十五節 王都炎上(参)

「ツクシ、どうしたァ?」

 ゴロウがキョロキョロしているツクシを見やった。

「ああいや、ラウさんにも挨拶をしておきたいがな。しかし、今朝からずっと姿が見えないんだ。厩舎のほうにいるのか?」

 踏み出したツクシの足を、

「――ツクシ」

 鬼の声が止めた。

「おう、女将さん。ラウさんは、おうおう――」

 振り返ったツクシはエイダの格好を見て絶句した。

「女将さんはこの格好でよく動けるもんだなァ。すげえ重そうだが――」

 ゴロウはボヤいた。エイダは以前、ゲッコと大喧嘩をしたときに使っていた厳つい黄金の装甲鎧を着込んで、夜明けの大戦鎚を肩口に乗せ、背に漆黒のマントをひるがえして宿の表へ出てきた。

 ラスボス的な風貌である。

「これはグリーン・オーク戦士の正装だよ。太陽の装甲鎧さね」

 エイダが肩を揺らして笑うと、東から駆け上る太陽が装甲鎧の表面をガチャガチャと乱反射する。

 よく見ると、ネストにいたエイシェント・オークの王様が着てた鎧と、そっくりなデザインだよな――。

 ツクシはエイダの甲冑姿を呆れ顔で眺めながら、

「それはそうとだな。女将さん、ラウさんはどこにいるんだ?」

「ああ、ラウなら、あたしたちとは別働さね。ラウとクラウンはこれから組合ギルドで動くんだ。そっちのほうが、あたしらにとっても都合がいいしねえ」

 片眉だけを吊り上げて意味ありげな笑顔のエイダである。

「――そうなのか?」

 ツクシは怪訝な顔になった。

「白状すると、ラウはかなり悪い男でね――」

 エイダが両の目を細めた。

 呆れているような表情だ。

「元のラウさんは悪い男だった、だろ?」

 ツクシは苦く口角を歪めた。

 エイダは薄く笑っただけで返事をしない。

「――組合ギルド。名もなき盗賊ギルドのことかァ? 凄腕のゴブリン族が伝説の盗賊ラウアールを名乗って王都の夜を荒らし回っていた時期があったんだよなァ。俺が子供ガキだった頃の話だぜ。だが、まさか、ラウさんがなァ?」

 顎鬚に手をやったゴロウがエイダを見やると、

「ツクシもゴロウもそれとなく気づいていたかね」

 エイダがぶすんと鼻を鳴らした。

「ラウさんは堅気一本槍で生きてきたわけでもなさそうだったな」

 ツクシはさして興味もなさそうな態度だった。

「一度ずっぷり染まった色は一生抜けないもんだよ。当の本人は『俺は本業からもう引退した身だからな』ってのが口癖だったけどねえ。本当のところはどうなんだかねえ?」

 エイダが表情を消したところで、

「ツクシ、ゴロウ」

 ミュカレの声だ。

「お、ミュカレはそれが戦闘服なのか?」

 ツクシが目を見開いた。

「またこれは方々と肌の露出が多いなァ。これって防具になるのかァ?」

 困り顔のゴロウである。今のミュカレはおへそやら腰布のスカートから見えるふとももやら、まるはだかの肩口やらと肌の露出が多い衣装だった。その姿に長い戦闘杖バトル・ロッドを持っている。ミュカレはゴルゴダ酒場宿のウェイトレスからエルフの精霊使いへ変貌を遂げていた。

「肌を隠す窮屈な服装は私の精霊が好かないのよね。これ、二度と着るつもりはなかったのだけれど。もう年齢も年齢だし――」

 苦笑いのミュカレが自分の戦装束を自分で見やったところで、爆音と一緒に地面が揺れた。

「――まあ、こうなったら、恥ずかしい戦装束も仕方ねェさ」

 ツクシが大通りの向こうで立ち上った粉塵を見やった。魔帝軍が発射した魔導の砲弾また飛来してきた様子である。着弾した位置から大勢のひとの騒ぐ声が聞こえてくる。

「そうよね、戦争が王都へやってきたのだから、仕方がないわ――」

 ミュカレが視線を落としたところで、

「――ツクシさん、ゴロウさん」

 今度は重々しい男の声である。

「おう、セイジさん」

 ツクシが口角を歪めて見せた。

「セイジさんはドワーフ重騎士の正装かァ。見違えたなァ――!」

 ゴロウが目を丸くした。大戦斧を背負ったセイジは重甲冑で身を固め、銀刺繍の入ったフード付きサー・コートを羽織っていた。小脇に面当てつきの重兜を抱えている。角が二本ついたものである。

「このあと、私はドワーフ公国軍のタラリオン王国支援部隊と合流する予定です。実質は王国に住居があったドワーフ族が組織した民兵隊なのですが――」

 セイジが説明しているうちに、

「おっ、西からからドワーフどもが来てるぜ、あれのことか?」

 ツクシが声を上げた。大通りの向こうから小さな馬に乗った髭面の集団がくるのが見える。サイズも見た目も間違いなくドワーフ族の男たちだ。

 その数は三百前後――。

「――ええ、あれがそうですね」

 セイジが頷いたときには、ドワーフの集団がもう目の前に来て、各々武装したドワーフ野郎どもが「セイジ兄、セイジ兄!」と口々に挨拶した。

 セイジのほうは深く頷いて挨拶に応じている。

「これは随分と小さな馬だな――」

 ツクシが眉根を寄せた。ドワーフの男たちが乗るのは通常の馬よりも一回り小さな馬だ。姿形は極端に筋肉を増強したポニーのような感じである。態度に落ち着きがあって、ややもすると鈍重な印象だ。

「ツクシ、これは坑路馬こうろばだよ」

 エイダがいった。

「ドワーフの坑道用に品種改良された馬なのよ。度胸があって重い荷も楽に運べるわ」

 続けてミュカレが説明してくれた。

「――へえ。厳ついポニーってところだよな」

 呟いたツクシに、

「ツクシさん、ゴロウさんも。まだ食べてもらいたいレシピがたくさんありました。心残りです」

 セイジが引かれてきた坑路馬のくつわを手にしていった。

「よせよ、セイジさん。俺たちの舌は大したことがないぜ」

 ツクシが苦く口角を歪めて見せた。

「ツクシと一緒にするなよ。俺の舌は肥えてるぞ。俺ァ、華の王都生まれの華の王都育ちだからなァ」

 ツクシを横目で見やるゴロウである。

「抜かせ、この赤髭野郎。毎度毎度、セイジさんの料理を馬のエサみてえな食い方していただろ。あれで味なんてわかるもんかよ」

 ツクシが毒づいた。

「――いえ、心残りです」

 セイジが弱く微笑んだ。

「セイジさんの作っためしは何だって旨かったぜ」

「セイジさんの料理がもう食えなくなるんだなァ。舌と胃が寂しくなるぜ」

 ツクシとゴロウが揃っていうと、

「勉強の足らない手前てまえをこんな贔屓にしてもらって、本当にありがとうございました」

 セイジが深く頭を下げた。

「セイジさん、達者でな。簡単に死ぬなよ」

「あァ、死んだらいけねえ。セイジさんの料理を楽しみにしている奴は、まだ大勢いるからよォ」

「ツクシさんも、ゴロウさんも、お気をつけて――さあ、行くぞ、兄弟たちよ!」

 馬上のひとになったセイジが坑路馬の横腹を踵で小突いた。

 ここでセイジはドワーフ料理人からドワーフ重騎士へ帰った。

「応!」

 一斉に応えたドワーフ騎馬隊は大通りを南に向かって駆けていった。

 あとに残った土埃が夏の風に乗って流れてゆく。

 視界からドワーフ騎馬隊が消えたところで、

「――あのロバモドキは短い足だが結講、足が早いんだな。セイジさんはどこへ行くんだ?」

 ツクシが訊いた。

「ドワーフ民兵隊は王都の南方にある戦場で魔帝軍の陸戦部隊の偵察と遊撃に当たるみたいだよ――」

 エイダが淡々と告げた。

 ツクシが見やると鬼の横顔に後悔がある。

「セイジさんは王都に残って戦うつもりなのよ。ここが陥落したら、きっと魔帝軍はドワーフ公国への侵攻を開始するだろうから――」

 ミュカレが視線を落とした。

「――やっぱり、セイジさんは戦うつもりか」

 ツクシは奥歯を噛んで、それを噛み砕くようにしていった。

「遊撃かァ、勇ましいなァ――」

 ゴロウは苦しそうに髭面を曲げた。

「――良し、後は子供ガキどもだな」

 ツクシが振り返った。

 そこにゴルゴダ酒場宿で働く子供たち――ゴルゴダ・ギャングスタの面々が並んでいた

 マコト・ブラウニング。

 モグワード・ランペール(※モグラの本名である)。

 アリバ・ナタナエル。

 シャル・キンナリー。

 それに、ユキである。

 ユキだけは普段と違う格好だった。簡素で丈夫そうな白いシャツに、キュロットスカートを履き、その上に赤い防塵マントを羽織っていた。足元は赤茶色の革ブーツである。動きやすい格好に着替えてきたらしい。それはツクシとユキが初めて出会ったときとよく似た服装だった。

 子供たちは無言でツクシを見上げている。

「ここでお別れだ。お前らにも随分と世話になったよな。別れが辛いぜ」

 ツクシが一人一人へ視線を送って口角を思い切り歪めた。

「ツクシさん」

 マコトが硬い声で呼びかけた。

「ツクシ!」

 顔を赤くしたモグラは怒ったよういった。

「ツクシ――!」

 笑顔だがアリバの声は震えている。

「ツクシさん――」

 シャルはうつむいている。

 ユキは黙ってツクシをじっと見つめていた。

 琥珀色の、猫のような、大きな瞳である。

「――必ず生き伸びろ。とことん逃げ回れ。大人が始めた戦争で、子供が戦う必要はまったくねえ。だが、お前ら個人は、一人一人は、絶対、戦争に負けるな。いいか、わかったか?」

 ツクシは眼光を鋭くしていった。

 黙ったまま子供たちは頷いた。

 ユキだけは身動きをせずにツクシをじっと見上げている。

「あとは――」

 ツクシがエイダとミュカレへ視線を送ると、

「ツクシ、わかっているよ。あたしらに全部まかせときな」

「安心して、ツクシ」

 微笑んだ二人が強く頷いて見せた。

「ああ、頼んだぜ、エイダ、ミュカレ――良し、そろそろ行くぞ、ゴロウ」

 ツクシがゴロウを見やると、

「ああよォ、おめェら、元気でやれよ、怪我や病気をするんじゃあねえぞ!」

 髭面を真っ赤にしたゴロウが子供たちとの別れを惜しんでいた。子供たちはゴロウの泣きそうな顔を見て笑っている。まあ、どっちも泣き笑いといった感じである。このゴロウは子供たちから治療費のほとんどを取りそびれているらしい。

 その未練でもあるのか、ゴロウはなかなか子供たちから離れようとしない――。

「――おい、ゴロウ、行くぜ」

 もう一度、声をかけたツクシは踵を巡らせて南へ歩きだした。

 ゴロウは彼の友人たちへ何度も振り返りながらツクシの背を追った。

 並んで歩く二人の男の背が遠ざかったあとだ。

「ツクシ――」

 ユキが呻いた。

「待って、行かないで、ツクシ、行っちゃ、やだあ!」

 ユキはツクシの背を追った。

「ユキ、辛抱しな!」

 エイダがユキの肩を掴んだ。

「ツクシ!」

 ユキが身を捩った。

 その瞳から涙の大粒が飛ぶ。

 ユキを見つめるマコトたちは何もいわなかった。

 何もいえない――。

「ユキ、それは駄目なの。ツクシには帰らなきゃいけない場所があるから――」

 ミュカレがユキを後ろから抱きすくめていい聞かせた。

 それでもまだ身を強く捩ったユキは、

「ツクシーッ!」

 去り行く男の背へ絶叫した。

 ツクシは振り返らない。

「ツクシ、ユキはいいのかよォ?」

 ゴロウは路面を見つめて訊いた。

「――これで、いいんだ」

 うつむいて歩くツクシがいった。

 ゴロウが太い眉尻を落としてツクシを見やった。

 いつもと違う箇所がひとつだけ。

 ツクシの首に色褪せた赤いスカーフが巻かれている。


 §


 河川沿いの道には最新の導式陣砲――四八よんはちトンヴ口径牽引型導式陣砲を置いた陣地が完成していた。王都の路上は既に防衛線の様相を呈している。そこを歩くツクシは、渡河を試みる敵軍を、その砲で叩く戦略のように思えた。家主に許可をとったのか定かではないが、家の屋根に上がって双眼鏡を覗いている兵士が何人もいた。ツクシの横を歩くゴロウはずっと髭面を曲げていた。防衛陣地にいるのは兵士だけではなかった。部隊を手伝う市民――市民義勇軍に参加するひとの姿も多くある。年寄りや子供、女の姿も戦場にあるのだ。ツクシとゴロウは無言でペクトクラシュ河大通りを南下してネストへ向かった。後ろから馬で駆けてきた冒険者義勇軍らしき一団がツクシとゴロウを追い越した。

「――あァ、あそこでも、たくさんひとが死んだなァ」

 ゴロウがネスト管理省の大正門前で足を止めた。

 ツクシも立ち止まった。

 南に広がる住宅街へ着弾した砲弾は、ゴルゴダ酒場宿周辺より多かった。市民義勇軍が組織した救援隊だの、王都防衛軍集団から出動してきた部隊だのが走り回っている。戸板が担架代わりだ。ツクシとゴロウの前を怪我人が運ばれていった。その方向を見るとゴルゴダ墓場へ向かうらしい。墓場には民間人を治療する施設もある。貧民救護院というわけではないが死体安置所にいる導式使い――クリスティーナ先生は高い治療費を取らないので有名なのだそうだ。

「ネスト・ポーター制度が廃止されてから、死体安置所モルグにあった診療所は無料ただ同然の受診料で、貧乏な怪我人や病人を診るようになったんだ。モグリでない導式使いが貧乏人相手に治療をするのはかなり珍しい。俺もゴルゴダ墓場あそこには患者きゃくをだいぶ盗まれたぜ。政府か聖教会か、どっちの指図かは知らねえが余計な真似をしやがってよォ。今夜にでも火をつけにいってやろうかなァ――」

 以前、ゴロウはそんな犯罪計画をツクシへ漏らしたことがある。そのゴロウが見つめているのは死体の数々だ。魔帝軍の砲弾にやられたのだろう。それがネスト前大通りから南へ入る道に点々と落ちている。死体のひとつの近くで、その家族らしき女と子供が泣いていた。その向こうから白髪を振り乱して走ってきた親族らしき老婆が、泣く女と泣く子供を抱きすくめる。

「――ゴロウ、いちいち気にするな。誰だっていずれは死ぬんだ」

 そうはいっても、足を止めてまで悲劇を見つめていたツクシである。

「それはそうだけどよォ――」

 ゴロウは曲がっていた髭面をまだ曲げた。

「オラ、ゴロウ。さっさと王座の街へ行くぞ。ここで愚図愚図していると砲撃に当たって、俺たちまでミンチになっちまうぜ」

 ツクシはネスト管理省の正面大正門へ足を向けた。正面大正門へ入場する馬車や荷馬車が以上に多くネスト管理省前は大混雑している。

「あァ、そうだな、王座の街までは地上の砲弾が届くことはねえ。ギルベルトのいった通りだったなァ――おい、ツクシ、あれを見ろォ!」

 北の空を指差したゴロウがツクシの耳へ向けて怒鳴った。

「――何だよ、耳元でうるせェな。お前は砲撃でなくて、この俺の手でブチ殺されるのが希望なのか?」

 ツクシは殺気立ちながら、ゴロウの指差した方向へ目を向けて、

「――おい、空を飛んでいる巨大なのは、一体何だ?」

 目を丸くしているゴロウからの返事はない。

「鯨か? 異世界こっちの鯨は空を飛ぶのか? あぁん?」

 ツクシは王都の上空を飛ぶ巨大な黒い鯨をギリギリ睨んだ。

「下っ腹の辺りから何かボロボロ出てるぜ。ありゃあ、うんこでも落としてるのか?」

 ゴロウは眉の上に右手をかざして目を細めた。

「いや、どうも下から粉塵が上がっている。あれは爆撃をしているらしいな。おいおい、そうなるとあれは魔帝軍の航空戦艦なのかよ。参ったぜ、あんなものを作る技術がこの世界にあるのか――」

 ツクシは目を見開いた。

 魔帝軍の巨大航空戦艦が王都を爆撃している。

 それは大タラリオン城周辺を狙っているようだ。

「あァ、王都はもうお終いかよォ――」

 ゴロウの表情が固まった。

「いや、なるほど、そのための高射砲だ。防衛陣地に設置されていた長い砲は、あの空飛ぶ鯨を迎撃するために置いてあったんだな。何だよ、あの大鯨はもう火を噴いてるぜ。あれだけでかいと被弾する面積も馬鹿でかい。対空砲火で簡単に落ちる。王国軍もなかなかやるじゃねェか」

 ツクシが口角を歪めた。光球炸裂弾の直撃を受けた魔帝国の航空戦艦は黒い煙を噴きながら下降している。しかし、あの巨大な――目算で全長五百メートル以上はありそうな航空戦艦が市街地へ落下した場合、その被害もかなり大規模なものになりそうだ。

 ツクシが息をついたところで、

「ツクシ、あれを見ろォ!」

 ゴロウが指差したのは東の空一面である。

 魔帝軍の航空戦艦が長く横に列を作って王都へ進撃してくるのが見えた。空中要塞周辺にはグレムリン航空兵やヒッポグリフ騎兵が雲霞のごとく群れている。王都側から飛ぶワイバーン航空騎兵隊がそれに決死の空中戦を挑んでいるようだった。

 しかし、敵の数があまりにも多すぎる――。

「マジかよ、あんなにたくさん――」

 ツクシが呻いた。

「おいおい、これはどうするんだァ――」

 ゴロウは引きつった笑顔だ。

「――どうって、もうどうにもできねェぜ。俺たちは空を飛べないからな。しかし、この調子だと女将さんたちは予定より早くネストへ避難することになりそうだ。できるだけ多くのひとを避難させるって張り切ってたからな。手遅れになる前に適当なところで割り切ってくれるといいんだが――」

 ツクシは大正門を潜った。

「もう王都はどうにもできねえのかなァ?」

 遅れて歩くゴロウが地面に向けて呻いた。

 ツクシは王座の街へ続く導式エレベーターがある建物(ネストの出入口を挟むようにして二つ、兵員用と民間人用の四角い建築物がある)の前にできたひと集りに遮られて、足を止めた。そこでは金のありそうな服装のひとたちが集まって、持ち込んだ家財道具を彼らの使用人の手で導式エレベーターの箱へ運び込んでいる。兵員用のエレベーターへも金持ちの群れが流れ込んでいた。

「民間人は民間人用のエレベーターに並んでください、お願いします、お伝えした通り、持ち込む荷物は最小限に!」

 エレベーターを管理する兵員が声を上げているが誰も耳を傾けない。金持ちの避難民は必死な兵員へ小馬鹿にしたような一瞥をくれるだけだ。彼らの妻子や親族らしきものの姿もたくさんある。

 真っ先に避難しているのは貴族階級とか大市民階級とか称される富裕層――。

「――ゴロウ?」

 金持ちの群れに行く手を遮られたツクシが不機嫌に呼びかけた。

「――あァ?」

 うなだれたままゴロウが返事をした。

「お前もネストから南へ逃げ――」

 ツクシがいっている最中、

「――クジョー特務中佐殿、ゴロウ特務大尉殿。こっちです、急いでください。この様子だと空襲や砲撃の被害がここまで及びそうですから」

 走り寄ってきた兵員の何人かが、エレベーター前にできた人垣を強引に分けて道を作ってくれた。ツクシの近くにいた貧相な髭を生やした貴族の男が金切り声で抗議をしたが、兵員は全員ムッと口を結んで聞こえないフリである。

「――ああ、悪いな」

 視線を落としたツクシがエレベーターの箱へ足を向けた。

 ゴロウも沈黙したままツクシの後ろに続く。

 贅沢な避難民の群れが、優先されたツクシとゴロウの背へ、あらん限りの文句をぶつけている。

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