十七節 王都炎上(伍)

 ネスト地下二十五階層である。

「――おう?」

 導式エレベーターの箱から出たツクシは眉根を寄せた。

 一緒に箱から降りたゴロウも同様に怪訝な顔だ。

 前にツクシは「二十五階層のエレベーター前へ防衛基地を構築する」と話を聞いたが、エレベーター前に構築された陣地はない。やたらと広い坑道のような空間が広がっているだけである。

 その空間に岩盤の天井を食い破った天道樹の根が陽光を届けていた。

「ツクシ、ゴロウ、ようやく来たか」

 エレベーター脇にあった天幕下のテーブルで紅茶を飲んでいたギルベルトが椅子から立ち上がった。作戦テーブルには他に、オリガ、デル=レイ大尉と他数名の導式術兵、統合導式通信機の前にはイシドロ少尉とチーロ特務少尉、メルモとそれに、吸血鬼の女王フロゥラが座っていた。その後ろでカレラがティー・ワゴンに取りついてティー・ポットを睨んでいる。この他には誰もいない。作戦テーブルを見ると、それぞれの前にティー・カップが置かれていた。湯気と一緒に紅茶の香りが漂ってくる。

 各自、お茶をしていたような雰囲気だ。

「ああ、ゴロウ。忘れないうちに、これを渡しておこう。頼まれていたものだ」

 歩み寄ってきたギルベルトがゴロウへペンダントのようなものを手渡した。テーブルにいた各員も立ち上がってツクシとゴロウの前に来た。

 前には来たが揃って口が重い。

 あのフロゥラでさえ大人しかった。

「おっ、ようやく完成かァ」

 ゴロウがギルベルトから受け取ったペンダントを首へかけた。

 見た目は小さなお皿のようなペンダントがついた首飾りだ。

「それ何だ?」

 ツクシがゴミを見るような視線で、ゴロウのペンダントを眺めながら嫌そうに訊いた。

「見ての通り導式具だ。かなりの高級品なんだぜ?」

 ゴロウは歯を見せる笑顔だ。

「ああ、チチンプイプイ用品な、へえ――」

 ツクシがつまらなそうな顔で吐き捨てた。

「シャオシンの双剣や導式革鎧についていた天然の黄色い秘石ラピス――豹眼石があっただろ?」

 ゴロウがペンダントの部分をツクシの目の前にもっていった。

「ふぁあ――そういえば三人娘の形見分けのとき、お前があの宝石を全部持っていったよな――」

 ツクシはあくびをした。ペンダント部分は導式回路が刻まれた円形の土台に四つの黄色い秘石がはめ込まれている。

「その豹眼石がこの導式具のコアなんだよ。ギルベルトに頼んで軍の造兵廠で作ってもらったんだぜ」

 ゴロウがペンダント部分を胸元に戻した。

「あの宝石、質屋に入れちまうものだと思っていたがな」

 ふぅんとゴロウを見やるツクシである。

「命あっての物種だからなァ。ホレ、こうだ」

 ゴロウがまぶたを半分落とした。すると、ペンダントが「ヴッ!」と起動音を鳴らして、黄金の導式がゴロウの身体を駆け巡った。次いで防壁が幾つも連なってゴロウを覆う。

「――ああ、例の防壁な」

 ゴロウが作る導式の防壁にツクシは何度も生命を救われている。しかし、ツクシがそれに対して感謝をしている様子はなかった。

軽級精神変換ナロウ・サイコ・コンヴァージョンで自分に張れるんだ。導式具を使えば陣の機動にかかる時間も短いからなァ――」

 ゴロウは展開した防壁を消した。

「へえ、便利そうじゃねェか」

 ツクシは投げやりな態度でゴロウの新兵器を褒めた。

「そうだろォ。これは防護のペンダントってとこだな。かなり強力な導式具だから運命マナ収束値の高い秘石をコアにしないと作れない高級品だァ――でも、こいつは出番がねえかもな。この様子だとこの階層には敵がいないみたいだしよォ。やっぱり原料にした秘石を質屋に入れちまったほうが良かったのかなァ――」

 ゴロウは周辺を見回してボヤいた。

 地下二十五階層は静かだ。

 異形種が攻撃してくる気配は今のところまったくない。

「――ところでだな。今回はこれだけの人数しかいないのか?」

 ツクシは目の前に並んだネスト制圧作戦参加者を代わる代わる見やった。

 以前なら二千名を超えた参加者が今は数えるほどしかいない。

「チュウ、それがな、ツクシ、ゴロウ。先日、本国の方針が急に変わった。朝令暮改だよ。生活圏防衛軍は全軍、南方にある地下輸送路の警戒と避難民の警護に当たれと本国から命令がな――すまぬ、私は上層部に反対をしたのだ――チュチュウ――」

 メルモは灰色の海賊帽子を腹の前でもじもじといじっている。

「――そうか。まあ、メルモ大将が謝る必要はねェよ」

 軽い調子でいったツクシが、

「おい、ギルベルト、それに、オリガな、悪いのは手前らだぞ。タラリオン王国の要人は、もうほとんどが南方へ脱出したんだろ、あ?」

 今度はギルベルトとオリガを交互に睨んだ。

「いや、実際は脱出をしている真っ最中だ」

 ギルベルトが唇の端を歪めた。

「魔帝軍の総攻撃が――魔鯨艦隊の出撃が予定より早まった。入手していた情報では、あの空軍を使った魔帝軍の総攻撃は一週間先の筈だったのだがな。しかし、まあ、たいていの作戦というものは予定通りにいかないものだよ」

 オリガは苦笑いだった。

「マゲイカンタイ? ああ、地上で見た魔帝軍の空中戦艦のことか――」

 ツクシは視線を落とした。

 ゴルゴダ酒場宿の連中は避難できたのか――。

 今、ツクシの心配事はそれだけだ。

「一体、何なんだありゃあ。王都はどうなるんだァ?」

 ゴロウが髭面を曲げて訊いた。

「あの空の上の大艦隊が東外海に浮いて魔帝軍をけん制していたコテラ・ティモトゥレ連合艦隊を壊滅させたのだ。魔帝国と交戦状態にある屍鬼の国は防戦するのみで、こちら側からせっついても灰色の凍土から外では戦う気配がない。そこで魔帝軍は陸海空のほぼ全軍を、この王都へ向けた。事前、王国海軍は誤断で南へ展開した。西外海の北から迫る魔帝軍海上艦隊の迎撃は遅れている。王国領土の西海岸はもう火の海だ。『北にあるタラリオン王国』の敗北は決定的になった。これから、タラリオン王国はコテラ・ティモトゥレ首長国連邦内の租借地へ遷都せんとを決行する。以前からあった最終作戦計画の通りになる。ジークリットが立案した最悪の結末だ。あの、悪魔め――」

 冷静な口調だったが言葉の最後でギルベルトは顔を歪めた。

「新しい王都はナタデココ島の上にあるんだろ。もうそれは知ってるぜ」

 ツクシは投げやりな口調である。ギルベルトが語った内容は事前に得ていた情報がほとんどだ。

 ギルベルトはツクシをじっと見つめるばかりで返事をしない。

 会話が止まった。

 静かである。

「――ツクシ、ナナイ・ココモ島だ」

 オリガが訂正した。

「あ、ああ――ナナイ・ココモ島な、ナナイ・ココモ――それはそうと、ギルベルトもオリガもさっさと逃げろよな。最初からお前らはその予定じゃねェのかよ?」

 目を泳がせたツクシが訊くと、

「いや、騎士オリガと俺の配下にいる隊は王都に残って戦えるだけ戦う」

 ギルベルトが無表情のままいった。

「戦場がすぐそこまで来たのに逃げるのはもったいない話だろう?」

 オリガが獰猛な笑顔を見せた。

「もしかして、お前らは王都に残って撤退支援をするのか?」

 ツクシは顔を歪めた。

「そりゃあまた貧乏くじを引かされたなァ――」

 ゴロウは困り顔だ。

「それは思い違いだぞ、ゴロウ。俺たちは自分から王都防衛を志願したからな――持っていけ。貴様らへ餞別代わりだ」

 唇の端を歪めたギルベルトが王国陸軍外套の内ポケットから紙を取り出して、ツクシへ突きつけた。

「うん?」

 ツクシが紙を丸めていた紐を解くと、

「これって地下二十五階層の地図かァ?」

 ツクシの手元を横から覗き込んだゴロウが声を上げた。

「事前の調査で地下二十五階層で確認された異形種ヴァリアントは少数の人面鼠ペストだけだ。距離はあるが、あとはその地図に頼って歩くだけだぞ。彼らに活躍してもらった。紙とペンを使ってな。大変な作業だった。俺と彼らに感謝しろ」

 ギルベルトが後ろにいたデル=レイ大尉へ視線を送った。

 デル=レイ大尉とその周辺にいた導式術兵数名が上官へ苦笑いを返している。

導式偵察機ドローンを使って地図を作ったのか」

 ツクシが低い起動音が落ちてくるのに気づいて視線を上へ送ると、そこに導式偵察機が何機か飛び交っている。

「小規模だが地下二十五階層では人面鼠ペストの導信妨害が発生している。小アトラスの立体地図はアテにならんだろう。そもそも、ネスト管理省にあった大アトラスは既に機能を停止した。情報が連結されている小アトラスはもう役に立たん。だから、ギルベルトがその紙に地図を書き込んだのだ。これはそういう細い仕事が大得意な男なのだよ。これをまさしく女の腐ったような奴という」

 オリガはギルベルトを見やってクソ真面目な顔である。

 ギルベルトはオリガへ視線を返さなかった。

 表情も微動だにしない。

「そうか、地下二十五階層には敵がほとんどいないのか。お前らが先行して賢者の石を片付けちまうのかなと、俺は心配していたがな?」

 ツクシがギルベルトとオリガを見やりながら皮肉な感じで口角を歪めた。

「確かに、ジークリットはそうしろとうるさくいっていたぞ」

 ギルベルトも皮肉な感じで唇の端を歪めて見せた。

「そうしなかったのも、ツクシたちへの餞別だよ。ここは私へ感謝かな?」

 オリガは笑顔である。

「俺に情けをかけてくれたのか。涙がちょちょ切れるぜ」

 ツクシは口角を皮肉な形で歪めたままうつむいた。

「ツクシ、俺たちとしては、もうネストがどうなろうとどうでもいい。危険を冒して撤退支援に使う戦力へ無駄な犠牲を出したくない。まあ、これは現実的な判断だ」

 ギルベルトが冷たく告げた。

「――ま、それもあるが」

 頷いたオリガは眉間にシワを作ってギルベルトを睨んでいる。「こいつはまた余計なことをいったな」そんな態度である。

 ツクシはしきりに顔を寄せて覗き込んでくるゴロウの胸元へ、手にもっていた地図を煩わしそうに押し付けて、

「それでも、感謝しておくぜ。もうひとつ、お前らにいっておきたいことがあるんだ。いや、俺からの頼みごとだよな――」

「ほう、珍しい、何だ?」

 ギルベルトが顔を傾けた。

「おそらく、これがツクシと話をする最後の機会だろう。遠慮なくいえばいい」

 オリガが笑顔でいった。

「このあと地上にいる民間人が王座の街へ、王都を脱出するために、わんさと押し寄せる予定なんだがな――」

 ツクシの発言を、

「それなら、騎士バルカから聞いている」

 ギルベルトが遮った。

「ああ、爺様がいっていた民間人の王都脱出計画か――」

 うつむいたオリガの表情が珍しく曇った。

「いや、くどいかも知れんが聞いてくれ。俺からお前ら個人へ頼みたいんだ。南の新都へゴルゴダ酒場宿の子供たちを無事に送り届けて欲しい。全員、必ず無事にだぜ。頼む、ギルベルト、オリガ、この通りだ」

 表情を消したツクシが頭を深く下げた。

 ゴロウが目を丸くしてツクシを見つめた。

 他の面々も仰天の表情だ。

 ツクシが借金返済の延滞を頼み込むとき以外で頭を下げたのを、頭をはっきりと下げて他人へ物事を頼み込むのを彼らは初めて見た。

「――ぜ、善処をしよう」

「――で、出来る限りの対応をする」

 相当に怯んだ様子を見せたギルベルトとオリガの硬い声である。

「――手前ら、何なんだ、その返事は?」

 ツクシが唸った。

 低く、重く、地から響いてくる、恐ろしく不機嫌な声だった。

 ツクシはぬぉうっと憤りの血を巡らせた顔を引き上げて、

「お前らは個人の名誉にすべてを託した騎士ナイトだろう。金太りした三枚舌の政治家や、自分の食い扶持のためにおおやけへタカる糞蝿みてェな公務員とは根っこからモノが違う筈だ。そんなふやけた返答、俺は断固として聞きたくねェ。今すぐ、やり直せ!」

 大坑道に怒鳴り声が反響する。

「ギルベルト」

「オリガ」

 呼びかけたツクシが、

「騎士が騎士たる証を俺に見せろ」

 と、低い声で告げた。

 少しの沈黙のあとだ。

「わかった、ツクシ。騎士オリガ」

 ギルベルトは緋色の鍔広帽子を手にとって胸元へ押し付けると、オリガへ視線を送った。

「き、気が進まんな。私は苦手なのだ、ああいう演劇のような真似――」

 目を泳がせるオリガである。

「騎士オリガ」

 もう一度呼びかけたギルベルトが眉を寄せると、

「ああもう、わかった、わかった。やればいいのだろう。では、いくぞ、ギルベルト――」

 渋々とオリガも唾広帽子を手にとってそれを胸元へ置き、

流離さすらいの剣士、クジョー・ツクシ!」

 声を揃えて呼びかけた。

「三ツ首鷲の騎士、ギルベルト・フォン・シュトライプ」

 ギルベルトの名乗りである。

「同、オリガ・デ・ダークブルーム」

 オリガの名乗りである。

「貴公から託された生命いのち、必ず新都へ届けよう!」

 ギルベルトがまっすぐツクシを見つめた。

「騎士の誇りと我らの名に懸けて、貴公との約束、決してたがわまじ!」

 オリガもツクシを見つめた。

 二人の騎士が流離いの剣士へ誓いを立てた。

「――良し、それでいい。ギルベルト、オリガ、マジで頼んだぜ」

 頷いたツクシが口角を歪めて見せた。

「くどいぞ、ツクシ」

 顔を横向けたギルベルトは苦笑いだ。

「私たちにここまでさせて、まったく、蛇のようにしつこい男だな。ああ、ツクシの場合は死神だったか?」

 オリガは眉間に深いシワを作った。

「――ところでこの地図な。北東部分が空白だがよ?」

 ツクシがゴロウの手にある地図へ目を向けた。

「あ、あァ、俺たちは今からこの空白部分へ向かえばいいのかァ?」

 ゴロウも手元の地図へ視線を落とした。

「ツクシ、それは俺たちにもわからん」

 ギルベルトの返事である。

「その部分だけは導式偵察機が消失したのだ。恐らく、そこに『何か』があるのだろうな。『何かがいる』のかも知れん。私もちょっと気になるから、ついて行こうか――」

 地図を覗き込んでオリガはいったが、

「騎士オリガ。これから忙しくなります。遊んでいる暇はありません」

 ギルベルトが制した。

「本当にうるさい男だなあ、もう――」

 オリガが眉間にシワを作った顔を背けた。

「――ツクシ、そこへ行けば、おぬしの望んだものがある」

 フロゥラが進み出た。

「女王様はネストの奥にあるものを知っていたのか?」

 ツクシがフロゥラへ顔を向けた。

「うん、長生きの功名だ。ネストの奥にあるのは巨大な転生石リーンカーネーション・ストーンだろう。その欠片ならイデアも持っているよ。あれはすべての望みを叶える石だ。無限に並行してある世界すべての望みをな」

 フロゥラは女王の声で語った。

「――イデア?」

 ツクシが眉根を寄せると、

「イデア・エレシュキガルだ。一度、ツクシにもいった筈だが覚えていないか?」

 フロゥラがいった。

「イデア・エレシュキガルは屍鬼の国の女王様のことだぜ、ツクシ」

 困り顔でゴロウが教えた。

「あ、ああ、屍鬼の国のな。確か、女王様のお友達って話だったか、な――」

 一応は頷いて見せたものの、眉根を寄せたままのツクシは全然自信がなさそうだ。

「イデアは転生石のレプリカ・ストーンを作るのにご執心なのだ。それが以前、ネストで屍鬼を生成した水晶髑髏の錫杖のコアになっていた。もっともあの錫杖は実験好きなイデアがよくこさえる、出来損ないの範疇だったが――」

 フロゥラが声を出さずに笑った。

屍鬼の魔導師アンデッド・メイガスがもっていたあの杖か。随分と昔の話に思える――」

 ツクシが遠い目になった。ネストの上層で屍鬼が発生していたのは一年と少し前の話である。さして遠い過去ではない。しかし、日本で生きてきたツクシの三十年余と、異世界に迷い込んだあとのツクシの一年半は厚みが違う。

 良くも悪くもまるで違った――。

「――思えば転生石が私たちをここへ――『猛るグリフォンの大坑道』へ誘ったのだ」

 フロゥラがツクシを見つめた。

 今、吸血鬼の女王の瞳は星々を凍らせる真冬の夜空のように澄んでいる。

「たかが、石ころがか。信じられねェよ――」

 ツクシは顔を歪めた。

「ツクシは、どうしても転生石のもとへ、その望みを叶えに行くか?」

 フロゥラの問いに、

「ああ、行く。だから、ここで女王様ともお別れだ――お前が吸血鬼でなくて、ひとの身だったらな。改めて見ても、やっぱり、フロゥラはいい女だぜ」

 ツクシは頷いて口角を歪めた。

「うん、そうだな、ツクシ。私がひとの身のままであったなら――」

 フロゥラが微笑んで頷いた。

 そのまま見つめ合う二人を見て太い眉根を寄せたゴロウが、

「あァ、ツクシ。名残は惜しいだろうが、そろそろ行くかァ?」

「ああ、行くけどな。ゴロウ、お前、本当についてくるのか?」

 ツクシも眉根を寄せてゴロウを見やった。

「王都は戦争で燃えて灰になる。そうなると俺にはもう帰る場所がねえ。それに、俺ァ腐っても布教師アルケミストで奇跡の担い手だ。ここまできたら気になるだろ。ネストの奥にあるのは、すべての奇跡の担い手が憧れる伝説の賢者の石だって話じゃねえか。いや、転生石なのか。そこらはよくわからねえけどよォ?」

 ゴロウが笑った。

「まあ、好きにすればいいけどな。ゴロウ、死んでも知らねェぞ?」

 視線を落としたツクシは弱い声で脅したが、

「ツクシ、さっさと行こうぜ」

 背嚢を背負い直したゴロウに怯む様子はない。

「――なら、行くか。じゃあな、お前ら、せいぜい元気でやれよ」

 ツクシは見送りにきた面々へ視線を送った。

「健闘を祈る」

 ギルベルトが無表情でいった。

 しかし、その声は硬かった。

「ツクシ、無事にニホンへ帰れるといいな」

 笑顔のオリガだ。

「チュ、ツクシ、ゴロウ、死んでくれるなよ。貴様らは生き抜く価値がある戦士だと私は確信しているぞ、チュウ!」

 メルモが強くいった。

 テーブルのほうで統合導式通信機をいじっていたイシドロ少尉とチーロ特務少尉が駆け寄ってきて、

「お二人とも、お元気で!」

 その声に、デル=レイ大尉と導式術兵たちの声も交じった。

「あっ、ツクシ様、ゴロウ様、ちょっと待って、待ってください!」

 最後に慌てて駆け寄ってきたカレラである。

 一旦は踵を返したツクシとゴロウが足を止めて、

「おっ、カレラ、それは!」

「もしかして、弁当かァ!」

 カレラは包みに入った二つの弁当箱を抱えていた。

「これは、ご主人様と、わたしからの心づもりです。これくらいのことしかできなくて、ごめんなさい」

 弁当を手渡したカレラが身体の前で手を揃えてペコリと頭を下げた。

「いやいや、これは本当に嬉しいぜ」

 ツクシが自分の背嚢へ弁当箱を仕舞い込んだ。

「あァ、ありがてえ。ついでに飲料ももらっておくか?」

 同様にしていたゴロウがツクシを見やった。

「そうだ、忘れるところだったな。今日は援護の部隊がないから食糧も飲料も俺たちで運ぶ必要がある――ギルベルト、ちょっと分けてもらえるか?」

 ツクシが訊くと、

「飲料も用意してある」

 ギルベルトが頷いた。

「ああ、欲しければ携帯食もあるぞ」

 オリガがエレベーター出入口の脇に積まれた備品の小山へ目を向けた。

「チュウ、ツクシ、ゴロウ。ここにある備品は好きなものを好きなだけ持っていけ。我らにはもうこれくらいしか、貴様らの支援ができんからな。チュチュ――」

 メルモがうつむいた。ツクシとゴロウは背嚢のなかへ飲料の入った革水筒だの携帯食を詰め込んだあと、もう一度、見送りにきた面々へ声をかけてから出発した。


 大坑道をゆくツクシの背を見つめて、

「ツクシ――」

 フロゥラが呟いた。

「ご主人様――」

 カレラが主人の横顔へ視線を送った。

 何世紀生き続けても美しさを失わない吸血鬼の女の横顔である。

「私の愛したものは、いつもこうして私のもとから去ってゆくのだ――」

 フロゥラが小さく笑った。

「カレラはずっとご主人様の傍にいます。それが、わたしの宿命さだめになりましたから――」

 カレラは瞳を伏せた。

 その宿命に嫌気が差したわけではない。

 カレラは主人の哀しみから目を逸らした。

 フロゥラ・ラックス・ヴァージニアの白い頬を涙がつたっている。吸血鬼の女王は気が遠くなるような年月、ひととの出会いと別れを繰り返して生きてきた。しかし、今もってして尚、ひととの出会いに全身で喜び、今もってして尚、ひととの別れに心から泣く。

 ツクシとゴロウの背がネストの奥へ消えたあと、見送りにきたギルベルトたちは導式エレベーターへ乗り込んで立ち去った。

 誰もいなくなった導式エレベーター前に小さな天幕だけが残されていた。

 その下には木箱に入れられた飲料と食糧がまだ置いてある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る