第30話 滋賀への侵攻

半年近い長い準備期間を経て、「連盟」は西日本への侵攻を開始した。


先陣を切って、北アルプス部隊の装甲車36台が、福井県の敦賀市から日本海に面した国道を西に向かい、若狭湾から、京都府北部の舞鶴市方面に向かっていた。装甲車部隊はP国軍の注意を引き付けるかのように、晴れ上がった日本海沿いの国道を堂々と、長い隊列を組んで走行していく。ワタルとオダが中型トラックで走ったのと同様の陽動作戦だが、今回は規模が違う。次々と来襲するP国軍機を、レーザー銃の一斉射撃で楽々と破壊しながら、京都府の天橋立方面を西へ西へと快調に走行していく。


その頃、浅間山部隊の装甲車54台も、岐阜県の大垣市を出発し、関ケ原インターチェンジから国道を通って滋賀県に入り、西に琵琶湖を、東に東海道新幹線の橋脚を見ながら、米原市、彦根市の滋賀県南部へと進出していく。琵琶湖に架かる琵琶湖大橋は破壊され、土台の鉄骨部分だけが静かな湖に突き刺さっている。この辺りの街中に人影はなく静まり返っている。P国軍は岐阜侵攻が連盟の反撃で失敗した後、連盟との接触を避けるため、日本人住民をどこかへ移動させたらしい。浅間山部隊の後方から、榛名山部隊の装甲車36台が、補給車両を従えて続いていく。浅間山部隊の装甲車部隊54台は、速度を上げて琵琶湖南岸の大津市に入り、国道一号線に架かる瀬田川大橋付近に差し掛かった。この橋を渡れば京都は目の前だ。


その時だった。予想通り、あの「日本忠誠軍」が姿を現した。五千人以上の数で瀬田の大橋の上を隊列を組んで進んでくる。P国により洗脳された日本人の青少年達だ。例によって白地に赤い日の丸をデザインしたヘルメットをかぶり、大きな日の丸の旗を掲げて、喊声を上げて、連盟の装甲車部隊に向かって突進してくる。中には自暴自棄の様子で、万歳を叫んでいる者もいる。


ここで、連盟側は隠していた秘策を出した。装甲車部隊の後方に控えていたトラック群から、P国軍側の「日本忠誠軍」と同じ服装、白地に赤い日の丸をデザインしたヘルメットをかぶった兵達が、次々と降りてきて、装甲部隊の前面に整列した。その数五千人、飛騨川決戦で連盟側が収容した「日本忠誠軍」を半年をかけてP国の洗脳を解き、連盟側に協力するように訓練してきた日本人の青少年達が出動したのだ。こちらの「日本忠誠軍」の青少年達は武器を持たずに、緊張した真剣な表情で、P国軍側の「日本忠誠軍」を出迎えるように、歩いていく。


橋の向こうの敵方から、自分達と同じ服装、白地に赤い日の丸をデザインしたヘルメットをかぶった兵達が、出現したのを見て、P国軍側の「日本忠誠軍」は驚き、突撃を停止した。連盟側の「日本忠誠軍」は、橋の上で立ち止まっている「日本忠誠軍」に近づいてゆき、声をかける。

「おーい、日本忠誠軍のみんな!俺たちは同じ日本人だ!戦うのはやめよう!」

「こっちにいるのは、東日本の日本人だ!俺たちを助けてくれる!」

「こっちに来い!俺たちと一緒にP国と戦おう!」


P国軍側の「日本忠誠軍」は声もなく立ち止まっていた。岐阜県で戦った「日本忠誠軍」の仲間達はみんな殺されたと、P国軍から知らされていたからだ。それが、生きていて、「こっちへ来い!」と言っている。何と理解して良いか分からず、ただ茫然としていた。


その時P国軍の監視兵が連盟側の「日本忠誠軍」へ向かって銃を撃ってきた。数人が倒される。それでも連盟側の「日本忠誠軍」は、P国軍側の「日本忠誠軍」に向かって呼びかけを続けた。

「いま撃ったのはP国人だ!俺たち日本人は、日本人を撃たない!」

「俺たちと一緒にP国人と戦おう!」

「P国人を日本から追い出そう!」


やがてP国軍側の「日本忠誠軍」に動きが出た。中に紛れ込んでいたP国軍の監視兵が袋叩きにあい、P国軍側の「日本忠誠軍」の一部が連盟側に逃げ込み始めた。

それに気づいたP国軍は後方から、連盟側に逃げ込む「日本忠誠軍」に砲弾を浴びせ始めた。すぐさま、連盟の装甲車群が反応し、砲撃を発射した地点に一発のロケット弾が発射された。P国軍の展開していた地域は大爆発の後、沈黙した。


連盟側の「日本忠誠軍」は、投降してきた「日本忠誠軍」の青少年達を温かく出迎え、顔見知りや後輩で旧知の者も多く、「元気だったか?」「大丈夫だよ!」の声が飛びかい、その場はすぐに同窓会のような打ち解けた雰囲気になった。投降してきた「日本忠誠軍」の青少年達は戸惑いながらも笑顔を浮かべるようになった。



浅間山部隊の装甲車群は、投降し合流した「日本忠誠軍」を後方の榛名山部隊に託し、すぐさま瀬田川大橋を渡り、国道一号線をP国軍の待ち構える京都へと出発する。


京都は核ミサイルの被害を受けなかったが、日本海側からP国軍上陸の情報を聞き、京都の人々は脱出を試み、核ミサイルで壊滅した大阪神戸方面を避け、多くの人が日本を脱出しようと、神奈川県の横須賀米軍基地を目指し東へ向かった。しかし、京都から離れがたく思い、残った人たちもいた。そしてP国軍の進駐以降、京都はP国軍の幹部の観光地、歓楽街、高級リゾート地となっていた。P国軍幹部たちの別荘が建ち並び、P国軍の幹部兵士たちが利用するホテル・旅館が多数あった。P国やC国からの要人も度々、京都の寺社仏閣、観光地の景観と日本人による接待を楽しんでいた。その京都へ連盟の部隊が侵入する事に対し、P国軍が頑強に抵抗するであろう事は予想がついた。


連盟の装甲車部隊は国道一号線沿いに京都へと進行していったが、京都の手前の山科の地で、待ち伏せたP国軍の大部隊から本格的な洗礼を受けた。P国軍は、北の比叡山・大文字山、南の音羽山の洞窟陣地から大規模な総攻撃を開始してきた。連盟の装甲車部隊の周囲は、P国軍から大量に発射された砲弾とミサイルの着弾で、爆音と土煙で包まれる凄まじい状況となった。


P国軍の攻撃で、連盟の装甲車群は、百メートルの間隔をあけ、数列に分かれて大きく散開していたにもかかわらず、十台近い損害を出した。すぐさま連盟側の反撃が始まり、飛距離の長いロケット弾が、次々と白い滝のような煙を残して北方向に発射される。ロケット弾が撃ち込まれた山肌が黒くなり、P国軍の反撃が沈黙していく。


数時間かけてP国軍を制圧した浅間山部隊の装甲車群は更に、東海道沿いの国道を西へ進んでいく。北方からP国軍機数十機の大編隊が飛来し、連盟の装甲車に次々とミサイルを放ち始めた。数台が破壊されたが、すぐさま連盟側の訓練を重ねたレーザー銃数十台の狙い撃ちを浴びて、P国軍機は大半が撃墜され、残りは北方へ飛び去った。


浅間山部隊の装甲車群は、一刻の猶予もせず、被害を受けた隊員の治療、破壊された装甲車の処理を後方部隊に任せ、京都市街を目指して走行を続けた。

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