終章 残侠の世界

一節 コータロ・ヴァイオレットの取材ノート

「お酒に酔ったツクシは、この窓から――ゴルゴダ酒場宿二階から見える夜のペクトクラシュ河南大橋をよく眺めてた。わたしは、そうしている彼の背中を眺めてた――」

 クジョー・ユキ氏はそういった。

「私は今、クジョー・ツクシと同じ光景を見ているのだ」

 私はその窓際で声に出してまで想いを馳せた。クジョー・ツクシがこの貸し部屋で生活していた頃、窓の下にあるゴルゴダ十三番区交差点は馬車が行き交っていた。今現在、大通りを埋めて(大渋滞である――)ているのは、導式機関の熱を利用した蒸気自動車や公営の二階建て蒸気バスだ。前の車を急かす汽笛がポウポウと実にうるさい。

 興をそがれた私は貸し部屋の机に戻って原稿の推敲を再開した。何頁になるものなのか、膨大な量になってしまった原稿の束――これは半年後に首都の小さな出版社から発売される予定の私の著作『流離さすらいのサムライ・ナイト』の原稿だ。ここ数年、私は原稿の推敲をしつつ、足りない取材や資料、もしくは霊感インスピレーションを補うため、ゴルゴダ酒場宿に泊まるのが休日の習慣になっている。

 カントレイア世界、第五文明期。

 タラリオン共和国の首都ユリア=タラリオン。

 十三番区ゴルゴダのゴルゴダ酒場宿。

 その二階の貸し部屋。

 帝歴一〇四一年、焔竜月の十五日。

 天気は快晴。

 導式計算機に表示された予想日中最高気温は――三十五度。

 季節はどこを見てもまさしく真夏――。


 まずは、この奇妙奇天烈な英雄譚を記した『流離いのサムライ・ナイト』の著作者であるこの私自身の話から始める。

 卓の上には原稿の束と一緒にウィシュキの瓶が一本置いてある。先だって『トニー&ジョナタン・ワールド・リカー・カンパニー』の創業者の一人、トニー・アントニオ氏へ、取材協力の旨を手紙で伝えたところ、書簡による丁寧な返事と一緒にこの酒が送られてきた。このトニー氏もジョナタン氏もカントレイアの歴史から名を消された漆黒の英雄――クジョー・ツクシと関わりが深い人物だ。

 直接面会をして取材したかったのだが、しかし、トニー氏は現在、コテラ・ティモトゥレ首長国連邦の租借地にある南都ポート・タラリオン(※旧タラリオン新都。戦後、グリフォニア大陸にあったタラリオン王都は、タラリオン王国が共和制に以降した際、ユリア=タラリオンと名称を変えて復興されたので、いささか表記がわかり辛くなる)を拠点に実業家として多忙な毎日を送っている。この私は戦後に復旧されたタラリオン共和国の首都ユリア=タラリオンで働いている一介の行政員だ。

 現在は導熱を利用した蒸気機関車がカントレイアの南北大陸を横断している。大陸間の旅行もひと昔前に比べれば身近になった。しかし、あくまで行政員と兼業作家である私は遠出をするまとまった休暇を取れないし、高額の旅費の捻出も難しい。まだまだ大陸間横断鉄道の切符は庶民にとって高嶺の花なのだ。それゆえ、たいていの取材を書簡のやり取りで行うという手段に頼らざるを得なかった。むろん、これは執筆者――私としてははなはだ不本意な資料の収集方法であるのだが、私を取り巻く環境が私の不本意を本意とすることを許してくれず――ともあれ、トニー氏の好意で送られてきた机上のウィシュキに話を戻す。

 銘柄は『ヤマダ・エピック・カスク・二十八年』。

 このウイシュキは、カントレイア世界でも屈指の酒造販売会社トニー&ジョナタン・ワールド・リカー・カンパニーが取り扱う数々のウイシュキ銘柄のなかで、最高級品になる商品だ。この超高級ウィシュキの正面ラベルには黒ぶち眼鏡をかけて苦笑いを浮かべる中年男の肖像画が大きくデザインされている。この眼鏡の彼がこそが私の実父のヤマダ・コータロになる。

 私の実父は、トニー&ジョナタン・ワールド・リカー・カンパニーの前身になったボルドン酒店の共同経営者だった。先の大戦中、ボルドン酒店の経営者だったボルドン・バルハウス氏の急逝(ボルドン氏は筋肉自慢で有名なドワーフ族にも関わらず随分な肥満体であったらしい。死因は生活習慣に起因する脳溢血だとのこと――)で、トニー氏とジョナタン氏がボルドン酒店の経営を受け継いだ。以後、ボルドン酒店の共同経営者となったトニー氏とジョナタン氏は会社を順調に成長させて、のちに社名を『トニー&ジョナタン・ワールド・リカー・カンパニー』へ変更。手元の分厚い冊子――『トニー&ジョナタン・ワールド・リカー・カンパニー社史』には、そんな内容が記されている。

 少々、話が逸れてしまった。

 この私――コータロ・ヴァイオレットは、ヤマダ・コータロとミシャ・ヴァオレットの間に誕生した息子である。魔帝軍の侵攻を受けた際、王都から南の新都ポート・タラリオンへ戦乱を逃れて移住した私の母――ミシャ・ヴァイオレットは、そこで私を産んで、「コータロ」という実父と同じ名前を与えた。産後、元よりあった心臓の病気を悪化させ実母は早くに亡くなった。実母が亡くなったのは、私がちょうど満一歳になった頃だ。よって実父の顔も実母の顔も私の記憶にない。

 南都ポート・タラリオンで孤児となった私を育てたのは実母の妹――私にとっては叔母にあたるローザ・ヴァイオレットだ。私は生涯に渡っても感謝しきれないほどの愛情を彼女から受けた。私にとってのローザは実母であり実母以上の存在といい切れる。もっとも私が、戯れに「偉大なる母グレート・マンマ」と叔母を呼ぶと、そう呼ばれた彼女のほうは「おばあちゃんグランマ」みたいな呼び方をするなと怒って機嫌を悪くする。叔母は年齢よりずっと若く見える美貌の女性なのだ。

 ともあれ、二人目の母親の愛情と援助を一身に受けた私は南都ポート・タラリオンでタラリオン南方総合学会へ通って大学部まで卒業した。卒業後の私はタラリオン王国の行政員を志し、中央行政員一級試験を受けこれに合格。当時のタラリオン王国史編纂事業部(現在では、政治制度と国名の変更によって、タラリオン共和国史編纂事業部と部署名が変更された)への配属を希望し歴史編纂研究員の職を得た。今も私はその職にいる。

 私が大学生時代に専攻していたのは先代文明史だ。先代文明史を専攻した理由は、幼い頃より叔母から聞かされていた奇妙な経歴を持つ私の父ヤマダ・コータロの逸話。それに私の実父と深く関わっていた謎の剣士クジョー・ツクシにまつわる英雄譚に興味を抱いていたからだった。そして、私は学んでいくうちに歴史を次の世代へ伝える仕事に意義と希望を見出して歴史編纂研究員を志すようになった。事実、私が学生を卒業した時代は希望の時代の幕開けでもあった。

 帝歴一〇三三年、焔竜月の十五日。

 今から八年前の今日と同じ日になる。

 読者諸君も周知の通りだと思う。暴虐の魔帝エンネアデス・ヨイッチ=ハガルは斃れ、魔賢帝の第八王子――現魔帝ローランド・ヨイッチ=ウィンが魔帝国の帝都チェルノボーグへ凱旋帰国を果たし、カントレイア世界全土を絶え間なく戦火と悲劇に包んでいた第二次魔帝大戦は終わりを告げた。同じ年、グリフォニア大陸の領土を取り戻したタラリオン王国は二度目の遷都を決行した。タラリオン王国の遷都先はむろん、このタラリオン王都だ。それと同時に政治体制の移行も実施され、タラリオン王国ではなく、タラリオン共和国行政員になった私は新たな首都への転属が決まった。だからといって南都ポート・タラリオンが廃都になったわけではない。南都は今も海路の中継地点として遷都以前の賑やかさと豊かさを保っている。

 私が共和国首都ユリア=タラリオンへ住居を移したのは今から四年前だ。まだその頃の首都は戦乱の傷跡が多く残り、解放労奴が多かった都民は日々食べるものにも事欠いていった。しかし、圧政から解放されたひとびとには活力と熱があった。苦しい日々のなかでも明日への希望あるなしで生産性はまるで違ったものになる。政府と民間の熱心な努力もあり復興は着々と進んでいった。

 あの頃の私は歴史編纂行政員として日々の糧を得つつ、休日はもっぱら首都に残る古い街並みを散策して過ごしていた。新たなインフラ設備――巨大なビルディングだの、蒸気自動車が何台も通れる舗装道路だの鉄道だの、上下水道だの導式通信設備だの――とにかく新しい技術が王都の古い街並みを塗り潰そうと躍起になっていた時期だった。私は私のルーツが消え去る前にそれを探しだそうと考えたのだ。この『私のルーツ』とは叔母が語ったクジョー・ツクシとその仲間の奇妙な英雄譚のことになる。

 しかし、私は本音のところ半信半疑でもあった。私の叔母はお喋りに尾ひれをつける癖がある。私は私自身を「叔母の私生児ではないのか?」と訝っていた。私は背丈格好も顔も叔母とよく似ている。叔母は性に関して奔放でもあった。だから、そうであっても不思議ではない。まあ、仮にそうであったとしても私が叔母を恨むだとか、そういうことはないと思うが――。

 しかし、私が持っていた私の出自に関する疑念はゴルゴダ墓場で呆気なく瓦解した。

 墓標には歴史に名を残さなかった英雄たちの名が確かに刻まれていたのだ。

 チムール・ヴィノクラトフ。

 ヤーコフ・ヴィノクラトフ。

 リカルド・フォン・アウフシュナイダー。

 ニーナ・フォン・アウフシュナイダー。

 劉華雨。

 黄小芯。

 フィージャ・アナヘルズ。

 そして、私の実父の墓――。

『ニホンジン、ヤマダ・コータロ、此処に眠る』

 そのときの私は驚きや感動を通り越して茫然とするばかりだった。ゴルゴダ墓場に隣接する元ネスト管理省敷地には伝説の異形の巣――荒ぶるグリフォンの大坑道も確かに存在していた。コテラ・ティモトゥレ首長国連邦の領土まで続くその大地下道は、今現在もタラリオン共和国軍の厳重な管理下にある。残念ながら、そのなかにまで入っては見学することはできなかった。私はゴルゴダ墓場で受けた衝撃を引きずったまま首都十三番区――ペクトクラシュ河南大橋の西の交差点へ歩いていった。その場所にはかつて、カントレイア世界で最も有名な酒場宿があった。反エネアデス連合を結成し、大戦を集結に導いた南北大陸の各国の英雄――通称『ゴルゴダの復讐者たち』が一同に介していたとされるゴルゴダ酒場宿だ。しかし、その伝説の酒場宿があったのは大戦を挟んで二十年以上前だ。私は今も現存しているとは夢にも思っていなかった。私がそこへ足を受けたのは「とにかく、その場所の空気に触れてみたい」そのていどの考えからだった。

 しかし、ゴルゴダ酒場宿はまだそこにあったのである。

 当時の面影そのままにゴルゴダ酒場宿は再建されていた。そこで私はゴルゴダ酒場宿経営者、クジョー・ユキ氏と出会った。そのユキ氏から話を聞いているうちに私の決意は固まった。

 クジョー・ツクシとその周辺にいたひとびとの記録を後世へ残すべきである。

 第二次魔帝大戦史のなかで、はっきりと何者かの手で修正され、抹消された痕跡のある謎の人物の部分がクジョー・ツクシの人物像と合致する。先の大戦中に暗躍したクジョー・ツクシ――流離いの剣士の経歴を辿れば、私の実父とカントレイア近代史の謎――第二次魔帝大戦勃発から終戦までに多々ある謎も、すべて明らかになるかも知れない。

 その日から、熱に浮かされるようにして、私の執筆作業は始まった。そして、私の執筆作業は今日にまで至る。笑い話のようであるが、クジョー・ツクシが異界より到来してからおおよその二年間分。私は四年の月日を費やして、ここまでしか書けていない。そして、ここにきて筆が止まった。しかし、クジョー・ツクシは異形の巣を制したあとも、カントレイア世界を生き抜いているのだ。タラリオン王都が魔帝軍の攻撃を受け陥落した日、戦火に巻かれた路上で倒れたクジョー・ツクシを拾った人物がいる。

 その人物こそ、王位継承権を持つ王族にも関わらず、当時の元老院議会からその鋭い才と急進的な思想を危ぶまれ、政治の場から追われていたクリスティーナ・ユリア・タラリオン十七世である。彼女は戦前、ゴルゴダ墓場の死体安置所にあった診療所で導式使い(※現在でいう導式医)として働いていた。

 今さらいうまでもないことかも知れないが――。

 クリスティーナ・ユリア・タラリオン十七世は先代の国王――空襲を受けた大タラリオン城で急逝したマルコ・ユリア・タラリオン十六世の従兄弟になる。この彼女は南へ逃れてタラリオンの国王を襲名した。当時勤めていた診療所の職員とともにネストへ避難中だったこの女王がクジョー・ツクシの命を救ったのだ。

 クリスティーナ・ユリア・タラリオン十七世は王政から共和国制に政治制度を移行した今でも、タラリオン共和国の象徴的な君主の立場にいる。我が国では将来、君主制度の名残をも完全に廃止する予定なので、恐らく彼女は近いうちに退位を決断するであろう。しかしながら、タラリオンの苦しい時期を国家元首として毅然と乗り切ったこの女傑は今も国民から絶大な人気を保っている。彼女が退位を決断したところで当面の間は、政治の表舞台から引退できないだろうが――。

 タラリオンという国家と同様、クジョー・ツクシと魔刀の物語は、王都の陥落で終わっていないのだ。

 私がしたここまでの取材によれば、南都ポート・タラリオンで傷の治療を終えたクジョー・ツクシは、そのあと南のドラゴニア大陸で戦いを続け、さらに西のウェスタリア大陸まで出征した。世界中を転戦していたクジョー・ツクシが、グリフォニア大陸へ戻ったのは、第二次魔帝大戦が終結する二年前――南北大陸連合軍のタラリオン王都奪還作戦が始まった頃だと推察される。あくまで推察だ。王都脱出以後のツクシの行動に関しては、取材不足で推察に頼らざるを得なかった。これが、クジョー・ツクシの王都脱出後、私の筆が動かなくなった大きな理由のひとつである。あやふやな情報を元に著作を表しても正確な歴史資料に値する内容には至らないだろう。

 この判断から、私は自作『流離いのサムライ・ナイト』をタラリオン王都が陥落した場面までの内容で一旦製本することに決めた。他に理由もある。王都脱出後のクジョー・ツクシは私的な戦いから離れて、カントレイア世界の近代史に関わっている。このすべてを発表すると様々な物議を呼ぶだろう。私はその物議に反論する資料を十分収集しきれていない。

 しかし、それでも、私は王都脱出後のクジョー・ツクシの足取りを掴めていないわけではないのだ。その終盤にあたる部分――エンネアデス魔帝国を相手にした最後の戦いの部分だけは、ユキ氏からの取材に加えて、現在は十三番区の区役所長を務めるマコト・ブラウニング氏や、共和国警視庁の警部のモグワード・ランペール氏の取材協力によって、あるていどの事実が判明している。流離いの剣士の物語は王都脱出から大きな空白を置いて一応の結末だけが完成している。

 だが、私はこの原稿を本編に収録することを躊躇っている。たいていの国家における歴史書の内容と自作が伝える内容はまったく違う。これを(文字数にして二万字ていど。この部分だけでも!)発表した場合、各国の歴史学者や戦史研究家から非難や質問が私のもとへ殺到するのは必至だ。現状の史実では「南北大陸連合軍の進撃により、魔帝国の大要塞ネルガルは陥落した」そう明記されているわけだから――。

 ともあれ、いつかは日の目を見るであろう私の著作『流離いのサムライ・ナイト・完全版』の結末とする大前提で以下を読者諸君へ提示したい。

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