十八節 葬式日和

 碧竜月の空は曇天だった。

「葬式日和だな」

 喪服姿のツクシは魔刀の代わりに銘柄ラベルのない酒瓶を右手から下げていた。

 数百に及ぶ亡骸がネストから地上へ運びだされてから五日後である。

 コウイチ団員が喪主を務める合同葬がゴルゴダ墓場で執り行われた。遺族が見つかったものの遺体は、それぞれの遺族が引き取って各自で葬儀を行うらしい。葬式には結構な金がかかる。タラリオン王国に葬式で香典を送る習慣はない。なので、コウイチ団員以下、スロウハンド冒険者団の生き残りは執念深く死んだ団員の遺族を探したようであったが、それでも、身寄りがないものの遺体は数にして百八十もあった。参列者より葬られるもののほうがずっと多い葬式である。喪服を着込んだ団員五十名余は流れ作業方式で墓穴に置かれた遺体へ別れを告げた。ほとんどが喪に服した姿のツクシたち――ツクシ、ゲッコ、トニー、ジョナタン、アナーシャ、パメラ、それにテトが佇んでいるのは、ゴルゴダ墓場のなだらかな丘の西斜面だ。墓穴にはリュウとフィージャとシャオシンの棺が並べて置かれていた。墓穴は色とりどりの花で埋め尽くされている。

「ゲロ、コレガ葬式日和。ゲッコ覚エタ」

 ゲッコが曇空を見やって頷いた。

 ひと雨がきそうな雲の厚みだ。

 丘の上から生ぬるい風が吹き下ろしている。

「おいおい、葬式にうってつけの日和なんてねえだろォ?」

 歩み寄ってきたゴロウが髭面を歪めた。元は聖教会の布教師アルケミスト――宗教家だったゴロウは、スロウハンド冒険者団合同葬のお祈り係を担当した。もっとも、ゴロウは聖教会から破門されている。破戒僧である。なまぐさ坊主である。しかしそれでも、ゴロウがダミ声で鎮魂の祈りを始めると参列者は神妙な面持ちで黙祷を捧げていた。

「ああ、ゴロウさん」

「この棺へも鎮魂の祈りを捧げるのかい?」

 花で埋まる墓穴のなかから声をかけたのは、ガス・マスクで顔を隠した墓掘人――ラファエルとアズライールである。

「リュウたちは何教信者だったんだろうなァ?」

 黒い聖霊書を片手のゴロウが太い首を捻った。

「あいつら、少なくともエリなんとか教徒じゃなかったぜ。年明けの宴会でそう聞いた記憶がある。あのときはゴロウもいただろ?」

 ツクシは棺桶の覗き窓から見える三人娘の死に顔を見つめている。埋葬までに時間を要したので薬品で防腐処理された三人娘の死に顔は、不必要な白粉おしろいを無理にまぶされたようで余計痛々しく見えた。

 ツクシの顔も痛みで歪んでいる。

「ゲロ、師匠、エリファウス聖教」

 ゲッコがカントレイア世界の固有名詞を意地でも覚えようとしないツクシの言葉を補足した。このゲッコだけは相変わらず喪服をあつらえていないので胴鎧姿だ。

「何だよ、ゲッコはそのエリなんちゃら信者へ宗旨替えしたのか?」

 ツクシが横目でゲッコへ視線を送った。

「ゲロゲロ。ゲッコ信ジル、世界蛇神ヨルムンガンド様ダケ。師匠モソウシロ」

 ゲッコから宗教の勧誘を受けたツクシはそれを無視して、

「ああ、ところで、ラファエル。いや、アズライールか。どっちなんだ?」

「――うーん、俺はラファエルだよ、ツクシさん」

 ラファエルが腰を伸ばした。ガス・マスクで顔を覆っているので表情はわからない。ネストにまだ屍鬼が出現していた頃である。屍鬼の毒が空気感染するという噂が出て以来、アズライールとラファエルは仕事中にガス・マスクを着用するようになった。それ以降、これが仕事着の一部になってしまったらしい。

「とうとう、お前らに顔も名前も覚えられちまったな」

 ツクシが呟いた。

「ツクシさんはゴルゴダ墓場ここのお得意さんだね」

 そういったのは、たぶん、アズライールのほうだ。

「墓場のお得意さんな、縁起でもねェ――」

 喪服の死神が口角を歪める。

「そりゃあそうだ。で、ツクシさん、何か用かい?」

 ラファエルが笑った声で訊いた。

「いや、こんなにたくさんの墓掘人がいたんだな」

 ツクシが周辺でシャベル片手に作業中の墓堀人を見やった。たいていが棺桶を土で埋める作業をしている。ざっと見ただけでも墓掘人は数十人いた。

「臨時雇いだよ。ここのところ仕事が増えてね」

 アズライールが肩を竦めた。

「仕事が欲しい奴はいくらでもいるから募集をかければすぐに集まるんだ」

 シャベルを杖代わりにするラファエルである。

「ほとんどはアルバイトなのか――仕事が増えたって何だ?」

 ツクシが三人娘の墓穴へ視線を戻した。

「うん、増えたんだよなあ――」

 ラファエルの声が小さくなった。

「戦地から戻ってくる死体が軍人墓地から溢れて一般の墓場へ流れてるんだよ。最近は棺桶の調達も墓石の調達もなかなか追いつかなくてね」

 アズライールがいった。

「ああ――」

 ツクシが頷いた。

「――さて、鎮魂の祈りをしないなら、そろそろ土を被せようか。棺の覗き窓、閉めてもいいかい?」

 ラファエルが墓穴を見やる面々に墓穴から声をかけた。

「――お前ら、もういいのか?」

 ツクシが周辺に訊いた。ここまでずっと沈黙していたトニーとジョナタンが黙ったまま頷いた。アナーシャとパメラは何かいいたそうな視線をツクシへ送ったが、すぐ瞳を伏せた。黒いワンピース姿のテトは黙ったまま白い花束を胸に抱いている。

 全員の同意を取り付けたわけでもなさそうだったが、

「ああ、やってくれ。ラファエル、アズライール」

 ツクシは頷いて見せた。

 三人娘の棺は大地に没した。

 その上にドワーフ石工職人三人の手で墓が設置された。

 身寄りのなかった団員たちが埋められた上には白蛇十字架カドゥケウス・シンボルを模した木製の墓標が突き立てられている。これらは安物だ。戦争の影響で墓石も値段が高くなっているらしい。しかし、三人娘の墓は石で作られた立派なものだ。彼女たちが残していた財産は、この葬儀へすべて当てることにツクシが決めた。ツクシはそうしないと納得できないような気がした。

 だが、

 黄小芯、

 劉華雨、

 フィージャ・アナヘルズ、

 墓標に刻まれたこの三人の名前を視線で追ったとき、ツクシの胸に湧いたのは納得ではなく、いいようのない虚しさと寂しさだけだった。うつむいたツクシは銘柄ラベルのない酒瓶――じゃがいも酒の瓶を墓前に置いた。

「あんだァ、じゃがいも酒か?」

 ゴロウが墓前に備えられたじゃがいも酒の瓶を見つめた。

「ああ――」

 ツクシは墓前で膝をついたまま頷いた。

「死者へ手向ける酒の値段が安すぎじゃねえか?」

 ゴロウがいった。

「――いや、ゴロウ。これで、いいんだ」

 遅れて、ツクシは返事をした。

「そうか。それでいいのか――」

 ゴロウが呟いた。

「あいつと一緒にこいつを空ける予定だった」

 ツクシは誰にいうでもないような口振りだ。

「あァ、そうか――」

 リュウのことか――。

 それをいわずにゴロウが視線を落とした。

「ゲロロ――」

 視線を落として小さく鳴いたゲッコはずっと元気がない。

「――約束をしていたわけじゃないがな」

 ツクシが立ち上がると、それを押し退けるようにして前へ出たテトが墓前に花束を手向けた。小さな白い花々が束ねられたものだった。ツクシは三人娘の墓前に屈んだまま動こうとしないテトの背中を暗い顔で眺めている。

「――ツクシ、そっちも終わったか?」

 男が歩み寄ってきた。

「おう、コウイチ」

 ツクシが振り返ると喪服姿のコウイチ団員がそこにいる。

「ツクシ、良かったら、俺たちと一緒に来ないか?」

 コウイチ団員が口元だけで笑みを作った。

「――どこへだ?」

 怪訝な顔のツクシが集まってきた他の団員を見やった。

 すべてスロウハンド冒険者団の生き残りである。

「スロウハンド冒険者団はこれから地上の冒険者義勇軍に参加する」

 コウイチ団員が仲間たちへ視線を送った。

 団員の列は黙ったまま頷いた。

「ああ、お前らもとうとう王国軍の傭兵になるのか――」

 ツクシは呟いた。

「そうだ。どうせ死ぬなら、地下の穴倉よりも太陽がある地上で死んだほうがいいだろう。ま、気分的なものだが――」

 コウイチ団員は胸ポケットからシガレット・ケースを取り出して紙巻タバコを口に咥えた。それにマッチで火をつける。吐き出された紫煙が湿った大気に乗って固まったまま流れていった。

「――王座の街でジャグ(※紙巻タバコに使う煙草葉のこと)を手に入れたんだ。高級品だぜ。ツクシもやるか?」

 コウイチ団員がシガレット・ケースを突き出した。

「おっ、紙巻かよ、ありがたく頂戴するぜ」

 ツクシが紙巻タバコを手にとった。

「ゴロウ、ゲッコ?」

 コウイチ団員が口で鼻で紫煙をくゆらせながらゴロウとゲッコへ視線を送った。

 喫煙のお誘いである。

「ああよォ。不健康な煙は遠慮をしておくぜ。布教師が不養生じゃ格好がつかねえからなァ」

 ゴロウは苦笑いでタバコを辞退した。その態度を見ると、この世界でもタバコの煙は健康に悪いものだという認識があるようだ。

「ゲロ、煙タイ煙タイ!」

 目を白黒させながら口をパカパカさせているゲッコも喫煙に乗り気でない様子だった。

 コウイチ団員のタバコの先から火を借りたツクシが、鼻と口からぼふぼふと不健康な煙を噴き上げながら、

「ああ、両切り(※吸口にフィルターがついていない紙巻タバコのこと)はニコチンがガツンとくる。不健康なものは、たいていが旨いものなんだよな――――それで、コウイチ。義勇軍に参加するのは、スロウハンド冒険者団の総意ってことでいいのか?」

「魔帝軍はもう目と鼻の先だ」

 紫煙で和んでいたコウイチ団員の目元が厳しくなった。

「そうなのか?」

 ツクシが顔を歪めた。

「戦争で死んだ奴らの死体――階級の低い兵士の死体がこれまで王都に辿りつくことはなかった」

 コウイチ団員は安い墓標が多くなった墓場へ視線を巡らせた。今日、死人を埋葬をしているのは、ツクシたちだけではない。丘の斜面には他にも喪服の列があった。

「戦場が王都にかなり近いってことか」

 ツクシが顔を上げると漂う紫煙が曇天へ溶けてゆく。

「王国軍から飛び出しても結局、俺たちはタラリオン王国民なんだ。王都を魔人族に蹂躙されることだけは何としてでも阻止したい。奴らは他の種族をすべて奴隷として扱うって話だぜ。俺たち冒険者は何よりも自由を愛している。魔帝軍に自由を奪われるのは辛抱ならんよ」

 コウイチ団員はタバコの火種を靴底でもみ消しながら、ツクシへ強い視線を送った。

「お国のためってか?」

 ツクシは短くなったタバコの火で指を焦がして顔を歪めた。

「簡単にいえばそうなるな」

 コウイチ団員が唸り声と一緒にタバコを投げ捨てたツクシを見て笑った。

 火傷した指先をギリギリ睨み続けるツクシからの返答がないので、

「どうだ、ゴロウとゲッコは俺たちと一緒に来ないか?」

 コウイチ団員はゴロウとゲッコへ顔を向けた。

「――いや、殺しを仕事にするのはお断りだ。俺ァ腐っても布教師アルケミストだ。布教師はひとの怪我や病気を治すのが仕事だからなァ」

 髭面を曲げたゴロウの返事だ。

「ゲロ。ゲッコ、師匠ニツイテク」

 ゲッコはツクシへ顔を向けた。

「俺はネストの探索を続けるぜ」

 表情を消してツクシはいった。

「――そうか」

 頷いたコウイチ団員は笑顔だった。

 最初から色よい返事を期待していなかったような態度である。

「お前らの敵は魔帝軍だろ?」

 ツクシはコウイチ団員の笑顔から視線を外して訊いた。

「これからはそうなるな」

 コウイチ団員は笑顔を消して頷いた。

 ツクシは頭上に重く垂れ込める曇天を見やって、

「俺の敵はこれまで通り異形の巣ネストだ」

「これ以上、ネストの下層に行くと、たぶん、生きて帰れんぞ――これは俺の勘だがな」

 コウイチ団員は視線を落とした。

地上うえの戦争だって同じだろ。飛んできた弾が自分に当たるか横の奴に当たるかは結局のところ運頼みなんだろうしな」

 ツクシが面白くなさそうにいった。

「――わかった、ツクシ。俺たちはここで別れるか」

 コウイチ団員がツクシへまっすぐ視線を送った。

「ああ、そうだな。生きているうちにお別れのほうがずっといい」

 ツクシは強く頷いた。

「――では、全体、気をつけ!」

 コウイチ団員の号令である。

 背後に控えた五十名余が直立不動の姿勢をとった。

 いつの間にか彼らは隊列を作っている。

「クジョー・ツクシ」

「ゴロウ・ギラマン」

「ゲッコ・ヤドック・ドゥルジナス」

 コウイチ団員は、それぞれ呼びかけたあと、

「貴公らの健闘と幸運を祈る」

 後ろに控えた団員と一緒に王国陸軍式敬礼を見せた。

 今日この場でこの冒険者たちは軍人へ戻る覚悟を決めた。

 その彼らを睨むようにして眺めながら、

「お前ら、気軽に死んでくれるなよ?」

 ツクシが口角をぐにゃりと歪めて見せた。

「ああよォ、ツクシのいう通りだぜ。どんなに惨めでも、辛くても、生きていてこそ、ナンボだからなァ――」

 ゴロウは困り顔だ。

「ゲロゲロゲーロ!」

 何か感じるものがあったのか。

 ゲッコは直立不動の姿勢で返礼した。

 その鳴き声の意味はよくわからない。

 

 丘を下るスロウハンド冒険者団をその場に佇んで見送っていたツクシの背に、

「ツクシ!」

 厳しい声がかかった。

「――何だ、テト」

 ツクシが振り向くと三人娘の墓前に立ったテトが自分を睨んでいる。

 周辺にいた大人たちはみんな視線を落とした。

「――まだツクシは、ネストの下層へ行くつもりなの?」

 テトの瞳に炎が揺らいでいる。

「ああ、行くぜ。それがどうした」

 ツクシが頷いた。

「ニーナも、ヤマさんも、リュウも、フィージャも――シャオシンも、みんなネストで死んだのに?」

 テトの瞳にあった炎がその顔全体まで広がった。

「それでも俺は行く」

 ツクシは動じない。

「あ、あんたの所為なんだからね? ツクシ、それ、わかってるの?」

 怯んだテトが揺らぐ瞳でツクシを見つめた。

「テト、それをいっちゃいけねえだ!」

「テト、ツクシの気持ちも考えろ!」

 血相を変えたジョナタンとトニーがテトへ詰め寄ったが、

「みんなが死んだのは、全部、あんたの、ツクシの所為だ!」

 テトの絶叫がジョナタンとトニーを止めた。合同葬が終わって、ひとの気配の少なくなった三人娘の墓の周辺から音が消えて時間が凍える。

「――ああ、そうだぜ、テト」

 ツクシは視線を落とした。

「ツクシ――」

「師匠――」

 ゴロウとゲッコは何かいいたそうな顔だがあとが続かない。パメラとアナーシャも何かいいたそうな視線をツクシへ送っている。アナーシャの腕に抱かれたチコが不思議そうに対峙するツクシとテトを眺めていた。

「あんたがいなければ、リュウも、フィージャも、シャオシンも生きてたんだ!」

 テトの瞳から涙が溢れた。

「テト、いい加減にするべ! それをいっちゃあなんねえ、なんねえだよ!」

 珍しく目尻を吊り上げたジョナタンがテトの肩へ手をかけた。

 それでも、身体を震わせながらテトはツクシを睨んでいる。

「いや、いいんだ、ジョナタン。テトを止めるな。全部、俺の所為なんだぜ。それは、間違いねェよ」

 ツクシがジョナタンを見やった。

 ジョナタンは泣きそうな顔で視線を返した。

「――俺を恨め。それで当然だ」

 ひとつ頷いて、踵を返したツクシが背中で告げた。

「ツ、ツクシよォ――」

「ゲロロ、師匠――」

 ツクシの背をゴロウとゲッコが追った。

「――ばか、ばか、ばか。ツクシは何もわかってないし、わかろうともしてないでしょ――ツクシの、ばか、愚かもの!」

 テトはへたり込み地面へ向かって叫んだ。地の下で永遠の眠りについた死者たちへその叫びが届いたのか。天がその叫びを聞き届けたのか。

 曇天から雨の粒が点々と落ちてきて、テトの首筋を濡らした。

「おめェらも濡れないうちに帰れよォ!」

 丘の下からゴロウが空を指差して吠えている。

 王都の上空を覆う雨雲は暗くなっていた。

 泣いていたテトは、ジョナタンやトニーに何度か促されたあと、ようやく立ち上がった。そうして、テトは周辺の大人たちと一緒に三人娘の白い墓へ――親友の墓へ視線を残しながら帰路についた。

 雨は時間を追って強くなった。

 王都全体が灰色の水煙にけぶる――。

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