十一節 穏やかでない休日(壱)

 天道樹が展開したことわりの結界に保護されたネストから超級異形種ウーバー・ヴァリアントの脅威が消えた。同時に、日中のネストは陽光が届くようになったので吸血鬼にとって不便が多くなった。女王様は平気であるが、それでも陽の出ている間は眠そうにしている。女王様の輪廻蛇環ウロボロス号に便乗したミロクは、コテラ・ティトゥレ首長国連邦領土内、某という名がついた彼女所有の小島にある地下城――大涅槃城キャッスル・ニルヴァーナへ下僕と一緒に帰っていった。聞くと大涅槃城は吸血鬼が集まる地下都市のような様相になっているらしい。ミロクを見送ったツクシは別れ際、パーティ券のようなものを頬への軽いくちづけと一緒に手渡された。

 派手な蛍光塗料を使った飾り文字で『入場無料』と書かれたパーティ券のようなものを見やって、

「地下都市で吸血鬼どもは、一体どんな生活をしているんだろうな?」

 ツクシは首を捻った。

 ツクシと一緒にミロクを見送っていたゴロウも怪訝な顔だ。

 ネスト探索はそのあとすぐ再開された。吸血鬼は自分たちの生活へ帰った。しかし、ラット・ヒューマナ王国はツクシとゴロウへの助力を惜しまなかった。ラット・ヒューマナ王国の意向としては、地下はねずみの生活空間なので、ネスト最下層までの安全を自分たちの目で確認しておきたいとのことだ。ギルベルトはネスト制圧作戦から一旦離脱して王都防衛軍集団の仕事を主にするようになった。

 ツクシとゴロウは数千ものワーラット兵をチュウチュウ引きつれて効率良くネストの探索を進行させた。人海戦術である。この場合は鼠海戦術というのかも知れない。ともあれ、地下十五階層から地下二十四階層までは巨人のアパートメントのようであったり蟻塚のような住居がどこまでも並ぶの古代都市のようであったりと、階層を下るごとに物珍しい景観が広がっていた。どの階層も天道樹の根っこが陽光を届かせている。異形種の姿は見当たらないし日中なら照明すら必要ない。面積は広く歩いて地図を作るのでかなりくたびれはする。

 地下二十四階層までの探索には一ヶ月近くの時間を要した。途中、建設途中の導式エレベーターの暴走で三百名余のワーラット工兵が死んだ事故があっただけで、そこまで探索は無事に終わった。

 螺旋の大階段を降りて地下二十五階層に侵入すると景観がまた変わった。岩盤の天井と壁面は剥きだしであり地面は赤土だ。ネスト地下一階層から地下三階層に広がる大坑道のような景観だった。そこで人面鼠ペストによる通信妨害が発生した。ギルベルトがエーリカ少佐とデル=レイ大尉、それにイシドロ少尉とチーロ特務少尉が下層までやってきて緊急対策会議が行われた。

 もちろん、これにツクシとゴロウも参加する。

「安全を優先だ。まず俺の部下が導式偵察機ドローンを使って地下二十五階層の探索を先行する」

 ギルベルトの方針である。

「早急に地下二十五階層へ導式エレベーターを繋ぎ、資材の搬入経路を確保後、その出入口へ堅固な防衛陣地を構築するべきだ、チュウ」

 ナッツをボリボリ齧るニーニの発言だ。

「超級異形種が相手でも強固な陣地があれば対応できる。防衛基地の構築を急ごう。チュウ!」

 メルモも南国レモン・ジュースの杯を片手にチュウと頷いた。超級異形種の大軍勢を相手に大立ち回りをし、何と生還したこの二人のワーラット戦士の言葉は重みがある。無言で頷いたギルベルトも全面的に賛同する態度だった。ただ、天道樹の根は地下二十五階層にも十分届いており理の結界は機能している。今のところ通信妨害の他は目立った攻撃を受けてもいない。

「なあ、そこまで警戒する必要はもうないんじゃないのか?」

 探索を急ぐツクシはいってみたが会議の参加者全員から無視された。むっつり不機嫌になったツクシに、そのあとの発言はひとつもなかった。沈黙した不機嫌の横に座るゴロウはニヤニヤしていた。そのままネスト探索の中断が決定されて、手持ち無沙汰になったツクシとゴロウは久々にネスト探索から離れて骨を休めることにした。


 ネスト探索者制度が廃止されて以来、ネスト管理省天幕を訪れるひとは以前よりずっと少なくなった。管理省前広場へ照射された巨大な立体情報も今は何もない画面を映し出しているだけだ。

 そのネスト管理省天幕内の受付である。

 ツクシは天引きされた給与明細を手に顔を歪めていた。懲りもせずにツクシはまた管理省へ女遊びの請求書を送りつけてギルベルトを激怒させたのだ。バイザーのない軍帽を斜めにかぶった、なかなかに美人な若い受付嬢がうつむいて「くっふふっ!」と笑っている。この若い受付嬢ともツクシはもう顔馴染みだ。

「――ゴロウも今から遊びに行くか?」

 ツクシが連れ立って賃金を受け取りにきたゴロウへいった。

「遊びに行くって、メルロースかァ? あの店の女は値段が高くて高くてなァ――」

 ゴロウは苦笑いである。女遊びが嫌いなわけではないが、メルロースの高級娼婦二人組に鼻血も出なくなるほどムシり取られて以降、ゴロウはメルロースへ近寄っていなかった。むしろ意識的に避けている。

「そうかよ、この貧乏人め」

 ツクシが口角を歪めて煽りを入れると、

「ああよォ、何とでもいえや。一足先に地上へ帰るぜ。布教師アルケミストとして俺ができる仕事はもうほとんどねえが、一応は患者きゃくの往診くらいはしておかないとな。まァ、処方する薬がないんじゃあ、気休めみたいなものだがよォ――」

 ゴロウが背を向けた。

「――そうか」

 ツクシは力ない声をゴロウの背へかけた。

 そのツクシはというと、その金と足でメルロースへ足を向けた。徹底的に我慢のない男である。他に金を使うアテもこの男にはない。ツクシが歩く王座の街の中央区は元はキルヒだった天道樹が見上げるほどに大きく育って木もれ陽を落としていた。キルヒの奇跡で陽光が届くようになった王座の街は地上と同様、日中は気温が上がるようになった。

 天道樹の木陰で涼みながら、お喋りをしている王座の街の住民が結構いる。


 ツクシは入店する前から怪訝な顔だったが、

「何だよ、これ――」

 メルロースの正面出入口を潜って目を見開いた。いつ訪れても女の色気と酒精と音楽で飽和していた巨大な天幕ががらんどうの空間になっている。絨毯が剥がされて寒々とした石床の上には空の酒瓶だの割れたグラスだの大工が置き忘れていったらしい道具だのが点々と落ちていた。出入口の黒い受付テーブルだけはまだそこにあったが、受付をするひとはいない。正面出入口から差し込む光とそれが作るツクシの影だけが石床へ長く伸びている。そこへ、もうひとつ、ひとの影が追加された。

 ツクシが振り向くと、

「ああ、探しましたよ、ツクシ様」

 後ろにいた黒服の若者が薄ら笑いを見せた。

「おう、いつもの黒服野郎か。店はどうなったんだ?」

 ツクシが訊くと、

「見ての通りでございます。メルロースのネスト支店は、ちょっと前に引き払いました」

 黒服は慇懃無礼に応じた。

「――引き払った?」

 ツクシは耳を疑ったが、

「はい、その通りでございます」

 黒服は薄ら笑いを崩さない。

「あいつらは――サラやルナルナやチョコラは、地上うえにあるメルロース本店へ帰ったのか。最近は魔帝軍の空襲もあるし地下のほうが安全だと思うが――」

 ツクシは眉根を寄せた。そのついでに「地上のメルロースの本店は、王都のどこにあったかな?」ツクシはそんなこと考え始めた。

「いえいえ、それは違います」

 黒服がかぶりを振った。

「地上にメルロースの本店があるって俺は聞いてたぜ?」

 苛立って目つきが鋭くなったツクシが問い詰めると、

「メルロースの本店はもう王都にありませんよ」

 黒服は表情を変えずに告げた。

「――本店がもうないってどういうことだ?」

 ツクシは相手の嘘を見逃さぬよう身構えた。

「はい、メルロース本店は、ひと月も前に引き払いました」

 嘘を吐いている様子はないが、黒服の表情からは意図が一切読み取れなかった。

「メルロースは経営難で倒産したのかよ。景気、良さそうに見えたけどな――」

 ツクシが顔を歪めた。ここまで散々メルロースへ利益を供与してきた身の上である。

「いえいえ、店は潰れてはおりません。移転をしただけです」

 黒服がまた頭を振った。

「――移転だと?」

 ツクシが強く眉根を寄せた。現在のタラリオン王国はその国土のほとんどをエンネアデス魔帝国に侵略されている状況だが――。

「――はい、その通りでございます」

 黒服は慇懃無礼な態度を崩さない。

「それなら、お前はどうしてここに残っているんだ。リストラされたか?」

 ツクシが不機嫌に問い詰めると、

「いえ、私も今後、新店舗のほうへ移る予定でございまして――ああ、これをお渡ししないといけません」

 薄ら笑いを大きくした黒服が白い便箋をひとつ両手で持ってツクシへ差し出した。

 ツクシは便箋へ鼻先を寄せて、

「――手紙。これチョコラの匂いだな」

 ツクシは犬のような真似をしている。

「私はそれをツクシ様へ必ず届けるようにと、チョコラ様から仰せつかっておりました。下の宿へ――酒場宿ヤマサン様へ訪ねても訪ねても、ツクシ様のお姿が見えないので弱っておりましたよ。やれやれ、これで肩の荷が下りました。それでは、ツクシ様、またのご来店を心よりお待ちしております」

 薄ら笑いを消した黒服が綺麗なお辞儀を見せた。

 服も髪もすべて黒々としたお辞儀だった。

「『またのご来店を』だとかいわれてもな。もう王都にはメルロースがないんだろ。これじゃあ、金があっても何の意味もねェ――」

 ツクシががらんどうになった店内へまた視線を巡らせた。

「あの可愛い淫売どもに会えなくなるとマジで寂しいぜ――」

 渋面のツクシが便箋の封を切った。

 そこから出てきたのは、お姫様趣味のピンク色の手紙だ。

「――まあ、当然、出てくるのはチョコラの手紙だよな」

 ツクシが読み始めた手紙の内容は以下の通りである。


『拝啓、チョコラが一番大好きなツクシ様へ。

 すがすがしい初夏の季節となりました。

 チョコラの唇から、ツクシ様へ直接お伝えしたかったのですが、悔しいけれど、もうその時間がありません。

 メルロースネスト支店の移転が決まりました。

 メルロースの本店も同じ場所へ移転します。

 チョコラはメルロースの従業員なので、今からすぐ、南へ向けて出発しなければいけません。だから、この手紙をツクシさまへ届けるよう、黒服のお兄さんへ申し付けておきました。メルロースの新しいお店は、コテラ・ティモトゥレ首長国連邦のナナイ・ココモ島――南の最果て島、二番区大通りを西へ入った場所にあります。

 チョコラは、その新しいお店で、ツクシ様をお待ちしています。

 チョコラは、ずっと、ずっと、ずっと、必ず、ツクシ様を待っています。

 新しいお店のチョコラは今度こそツクシ様の本当のめす奴隷になりたいです。

 わがままでいけないチョコラをツクシ様の赤ちゃん産む機械に調教してください。

 だから、ツクシ様、できるかぎり早く新しいお店へ遊びに来てね。

 ツクシ様とチョコラの約束です。

 チョコラとゆびきりげんまんですよ?

 ありったけの愛をこめて。

 ツクシ様だけのチョコラより』


 時間が少なく、チョコラにも余裕がなかったのだろうか。つたない丸文字を意図的に使った、いつものあざとい手紙ではない。チョコラの手紙には大人が書いたような綺麗な飾り文字がスラスラ並んでいる。その所為か所々、「めす奴隷」だの「調教」だの「赤ちゃん産む機械」だのとドギツイ単語が目についた。チョコラは生まれ育ちがたぶんそんな感じ(ツクシは直接訊いたことはないが――)なので言葉がちょっとおかしくても致し方がないのかも知れない。

「――移転したらしいメルロースの新しい会員証も便箋に入ってるな。手紙の最後には赤いキス・マークが三つだ。小さいのは、まあ、チョコラだよな。あと二つはサラとルナルナか。この唇の形は憶えがあるから間違いねェ。ああ、ちゃんと下に小さく署名もあるじゃねェか。かなり字が小さいな――サラとルナルナはチョコラに遠慮をしたのかも知れん。まあ、チョコラは癇癪を起こすと相当に面倒くさいからな。猫人はみんなあんな感じなのか。ユキもへそを曲げるとかなり面倒だし――メルロースの新店舗は国境を越えて遥か南かよ。さすがに遠すぎて通えないだろ」

 手紙の仔細を確かめたツクシがカクンとうなだれて、

「――南、だと? コテラ・ティモトゥレ首長国連邦、ナナイ・ココモ島、通称、南の最果て島。そこへ、タラリオン王都を引き払ってメルロースが移転?」

 ツクシの頭に関連する情報が並ぶ。

 タラリオンの貴族が経営に加担していたメルロースは王国の中枢に食い込んだ政商に近い超高級娼館。

 その政商が運営する娼館が、タラリオン王都を引き払って別の国家にある小島へ店舗を完全に移転した。

 メルロースのバックにいるのはウェルザー海運商会。

 この世界有数の大海運会社。

 三ツ首鷲の騎士ジークリット・ウェルザー。

 ジークリットはウェルザー海運商会の血縁――。

「――どれだけ図太くて狡猾な野郎だ、あのクソがッ!」

 ツクシが怒鳴った。

「ギュンターがそれとなくいっていたぜ。だから、生き残った厄病神どもはほとんどが南へ――南大陸へ行っているのか。それで、手が足りなくなったジークリットは、ねずみどもと俺をネストの最下層へ放り込むことにした。異形の足止めをするためだけの捨て駒として俺たちを――おい、黒服野郎。俺はまだお前に訊きたいことがあるぞ!」

 返答はない。

 ツクシは怒らせた肩を落として、

「もう、いねェか。あれも堅気じゃねェ感じだったな。盗賊ギルド絡みの男かも知れん。あの黒服はディダックだとかゴブリン・ロードの爺さんと雰囲気がよく似ていた――まあ、それは今どうでもいい。これでようやくパズルのピースがすべて揃ったぜ。クソ、三ツ首鷲どもが俺を散々コケにしやがって。今度会ったら、その場で一人一人、しつこく丁寧にブン殴ってやるか――何にしろ、タラリオンの王都は施政者に見限られた。俺の救える範囲にいる奴らだけは何とかして救ってやりてェ。だが、俺自身は無力だ。俺は刃物ヤッパを抜いて振り回すくらいしか能がねェ。誰に話を聞けばいいんだ、誰に頼めばいい――」

 ツクシは廃棄されたメルロースから出ていった。


 §


「まあ、これも施設の隠蔽になるだろう?」

 老騎士バルカがネスト管理省庁舎の正面玄関を出たところで立ち止まって夜空を見上げた。敷地内を覆ってわさわさ高く茂った天道樹の大きな幹を揺らして上空へ舞い上がったグリーン・ワイバーンが「キュロローッ!」と高く鳴いた。すると、その声に呼応する形で「オーン、オーン」と夜の王都全体へ空襲警報が響く。

「隠蔽? バルカの爺様よ。この基地は上空から見ると逆に目立つと思うぜ。ここだけ明らかに周辺と景観が違うしな」

 ツクシもバルカの横で王都の夜空を見上げている。導式探照灯が光線を打ち上げる夜空を背景にグリーン・ワイバーンの翼が散らした葉がひらひら落ちてきた。

「ううむ、ツクシよ、やはりそう思うか。この樹が――天道樹が生えたのは完全に想定外だった。しかし、ネストの異形種はこの樹の根が封じている。痛し痒しよ――」

 バルカは苦笑いを見せた。

 天道樹に覆われたネスト管理省の敷地内は森林公園のようになった。この場所から空襲迎撃のためワイバーン航空騎兵隊が次々飛び立っている。前線から飛来する魔帝軍のヒッポグリフ騎兵やグレムリン航空兵が王都上空へ夜な夜な来襲するようになったのだ。ここまで魔帝軍空襲部隊の任務は偵察が主なようだが、稀に感染特性を付与された疫病が詰まったカプセル――疫病兵器を投下することがある。王都市民への感染被害も既に出た。もっとも、王都防衛軍集団の衛生隊が疫病兵器が投下された箇所へすぐさま駆けつけて手早く殺菌処理を行っているので、その被害が広範囲に拡大することはまだない。疫病兵器を使用した魔帝軍の攻撃は散発的でもある。

 これまでは、である――。

「――今夜は空襲してくる敵が多いのか?」

 ツクシが訊いた。探照灯に照らされた先にグレムリン航空隊の編隊が見える。そこへ、ワイバーン航空騎兵隊へ突っ込んだ。星空を背景にして戦闘が始まる。

 敵味方の光る銃口のみが見える夜間の空戦だ。

「そのようだ。ツクシ、気をつけて帰れよ。ああ、馬車を呼ぶかな?」

 バルカがツクシの横顔へ視線を送ると、そこには酒でゆるんだ不機嫌があった。

「いや、歩いて帰る。俺は歩くのが好きなんだ。随分と時間が遅くなった。無理筋な俺の話に付き合ってもらって悪かったな。爺様もそろそろ寝なよ」

 ツクシは暗闇のなかを歩いていった。

 空襲警戒で灯火管制令が出ているので王都はどこも暗い。

 ネスト管理省敷地内も例外ではない。

「――そうだな、空を眺めて戦局が変わるわけでなし」

 バルカが少し笑った。

「ああ、爺様、くどいようだが――」

 足を止めたツクシが視線だけを後ろへ送った。

「うむ、わかっておる。儂の後輩が散々な迷惑をかけた。それに報わねばなるまいよ。若い衆の尻拭いは老人の責務よな――」

 バルカがうつむいて小さな笑い声を上げた。

「ああ、確かに大迷惑だった。頼んだぜ、騎士の爺様」

 ツクシが口角を歪めて見せた。

「なになに、気にするな。少なくともネストの脅威が消えたのは、ツクシの尽力あってのことであるから――もう、行ったか」

 バルカが顔を上げたときには正面大正門へ向かうツクシの姿がすでに遠い。

 その歩みが夜闇に淀むことはない――。

「しかし、真実ほんとうなのかな。あの益荒男ますらおぶりに接すると信じたくもなるが――」

 バルカは死神の翼が揺れるツクシの背を見つめた。

 それはすぐ闇へ溶けて老騎士の目に見えなくなった。

「『かつてにして未来の君主のもとを去った流離さすらいの剣士、永劫に彷徨さまよ宿命さだめを負いし聖剣を帯び、因果の鎖を断ち斬りて、すべての世界へ均衡をもたらさん』。内容の過激さゆえ、聖霊書に記載することあたわずとされた古代文献のひとつ『流転する刃の伝承』。その聖剣を持つものは確か最後に――確か、流離いの剣士は――」

 踵を返したバルカは灰色のこわい顎髭に手をやって、

「――はて、最後はどうなったか? 儂も年齢としだ。何でもすぐに忘れてしまう」

 苦く笑ったバルカは緋色の外套の裾を浮かせながら、ネスト管理省庁舎へゆったりと戻っていった。

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