勝負の行方
ばすん。重くも軽快な音がして、的に矢が刺さった。僕はゆっくりと弓を前に回して、右手の小指と薬指で持っていた二本目の矢を再びつがえる。弓道場には静寂が広がっていた。
後ろからの視線を嫌でも感じた。けれど、その視線をプレッシャーだと思ってはいけないのだ。粗探しの視線ではなく、僕の技量を見極めようとする視線だからだ。そうは言っても、粗探しの視線に負けるようではこの先は暗い。
弓を一度高く持ち上げ、左手で押し出し、右手で引きながら矢を口元の高さまで降ろしていく。狙いを定めて、手を離した。紙を突き破る音。当たった。束中だ。
「上手くなった」
先生が言った。「だがまだ俺を気にしすぎだな」
「そりゃあ気にしますよ。怖いもん」
「後ろめたいのか?」
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ」
僕は口をつぐんだ。
「先輩がしゃべりましたか」
「いや、たまたま聞いてた」
「盗み聞きしたんですか!?」
「通りかかっただけだよ」
先生の口元は笑っていたけど、目は笑っていない。「お前は元々上手いよ。でも賭け事に弓道を使うのはどうなんだ」
「僕は、先輩に自分の腕を証明したいだけです」
矢取りに行かねばならない。僕は弓を立てかけると、サンダルを履いて的に向かって歩いて行った。
話は二週間前に遡る。事の発端は僕は弓道部に入る頃までに遡るんだけど、それを話し始めると長くって仕方がないから割愛する。二週間前、次の大会に出ることが決まった僕は先輩に告白をした。つまり「あなたが好きです、付き合ってください」と言ったのだ。
「お前が冗談言うなんて珍しいな。大会決まってハイになってんの?」
先輩はちょっと警戒したような、でもあんまり信じていないような態度で僕に返す。この学校は男子校だから、そういうこともなくもないのだ。僕だって最初はまさか学内で生徒に恋するなんて思ってなかった。気の迷いだって言う人は言うかも知れないけど、外の世界にいる外野に僕のこの気持ちがわかるものか。笑うときに細められた目と視線が合うときに胸が高鳴ったり、友達であろう男子とじゃれているのを見たときに嫉妬したり。そういう気持ちが当事者以外にわかるものか。
「冗談だって思いますか」
「だって……」
僕がそう問い返すと、先輩は目をそらした。僕が冗談でこんなことを言うだなんて、先輩だって思っていないんだ。「お前も他の連中に毒されたかなって」
「先輩、これでも冗談と思いますか?」
そう言って、僕は両手で先輩の顔を挟んだ。顔は近づけなかったけど、そのままじーっと目をのぞき込むと、先輩は面白いほどうろたえた。
「あ、いや、その……」
「僕は本気です。じゃあ、先輩、こうしましょう」
「うん……?」
「大会に出ることが決まりました。僕がそこで優勝したら付き合ってください」
戻ってくると、先生は「休憩にするぞ」と言って僕を手招きした。
「一つ訊きたいんだが」
「はい」
「あいつのことがなくても練習ここまでしたか?」
「しますよ。だって僕は弓道が好きだもん。本当は、付き合って貰えなくたって良い」
「そうなのか?」
先生は拍子抜けしたようだった。どうやら、僕が本当に自分の実力を使って勝てる勝負に出たと思っていたらしい。
「先輩が欲しいのは本当ですけど、でも先輩の心ここにあらずでデートしたって楽しくないじゃないですか」
最初は、本気で恋人の座を文字通り射止めるつもりだった。けれど、この二週間考えて、条件を満たしたから付き合いましょう、それで先輩は僕を好いてくれるのだろうか。そう思ったら段々虚しくなってしまって。
「大会が終わるまで、先輩が僕のことを悶々と考えてくれたら嬉しいじゃないですか」
「誰に毒されたんだお前は」
「えー? 大人の階段を上がったと言っていただきたいです……これでも高校二年生なんですから……四捨五入したらハタチですよ、ハタチ」
「そういう冗談、言うようになったんだな」
「うーん」
僕は首を傾げた。「弓だって上達するし、冗談だって上達するものじゃないですか? 先生はそう思いませんか?」
「あー、そうだな。悪かった。お前が正しいよ」
「ありがとうございます。それに、僕が大会で本気出して、先輩が惚れてくれたら全て丸く収まります」
「平和だな」
「それにこれ一回切りで二度と告白しないとは約束していません」
大会が終わるまで、先輩の興味を独占できたら、もしかした大会で優勝できなくてもチャンスはあるかもしれない。
「顧問としては複雑だよ。頑張って欲しいが、自分の優勝で賭けしてるんだからな」
「先生ごめんなさい」
僕だって本当は弓道を道具に使いたくなんかない。でも、先輩には僕が一番頑張っているところを見て欲しい。
「まあ、せいぜい頑張れよ」
「はい」
僕は笑った。最近ちょっとずつ笑う機会が増えていくのは、間違いなくここの弓道部のおかげなんだと思っている。
*******
「せ、先生……」
二週間前。あいつが俺のところにやってきたのは、テストの採点で残っていたときのこと。大会のメンバーが決まって、練習時間も少し延びる。テストの採点はとっとと終わらせないといけない。
「なんだ、まだ帰ってなかったのか」
「他に誰かいますか」
「いないけど」
俺がそう言うと、あいつは俺のところまでまっすぐ駆けてきて抱きついてきた。震えている。
「どうした?」
「お、俺……こ、告白されちゃって……先生のこと言えなくって……でも優勝したら付き合ってって言われて…」
そうして奴はことの顛末を語った。一つ下の後輩に交際を求められたこと。大会で勝ったら付き合って欲しいと言われたこと、俺とのことを言うわけにもいかずにそれを承諾してしまったこと。どうしよう、と奴は怯えた。俺とのことが明るみに出たら俺が首になると思っている。
そうは言っても、俺もこいつと付き合っているわけではない。ただ「先生が好きです。俺が卒業したときに、先生に恋人がいなかったら俺と付き合ってください」そう言われただけ。卑怯な大人はそれに「良いよ」と答えた。もとより応えるつもりなんてない。卒業すれば新生活の期待で俺のことなんて忘れるだろうし、忘れてなかったとしても架空の彼女でもでっち上げればこっちのものだ。
その筈だった。
その筈だったのに、俺はあろうことかこいつに告白した奴がいること自体にひどく嫌な気持ちになった。嫉妬した。小心でお人好しのこいつが断り切れなかったのもよくわかる。
「誰にも言うなよ」
教員としてあるまじきことだ。それでも心なんて見えないものをつなぎ止めるために。
俺はこいつにキスをした。
勝負と心の行方はわからない。それ以上のことをしない内に奴を帰してから、俺は三年生の卒業までの日数を数え始めた。
Trojan Horse 目箒 @mebouki0907
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