三節 作戦名は「行動計画・死神の刃」(参)

「――俺に傷を見せろ、ゲッコ」

 ギルベルトが腰を屈めて応急セットを開けた。

「ゲロゲロ、感謝感謝、ギルベルト」

 ゲッコがそのままの姿勢で顔を向けた。

「ゲッコは何にやられた?」

 ギルベルトが潰れたゲッコの目へ消毒液を吹きつけた。

「一番数が多い奴だ。例のクソ忌々しいパイル野郎」

 ツクシは吐き捨てた。

悪夢を駆る騎士ナイトメア・ライダーか――」

 ギルベルトがゲッコの傷口に止血パッチを当てた。口をパカパカやっているゲッコは何もいわないが、その動きに普段は見られない硬さがあるので、これはどうも痛そうな様子である。

「奴らは厄介だぜ。移動時間を省略してくる」

 ツクシは痛みを堪えるゲッコを見つめている。

「――移動時間を省略?」

 ギルベルトは救急セットのなかから包帯と鋏を手にとった。

「あれはテレポーテーションってやつだろ。お前らが何ていっているのか、俺はよく知らんがな。あの歪んだ空間のなかで槍野郎はいきなり現れるんだ」

 ツクシはワーク・キャップを頭から外して粉塵を払い落とした。ナイトメア・ライダーは異形の領域内を瞬間移動する能力がある。

「ああ、『亜空間移動ディメンション・ムーヴ』のことか。俺たちも出撃して奴らの相手ができればな――」

 ツクシはゲッコの目に包帯を巻いている。

 トカゲの顔に包帯はちょっと巻き辛そうだ。

「大将が真っ先に特攻してどうするつもりだ。後ろで見てるのがお前の仕事だろ」

 ツクシが顔を歪めた。

「そうだがな。ナイトメア・ライダーの所為で異形の領域内では飛び道具があまり役に立たんのだろう。近接戦闘能力が高い機動歩兵や俺が行けば有効な筈だ。敵は移動時間すら守ってくれん。司令部と部隊の連絡もつかん。ふざけてる、こんな戦場は――」

 ギルベルトはぶつぶついいながらゲッコの頭を包帯でぐるぐる巻きにした。

 ツクシは腰の魔刀へ視線を落として、

「ギルベルト、ぶった斬った感覚だ。すぐに攻撃できるほど、ナイトメア・ライダーの出現ポップは早くねェ。奴らは出現する前に空間を歪ませるから、テレポーテーションといっても、予測して対応できる。しかし、死角をつかれたり退却している最中に背面へまとめて出てこられると厄介極まりねェ。ゲッコも不意打ちで奴らの槍に左の目を抉られた」

「すぐに導式の治療を施せば、ゲッコの視力は回復する可能性が――手が空いた衛生兵はいないのか!」

 ギルベルトは負傷者収容用の天幕へ向けて怒鳴ったが、駆け寄ってくる衛生兵はいない。

「異形の領域を小さい面積へ押し込めば、もっとマシな戦いになる筈だ。ツクシ、超級異形種はどうやって奴らの領域を押し広げている?」

 ギルベルトがツクシへ目を向けた。

「――総司令部と俺の部隊の通信が切れるタイミングだ。敵が到着する直前、必ずチチンプイプイ式の通信が途切れる。その時点で俺たちは異形の領域に足を踏み入れているんだ。それ以上はわからん。何にしろ、あの不安定な空間のなかで戦うのは分が悪い。ワーラットの兵隊さんが俺の目の前でボロボロ死にやがる――」

 ツクシはイシドロ少尉とチーロ特務少尉を見やった。この二人は防衛基地内にある通信機器の点検と整備をしている。熱心だ。

「――見ていられねェよ」

 ツクシが視線を落とした。

「ああ、それはわかっている」

 ギルベルトが頷いた。

 横にいたメルモは視線を落としただけで何もいわなかった。

「ギルベルト、このままだと、死人が増えるばかりでネストの探索は進まねェ。どうするんだ?」

 ツクシが訊いた。

「さて、どうする。異形の領域か――」

 ギルベルトが眉を寄せたところで、

「――待たせたな、ゲッコ。俺に傷を見せろ」

 背嚢を抱えたゴロウがトーチカへ駆け込んできた。

「ゴロウ、モイモイは助かったのか?」

 ツクシが訊いた。モイモイとはツクシの特攻班に追随していた若いワーラットの伝令兵のことである。

「――駄目だった。出血が多すぎた」

 短く応えたゴロウが、ゲッコの近くで膝をついて背嚢を開けた。

 ゴロウを片目だけで見やったゲッコが「ゲロロ」と小さい声で鳴く。

「駄目だったか――クソッ!」

 導式の治療には集中力を要する。

 ツクシはゴロウの仕事を邪魔ならないようトーチカから出ていった。

「奴らが領域内でないと活動できんのが救いだ」

「チュウ、異形の領域から外れた超級異形種はその場で消える。死骸すら残らん。不思議なものだな」

 ツクシを追うようにして、トーチカから出てきたギルベルトとメルモだ。異形砲を食らった防衛基地のあちこちでまだ火の手が上がっていた。崩れたトーチカの下敷きになった仲間を救い出そうと集まったワーラット兵がチュウチュウ騒いでいる。

「そこだけは間抜けな奴らだな。だが、そこだけだぜ。奴らは凶暴だ。飛び道具を使うし空も飛ぶ。時空も飛んできやがる。何でもありだ。鬼も裸足で逃げ出す勢いだぜ。まあ、俺たちの味方は鬼は鬼でも吸血鬼か?」

 ツクシが不機嫌に唸ると、

「クジョー特務中佐殿、我々の力不足で申し訳ないね」

 すごく高飛車でセクシーな女の声だ。

「あっ、ああ、ミロクか。そこにいたんだな。まあ、今、俺がいったことは気にするな、ええとだな――」

 ツクシの顔が引きつった。黒いシャツに黒ズボンに黒ブーツ。その上へフード付き黒マントを羽織った女性がツクシへ藤色の視線を流している。褐色の顎しゃくって顔を傾けた彼女はその女性らしい肉体全体で、まさしく斜に構えている感じだった。

 この褐色肌の彼女の名は、ミロク・ノックス・ブラッディメアリ=デスメタルという。

「ああ、いや、俺はお前らへの当て付けでいったわけじゃねェからな。実際、この俺だってケツを捲ってここまで逃げてきたわけだし――」

 ツクシが言い訳を開始した。ミロクはトップ・モデルのようなウォーキングで歩み寄って微笑みを浮かべた。白い口紅を塗られた唇の間から口紅より白い牙が見える。吸血鬼の牙だ。ミロクは吸血鬼である。吸血貴族ヴァンパイア・ノーブルである。このミロクはツクシの特攻班を支援するため彼女の配下と一緒に追随していた。

「ああ、それとな、ミロク。俺を特務中佐って呼ぶのをいい加減にやめ――」

 直感で身の危険を察したツクシが身構えると、

「ツクシ!」

 そんな叫び声と一緒に横からフロゥラがすっとんできた。

「――かはっ!」

 ツクシは側面からラリアットのようなフロゥラの抱擁をもらった。

 むろん、その首筋を吸血鬼の牙が掠めている。

 油断も隙もない。

「ツクシ、生きて戻ってきたな。怪我はないか怪我はないのか?」

 フロゥラは全体重をツクシに預けた。

「ねェよ、女王様。見ればわかるだろ。例え死にそうでも吸血治療は絶対にお断りだぜ――」

 ツクシは探索の直後でくたくたに疲れている。ふらふらしているが、フロゥラの牙からは何とか逃れていた。

「ふふっ、いいね。クジョー特務中佐はフロゥラお断りか。では私の吸血ならどうだ。未知の快楽と一緒に流血の喜びを教えてやろう――」

 ミロクもツクシに身を寄せた。

「ミ、ミロク、お前のお誘いも遠慮をしとく。そもそも、どっちがやっても結果は同じだろ。お前らの下僕になるのは断固としてお断りだ――」

 両サイドに危険を抱えて身を捩るツクシは必死な形相だ。

「うん、そうだそうだ。ミロクはねずみの血でも吸ってろ」

 ツクシの胸元からフロゥラがいった。

「ほぉう、この私に指図か、フロゥラ?」

 ツクシの顔の真横でミロクの眉間が瞬時に凍えた。

 反応して殺気立ったフロゥラの気が逸れた拍子にツクシがさっと身を引いて、危険人物二名から十分に距離を取った。こそこそしているツクシはギルベルトの背面へ隠れるような位置取りだ。そのギルベルトは睨み合いを始めた吸血鬼の二人を無表情で眺めている。

 一応、この我が侭な彼女たちは味方で大戦力である。

「うん、正直にいおう。私は何度もおぬしを殺し損ねてつくづく後悔しているのだ。今日こそは消し炭にしてやるか――」

 フロゥラがビッシとミロクの美貌へ視線を突き刺した。

「ほほぉう、それは面白いね。それなら貴様を返り討ちにして塵芥へ帰したあと、この私が女王レジーナの名を受け継ぐとしよう。フロゥラ、貴様は長く生きすぎだぞ。この大年増おおどしまのアバズレめが。この辺で人生から潔く引退しておきなよ」

 ミロクはカントレイア世界最強の吸血鬼の殺気を浴びて、心地よさそうに目を細めながら痛烈な罵倒を聞かせた。

「う、うん。お、お、大年増のアバズレときたか、この、小娘――!」

 フロゥラのこめかみに青筋の稲妻が走って、その声と全身がぶるぶる震えた。女王様は激怒しておられる様子である。対峙する超美人吸血鬼二名の間にある空間がぐらぐらと揺らいでいた。

「おい、女王様、ミロクもな、やめておけよ。お前らが喧嘩を始めると周囲が大迷惑だぞ。ゴロウの治療にも差し支えるらしいじゃねェか――」

 ツクシが控えめな音量でいった。ギルベルトの後ろからである。そのギルベルトは視線を戦わせる二人の吸血鬼を無表情で眺めていた。

「ミロク様、お怒りはごもっともですか、どうか、ここは抑えてください」

 走り寄ってきたゴードンがミロクの前に立ちふさがった。

「ご主人様もですよ。すぐ怒るんだから。短気は美容と健康に良くないです!」

 カレラがフロゥラへ身を寄せて囁いた。ムッと眉を寄せたフロゥラが魔導の力で舞い上がっていた黒髪を背へ落ち着けると、ミロクがプイと顔を背けた。見ての通り、フロゥラとミロクはすごく仲が悪い。この二人は過去に同じ男性だか女性だかを何度も何度も取り合ったのだとか、そんな話だ。

「騎士殿、砲撃で敵は完全に退いたようですわ」

「ええ、幸い、奴らの領域も退いています。立体地図の表示も回復しました。導式偵察機も落ちた場所で再起動できます。これ、どうなってるんだろうなあ、破壊されたわけでもないし?」

 エーリカ少佐とデル=レイ大尉の報告だ。エーリカ少佐は自分の防毒兜を小脇に抱えて、デル=レイ大尉は装着した防毒兜内部の情報を眺めている。

「異形の領域の仕組みはまだわからん。だが、これまでの戦闘で導式陣砲の効果が高いことはわかった。砲を移動させながら奥から湧く敵を叩くべきなのか?」

 ギルベルトが呟くようにいった。

「チュチュウ! お言葉だが、ギルベルト総司令官。超長距離射程を持つ牽引砲は巨大過ぎて小回りがまるで効かん。あれを引っ張り回すのは難しいと思う。それにトーチカの設置無しで超級異形種の軍勢と撃ち合うのは――チュ、チュ――」

 反論したのは歩み寄ってきたニーニだ。

「――チュウ、しかし、やると決断したならば生活圏防衛軍も付き合うぞ。我がラット・ヒューマナ王国もタラリオン王国同様、この戦いに退路はないのだ」

 メルモが視線を落としたままいった。

「イシドロ氏、通信機のデータに他の損傷はないの?」

「それが、全然ないんだなあ。異形の領域に侵食された立体地図データは明らかにフォーマットされているんだけどねえ。これは謎だよお、チーロ氏?」

 これはトーチカ内に設置された通信機を点検しているイシドロ少尉とチーロ特務少尉の会話だ。

「ともあれ、基地の被害が予想外に大きい。メルモ大将――」

 ギルベルトが視線を送ると、

「チュ、わかっている。復旧を急ごう。至急、本国へ資材調達の要求だ」

 メルモがチュウと踵を返して司令部天幕へ歩いていった。

 ニーニがそのあとを追う。

「騎士殿、衛生兵がもっと必要ですわ」

 エーリカ少佐は負傷者収容用の天幕を見つめている。まだ負傷者への手当ては続いていた。動かなくなった戦友の傍らで泣いているワーラット兵も多い。

「ワーラット族は導式の治療が不得手ですからね。そもそも、いるんですか、ワーラット族に奇跡の担い手って?」

 デル=レイ大尉が防毒兜の面当てを引き上げた。

「階上にも地上にもこちらへ回せる人員はもうない」

 ギルベルトが冷たい口調でいった。

「――騎士殿。よろしいでしょうか?」

 デル=レイ大尉は視線を上に送っている。

「逐一、許可を求めるな。時間の無駄だ。いってみろ、デル=レイ大尉」

 ギルベルトがデル=レイ大尉の少年のような顔を見やった。実際、デル=レイ大尉は若い。まだ十代だ。このデル=レイ・ファン・セフォー大尉は導式機器の扱いに天才的な才能を発揮して、ここまでスピード出世を果たした青年尉官だ。有力な王都貴族の次男坊でもあるデル=レイ大尉は家柄の良さも手伝ってか、軍人にしては性格も容貌も優しい感じだった。

「あっ、はい。エリファウス聖教会に依頼して、負傷兵の治療のために布教師の連中を回せませんかね?」

 デル=レイ大尉の発案である。

「――お馬鹿さん」

 エーリカ少佐がくすくす笑った視線を若い尉官へ送った。

「若さとはおおむね愚かさのことね」

 ミロクが褐色の笑顔をデル=レイ大尉へ向けた。

「あっ、はあ、あの?」

 赤面したデル=レイ大尉が目を泳がせた。自分を熱っぽく見つめるのは、片や上官、片や褐色肌の吸血鬼だが双方ものすごい美人ではある。双方とも年齢不詳なのも同じだ。

「デル=レイ大尉。俺たちの味方には吸血鬼がいる。彼らも――失礼、彼ら彼女らも貴重な戦力だ」

 ギルベルトの言葉を、

「エリファウス聖教会は――」

 エーリカ少佐が繋げて、

「吸血鬼とタラリオン王国との共闘を絶対に認めないだろう?」

 最後をミロクが〆た。そのミロクはデル=レイ大尉へ身を寄せている。地味な服装でも出るところが出ているのがはっきりとわかるゴージャスな女の肉体だった。

「あっ! そ、そ、それもそうですね。その、ミロク、さん――」

 デル=レイ大尉は自分の下半身のあたりへ擦り寄ってきた、ミロクの太ももに視線が釘付けだ。

「ミロク、前もいったが、ここで治療目的以外の『食事』は厳禁だ。どうしてもそうしたければ地上へ一旦、戻れ」

 ギルベルトが眉を寄せた。

「デル=レイは私の部下なのですけれど?」

 エーリカ少佐が唸った。

 褐色肌の吸血鬼を睨む薔薇の眉間は凍えている。

「あわわ――」

 デル=レイ大尉は直立不動の体勢で、紅潮した顔を引きつらせていた。

 童貞っぽい反応である。

「若くて可愛いデル=レイ、その年増女の部下を辞めて、私の下僕になる予定はないのか?」

 ミロクはデル=レイ大佐の頬を指でなぞりながらまた毒を吐いた。

「吸血鬼、そういう態度か?」

 小脇に抱えていた防毒兜をかぶったエーリカ少佐が唸ると、

「冗談だよ、騎士殿、それに少佐殿。今のわたしの一番お気に入りはクジョー特務中佐殿だから――」

 笑ったミロクがデル=レイ大尉を解放して、ギルベルトの後ろにいたツクシへ視線を送ったが、その腕へ肉体を絡ませたフロゥラがツクシを確保していた。勝ち誇った笑顔の女王様を睨んでミロクが眉間をキンキンに凍らせる。

 ツクシはずっと下を向いていた。

 女の子の相手は色々と面倒だ。

 ミロクの下僕が主人を呼びにきたので、フロゥラとの激突は避けられた。ギルベルト配下の衛生兵が忙しく吸血治療が必要らしい。

「また今日の食事もねずみの血なのか――」

 ミロクはそうボヤいたが、ワーラット族とは盟友の関係上、それを断るわけにもいかないようだ。ミロクはトップ・モデルっぽいウォーキングで負傷者収容用の天幕へ足を向けた。それをきっかけにギルベルトの周辺に集まっていた基地の指揮官は各所へ散っていった。

「――ほれ、ゴードン、カレラ。この女王様を向こうにつれていけよ」

 ツクシはくっついて離れないフロゥラをゴードンとカレラに引き渡した。

「ああ、任せろ」

 ゴードンが女王様の右腕を掴んで頷いた。

「ツクシ様、うちのご主人様がまたご迷惑をおかけしました」

 女王様の左腕を確保したカレラはぺこりと頭を下げた。

 二人の従者に引きずられながら、

「ええい、生意気な。おぬしら、放せ放せ!」

 女王様は喚いていたが、その声は遠ざかっていった。

「――それで、ギルベルト。王都まで――地上まで異形の領域が到達したら、お前らはどう対応するつもりだ?」

 ツクシがギルベルトを見やった。

「さて、どうするかな――」

 親指の爪を噛むギルベルトの返答だ。

「このまま、俺たちが奴らをブッ殺して回るしかねェのか。叩けばとりあえず奴らは頭を引っ込める。だが、今のところはキリがねェ。奴らはどこから湧いてきやがる?」

 ツクシは独り言のような調子でいった。

「――ツクシ」

 ギルベルトが視線を落としたまま呼びかけた。

 粉塵で汚れた路面がワーラット兵の血で濡れている。

「――あ?」

 ツクシが遅れて不機嫌な返事をした。

「これは本来なら俺たちが――タラリオン王国軍が総力を上げてやるべき仕事だ。お前にばかり苦労をかけてすまんな」

 ギルベルトは投げやりな態度と口調でいった。

「お前らは地上の戦争もあるだろ。無理をいっても仕方ねェ」

 ツクシは踵を返した。

「ああ――」

 頷いたギルベルトがツクシの背へ視線を送った。

 どんな表情をしているのかは見えない。

 よくわからん男だ――。

 ギルベルトが唇の端を歪めた。

「――ゲッコの具合はどうだ?」

 ツクシがゴロウの背へ声をかけた。トーチカに響いていた導式陣を機動する為の口述鍵――布教師が使う独特の早口言葉は終わっている。

「あァ、傷は塞がったぜ――」

 ゴロウが弱い声で応えた。

 ゲッコはそのゴロウの前で正座だ。

「おい、ゲッコ、左の目だけだ。俺の指の数が見えるか?」

 ゴロウがゲッコの顔の前で拳を開いた。

 指は五本ついている。

「ゲロロ――」

 右目を瞑ったゲッコは応えられない。

「――駄目だ。対応が遅かった。視神経が完全に切れちまってる。導式の治療は時間との勝負なんだ。悪い結果へ結びつく前に式を施す必要がある。目の傷を負ってから逃走していた時間が長すぎたんだろうなァ――」

 ゴロウがうなだれて告げた。

「ゲロ、ゴロウ、気ニスルナ。ゲッコノ眼ノ痛ミ減ッタ。治療、感謝感謝」

 ゲッコは顔を左右に振った。

「この、ヤブ医――」

 唸ったツクシをゲッコが見やって、もう一度、トカゲの顔を左右に振った。

 うなだれたゴロウは背を丸めている。

 歯噛みしたツクシは、いいかけた言葉を呑み込んで、

「ゲッコ、もうお前は目が見えねェのか?」

「ゲロゲロ、師匠、問題無イ。ゲッコノ片眼残テル」

 ゲッコが自分の右目を指差した。瞳孔が縦に裂けた、オレンジ色の虹彩を持つ、トカゲの瞳である。

「片目は無事か――おい、このヤブ髭。早くゲッコの身体の傷も治療してやれよ」

 ツクシが急かした。

「――うるせえな。いわれなくてもわかってるよォ」

 ゴロウがかざした右手の先へ導式陣・生命樹の治癒セフィロトを形成した。

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