十九節 ネスト特別攻撃班(壱)

 屋内に届く雨音のほうが酔客の喧騒よりも大きい。

「ネストダイバー九班は、また俺たち三人だけになっちまったなァ――」

 赤ワインの杯を片手にゴロウがいった。

「ゲロゲロ――」

 ゲッコは特大タンブラーのなかにある水を見つめた。

 水面に自分のトカゲ面が映っている。

「何だ、お前ら、ビビってるのか?」

 ツクシはエールのタンブラーを一息に呷った。合同葬を終えたツクシ、ゴロウ、ゲッコの三人はゴルゴダ酒場宿の丸テーブル席で遅い昼食をとったあと、酒の杯や水の杯を重ねながら今後のことを話していた。しかし、陽が暮れる時間帯になっても途切れ途切れに続くその会話は終わらない。話がまとまらないのだ。昼過ぎから王都全体を爆撃している豪雨も同様に続いていた。それで、ゴロウは帰りそびれてもいる。

「本当に、ツクシはまだネストの探索を続けるつもりなのか?」

 ゴロウが赤ワインの杯を呷った。

 酒の杯をいくつ重ねても気分が重い。

「ああ、やる。何が何でもやってやる。ここで俺が引き下がったら、仏壇に手を合わせるたび『中途半端なことをしやがって、この玉無し野郎が!』だとか、なんとかな、先に逝った奴らから延々罵られるのは目に見えてるだろ。おい、ゴロウ、さっきから何度いえばわかるんだ?」

 ツクシは空にしたタンブラーの底をギリギリ睨んでいる。

「はァ、ああよォ、ツクシ。そうはいってもだなァ――」

 ゴロウは発言するたびに溜息交じりだ。

「ゲロロ――」

 ずっとうなだれているゲッコの鳴き声も力がない。

「俺は断固として、この手でネストに巣食っている奴らを皆殺しにする。問題があるのは荷だけだろ。ポーターでも雇えばいい」

 ツクシが吐き捨てた。

「俺たちのほうでネスト・ポーターの募集なァ――そういっても、ネストの下層についてくる奴はもう誰もいねえと思うぜ。ここから先は、本当に何が出るかわからねえよ。目に見える相手ならまだマシだ。だが、今回の敵だった亡霊――過去の亡霊が相手だと、もうどうにも、対処ができないだろォ――」

 ゴロウが卓の大皿にあったスモーク・チーズを手にとった。

「ゲロロ――」

 ゲッコがスモークチーズを頬張る髭面を見やった。

「何だ根性なしどもが。嫌ならお前らはやめちまえよ。俺はネストへ行くけどな」

 ツクシは悪態を吐いたが、

「あァ、なァ――」

 ゴロウの反応は鈍かった。

 ゲッコも沈黙している。

「金のためなら命が惜しくねェネスト探索者だって探せばまだいるだろ。そいつらに声をかけて――」

 ツクシが説得している最中、

「――いえ、ツクシさん。ネスト探索者制度は今後、廃止になるかも知れませんよ」

 若い声が三人の会話を遮った。

「手前はジークリット! このクソ野郎め、のうのうとここまで生きていやがったな。憎まれっ子世にはばかるとは、よくいったものだぜ」

 ツクシは口角を歪めて見せた。

「おォ、久しいなァ、騎士様!」

 ゴロウが髭面を上げて笑った。

「ゲロロ。コレ、誰ダ?」

 ゲッコがトカゲ面を傾けた。

「一応、これが我ら三ツ首鷲の騎士団の副団長だよ。この市民階級出身の横紙破りが副団長とはな。我ら騎士団の栄光も地に堕ちたものだろう?」

 ゲッコにそう教えたのは、ジークリットの後ろにいたオリガだ。

「この彼が俺たちの上司になる。はた迷惑な男だが有能ではあるぞ」

 そう続けたのはギルベルトである。三人とも三ツ首鷲の騎士団のフォーマル・スタイル――緋色の鍔広帽子に緋色の王国陸軍外套姿で、天然の秘石で彩られた高級導式具の数々で武装装飾をしている。綺羅きらびやかである。

「僕から役職を望んだことはないんですがね。窮屈で仕事に差し支えもありますし。でも、騎士団長が何でもかんでも『お前やれ、お前やれ』って仕事を放り投げてきて――まあ、ともあれ、お初にお目にかかります。南国からの旅人よ、僕はジークリット・ウェルザー。こう見えてもタラリオン王国の騎士をやっています」

 ジークリットは視線を落としてぶつぶつ愚痴ったあと、鍔広帽子を手にとって、ゲッコへ気取った自己紹介をした。

「ゲロ、我ハ、ゲッコ・ヤドック・ドゥルジナス。リザードマン戦士」

 ゲッコは椅子に座ったまま簡単に自己紹介を返した。

「ああ、オリガにギルベルトまで来たのか」

 ツクシが濡れた外套を脱ぐオリガとギルベルトを見やった。

「な、何だァ、何の用事だァ?」

 ゴロウは視線をウロウロさせている。この緋色の騎士三名は顔を合わせるたび何かと面倒事を持ち込んでくるのだ。今回も間違いなくそうであろう。

「では、相席を失礼しますよ」

 ジークリットが丸テーブル席の椅子を引いた。

「どうせ断っても座るんだろ?」

 ツクシが不機嫌にいうと、

「ええ、もちろん」

「ツクシ、わかってきたな」

「失礼する」

 着席をした騎士三人組から返事があった。

「いらっしゃいませ! ご注文は――?」

 猫耳をぴょこたんさせながら注文を取りに来たユキである。

「ああ、確か――ユキちゃん、だったね。僕は白ワインの水割りを頼むよ。できるだけ薄くして」

 ジークリットの注文である。

「うーん。私はダイキリがいいな、あるか?」

 オリガがユキへ視線を送った。

「俺には水を頼む」

 ギルベルトはゲッコ同様、水が大好きらしい。

「だいきり?」

 ユキは伝票から顔を上げてツクシへ視線を送った。

「ああ、ライム・ジュースにラム酒、それに適量の砂糖を混ぜて作る簡単なカクテルのことだ。セイジさんにレシピを伝えれば作ってくれると思うぜ」

 ツクシが教えると、

「ライム・ジュースと、ラム酒と、お砂糖――ん、ツクシ、わかった。しょうしょうお待ちください!」

 伝票にレシピを書き留めたユキが背を見せた。

 臀部のあたりで猫のしっぽがぬるぬる揺れている。

 ユキが丸テーブル席から離れると、

「では、ツクシさん、単刀直入に――」

「聞け、ツクシ。私の使っていた幕僚運用支援班がいよいよ半壊してだな――」

「ツクシ。今、ネスト探索者制度は元老院議会で大問題になっている。恐らく、これ以上の存続が難し――」

 騎士三人組がツクシへ顔を振り向けて一斉に口を開いた。

「おい、いっぺんに喋るんじゃねェよ。わかんねェだろ。お前らは全員、馬鹿なのか?」

 ツクシは超不機嫌な顔で唸って返した。

「ああよォ、馬鹿って――ツクシ、一応、この三人は王国軍で一番偉いひとたちなんだぞ。司令官様だ」

 ゴロウは困り顔である。

「ゲロロ、司令官?」

 怪訝そうなゲッコが騎士三人組を見回していると、

「では、騎士ギルベルト。まずは君から――」

「騎士ジークリット。面倒だから、お前が全部ツクシへ伝えてくれんか――」

「やはり、ここは騎士オリガから話を始めるのが――」

 今度はお互いの間で「どうぞどうぞ」をやりだした。

「お前らなあ――」

 ツクシは呆れ顔だ。

「王国軍は司令官がこんなバラバラでいいのかァ?」

 ゴロウは誰にも聞こえないように呟いたが、

「ゲロゲロ」

 ゴロウの横で頷いたゲッコにははっきり聞こえた様子だ。

「――コホン、じゃあ、騎士オリガ。君からやってくれ」

 咳払いで場を整えたジークリットがオリガを指名した。

「えぇえ、面倒だな――」

 オリガは眉間にシワを寄せて顔を横に向けたが、

「騎士オリガ、さっさと始めてください。時間がもったいないでしょう」

 その視線の先にいたギルベルトが冷たい態度と声で促した。

「うるさいな、もう――ええと、ツクシも知っているだろう。私が使っていた幕僚運用支援班――厄病神カラミティの工作員がネスト地下十二階層でいっぱい死んだ。その亡骸を今日、私たちは軍人墓地へ埋葬してきた。ツクシは軍人墓地を知っているか、防衛省の北にある――」

 オリガが渋々の態度で口を開いた。

「へえ、お前らも葬式の帰りかよ――」

 ツクシは「本当にそんなことどうでもいい」といいたそうな態度で返事をした。

「そうだ。ツクシも知っての通り地上の戦況はかなり悪い。毎日、軍の合同葬があるぞ。それゆえ、ネスト制圧のためにこれ以上の戦力を王国軍から割くことは難しい。騎士ジークリットは、ずっとそういっているわけだが――」

 オリガがジークリットへ視線を送った。

「はい、無理ですね」

 ジークリットがユキの手で運ばれてきた白ワインの水割りに口をつけながら、オリガを見ずにいった。見たくないようである。

 オリガはジークリットの横顔をじっと見つめながら、

「だが、ツクシ。ネストは王都の真下にあるのだ。まずはネストを最優先で片付けるべきだ。私は騎士ジークリットの意見にずっと反対の立場なのだ。だから、以前の私は、騎士団から籍を抜いてネストにずっと籠ってた。これは私の意見と行動が正しいだろう?」

「オリガ、ちょっと待てよ。それは俺に全然関係ない話だろ。いまいち話が見えてこないぜ。何なんだ一体?」

 ツクシは不機嫌に話を遮ったが、

「――ええと、私の話はこれで終わりだ。騎士ジークリット、あとは頼んだ」

 オリガは唇へダイキリの杯を悠然と寄せた。

 ああ、やれやれ、一仕事終えたぞ、そんな態度だった。

「はあ――要約するとです。騎士オリガの軽率な判断で王国陸軍の有能な工作員が多数死亡しました。特に今回の作戦で殉職したルシア・フォン・トルエバ大佐とゲバルド・ナルチーゾ少佐の損失は大きな痛手です。双方、来月発足予定だった陸軍諜報局の主要構成員でした。そもそもです。騎士オリガがネストで決行した作戦を失敗したのは、これで二度目なんですよ?」

 ジークリットはオリガを横目で見やりながらいった。非難がましい視線を浴びているオリガは知らん顔である。お前なんかこの場にいない。空気以下だ。そんな感じである。

「どうせ、この女のやることだ。部下を使い捨てにしているんだろ――ユキ、エールをもう一杯くれ!」

 ツクシは怒鳴って酒の追加を頼んだ。

「怒鳴らなくても聞こえるし。ツクシのばか!」

 ユキの返事である。

「ひっでえ女だよなァ――」

 ゴロウが太いボトルから自分の杯へ赤ワインを注ぎ入れながら呟いた。

「ゲロゲロ――」

 ゲッコは大皿にあった大鱒の燻製を全部、自分の口へ流し込んだ。ゲッコが同席していると魚類のおつまみはあっというまに皿から消える。

「はい、ツクシさん、そうなんです。この彼女は作戦のたび死人を大量にこさえるので有名な――」

「そうではないぞ、ツクシ! あんな危険な機械が地下十二階層で稼働中だと誰が想定できるものか。そもそも、民間人に丸投げするつもりだったネスト地下十二階層の調査を、急遽、軍側主導の作戦とすることに変更したのは、ジークリット、お前が送ってきた指令書の指示で――」

 オリガは堂々とした態度で言い訳を始めた。

「いや、あの作戦は実行前に王国学会アカデミーの意見をもっと広く聞くべきだったのだ。俺は騎士オリガへ散々忠告したのだがな。ツクシ、本当のところはだ。『王国学会奴らのご高説は大嫌いだ』この騎士オリガの一言だけで、俺の進言はすべて無視されたのだ」

 話の途中に割り込んだギルベルトの意見はこうだ。

「要するに全部が全部、手前らの失態じゃねェか。ここでその責任を放り投げあってるんじゃあねェよ。そんなの俺が知ったことか!」

 ツクシは不機嫌を撒き散らしている。

「こんなのが司令官で王国軍は本当に大丈夫なのかなァ?」

 困り顔のゴロウは周辺へはっきり聞こえるように呟いたが、

「ゲロゲロ」

 頷いたのはゲッコだけだった。

 騎士三名は聞こえないフリのまま、

「いえ、僕はですね。地下十二階層の調査作戦の実行はあくまで慎重を期すようにと事前連絡を入れようとしていた矢先に、騎士オリガから騎士オリガの失態を聞かされたのです。それで、僕は団長からお小言を一晩中――」

「いや、それは嘘だね。騎士ジークリットからは、いつも私の仕事を急かす連絡しかないのだ。爺様まで送りつけて仕事を監視するものだから、私はもうやり辛くてやり辛くて――」

「いや、それは違うぞ。騎士バルカは地下十二階層への調査隊派遣にあくまで慎重な立場だった。やはりあのひとが一番正しかった。ツクシ、騎士バルカは三ツ首鷲の騎士団の前団長を務めたほどの実力者なのだ。実際、騎士オリガの主導では、まったく遅々として進まなかったネスト管理省の組織再編成も、騎士バルカが統括責任者になった直後から、スムーズに組織の運用が始まって――」

「手前らは何度いえばわかるんだ。いっぺんに喋るんじゃねェ!」

 ツクシが怒鳴って騎士三人組の話を止めた。

「――はい。とにかくですよ」

 大きく頷いたギルベルトが口を開くと、

「俺はもう何も聞きたくねェ気分だぜ――」

 ツクシはすごく嫌そうな顔を見せた。

 ジークリットはピタリと言葉を止めて視線を落としたツクシをじっと見つめたあと、

「ああ、そうですか。では、騎士ギルベルト。君に頼んだぞ」

 眉を寄せたギルベルトが、

「ここで俺の番か――では、ツクシ、よく聞け。貴様も知っての通り、先日、遊び半分に探索を行っていた大馬鹿どもが――民間人がネストで大量に死んだ。王国軍おれたちにとっては面倒なことに、その死人の山には貴族階級の若い連中も多く交っていた。この件が元老院議会で問題になって、ネスト探索者制度廃止の圧力が高まっている。この主張をまとめているのはギヨーム侯爵の死後、元老院議員の最大派閥を引き継いだイオネッサ侯爵という男だ。ここは力づくで黙らせたいところだが、それはできない理由がある。イオネッサ侯爵は王都貴族派の――所謂いわゆる、保守系の派閥に所属しているのだが、前々から市民派――階級制廃止派の考えに理解を示している寛大な議員なのだ。であるから、おおむねは元老院議会の保守派を敵にしている俺たち――市民階級の兵士を多く擁したタラリオン王国軍を指揮する三ツ首鷲の騎士団としては、以前からの味方であるイオネッサ侯爵を敵に回したくない。それゆえにだ。イオネッサ侯爵の意見を黙殺することは現時点で非常に難しく――そもそも、イオネッサ侯爵当人を王党派の党首へ押し上げたのは、我々――三ツ首鷲の裏工作あってのことだったという現実が――」

 ギルベルトの話はややこしくて回りくどくて長かった。

「――黙れ、ギルベルト!」

 ブッチ切れたツクシが咆哮した。

 口を閉じたギルベルトが超不機嫌になったその顔をじっと見つめていると、

「どいつもこいつも回りくどいぜ。結局、お前らは俺に何をいいたいんだ?」

 ツクシの唸り声が歯ぎしりの音と一緒に聞こえてきた。

「ほう、では、ツクシ。頭の悪いお前でもわかるよう簡単にいってやる」

 ギルベルトが艶のある唇の端で冷たく笑った。

 こういう男である。

「あぁん? 今、何云なんつった手前てめえ? マジでブッ殺されてェのか?」

 ツクシが腰を浮かせた。ゴロウもゲッコも面倒になってきたので、王国軍司令官に殴りかかろうとするツクシを止めない。二人とも視線を落として手の杯にある酒や水を舐めている。

「ネスト下層へ民間人が立ち入ることは、今後、一切禁止だ」

 ツクシに胸ぐらを掴まれたギルベルトが告げた。

「なっ、何だと、もういっぺんいってみろ、この野郎!」

 声を震わせたツクシの尻が椅子の上へ、へなへなと戻っていった。

「何度いっても同じだ。無理なものは無理」

 ギルベルトは顔を真横に向けてプイツンした。ギルベルトは美形でも成人男性なので、プイツンしてもあまり可愛くない。

「おい、ジークリット、手前が何か裏工作しろ。そういうの得意だろ!」

 ツクシは凶悪と不機嫌で焼けた形相をジークリットへ向けた。

「――はい、ツクシさん。それでは僕の話を続けましょう。そこでですよ。ツクシさんは今から民間人を卒業して厄病神カラミティになってもらおうと思います」

 おもむろに杯を置いたジークリットが冷えた微笑と一緒にツクシへ視線を送った。

「――あ?」

 ツクシは不機嫌な返事と一緒に顔を歪めた。

「あァ、話が見えてきたぜ。でも、それでいいのかよォ?」

 ゴロウの髭面も曲がった。

「ゲロロ?」

 首を捻ったゲッコはまだ話の流れがよくわからない様子だ。

「今後はネスト制圧軍集団が――僕たち三ツ首鷲も含めた軍が、全面的にツクシさんのネスト探索を支援します。ツクシさんはこのままネスト探索を最下層へ向けて続行してください。さっきいった通り、僕たちのほうから――王国軍から、これ以上戦力をネストに割くのは不可能です。無理をおして最下層へ進撃すると、どんな被害が出るか想像もできません。ですから、王国にとっての部外者、かつ、ワン・マン・アーミーのツクシさんの手で、ネストの謎を解いてもらおうという魂胆ですね」

 ジークリットが告げた。

「へえ、お前らが俺に給料をくれるって話か。そいつはありがたいな――いや、ありがたい話になるのか――ジークリット、それは話がおかしいぜ、納得いかねェ」

 ツクシはユキの手で運ばれてきたエールのお代わりを睨んだ。

「えっ、そうですか?」

 顔を傾けたジークリットは冷えた微笑みのままだ。

「いいか、ジークリット。絶対に話を誤魔化すな。適当なことをほざいたら、俺はお前の提案をその場で蹴るからな」

 ツクシはエールで口を湿らせて念を押した。相手がジークリットの場合、睨んでも唸っても労力の無駄だ。ツクシはただ低い声で視線は卓の上だった。

「はい、僕にできる範囲で頑張ります」

 ジークリットが頷いた。

 頷いたところで全面的に相手の申し出を了承したわけでもないのだろうが――。

「――王座の街にいるネスト制圧軍団は何なんだ。兵力は膨れ上がる一方だが、ここまでネスト下層へ進撃する気配がまったくねェ。もう王国は兵士に無駄飯を食わせている余裕がないんだろ。どう考えたって腑に落ちないぜ」

 ツクシが訊いた。

「ああ、あれのことですか?」

 ジークリットがオリガへ視線を送った。

「うーん、どうだろうな――」

 オリガはカクテル・グラスを揺らしながら首を捻った。

「状況が状況だ。騎士ジークリット、あるていどの機密を公開しても問題ないと思う。それに、一緒に仕事をするなら、信頼関係を築くことも必要だろう」

 水の入ったグラスを空にしたギルベルトである。

 頷いたジークリットが、

「――はい。ツクシさん。王座の街には迫る魔帝軍からのタラリオン王都防衛を目的とした決戦兵力が集結しています。だから、ネストを制圧するのは二の次。そういう理由で王座の街に置いた戦力は動けません。動かしません」

 ジークリットが王座の街の正体を伝えた。

「――なるほどな、ネスト制圧軍団は実質、地上うえの戦争用の予備兵力だったのか。ずっと不思議に思っていたぜ」

 ツクシが頷いた。

 ゴロウは赤ワインの杯を呷る手を止めて表情を固めた。

 ゲッコは口半開きでボンヤリしている。

「もはや王国軍は魔帝軍の侵攻を遅らせるだけで精一杯なのだ」

「地上の砲弾が届かない位置に決戦兵力を置いておきたいからな」

 オリガとギルベルトである。

「はい、大まかにいえば、僕たちはこんな考えで動いていました。近日中に防衛省の機能も王座の街へ移転する予定です。いずれは大タラリオン城の中枢も王座の街へ移されるでしょうね。王都に砲弾の音が聞こえるようになれば、まあ、自然にそうなる予定ですよ」

 ジークリットは白ワインの水割りに口をつけた。

「王座の街は巨大防空壕。いや、巨大地下要塞か。ジークリット、王国軍は最初からその予定だったのか?」

 ツクシは手元のタンブラーに半分残ったエールを眺めている。

「いえ、戦況に応じた結果です。最初からそれを望んでいたわけではありません。しかし、最終的には円卓会議もこの戦略で一本化されました」

 これは珍しい。

 ジークリットが視線を落とした。

「地上の戦況はそこまで悪くなったのか――」

 このときツクシが考えたのは、ゴルゴダ酒場宿で働く子供たち――ユキやマコト、モグラやアリバやシャルのことだ。次にエイダやミュカレやセイジやラウの顔が浮かんだ。そして、ジョナタンやパメラやテト、トニーにアナーシャに幼子チコのことも考える。

 その他にも異世界こちらへ迷い込んでから出会ったひとびとの顔が、次々とツクシの脳裏に浮かんでは消えてゆく――。

「我々は王都を死守する義務があるからな」

「実は王都の各所で要塞化計画が進んでいる」

 オリガとギルベルトがいった。この二人も視線を落としている。

 丸テーブル席が沈黙した。

 客席が三分の二ほど埋まったゴルゴダ酒場宿は酔客の喧騒が湿気た大気に篭った音で響いている。

「――お、王都が戦場になるだとォ?」

 ずっと固まっていたゴロウが、ようやく呻き声を漏らした。

「ゲロロ、戦場――!」

 ゲッコが唸った。

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