七節 師弟のキャッチ・ボール(肆)
「ゲッ、ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロ――」
ゲッコが長々と鳴いた。
ゴロウは目を丸くしてツクシを凝視した。
野次馬も固唾を呑んでツクシを見つめている。
「俺は本気でお前を殺しにいく。だから、お前もそうしろ」
死神は低く唸った。
「ソ、ソンナ、ゲッコ、師匠ニ、マダマダトテモ敵ワナイ――」
対峙する竜人は呻いた。
「――それも、そうだよな。じゃあ、ハンディをつけてやろう」
あっさり頷いたツクシが、ゲッコへ歩み寄って、
「お前の偃月刀が届く距離で立ち合ってやる。ここで、いいだろ。ゲッコ、好きなときに抜けよ。いつでも俺は構わんぜ」
「ゲロロ! デ、デキナイ。ゲッコ、ソンナノ、絶対デキナイ!」
ゲッコは口をパカパカ開閉させた。
「へえ、ゲッコはいらねェのかよ、この刀。最強の戦士になって
ツクシは邪悪に口角を歪めた。
「ゲゲロ――ゲッコ最強ノ戦士――?」
ゲッコが口をパタンと閉じた。
「ああ、そうだ。だが、お前が望む最強を手に入れてもだ。お前には、栄光も、名誉も、権力も、富も、愛も、平穏も、その他にお前が望んだものはすべて、何ひとつとして残らん。この刀を持つものはひたすら他人の血で、その身を濡らし続けるだけだ。それが、この刀――ひときり包丁を持つものの
ツクシが死神の相貌になった。
「ゲッ、ロロロロ――!」
風景が一変した。
ゲッコは荒野に立っている。地平線の向こうまでも続く痩せた大地には、点々と背の低い草があって、そのくすんだ色合いの草葉を悶えるように広げていた。その間にひとつだけ、馬らしき生き物の、白い頭蓋骨が落ちている。旋風が強く吹いて、ゲッコの視界の隅から回転草が転がってきた。その回転草を小さな回転草が追ってゆく。
どこを見てもひと影ひとつない。
ひび割れた大地はただ渇き、生命と希望を拒絶していた。
誰モイナイ。
誰モイナイ。
何モ無イ――。
ゲッコは熱と渇きと焦燥感に焼かれながら必死で視線を巡らせた。
すると、遠い地平線に馬上の影がひとつ見えた。
馬上にいるひと影は不毛の彼方へ消えようとしていた。
振り返らない――。
「――だが、これがお前の望みなんだろ。それなら俺はお前に応えてやる」
ツクシの声でゲッコは我に返った。
「デッ、デキナイ。ゲッコ、デキナイ。ダッテ、師匠、師匠!」
ゲッコは叫んだ。
竜人は戦いも死も恐れない。
だが、今、幻覚した『不毛』に、ゲッコは怯えた。
進めど進めど何ひとつ得られない渇きの世界――。
「ゲッコ、好きなときに抜け――」
ツクシが唸り声と一緒に腰を落とした。
死神の翼が広がる。
ゲッコは身構えもせずに、ただ「ゲロ!」と呻き声を上げた。
ふっと眉根を寄せて死神からひとの顔へ戻ったツクシが、
「ああ、さすがにこれだとやり辛い。ゲッコと俺はお互いを嫌っているわけでもないからな――おい、ゴロウ、ホレ」
ツクシが絶句中のゴロウへ何かを放った。
「ツ、ツクシ、おめェは一体、何を考えて――銀貨だァ?」
ゴロウは胸元に飛んできたタラリオン銀貨を受け取って益々困った顔になった。
「ゴロウ。そいつを上へ高く放ってくれ」
ツクシがいうと、
「あんだ、ツクシ。説明をしろよ、説明をよォ!」
顔を赤くしてゴロウが怒鳴った。
「ゲッコ、これは古式ゆかしい西部劇式の決闘方法だ」
ゴロウを無視したツクシはゲッコへ視線を送った。当然、鼻息荒げたゴロウはすごく不満そうである。握りしめた銀貨がそのゴツイ手のなかで折れ曲がりそうな勢いだ。
「――ゲロ、セイブ式決闘?」
ゲッコが呻いた。
「ああ、そうだ。ゴロウの投げたコインが地面へ落ちた瞬間、お互いの得物を抜いてブッ殺し合う。簡単だろ?」
ツクシは口角を歪めた。
「ゲロロロ――」
ゲッコは明らかに怯んでいる。
「これで、お互い恨みっこ無しだぜ」
ツクシの声は揺るがない。
「――おい、ツクシ、本気なのか?」
ゴロウが呻くように訊いた。
「ああ、本気だ。さっさとコインを投げろよ、ゴロウ」
頷いたツクシが、
「ゲッコ、
また死神に成った。
その両手は無造作にだらりと下がっているだけだ。
しかしゲッコの背筋を冷たいものが駆け抜けた。
これがツクシの構え。
必殺の無構え――。
「――ツクシ、一体、何を考えていやがるんだ!」
ゴロウが怒鳴った。
「――ゴロウ、俺を信じてくれ」
ツクシは呟くように返した。
ゲッコが眼球だけを動かしてゴロウを見やった。
「――ツクシ、ゲッコ――ああよォ。くっそ、もうどうにでもなれ!」
ゴロウが銀貨を放り投げた。
青空に高く上がった戦乙女ユリアの肖像が刻まれたタラリオン銀貨は、真上の太陽をきらきら反射しながら上昇を続けて、やがて落下してくる。
ゲッコは運命の銀貨の上昇と下降を横目で追った。
ツクシは目を閉じていた。
死神と竜人の決闘を見物する野次馬はいつの間にか多くなっていたが誰も声を上げない。
竜人の腰には刃渡り百六十センチを超える偃月刀が吊られている。前に一度、セイジに頼んで研ぎに出した、ゲッコ愛用の武器である。ひと一人ていどひとたまりもなく叩き潰せる巨大な凶器だ。この凶器をゲッコは片手で軽々振り回せる。
一方のツクシの腰には魔刀があった。
聖剣か、邪剣か、あるいはその双方か。
それは絶対の死を呼ぶ不毛の刃。
耐え切れなくなったゲッコの右手が無意識にピクリと動いた。
ツクシはただ墓石のように突っ立って微動だにしない。
路面に落ちた銀貨が高い音が鳴らして決闘の開始を告げた。
同時に、ツクシはゲッコの懐へ潜り込んでいる。
虹の光が散って、ゲッコのひとつ残った瞳へそれが映り込んだ。
ツクシの右手は魔刀の柄にかかっている。
ゲッコは何の対応もできていない。
師匠ニ、勝ツ、絶対無理――。
観念して目を瞑ったゲッコは、
「グ、ゲェーッ!」
盛大に悲鳴を上げて真後ろへぶっ飛んだ。何メートルか後方へ宙を飛んだゲッコはゴロンゴロンとボールのように転がったあとでようやく停止した。手足としっぽを伸ばしきったゲッコは「ゲロゲロ」と呻きながら大の字だ。
「ほおぉおぉおぉおぉおぉお――!」
野次馬がどよめいた。
ゴロウは怒らせた肩を大きな溜息と一緒に下ろして、
「あァ、ツクシは
ツクシは腰を落として魔刀の白刃を鞘から半分覗かせている。ゲッコの胴鎧の腹部が割れていた。リザードマン族は銃弾を弾き返すほど硬いウロコで全身を覆っているが腹部だけは野生の装甲が薄いのだ。ゲッコはその弱点を補うために胴鎧を身に着けている。ツクシは魔刀の柄頭を使った打撃をゲッコの急所へ叩き込んだ。
「ゲッコ、遅すぎるぜ、本気で来い」
ツクシが半分引き抜いた刃を鞘へ戻した。
「ゲッコ、デキナイ、師匠ヘ刃ヲ向ケルデキナイ――」
起き上がったゲッコはツクシへ弱々しく歩み寄った。割れた胴鎧の欠片が路面へボロボロと落ちて、ゲッコの白い腹が見える。
ゴロウも野次馬も頼りない足取りで歩く竜人を無言で見つめていた。
「そうかよ。それなら、お前は破門だな」
ツクシが無表情でいった。
「ゲロッ、破門!」
大口を開けたゲッコである。
「ゲッコは俺の弟子クビな」
ツクシは踵を反した。
「ソンナ、師匠、待ッテ待ッテ。ゲッコノ話、聞ケ聞ケ――」
ゲッコはいつもやるように、ツクシの外套の裾を掴もうとしたが、それは虹の光を散らして消失した。
「ゲアーッ!」
派手にぶっ飛んだゲッコの悲鳴だ。零秒で懐へ潜り込んだツクシは先と同じ要領で魔刀の柄頭をゲッコの腹へ叩き込んだ。胴鎧が破壊されている分、その威力も大きかったようで、ゲッコは腹を抱えて転げている。路面をしっぽでびたびた叩いて暴れる様は力強いものなので致命傷ではないようだが――。
「お前みたいに弱っちい奴は足手まといだ。とっとと失せろ」
ツクシはまた背を見せた。
「ゲッ、師匠、ゲッコ、モット頑張ル――モットモット修行頑張ル。ゲッコ、モット強クナル。ダカラ師匠、ゲッコト一緒ニ――」
ゲッコは震える足を気張って、しっぽまでも使って立ち上がった。柄頭の打撃が腹に残るゲッコはぶるぶる震えている。
「ゲッコ、師匠ニ、マダ話アル、聞ケ聞ケ――」
ゲッコは呼びかけたが、
「――ゲロゲーッ!」
ゲッコの悲鳴である。再び懐へ潜り込んだツクシがまた柄頭を使った打撃をゲッコの腹部に叩き込んだ。ゲッコが前傾姿勢だったので、ツクシの打撃も今度は下から真上へ突き上げる形になった。ゲッコは斜め上へぶっ飛んだあと背中から落下した。さながら、トカゲ・ロケットの打ち上げである。ゴロウも野次馬も「これはさすがに死んでしまったかも」そんな感じの心配そうな表情だ。しかし、それでもゲッコはゲロゲロ呻きながら這う体勢を作った。
その体勢でゲッコはツクシを見上げた。
「駄目だ、
ツクシはワーク・キャップの鍔で表情を隠し、外套の裾を浮かせて踵を返し、背中で弟子へ決別を告げた。
ゲッコは口をパカンと開けて身体を固めた。
「行くぜ、ゴロウ」
ツクシが声をかけた。
「あっ、あァよォ――」
ゴロウは髭面を硬くしてゲッコへ視線を残しながらツクシを追った。
「師匠――」
路面に這いつくばったまま呻いたゲッコである。
ツクシは振り返らない。
ゴロウは何度も振り返った。
「師匠、ゲッコ、マダ話アル、話アル!」
ゲッコが呼びかけたがツクシの背は遠ざかる。
ゲッコにはまだ話がある。
ツクシへ話したいことがある――。
――リザードマン族は多種多様な種族が暮らすカントレイア世界でも最も特異な容姿を持つ種族であり、外界と接点が少ない種族でもある。ゲッコは武者修行の旅路で出会った様々なひとと意思疎通を試みたが、そのたいていは怯えられて逃げられた。ゲッコが使う言語は通じなかったし、その外見はほぼ怪物だ。それに故郷の外では「リザードマンは凶悪で恐ろしい種族なのだ」そう噂されている様子だった。
ゲッコはそれでも挫けず圧倒的な野生力を駆使して旅を続けた。
ドラゴニア大陸を北上し、
赤道直下の中央諸島を隔てる海を泳いで渡り、
グリフォニア大陸を西海岸沿いにひたすら歩き、
ゲッコは流れ流れてタラリオンの王都へ辿り着く。そこはカントレイア世界で最も人口が多く、多種多様な種族が住むと、村の長老からゲッコが聞かされていた大都市だった。
長く旅を続けてきたゲッコでも、これまで見たことがないほど通りを歩くひとは多く、活気があって賑やかで、道の左右には石造りの家どこまでも並び立っていた。ゲッコが最も驚いたのは陽が落ちると夜空から星々が家の軒先や石畳の道の沿いへ降りてきて、石造りの大密林を光で包むことだ。
それが朝まで続くのである。
ウビ=チテム大森林のように大きな街。
夜闇も退けるすごい街。
この王都なら自分を受け入れてくれる場所もきっとある――。
ゲッコは胸を踊らせたのだが、だがやはり、そこに住むひとの対応もこれまでと同様だった。ゲッコは外見で恐れられ、言葉が通じないことで疎外された。意気消沈したゲッコは誰も来ない王都の旧地下道をねぐらに決めて、ひとりで川魚を採っては食い、ひとりで修行のために偃月刀を振る不毛な毎日を送った。そうしていると、ゲッコはある日、王都の地下で暮らしていたワーラット族の一家と出くわした。当初、ワーラット族一家もゲッコの容姿に怯えている様子だったが、何度も何度も同じ地下道で顔を合わせているうち慣れてきたらしい。そもそも、ゲッコは弱いものへ無差別に暴力を振るうような性格ではないのだ。そのとき、ゲッコは言語翻訳用の導式具――虎魂のペンダントをワーラット族の一家から手渡された。それで会話がどうにか成り立つようになったゲッコは、ワーラット族の一家から
ゲッコはネストでの修行中にツクシたちと出会った。それまでゲッコは、グリーン・オーク族やエルフ族同様、ヒト族も大嫌いだった。拒絶された側は拒絶したものを嫌うのが心理である。だが、ツクシとその仲間はゲッコへ手を差し伸べた。ツクシたちと一緒に行動するようになったゲッコは毎日が楽しくなった。前述の通り、リザードマン族は比類なき野生力を持ち、戦闘を好み、その結果やってくる死すらも恐れない勇猛な種族である。それがこの種族に共通する特性だ。しかし、長い旅路で蓄積した孤独は若い竜人の心身を確実にすり減らしていたのだった。
ヒト族や他の種族に対するゲッコの認識がタラリオンの王都で変わった。
他種族を相手にしても絆が得られることをゲッコは教えられた。
それを語らずとも教えてくれたのは――。
「――師匠ーッ!」
大空へ絶叫したゲッコの目から涙がこぼれる。
涙を流しながら、ゲッコは路面で身体を丸めた。
ゲッコには、ツクシと話したいことが、まだたくさんあった――。
理由はよくわからないが、いたたまれないような気分になった野次馬は無言で散っていった。
§
ネスト管理省の敷地内へ入ったところで、
「ツクシ、ゲッコはあれで良かったのかよォ?」
ゴロウが太い眉尻をガックリ下げて訊いた。
「これで、いいんだ」
ツクシは背後へ視線を送った。
ゲッコは追ってこない。
「
ツクシは視線を前に戻した。今はネスト出入口の階段が封印されていて、その脇に導式エレベーターの出入口が八つ並んでいる。ツクシとゴロウがエレベーターの到着を待つ兵士の群れに交じると、周辺にいた兵士から敬礼を受けた。一応、ツクシとゴロウは結構上の役職になる。ツクシは顔を歪めたが、ゴロウは調子よく「ああよォ、お勤めご苦労さん!」などと周辺へ対応している。
ゴロウはひとしきり上官気分を味わったあと、
「そうかァ、ゲッコは二十一歳だったのかァ。まだ若かったんだなァ。リザードマン族は見た目で年齢がよくわからねェけどよォ」
「昨日、
ツクシは足元を見つめている。
「あァ、宿の裏で何かゲッコと話をしていたな。あのときかァ――」
ゴロウはエレベータの脇で操作パネルをいじる兵員を眺めていた。
「ゲッコもゲッコでかなり頑固だからな。散々、帰れっていっても聞かねェから、身体へ教えてやることにした。だが、あのていどならどうともならんだろ。あいつ、
視線を落としたままのツクシが口角を少し歪めた。
「――ガソダムゥ? それって何のことだァ?」
怪訝な顔のゴロウである。
「ガソダムはガソダムだ。面倒だから、これは説明をしねェ!」
ツクシはフンッと鼻を鳴らした。
ちょっとの間、ゴロウはツクシを眺めていたが諦めて、
「まァ、そのガソダムはよくわからねえがよォ。ゲッコは故郷に家族がいるんだなァ。それなら、すぐ
「ゴロウ、お前も――」
そうツクシいったところで、「ギッシャーンッ!」と咆哮しつつ導式エレベーターの箱が階下から駆け上ってきた。着音は「ズギャーン!」だ。伸縮扉の間から火花が散っている。あいも変わらず乱暴な作動だが、これでも乗り心地は以前よりも改善さた。
多少である。
ゴロウが兵士の群れと一緒に導式エレベーターの箱へ足を踏み入れながら、
「あァ、ツクシ、今、何だって?」
「――いや、何でもねェ」
ツクシも到着した導式エレベーターの箱へ乗り込んだ。
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