四節 師弟のキャッチ・ボール(壱)

 ネスト地下十五階層の導式エレベーター前の作戦司令部。その天幕下に置かれた作戦用テーブルである。

「地下十五階層の探索は一旦中止だ。最優先で防衛基地を回復させる。今回受けた攻撃で、異形の領域の外へもアラクネーの異形砲やパズスの異形弓が届くことがわかったからな」

 パイプ椅子の上のギルベルトが伝えた。作戦用テーブル席についた面々の口は一様に重く、なかなか返答がない。

 沈黙のあと、

「これまで敵の砲撃が防衛基地まで届くことはなかったのだが、チュ――」

 メルモがオレンジモドキジュースをひと口飲んだ。

「騎士殿。異形の領域は以前よりも早く大きく拡大しています。単純に活動可能な範囲が広がっているから、奴らの砲も防衛基地へ届くようになったと考えていいと思いますよ」

 イシドロ少尉がタッチパネルを叩くと、立体情報ツリーに地下十五階層の地図が表示された。時間の経過で地図は虫食い状態になる。このデータは先ほど超級異形種の軍勢から攻撃を受けたときの再現だ。横にはこれ以前、攻撃受けたときの地図も表示されていた。比較すると明らかに今回の立体地図は異形の領域に侵食される時間が早い。

「イシドロ少尉、異形どもはどうやって奴らの領域を広げていると思う?」

 ギルベルトが訊くと、

「それは、まだ不明ですが――チーロ氏の見解は?」

 イシドロ少尉は横に座るチーロ特務少尉へ視線を送った。

「うーん、じゃあ、これは僕の推測だよ? 立体地図の動向から推測すると、異形の領域は超級異形種が活動する周辺へ広がってるよね。だから超級異形種は各自が異形の領域を形成する能力を持っている。今回は攻めてきた敵の数が多かった。だから異形の領域の展開も早かった」

 個人用の小さな端末をいじりながら、チーロ特務少尉の見解だ。

「チーロ氏、領域から外れた超級異形種は活動中でも消滅するんだよ。各敵がすべて異形の領域を展開する能力を持っているとしたら領域外は存在しなくなるわけだ。領域外の超級異形種が消滅する事実を無視すると細かい部分で理屈に合わなくならない?」

 イシドロ少尉は首を捻った。

「ねえ、そこがちょっと不思議なんだよねえ?」

 チーロ特務少尉も首を捻った。

「――敵の兵種の分析不足か。期待薄だが、王国学会アカデミーの学者連中に打診をしてみるか?」

 ギルベルトがピッチャーからグラスへ水を注いだ

「うーん――まともな返答があるでしょうか。王国学会はややこしい組織ですし、ネストは専門外なんでしょうし――超級異形種は死体でも被検体が確保できませんから、調査をしろといっても、難しい話でしょう――?」

 イシドロ少尉は首を捻りながら操作パネルを叩いて、ネスト管理省との通信画面を開こうとしたが、横から伸びてきた手がその作業を止めた。

 チーロ特務少尉の手である。

 ニンマリ笑顔になったチーロ特務少尉が、

「いや、イシドロ氏。そこは、まず手近な所からだよ。地下十階層の造物主構造デミウルゴス・システム研究施設へ連絡を取ってみたら?」

「ああ、あそこの学者連中なら、みんな異形種やネストに詳しいよね。その意見、ズバリ採用。流石、チーロ氏、閃きキング!」

 イシドロ少尉もネトネト笑っている。

「――では、それで頼む」

 ギルベルトは真横を向いている。

 水が飲み辛そうだ。

「チュ、チュウ、超級異形種どもめ――」

 元気のない鳴き声のメルモへ、

「メルモ大将、すまねえ。俺はお前の部下をまたたくさん死なせちまった。とんだボンクラ特務中佐だぜ。好きに貶せよ」

 ツクシが視線を卓上に置いたままいった。

「それによォ、ミロクの下僕も半分死なせちまった。吸血鬼やその下僕が相手だと導式の援護も治療もできねえからよォ。俺にはどうにもできねえ――」

 ツクシの横に座るゴロウが呻いた。

「ゲロロ――ゲッコ、力不足――」

 ゲッコもうなだれている。

「チュチュ、それをいうな、貴様らの責任ではない!」

 ニーニがテーブルの皿にあったナッツをボリボリやりながら強くいった。

「チュ、これは我らの戦争でもあるのだ。異形の領域がこのまま拡大すれば真っ先に被害を受けるのは王都の地下――ワーラット族の生活空間。どんな犠牲を払ってでも奴らを食い止めなければならん、チュチュ!」

 顔を上げて気合を入れなおした様子のメルモである。

「地下の――ねずみの通路の安全が脅かされると困るのは吸血鬼も同じだよ。ツクシ、ゴロウ、ゲッコも犠牲を気に病まなくていい」

 ミロクがいった。そのミロクは背後に吸血鬼の下僕をいっぱい侍らせてピニャ・コラーダ(※ライト・ラムとココナツッツ・ミルク、それにパイナップルジュースを使ったカクテル)の大きな丸いグラスを持っている。彼女が座る椅子は女王様が座るそれと変わらないくらい豪華なものだ。

「うん、ツクシ、吸血鬼わたしたちには吸血鬼わたしたちなりに戦う理由があるのだ。そのために、私は呼びたくもなかったミロクをここへ呼びよせた」

 フロゥラは眉を厳しく寄せている。女王様はミロクの手にあるグラスと、自分の手元にあるワインのゴブレットを、しきりに見比べていた。ミロクのほうが色もグラスも飾り付けも派手だ。すごく贅沢に見える。女王様はミロクが飲んでいるカクテルが何なのか知らない。「南方で流行っている」そう聞いたカクテルだ。女王様はまだ口にしたことがない。あれをちょっと飲んでみたい。でも、ミロクに頭を下げて頼むのは絶対にいやだ。女王様は割増で苛々している。

「呼びたくもなかったは余計だよ、フロゥラ。だいたい、いつもいつも力の加減がまったくできん貴様に他人の援護などできるものか。貴様が得意なのは、他人に迷惑をかけることだけではないか」

 鼻で笑ったミロクが、ピニャ・コラーダのグラスから突き出たストローを唇の間に挟んだ。

「――ミロク、近いうちに、必ずおぬしを殺してやるぞ」

 フロゥラが牙を見せると、背後に控えていたゴードンとカレラが左右から身を寄せて、その起爆を警戒した。

「まあ、そういってもらえると、少しは気が楽になるがな――」

 ツクシはむっつり不機嫌な顔のままだった。

「ギルベルト、次回の探索は何日後になるんだァ?」

 同様に不機嫌な顔のゴロウが訊いた。

「ほう、まだやる気なのか、ゴロウ?」

 ギルベルトがおやと表情を変えた。

「ゲロゲロ、ゲッコモ、マダマダヤル」

 ゲッコは殺気立っている。

「このまま引き下がるのは、ちょっとなァ――」

 そう呟いたゴロウをツクシは眉根を寄せて横目で見やっていた。

「五日もあれば防衛基地の機能は回復するだろうが――」

 ギルベルトが呟くと、

「チュッ、ギルベルト。我ら生活圏防衛軍の地下補給路を侮るな。三日で防衛基地は復旧できる。本国からの資材と増援は女王陛下の輪廻蛇環ウロボロス号を使えばすぐ届くからな。チュチュウ!」

 メルモがパイプ椅子の上に立ち上がってチュウチュウ息巻いた。本国とはいってもラット・ヒューマナ王国は自分たちが掘った地下道を全部生活圏にしているので、どこからどこまでが国土なのか不明瞭だ。とりあえず今のねずみ王が住む地下城は王都の南方にあるらしい。

「では、三日後に――」

 ギルベルトが言葉を止めた。

 基地復旧中に攻撃を受けたら上階へ撤退しかない――。

 思い直したギルベルトは努めて表情を変えずに、

「――いや。ただ闇雲に進んでも犠牲者が増えるだけだろう。今は探索再開時期を明言しない。基地を回復させて、そのあとに作戦会議だ。見通しが立ち次第、連絡する」

「――ああ。それでいい」

 ツクシが頷いた。

「わかった」

 ゴロウも頷いた。

「ゲロゲロ」

 ゲッコは鳴いた。

「――以上だ。他にはないか?」

 ギルベルトが見回すと作戦テーブルについた面々は無言で頷いて同意した。

「では、解散」

 作戦テーブル席にいた面々はおおむね無言で席を立った。

 イシドロ少尉とチーロ特務少尉はその場に残ってあれこれ意見を交わしながら統合導式通信機の操作パネルを叩き続けた。立体情報ツリーを飾り付ける情報ブロック体がきらめきながらその位置を交換し続けている。


 §


 これはネスト地下十五階層で二回目に行われた探索が中断されたあとの話――今から一週間前の話だ。

 王座の街の超高級娼婦館メルロースのイヴァンナという源氏名の金髪娼婦相手にいやらしく遊び倒したツクシは店を退出する途中、追いすがってきたチョコラに大泣きされた。

「この浮気もの、ばか、ばか、うわーん!」

 こんな感じだ。

 金を払って女を買うのに浮気もへったくれもないだろう。そう思えるのだが、そこは女であるし商売でもあるから、お得意様が他の従業員と仲良くしていると馴染みの嬢は機嫌が悪くなる。今回、店内の浮気を決行したツクシを確保したのはチョコラだったが、それが胸ぐらを掴んで睨みを利かせるサラの場合もあるし、プンスカ怒りながら詰め寄るルナルナであったりもする。このだらしない男にそんな甲斐性はないだろ。たいていの読者はそう疑問に思うかも知れない。しかし、ネスト完全制圧作戦に協力中で、中佐の仮役職までもらったツクシは高給取りなのだ。金回りが良くなって、金離れの良さは以前と変わらないツクシは、メルロースのちょっとした人気者になった。チョコラやサラやルナルナの他の娼婦も来店するツクシを虎視眈々と狙っている。もっとも、狙われているのはツクシ本人というより、その懐を温めている金貨なのだが――。

 ともあれである。

 結局、追加のチョコラも含めて三日間も高級娼婦館でだらしなく遊び倒し、さすがに財布の金が足りなくなった(そのときの会計は金貨でウン十枚――)ツクシは、

「俺はタラリオン王国陸軍のクジョー特務中佐様だぞ。足りない分はネスト管理省へ請求書を送っておけ」

 ど偉そうに支払いの半額近くをつっぱねた。

 これはハッタリである。

 しかし、

「ええ、それでよろしいでしょう。ツクシ様のお身元なら間違いなく確かなものですからね」

 作り笑い以外の表情は陶器のように体温がない印象の黒服の若者は快諾してくれた。ツクシはこのとき初めて「特務中佐の身分も案外と悪くねェよな」と思った。頬を赤らめたチョコラのはにかんだ笑みに見送られて、メルロースをあとにしたツクシは帰路をふらふら歩きながら邪悪に笑い続けた。

 酒場宿ヤマサンに帰ったツクシが、カウンター席でまったりエールの杯を傾けていると、そこへ冷たく怒り狂ったギルベルトが突撃してきた。手にメルロースから送られてきた請求書の束をもっている。

「次回の給料から、この請求書にある金額を天引きしておくからな」

 長くしつこい苦情をギルベルトから聞かされたツクシは最後にそう告げられた。不貞腐れたツクシは横を向いたまま返事もしない。

 そして現在――三回目の探索が中断された直後だ。

 ネスト管理省からツクシが受け取った金貨三十八枚の賃金はタラリオン王国陸軍尉官へ支給される平均的な初任給の、六カンマ二五倍に相当する金額らしい。この前、ギルベルトからツクシはそう聞いた。ギルベルトの宣言通り、今回の給料からはメルロースへの支払い分が天引きされていたので、ツクシの手元に来たのは金貨二十枚強だった。ツクシはその金とその足でメルロースへ直行した。どこまでも我慢のない男である。

 メルロースでは色々な女を味見してきたが、やはりサラとルナルナが一番だ。

 あの二人はマジでエロい。

 どうにも甲乙つけ難え。

 しかし、あと数年であの店のエースはチョコラになるかも知れんぞ――。

 明け方に下劣な比較をしながら、王座の街の路地をふらふら歩くツクシが二日使ってこってり遊んできた相手は、またチョコラ姫だ。チョコラは年齢を明記するのが躊躇われるような若い年齢の、正式には娼婦デビュー前の猫耳美少女だ。しかし、元からロリビッチだったチョコラは会うたびエロくなっているし、ツクシも前の世界にいたころの倫理観が麻痺しつつある。

 これはもうダメである。

 手遅れである。


「おう、戻ったぜ」

 いつもの挨拶と一緒に酒場宿ヤマサンへ帰還したツクシである。

 客はほとんどいない。カウンター・テーブルの向こうにいるパメラが、毛布やベッドシーツを納入している業者の中年男と世間話をしていた。客らしい客はその彼一人だけだ。

 丸テーブル席ではテトとゲッコが例の将棋モドキで対戦している。二人は金銭を賭けて対戦しているようだが、テーブルの上に出ている金貨は三枚だけだ。その様子を見ると金貨三枚がお互いの間を行ったり来たりしているようである。将棋モドキの研鑽を重ねたゲッコは戦えるようになった。リザードマン族の知能はそう低いものでもないらしい。

 へえ、なかなかやるじゃねェか――。

 ツクシは出入口で佇んだまま少し口角を歪めた。

 だが、シャオシンにはまだまだ勝てんだろうな――。

 続けて考えたツクシの表情が暗くなる。以前、その丸テーブル席では、もっとたくさんのひとが朝帰りのツクシを賑やかに出迎えてくれた。

 ツクシがテトとゲッコの勝負を眺めていると、

「ツクシ、おかえり」

 テトが顔を上げずにいった。ツクシに対してわだかまりのあるテトは、顔を合わせるたび、何かをいいたそうな顔をする。テトはその表情をうつむけて、ツクシから隠している。

「――ゲロロ、師匠、オ帰リナサイ」

 だいぶ遅れて、ゲッコがツクシへ顔を向けた。

 ツクシはゲッコが見えなくなったほうの目の先に佇んでいる位置取りだ。

「――おう、ゲッコ。その将棋、随分と強くなったみたいだな」

 間を置いてから、ツクシがいった。

「ゲロゲロ、師匠、修行ノ成果」

 顎を上げたゲッコは得意気だ。

「――うん。簡単にゲッコをカモれなくなっちゃった」

 テトは盤面を眺めている。

「ゲッゲッ――」

 ゲッコがはっきりと口角を歪めて不敵に笑った。

「――ツクシ?」

 テトは盤面に視線を落としたままだ。

「何だ?」

 ツクシも盤面に並ぶ駒を眺めながら応じた。

 盤上の戦いは互角に見える。

「ゲッコは左目を怪我したの?」

 唇の先にあったテトの右手が自陣の兵隊駒に伸びた。

 ツクシは返事をしない。

「ゲロ、テト、コンナノ大シタ事無イ無イ」

 ゲッコが片方だけになった瞳にテトのうつむいた顔を映した。

「ゲッコの左目は一生見えないの?」

 兵隊駒に指先がかかる寸前、テトの右手が止まった。

「――ゴロウが急いで治療をしたんだがな、結局は駄目だった。ヤブ医者のやる仕事なんて、そんなもんだ」

 ツクシは吐き捨てるようにいった。

 小さく息をついたテトが、兵隊駒ではなく移動距離の長い黒騎士駒を動かして、

「そうなんだ。ゲッコ、王手ね」

「テト、ソノ手、待ッタ、チョト待ッタ!」

 ゲッコが顔を上げてゲロゲロ喚いた。

「待ったは三回までデショ?」

 顔を上げてテトがニヤリと笑った。

「まだ修行が足りんようだな、ゲッコ」

 ツクシは盤面を凝視するゲッコへ告げたあと、カウンター席の右から二番目に座って、

「パメラ、俺に朝めしを頼む」

「あら、ツクシ。外で女の子と一緒に食べてきたんじゃないの?」

 パメラは笑顔と一緒にそんな返答だ。

「意地悪をいうなよ――」

 うつむいたツクシが口角を歪めた。


 §


 ツクシがネストから地上へ出ると自然の風に煽られた。

 ゲッコが見えるほうの目を細めている。

 王都の季節は赤竜月の上旬。

 初夏だ。

「――夏が来るな」

 ツクシがワーク・キャップの鍔の脇から空へ視線を送った。

「ゲロロ、コレ、ゲッコノ故郷ノ風ト似タ匂イ」

 横でゲッコが目を細めた。

「ああ、南国の風か――」

 ツクシも目を細めた。

「――ゲロゲロ、南風」

 ゲッコは遠くへ向けて呟いた。ツクシとゲッコは女の子と遊んだり博奕で遊んだりして、王座の街で休暇を過ごしていたが、その間に探索再開の連絡はこなかったのでゴルゴダ酒場宿へ帰ることにした。もうゴルゴダ酒場宿を引き払っても良かったのだが、ツクシはそうしない。王座の街は人工の光で二十四時間明るくても地下にあるので息苦しい、これがツクシの表向きの理由だ。ここからが本心になる。ツクシはネストのなかで様々なひとと繋がりを持ち、その繋がりをネストのなかで失った。ネストにいると気が滅入る。それでも、テトやジョナタン、パメラもトニーもアナーシャも王座の街でずっと働いている。

「俺よりあいつらのほうがずっとタフなんだろうな――」

 ツクシは視線を落とした。

 真上から降る陽光が地面を真っ白にしている。

 穴倉の外はすべてが目に眩しい――。

「――ゲロ、グリーン・ワイバーン、イル」

 ゲッコは訓練広場を眺めている。

「あれがセイジさんが乗ったっていうグリーン・バンバーンかよ。ゲッコ、ちょっと見学していくか」

 ツクシが訓練広場へ歩いていった。

 訓練広場には十二機のグリーン・ワイバーンが並んでいる。

「おう、兵隊さん、こいつらはひとによく慣れてるんだな」

 ツクシはワイバーンの世話をしていた兵士の一人へ声をかけた。

「ああ、駄目駄目。民間人の立ち入り禁止だぞ。立て看板が見えなかったのか――あっ、これは中佐殿、失礼を致しました!」

 兵士――ワイバーン航空騎兵がツクシの襟元の階級章を目にとめて直立不動の体勢になった。ツクシは開襟シャツの襟に階級章――赤地に二ツ金星の階級章をつけている。ギルベルトが規則にうるさいので、ツクシはユキに頼んで階級章を縫い付けてもらった。歪んで縫い付けられた階級章はちょっと不格好だ。最近のユキは雑貨屋の女将さんから裁縫を教えてもらっているといっていた。

 ツクシはワイバーン航空騎兵の階級章を見やった。

 そこにあるのは銀星が二つだ。

「空軍中尉殿よ、俺は特務――特別任務がつくインチキ中佐だぜ。だからまあ民間人みたいなものだ。そんなにかしこまらなくていい」

「特別任務の中佐というと――中佐殿は何かの技術者なのでありますか?」

 ワイバーン航空騎兵がツクシをまじまじと見つめた。目つき異様に鋭く、口硬く「へ」の字に結ぶ、その超不機嫌そうな顔は技術者のような堅気に見えない。これが兵士でなければヤクザかマフィアの鉄砲玉だ。

「どうだろうな。まあ、強いていえば、俺はこいつの技術者かも知れんぜ」

 眉根を寄せたツクシが腰の魔刀へ目を向けた。

「カタナにリザードマン族――あひっ、ネッ、ネストの死神!」

 ワイバーン航空騎兵が一歩下がって悲鳴を上げた。

「何だよ、その態度は。何か文句があるのか?」

「ゲッロゲロ――」

 ツクシとゲッコが不満気に唸った。

「ああ、いえ、そんな文句など! 自分はフレッチャー・リンド。階級は空軍中尉です。クジョー特務中佐殿、ゲッコ特務大尉殿、お目にかかれて自分は光栄であります!」

 ワイバーン航空騎兵――フレッチャー中尉が王国空軍式敬礼を見せた。

「あのな、光栄って――ツクシでいいからよ。俺は軍人でなくて民間人だっていってるだろ。しゃちほこばって敬礼なんてしてくれなくていい――しかし、この竜は大人しいものなんだな」

 顔をしかめたツクシがグリーン・ワイバーンを見上げた。

「ああ、はい。これは自分の愛機『スカイプ』です。しかし、中佐殿、これはワイバーンですよ。竜とは違います」

 フレッチャー中尉が笑った。

 何しろ巨大な生き物だ。しっぽを含めた全長で十五メートル、翼開長で三十メートル以上。身体は緑色の鱗と部分的には体毛で覆われている。鍵爪のような手は翼の上部についていた。何人か分の座席がついた大きな鞍がついてる。フレッチャー中尉の愛機は長い首を曲げてツクシとゲッコを見つめていた。目はゲッコのそれとよく似ている。口はお喋りオウムのクチバシのような形だった。

「ほ、本当に竜じゃねェのか?」

 ツクシが近くで見るグリーン・ワイバーンの威容に圧倒されている。

「ええ、竜は――ドラクルは南大陸の神獣ですからね。それで南大陸はドラゴニアって名前がついてます」

 フレッチャー中尉が頷いて見せた。

「おいおい、こいつよりもまだ凄い生き物がこの世界にはいるのか――」

 ツクシは呆れ顔である。

「竜はたぶん誰にも飼えませんね。あれは大空の覇者ですから――」

 フレッチャー中尉は空を見上げた。空を見やった顔には若さがある。年齢は二十代半ばていどに見えた。

「南の大陸にはその竜がたくさんいるのか?」

 ツクシが青年尉官のたくましい横顔へ視線を送った。

「うーん、カントレイアにいる竜はおそらく一体だけでしょう」

 フレッチャー中尉は不機嫌な中年男の顔へ爽やかな視線を送った。

「一体だけかよ。絶滅危惧種もいいところだな」

 ツクシが呟くと、

「ゲロロ、師匠、竜ハ世界蛇神ヨルムンガンド様ノ一番偉イ御使イ。スゴク神聖」

 ゲッコが教えた。ゲッコはドラゴニア大陸出身である。

「御使い? 神様のか?」

 ツクシが怪訝な顔をゲッコへ向けた。

 ゲッコも顔を向けてツクシを見つめた。

 お互いの顔を見合わせて動きを止めたツクシとゲッコへ、

「ええ、そうですね。竜ってのはすごく知能が高くて、ひとの言葉を話すらしいですよ。何しろ神獣らしいですからね」

 フレッチャー中尉がいった。

「――らしいらしい、か。らしいって二度もいったな?」

 ツクシが首を捻ると、ゲッコも反応して顔を傾けた。

「はい、実は自分もまだ竜を見たことはありません」

 フレッチャー中尉が頷いた。

「何だよ、異世界こっちでも竜ってのは空想上の生き物なのか?」

 ツクシがグリーン・ワイバーンをまた見つめた。

 これだって、ツクシにとっては信じ難い生き物である。

「いえ、目撃例はたくさんありますよ。竜はグリフォニア大陸だとデ・フロゥア山脈に棲むグリフォンのような存在なんですよね。神話戦争時代から生きてるって話ですが、どうなんでしょうか。自分もワイバーン乗りの端くれですから、いつか竜に乗ってみたくはあるかなあ――」

 フレッチャー中尉の口振りを聞くと、竜やグリフォンは目にするのも難しい生き物らしい。

「――ま、この世界なら、そんなのも珍しくないんだろうな」

 ツクシが近くにあったリヤカーへ歩み寄った。干し草が山と積まれているリヤカーである。

「竜やグリフォンは地上の生命体とはまったく異質な存在だという学者もいますよ。外宇宙生命体というらしいです。彼らが勝手に考えた呼称では、ですけどね」

 ツクシの背にフレッチャー中尉がいった。

「ほれ、餌だ、食え、スカイプ」

 ツクシが干し草を手にとってグリーン・ワイバーンのスカイプへ突き出した。スカイプの巨大な顔が寄ってきて、ちょっと躊躇した様子を見せたあと、ツクシの手先にあった干し草をモシャモシャ食べた。牛くらいの大きさがある頭だ。でかすぎる。ツクシは腰が引けていた。顔もわかりやすく強張っている。

「おお、手から食べましたね!」

 フレッチャー中尉が声を上げた。

「――ん、珍しいのか?」

 ツクシが振り返ると、

「かなり珍しいですよ。グリーン・ワイバーンは、このでかいナリでも、繊細な生き物なんです。慣れた乗り手からしか餌を食べない個体も多いですよ」

 フレッチャー中尉が真顔で頷いた。

「へえ、そうなの――うおっ!」

 ツクシが悲鳴を上げた。「キュロロロ!」と鳴いたワイバーンがツクシへ頭をすり寄せたのだ。どうも甘えているようだが、それは頭といっても建築物破砕用鉄球のような硬さと重さだった。よろけたツクシはかろうじて転ばなかった。フレッチャー中尉が声を上げて笑った。ゲッコも「ゲッゲッ」と笑っている。ツクシはフレッチャー中尉を苦々しく見やった。なるほど、空軍中尉はまるでプロレスラーのような体形だ。グリーン・ワイバーンの世話や騎乗は体力勝負のようである。

「おう、ところでフレッチ。管理省の敷地の周辺にある大砲なんだが――」

 体勢を整えたツクシが管理省の敷地全体へ視線を巡らせた。

「ああ、はい、何でしょう?」

 ツクシの視線を追ったフレッチャー中尉である。

「敷地に並んでいるのは対空砲か?」

 ツクシが訊いた。敷地内には砲がたくさん設置されている。その砲身がすべて上を向いていた。訓練か何かなのか、その周辺に兵員が集まって作業をしている。

「ええ、そうですよ。四八よんはちトンヴ(※一トンヴ=おおよそで三センチ)口径対空導式陣砲です。あれは最新型で、導信機と連動して仰角や俯角が動くんで通常の火砲よりも操作がずっと楽です。自走できるともっといいんですがね。一応は牽引砲なんですが、やたら大きくて重い上に設置後は導信関係の調整があるので手間がかかる。便利は常に一長一短ですよ」

 腰に手を置いたフレッチャー中尉の説明だ。

「あの砲身の長さを見ると高々度爆撃機も落とせそうだがな。しかし、あんな仰々しいシロモノが王都の防衛に必要なのか?」

 ツクシは眉根を寄せた。

「うーん、設置をしたのだから、きっと必要なんでしょうね?」

 首を捻ったフレッチャー中尉は曖昧な返事をした。

「――そうか。フレッチ、仕事の邪魔をして悪かったな」

 ツクシが踵を返した。

 ゲッコもしっぽを振りながら背中を見せた。

「いえ、中佐殿、とんでもない」

 フレッチャー中尉がその背中に笑いかけると、ツクシは右手を軽く上げて返礼した。

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