫び、殴られ、やがて声すらも失ってぐったりとした。自分は、それがどういうことなのかすら分からず、ただ呆然と見ているしかなかった。
そのあとムスビを引き取って育てた叔父も、つい昨日死んだ。
ムスビは、天地の間に一人きりなのだ。この村の子らのように、それをどうにか忘れようとして幸せに暮らすことなど、できぬのだ。
なぜ、南の者は。なぜ、南の者は、このようなことをするのか。そう思うと、曇り空のような思考が、一気に破れた。
「なんだあ」
間の抜けた声を上げて、ムスビのいる戸外を窺いにくる男。その足音。
ムスビは夢中で叫び、戸を破るように開いて男に飛びかかった。
「うわっ、なんだ、こいつ」
男は尻餅をついて転び、ムスビを振りほどこうともがいた。サンシカにのしかかっていた男も身体を離し、何事かと立ち上がっている。
「よくも、よくも、よくも。よくも、お母を。お父を。よくも、村のみんなを。よくも、お前らは」
「くそっ」
男に激しく蹴り飛ばされ、ムスビは土に転がった。
「なんだ、この餓鬼。どうかしてるぜ」
男の一人が、床に転がしていた太刀を抜き、ムスビに向ける。
「おい、殿がうるさいぞ。俺たちがこんなことをしているのが露見したら、ただでは済むまい」
「うるせえ、てめえは、すっこんでろ!」
逆上した男が、ムスビに斬りかかる。
「やめて!」
咄嗟に目を閉じて作られた闇の中で、ムスビはサンシカの声を聴いた。そして、暖かな温もりが、自らを包むのを感じた。それはすぐに尻のみでは支えられぬほどの重みに変わり、また転がった。
目を開け、夜と火の世界に戻ったとき、ムスビは自分の目の前で血を流して転がるサンシカを見た。
その身を呈して、庇ったのだ。ムスビを。
「おい、お前、何てことを」
「うるせえ。この女が、勝手に飛び込んできたんだ。こうなっちゃ、仕方ねえ」
刃を握った男は目を血走らせ、ムスビに向かって再び振り上げた。
激しい音。同時に、また闇。刃で斬られれば、痛むのだろうか。しかし、ムスビに痛みはなかった。ただ、土のひんやりとした感触が尻と背にあり、自分の身体を濡らしたサンシカの血が冷えてゆくのを感じるのみだった。
閉じた瞼が、眩しいと感じた。人は死ねば、悪い者は地下の暗く、湿った世界で蛙になるという。善い者は、高い高い山の奥深くにある神の魂が暮らす国で、陽の光を浴びるという。
自分は、山の上に来たのだ。咄嗟にそう思った。
うっすら、目を開けた。
そこには、変わらぬ夜と火の世界があった。
眩しいと感じたのは、ムスビの前に身を低くして立ちはだかる影が握る光だった。
剣。それが、屋内から漏れる火を照り返し、夕の橙のように輝いているのだ。
「──お姉」
ムスビがそう呼ぶ神降ろしの女は、逆手に握ったクトネシリカで男の斬撃を受け止めている。
男がどれだけ押し込もうとしても、微動だにしない。まるで、大地に根を張る木の神のように。
ムスビの視界を覆うほそい背が、なにごとかを呟いている。
──歌?
それは、歌だった。
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