第16話 プロイセン
ボクの荒い息が、森の中にこだました。
乱れた息遣いを打ち消すように、強烈な破裂音と太鼓の音が前方から届いた。
戦闘は既に始まっている。
森の最果てに辿り着くと同時に、敵の軍勢が見えた。
軍蟲は部隊を複数に分けて、波状攻撃を行っているようだった。遥か前方から隊列の整った集団が進軍してくる。
敵は、縦列を敷いている。
ラウネシアの森に対して、迂回するよう斜めに進行していた。
投射能力の低い領域を探る為、進行方向を変更したのだろうか。
しかし森までの進軍距離が伸びるため、その被害は増大していく。
完全な捨て駒、と判断する。
やはり、敵の司令官は冷徹だ。
威力偵察のためにこれだけの大部隊を犠牲にしようとしている。
時間とともに、敵の部隊が半壊していく。
それでも瓦解はしない。
未だ軍としての機能を見せている。
種族的な習性だろうか。
あるいは強い暴力的な統制を行っているのか。
不意に、敵の部隊が停止する。
そして、次の瞬間、全ての軍蟲が一斉に横へ向きを変えた。
縦列が一瞬にして横列になる。
その瞬間、ボクの背筋を冷たいものが走った。
かつてプロイセン軍が用いた兵法。
ボクは、それを知っていた。
かつて、由香から聞いたことがあった。
彼女は軍事学にも興味を抱いていて、いくつかの事例をボクに聞かせてみせたことがあった。
「ほら、カナメ。こうすることで隊形移動に要する時間が一瞬にしてゼロになった。つまり、機動能力と戦闘能力の交換に対してのコストがゼロになったということ。プロイセン軍はこれを用いてオーストリア軍と戦った。機動能力と戦闘能力の交換は、これを以ってますます複雑に変化していくことになる」
正確に言えば、彼女が興味を抱いていたのは軍事学ではなく、より大きな軍政学だった。
あらゆる支配の形態を、彼女は貪欲に吸収しようとしていた。
人が人を支配するという構造。
その根源性は、彼女にとって大きな関心の的になっていた。
「私たちは生まれながらに支配を受け、それを受け入れている。それは一体何故だと思う?」
「飴と鞭じゃないかな。生存が難しい幼少期の保護という利益を受け入れた以上、多くの人たちは法の支配を肯定するようになる」
「それもあるだろう。だが、支配の根底にあるものは学習性無力感じゃないかと私は思うんだ」
彼女はそう言って、薄い笑みを浮かべた。
「例えば、クラスの橋田くん。彼はいじめを受けている。哀れな彼は数発殴られれば財布の中身を簡単に差し出してしまう。親や警察、教師に相談すれば解決する事なのに、その境遇を受け入れてしまっている。自らの無力感を学習した結果、彼は抵抗を放棄してその支配を受け入れしまった。いじめが始まったのは僅か数ヶ月前だ。その短期間で、暴力は彼に十分な無力感を学習させた」
支配とは、と由香は言葉を続けた。
「支配とは暴力だ。その根底には必ず暴力があり、建前でうまく覆い隠しているだけに過ぎない。法の保護という枠組みが私達を守る代わりに、私達は暴力に弱くなった。私達は法の支配の裏に潜む、圧倒的暴力に屈服している」
ボクは黙って彼女の言葉を聞いていた。
「ここでいう圧倒的暴力というものは、つまり警察力だ。彼らはこの国で唯一、他人を制圧する権利を有している。そして司法は唯一、人を殺す権利を有している。私達は法の保護によって弱くなり、法の支配という暴力に無力感を学習している。国家という枠組みに逆らっても意味はない、と支配を当然のように受け入れてしまった」
彼女の声に熱が籠もっていく。
「そして、暴力に弱くなったのは私達だけじゃない。支配が完全に機能した現代において、国家そのものが暴力に弱くなっているのは間違いない」
だから、と由香の目がボクを見た。
昏い瞳の奥には、いつもの破壊衝動が蠢いている。
「私たちでもきっと、これを転覆するのは可能なんだ」
ラウネシアが保有するこの投射量に対して、その兵法は適していない。
走破すべき距離が伸びた事により、砲撃を受ける時間が伸びている。
あの部隊はきっと、この森まで辿りつけない。
敵のとったこの戦術は、この戦場に合っていない。
それが、ボクに甚大な恐怖心を与えた。
この戦場には、まるで合わない戦術。
何故、そこに辿り着いた。
あるいは、何故、それを知っていた?
はたまた、こう言うべきなのか。
――何故、それを選択した?
溢れ出すボクの思考を押し流すように、敵の部隊が壊滅に向かう。
そして、その部隊を殲滅する前に、遥か後方に控えていた敵の部隊が新たに動き出す。
縦列ではない。
いや、縦列を組み合わせた集団。
それは、先程のように直進しなかった。
何度も方向転換を行い、複雑なルートを辿って迫ってくる。
それはまるで、縦陣の柔軟性を試しているように見えた。
実験的な運用か、と考えた時、敵の損耗があまりにも少ない事に気づいた。
改めて敵のルートを見直し、戦慄する。
――稜線だ。
緩やかな起伏が存在するこの赤い大地の中、地形的に砲撃が届きづらい稜線の影を彼らは器用に進軍していた。
先ほど見せた縦陣と横陣の交換を効果的に行い、本来受けるべきだった方向転換時の損害を大きく回避している。
これは――
思考が追いつく前に、敵の後方から何かが飛び立つのが見えた。
飛行生物だ。
高く飛び立ったそれは、この戦場を静かに見下ろしていた。
注意が逸れると同時に、地上で更なる後続部隊が出てくる。
本陣と思われるそれは、壮烈な太鼓の音と共に進軍を開始した。
対抗するように、ラウネシアの砲撃が加速する。
砲撃によって次々と大地がめくれ上がる中、砂塵の中から軍蟲の咆哮が響き渡った。
敵の総数は、前回の侵攻と比べれば少ない。
部隊を分け、前半を無駄に消耗した為、残った敵の数自体は恐れるものではない。
しかし、前回のそれを凌駕する勢いで、敵の軍勢が森に迫っていた。
嫌な汗が背中を伝った。
軍蟲の戦闘教義の改良が早すぎる。
まだ何か、隠し玉があるかもしれなかった。
気がつけば、ボクは踵を返していた。
防御陣地の中、戦闘能力の高い樹木の集団を見つけると、その中で比較的無害な樹木の上に急いで登る。
ある程度の高さまで登ると、ボクは上空を注視した。
飛行生物は相応の高度を維持し、戦場を観察するように滞空している。
以前の侵攻時にはいなかった存在だった。
「ラウネシア!」
どこかの点在樹に届くことを願って、叫ぶ。
「侵攻期間の急激な変化。そして、戦術の急速な変化。敵の将軍、あるいは王に匹敵する何かが交代したと思われます」
『そうかもしれません』
近くに点在樹があったらしい。ラウネシアの返答が届く。
ボクは少し迷った後、言葉を続けた。
「ラウネシアの圧倒的火砲に対して、見合わない戦闘教義への到達。それは実験的な運用にも見えました。そして、予め用意されていた飛躍した応用手法。これは、何十世代によって改良されていくべき兵法であって、本来はありえない最適化です。この最適化は、予めその流れを知っている者でしか不可能です。そして、ボクはこれらの流れと、その先を知っています」
ラウネシアは、何も言わなかった。
多分、ラウネシアはこの先の言葉を既に予想しているだろう。
しかし、それが意味する本当のところを想像することが出来ないに違いない。
「敵の新たな将軍、あるいは王。それは、別世界から来た迷い人の可能性が極めて高いです」
そして、敵方についた迷い人はボクが知っている二十世紀最悪の戦争形態を既に経験し、知識として保有している可能性が高い。
ラウネシアの持つ圧倒的投射量は、その最悪の戦争形態に於いて無力化されてしまうことも、ラウネシアは想像できないに違いない。
恐らくはもう、敵はこの紛争に対する最適解に達してしまったと考えるべきだ。
そして何より恐ろしいのは、敵の指揮官が持つ実行能力。
ボクは知識として、それらの戦闘教義、戦闘形態を知っていた。
しかし、敵は実際にこの手で運用してみせた。恐ろしいほどまでに最適化してみせた。
その違いは、あまりにも大きい。
『迷い人。結構。しかし軍蟲というものは、食う生き物なのですよ。あの大地がある以上、軍蟲は地平線の彼方から進軍し、私の砲撃に耐える必要があります。戦術といった小手先の技術でこれを突破する術はありません』
ラウネシアはまだ、この戦争の概念を誤解している。
戦争は日々進化し、やがて手に負えない化け物になることを、ラウネシアは知らない。
頭上の飛行生物に、動きがあった。
蜻蛉の背中に跨る影が、ワイヤーのような何かを振り回すのが見えた。
直後、ワイヤーから黒い物体が投擲される。
強い遠心力を得たそれは、放物線を描いてこの森に落下してくる。
「あれは――」
飛翔物が、燃えているのが見えた。
紛れもない焼夷弾だった。
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