第26話 占領地


 「連盟」とC国政府との会談が行われ、事実上の平和協定が結ばれた結果、本州東部はC国人約二百万人と日本人約二千万人の協調体制となり、争いもなく平和で安定した状態となっていた。C国軍は日本海沿岸の福井・石川・富山・新潟・山形・秋田方面を実効支配し、連盟は岐阜・長野・山梨・群馬・栃木・福島・宮城・岩手を拠点として活動し、双方が武力を行使せず、双方への行き来と経済活動を保証するという協定は双方の利益に合致したものとなった。


本州奪還連盟の隊員達を中心にした、日本人住民が自ら武器を持つ運動は広がり続け、米軍から供与された10万丁を越える銃は、関東中部地方だけでなく、東北地方そして日本政府が管轄している北海道・九州にも広がっていった。十年前、P国軍が侵入した時に、武器を持たないがゆえにP国軍に一方的に襲撃殺戮された経験を持つ日本人住民は、銃を持つ事を強く支持し、その運動は広がり続けた。


日本人住民が武器を持ち始めたという事実は、C国軍の日本人に対する態度に少なからず変化を与えた。行政、経済組織の上層部がC国人で占められている事に変化はなかったが、強圧的姿勢では日本人を統治できない事を認識し、日本人住民をある程度、対等の国民として認め、それを利用してC国の権益を維持するという方針となった。日本人住民を代表する連盟とC国の会談は度々行われ、その友好的な内容がニュースとして世界に発信されるようになった。テレビでは、日本人とC国人の共演する「愛の新生活」とかいう題名のドラマが放映された。内容は、生きる目的をなくした哀れな日本人男性をC国人の美女が救い、ともに東海人民共和国のために働くというありえない設定だった。このドラマは「C国は日本を救うために東海人民共和国を造った。日本人もそれに感謝している」というC国を賛美する内容で、C国本国では大人気となった。



その一方、西日本では全く違う状況で、P国人五百万人による、日本人住民千五百万人への非人道的な恐怖支配が続いていた。その状況は、これ迄も西日本からの避難民によって伝えられており、広く知られる事となっていた。西日本のすべての日本人住民はP国人の命令に無条件に従う奴隷状態となっていた。


日本人住民は常に過去のP国に対する加害の歴史についての謝罪が要求され、大人から子供までP国人に土下座を強要される事も珍しい事ではなかった。その「罪」を償うため、15歳以上60歳以下の日本人は男女を問わず、「自発的に」P国に奉仕する労働組織に入隊し、農作業や土木建築作業、工場勤務等に従事し、P国人に感謝しつつ労働奉仕をする事になった。拒否する者は強制収容所に送られ、多くが空腹と絶望のなかで息絶えた。


とくにP国軍の管理下にある西日本の小・中学校の様子は尋常ではなかった。生徒達は毎朝、木造の寄宿舎から隊列を組み、膝を曲げずにまっすぐ足をあげる奇妙な様子で行進をして学校に向かう。学校では、過去の日本のP国に対する加害の歴史を学び、現在のP国の支配に感謝し忠誠を誓う授業を受け、P国の指導者を称える教科書を大声で朗読し、P国の指導者を称える歌を笑顔で合唱し、反P国分子との戦いに備えて軍事教練を行った。生徒達は校外活動として、大人達が働く労働組織や老人しか残っていない日本人住民の家々を訪問し、P国への忠誠を宣伝し、P国に反感を持つ日本人住民を捜し出し、P国軍に通報した。逮捕された大人や老人達は強制収容所に連行され、ある者は生徒達の目の前で公開処刑された。


この状況は、P国軍が主に進駐する島根・鳥取・兵庫北部・京都・滋賀だけでなく、それ以南の、核ミサイルによる被害で廃墟となった都市地域、広島・岡山・神戸・大阪の周辺部や、近畿南部、瀬戸内海を渡った四国でも同様だった。核ミサイルによる放射能汚染の被害がなかった四国は日本人住民の献身的な労働により完全農地化され、農産物の大収穫地となり、P国の食糧事情を大幅に改善させた。


このP国支配下の西日本の日本人住民の状況について、「連盟」は以前から認識しており、対策に苦慮していた。十年前P国軍が日本海沿岸に上陸した際の残忍なやり口を考えれば、それらは充分に考えられる状況であり、現実に起こっていると考えざるを得なかった。連盟は以前から、武器弾薬が不足する中、秘密裏に隊員を送り込み、P国支配下の西日本の人々の脱出を援助し保護する活動を続けてきた。


そして米軍からの武器供与が行われるようになったこの時点で、連盟は隊員達を派遣して、西日本の日本人住民に武器を供与する事を開始していた。銃を手にした老人達はP国の支配に反抗する気配を見せ始めた。その動きを察知したP国は、銃が東日本から持ち込まれる事を、アメリカとその手先のテロリスト集団による侵略陰謀であると非難し、日本人が銃を持つ事を厳しく禁止し摘発を始めた。P国は、日本人住民を対象に「武器狩り」を始め、銃を持っていると疑われた老人たちを逮捕し、反乱分子として公開処刑した。


この状況に対し、連盟はついにP国支配下に武装部隊を潜入させ、P国から日本人住民を救出する作戦を開始した。

滋賀県東部彦根市では、連盟の北アルプス部隊の二十人の隊員が二台の装甲車と共に、夜間に、日本人住民の協力者と共に小中学生の寄宿舎に立ち入った。隊員たちは子供たちに「希望者はP国軍のいない東日本の安全な地域に移送する」と伝えた。子供たちは、最初は連盟の隊員達に驚き、P国軍に通報しようとする動きも見せたが、最後には丁寧な説得に心を開き、約9割の生徒が寄宿舎を脱出し東日本の連盟の施設に行く事を了承した。約百名の子供たちとその家族を用意したバスに乗せ、前後を装甲車で護衛し、国道21号線を東へ向かった。

暫くすると、後方からP国軍の車輛が現れ、「バスとまれ!」と妙な日本語でがなり立てながら追跡してきた。すぐに、連盟の装甲車のレーザー銃がP国軍車輛の内部に発射され、P国軍の乗員達が倒れ、車輛は暴走し路肩で大破した。岐阜県との県境でも、P国軍警備隊と交戦状態となったが撃破し、なんとか小中学校の生徒数百人を奪還し東日本へと移送する事に成功した。


この作戦で、連盟の部隊は、福井県・滋賀県・三重県などの各所に侵入し、数千人の生徒とその家族の救出に成功した。


P国軍は、この連盟による日本人生徒救出を、「東日本の狂信的日本人テロ組織による人民の拉致」と強く非難し、軍事攻撃でテロ組織を壊滅させる事を宣言した。


連盟とP国軍の対立は危険な状況に達し、本格的な軍事衝突が目前に迫っていた。

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