十五節 刃の指令

 超微小重力渦マイクロ・グラヴィティ・ヴォルテックスを指定座標に発生させ、陽子・電子間引力を操作し、対象の脳信号を支配・操作する。このマインド・コントロール機能を持つ防犯機構『ACHILLESアキレウス』は、そこまで運用していたゲバルド・ナルチーゾが侵入者勢力に排除されると、その頭脳――光子演算機で侵入者勢力の戦力評価を開始した。演算の結果、侵入者勢力のなかで戦闘能力が最も高いと判断した個体名はクジョー・ツクシだった。だが、ACHILLESがツクシの脳信号へ侵入を試みると、これは操作する対象としてイレギュラーの事実が判明する。正体不明の『意志』が、ツクシの意識に強く干渉していた。ACHILLESが実験的に送った指令はこの正体不明の意志によって妨害された。

 この『意志』の正体は、ツクシの魔刀ひときり包丁である。

 侵入者の思考・人格を読み取って状況を把握することができても、自身の視覚による情報取得能力を一切持たないACHILLESは魔刀の存在を把握できない。もっとも、想像力も感情も持たない機械のACHILLESが、その事実を知ったところで、何の対応策もなかったであろうが――。

 ともあれ、規定されたプログラム通りに予測演算を二度繰り返したACHILLESは、クジョー・ツクシを制御不能の個体ではなく『データベースにない未知の要素を持ち、人格支配プログラムの形成に時間を要する個体』と判定。百パーセンテージに近い未来予測演算結果を求めるACHILLESはツクシの不安定さを嫌って第二の候補への侵入を開始した。その対象は侵入者勢力のなかで、クジョー・ツクシに次ぐ戦力を持つと判断した黄小芯だった。黄小芯の人格支配プログラムの生成・実行は難なく成功する。しかし、その黄小芯も最も不安定かつ最も強力な侵入者勢力に――ツクシに排除された。

 選択肢を失った防犯機構ACHILLESは、クジョー・ツクシの脳信号へ侵入、人格支配プログラムの制作を開始する――。


「――いあ、逃げるら、逃げるらら。ゴロウろゲッコはここれ残るら」

 ツクシが唸った。

 前頭葉の脳信号を乱されたツクシは言語障害が発生。

「ああ、いや、お前は誰だ?」

 ツクシは怪訝な顔でゲッコに訊いた。

 側頭葉の脳信号を乱されたツクシは記憶障害が発生。

「クソッ、手前てめえか、この茶番劇を仕組んでいたのは――」

 ツクシはゴロウに凄んだ。

 後頭葉の脳信号を乱されたツクシは視覚障害が発生。

 これらの障害はすべて脳信号への不完全な侵入によって引き起こされた症状だ。

 ACHILLESの侵入を魔刀の意志が遮断して、ツクシの意識が混濁している。

「ま、まさか、ツクシまで、シャオシンみてえに?」

 ゴロウの髭面が引きつった。

「師匠、師匠、ドウシタ――」

 ゲッコは口を半開きでツクシを見つめている。

「――全体、北へ即時撤退だ、もう誰にも構うな!」

 号令が響いた。

 この号令を発したのは、生き残っていたスロウハンド冒険者団の団員――コウイチ団員だった。

「ここは、十二階層は、呪われているんだ!」

「い、異形の呪いだ!」

「逃げろ、逃げろ!」

「ツクシさんを相手にすると、みんな一瞬で殺されるぞ!」

「走れ、死ぬ気で北へ走れ!」

 生き残った団員が逃げだした。

 半日ほど北へ走ることができれば、そこに上がり階段がある。

 しかし、ゴロウはツクシへ歩み寄った。

「――ゴロウ、行クナ、今ノ師匠、超危険!」

 ゲッコがゴロウにしがみついて止めた。

「いーや、ゲッコ、俺ァ、ツクシを担いででも帰るぜえ――」

 ゴロウがゲッコを引きずっている。

 赤鬼と竜人の力比べだ。

 双方、ものすごい怪力である。

「ゴロウ、ゲッコ、逃げろ――いや、この場で手前らをブッ殺してや――クソ、違う!」

 ツクシは手の魔刀をその場で振り回していた。

 ゴロウが髭面を真っ赤にして唸った。

「ゲッコ、俺を放せ。ようやく、俺にもこの場所のからくりが見えてきた。この場所からあるていど離れていれば何ともないんだ。あの導式剣術兵ウォーロック・ソードマン――ゲバルドの部隊は何かを中心に円を描くような形でしか移動をしていなかった。奴らは動きが早い。地下十二階層の奥まで一気に逃げれば、俺たちは追いつけない筈だった。だが、奴らはそれをしなかった」

「ゲッ、ゲロロ?」

 ゲッコは訝し気に鳴いたが、それでもゴロウを引き止める力をゆるめない。

「ゲッコ。ゲバルドの部隊は『逃亡しなかった』んじゃねえ。『ここから距離を取って逃げることができなかった』んだ。この場所から離れてゲバルドの部隊は『動けなかった』んだよ。ツクシはまだ正気を半分保ってる。だから、この場所から離れれば、ツクシはまだ『間に合う』筈なんだよォ!」

 ゴロウがツクシを睨んだ。

 そのツクシはあっちこっちへ視線を送って怒鳴りながら、魔刀を振り回して一人芝居をしている。

「ゴロウ、ゲッコ、ヨクワカラナイ。デモ、今ノ師匠、スゴク危険!」

 ゲッコの野生の直感はこの場からの逃走を選択していた。

「――ゲッコ。シャオシンも、ツクシも俺たちの敵じゃねえ。イーゴリのいった通りだった。この場所が――『地下十二階層そのもの』が俺たちの敵なんだ。今のツクシは、『この場所にいる何か』に操られて――あァ?」

 ゴロウが言葉を切った。

「うっくぅおぉお!」

 ツクシが呻き声と一緒に背を丸めたのである。

「ツ、ツクシは何を飲んだんだ?」

 ゴロウはツクシの手にあるものを凝視した。

 ツクシはスキットル・ボトルを手にしている。

 外套の内ポケットから取り出したものらしい。

「ゲッ、ゲロロロロ?」

 ゲッコが怪訝な鳴き声を上げた。


 ――ACHILLESは光子演算機で『クジョー・ツクシ人格支配ソース・プログラム』を完成させ実行可能な形式へ変換を完了した。

 クジョー・ツクシの実効支配を開始。

 しかし、ACHILLESがそこで得た結果は、

 索敵指令、拒否――。

 移動指令、拒否――。

 攻撃指令、拒否――。

 すべての指令、断固拒否――。

 何度も第三者の意志によってACHILLESの侵入は遮断されていたが、必要な情報をすべて得て完成させた筈の『クジョー・ツクシ人格支配プログラム』は運用できない。ACHILLESは防犯ステップを初期化して再演算を開始。指定座標――クジョー・ツクシの脳内座標へ超微小重力渦を形成。電子・陽子間引力を操作し脳信号解析を開始。

 人格支配プログラム制作のための情報を取得。

 情報を取得、情報を取得、情報を取得――。

 作業の段階ステージがここで止まった。

 ACHILLESは、問題究明のための演算を開始。

 雑音のような意識の交錯で乱れ続ける脳信号をもとにACHILLESは演算を続けた。

 結論。

 クジョー・ツクシは何らかの強力な向精神薬を摂取、脳信号を自発的に乱している――。


「くぁあ、そっちかよ!」

 ツクシが甲高い声で咆哮した。

 その零秒後、虹色の軌跡を一直線に描いて、ツクシは大通路を七十メートル南へ移動した。

「そこに手前がいるのか――」

 死神は闇を睨み、その闇のなかへ虹色の翼を広げて突入する。

「――どこだ!」

 死神が吠えた。咆哮は遠くにある遮蔽物に反響する。暗闇で視界はまったく利かないが聴覚でわかる。

 大通路の南は大広間になっていた。

 その全体に濃い闇が降り積もっている。

「――近いぜ」

 そこで死神への『侵入』がプツンと途絶えた。

 説明できない。

 だが感覚で理解ができる。

 死神が持つ殺しの天性センスである。

 何かに見られている感覚。

 何かに探られている感覚。

 何かが自分へ危害を加えようとしている感覚。

「へえ、ビビって『通信』を切ったのか。だが、逃さねェ。手前だけは逃さねェからな。地獄の底まで追いかけてるぜ――」

 ツクシは周辺から圧を加えてくる闇へ視線を巡らせた。

 それは刃のような眼光である。

「俺がこの手で手前を必ずブチ殺してやる――」

 唸ったツクシの足元から虹のきらめきが奔った。

 全方向――。

「――そこか、見つけたぜ!」

 ツクシが虹の光を撒き散らして消失した。

 虹色の軌跡が一直線に残った先は異形の闇が支配する大広間の中央だ。

 そこにわずかな光と起動音がある――。

「――くたばれ、このクソが!」

 痛罵と一閃。

 ツクシの魔刀が大広間中央にいた敵を両断した。

 敵はガランと音を立てて転がった。

「冗談だろ?」

 ツクシが真っ赤になった顔を歪めると、舞い上がっていた死神の翼が背に落ち着いた。

「おいおい、こんなガラクタが、俺たちをいいようにしていたのか――?」

 ツクシは唸った。

 足元に転がったそれは応えない。

 大広間の中央には極弱い照明が少しだけあって、それが何であるかを目で確認できた。それは機械だ。直径は四十センチほど高さは子供の背丈ほどの機械だ。円筒状の機械が床から突っ立っていた。ツクシが命懸けで叩き斬ったのは機械だった。切断面から見える細い導線や電子回路の基盤(おそらくは――)を見ると、それは間違いなく、過去にあった文明で制作された防犯用の機械なのだった。

 侵入してきた不審者の人格を支配して速やかに排除する機能を持つ――。

「――うっ、くっ、クソ!」

 ツクシの両膝が落ちた。

 そのままうずくまって背を丸めた。

 死神の背が、翼が震える――。

「くっそ、ツクシ、待てよ、おい!」

「ゲロロ、ゴロウ、危険!」

「あァ、真っ暗だぜ。導式陣・天明の閃光テラ・ライトを機動――!」

「ゴロウ、師匠ノ匂イ、アッチアッチ!」

「――何だあ、こりゃあ?」

 遅れて駆け寄ってきたゴロウの声が裏返った。そこは椅子と机が教壇に向かって並べられている。机や教壇の上に、ゴロウから見ると灯りがついた黒板のようなもの――モニターが並んでいた。モニターは緑色の光を散らしている。ゴロウが腰を曲げてモニターを見つめた。ゴロウにとっては未知の言語や数式が並んでいる。

「――師匠、シッカリシロ!」

 ゲッコがうずくまったツクシをぐわんぐわん揺さぶった。

「よ、ようやく来たのかよ、お前ら――」

 ツクシはうずくまったまま呻いた。

「おい、ツクシ、どうした、何があったんだ!」

 ゴロウが怒鳴った。

「ゴロウ、こ、こいつを、げっ、解毒できるか?」

 ツクシがスキットル・ボトルを突き出した。

「あァ? こいつァ――『淫虜とりこ草』を漬け込んだ薬酒だなァ。ツクシ、どこでこんな物騒なモンを手に入れたんだ。ご禁制の品だぜ。あァ、メルロースにあったよなァ。俺もこれを飲まされたっけ――」

 ゴロウがスキットル・ボトルの瓶口に鼻先を寄せて髭面を曲げた。

「ゲロゲロ、ソレ変ナ匂イ」

 ゲッコの嗅覚も異常を察知したようである。

「おっ、おい、早く対処してくれ、このヤブ医者め――」

 ツクシの歪めた顔が真っ赤だ。

「つっても、薬が入ってる俺の背嚢は向こうに置いてきて――あっ、そうだ、そうだ、これがあった。ツクシ、この気つけ薬をぐっとやれ。ホレ、思いっきりやれ」

 ゴロウがは懐から自分のスキットル・ボトルを取り出して突きつけた。

 ツクシはスキットル・ボトルをひったくると、それをぐいぐい飲んで、

「ぐっえあ!」

 悲鳴を上げて身体を丸め、

「あ、ぁ、あ、ぁ、あ!」

 すごい声で呻きだして、やがて、動きを止めた。

「ゲロゲロ。師匠、師匠、死ンダカ?」

 ゲッコが動かなくなったツクシをグワングワンと揺さぶっている。

「――おげえっ!」

 ツクシの返事だ。

「あァ、吐いてるなァ――」

 ゴロウが呟いた。

「――マッ、マジで死ぬかと思ったぞ。このヤブ医者め」

 ツクシが口元を手の甲で拭いながら、気つけ薬の入ったスキットル・ボトルをゴロウへ突き返した。

「これは古くからある薬酒でなァ。毒じゃねえよ。胃腸が裏返しになるほど不味いがなァ。一息に飲むと解毒剤にもなるんだぜ」

 ゴロウが死ぬほど不味い気つけ薬の説明をしながら、スキットル・ボトルを懐へ仕舞い込んだ。

 両手と両膝をついたまま深呼吸を繰り返していたツクシが、

「ゲッコ、しっぽを貸せ」

「ゲロ、使エ、師匠」

 ゲッコがしっぽを向けた。

 しっぽにすがって立ち上がったツクシに、

「それで、ツクシは大丈夫なのか?」

 ゴロウが訊いた。

「ああ、これで終わりだ」

 ツクシは魔刀を鞘へ帰した。

「で、これは一体、何なんだァ?」

 ゴロウが両断された機械を見つめた。

「ゲロゲロ、変ナ機械カラクリ――」

 ゲッコの感想である。

「これがシャオシンを操っていた。俺の頭へも『指令』を飛ばしてきやがったぜ。ゲバルドも、たぶん、同じだったんだろうな――」

 ツクシが壊れた機械を睨んだ。

「こんな、ちっぽけなガラクタが、ひとを完全に操ってたのかァ?」

 ゴロウが髭面を曲げた。

「ああ、そうだ。間違いねェぜ――」

 頷いたツクシが眉根を寄せた。

 機械の切断面から青いジェル状の液体が広がっている。

 潤滑油のわりにはその量が多い――。

「――ゲロ、燃エタ」

 ゲッコが呟いた。

 壊れた機械が青い炎で包まれた。

 合成樹脂の焼ける黒い煙が鼻を刺激する。

「おう。証拠隠滅かよ――とことん、ふざけやがって!」

 ツクシは顔を上向けて咆哮すると、そのまま目を見開いた。上空に導式偵察機ドローンが何機も飛び交っている。ゴロウとゲッコも上を見上げた。そのうちに多くのひとの声が闇の奥――北方から聞こえてきた。同時に照明用の光球弾が飛んでくる。光が弾けた。謎の教室で佇んでいたツクシたちは白一色に包まれる。

 その集団は隊列を組んで近寄ってきた。数はざっと見ただけでも千名以上。銃歩兵、機動歩兵、導式術兵、導式剣術兵、砲兵の混成の連隊規模だ。

 この臨時編成連隊を先導してきたのは緋色の女性騎士だった。

「――武器を下ろせ」

 緋色の女性騎士は配下を右手で制した。

「オリガ――」

「騎士の姐さんかァ――」

「ゲロゲロ、騎士オリガ――」

 ツクシたちは歩み寄ってきたオリガを見つめた。

「お前ら三人は戦場の地獄の底を生き抜いたか。さすがだな――」

 オリガが緋色の鍔広帽子の鍔を手で上げてその顔を見せた。

「オリガ、今さら何をしにきた?」

 ツクシの声は平淡なものだった。

「上司のお務めさ、今さらのように部下の失態の尻拭いだ」

 オリガも平淡な声で応えた。

「お前の仕事はちょっと遅かったぜ。ルシアもゲバルドも死んだぞ」

 ツクシが吐き捨てるようにいった。

「ああ、遅かったようだな」

 オリガがツクシの足元で燃えていた機械――ACHILLESを見やった。

「――も、燃えているのかーッ!」

「――な、何ということだ。何ということだ。貴重な試料サンプルがーッ!」

 絶叫である。

 オリガの背後に控えていた兵隊の列から男性が二人飛び出てきた。双方白衣で禿頭の初老の男性だ。ハゲといっても、それぞれ多少の髪の毛は辛抱強く残している感じだった。正確にいうとこの白衣の男性二人組は薄らハゲになる。

「火だ、まずこの火を消さねば、モラクス博士!」

 薄らハゲの白衣の痩せたほうがガクガク震えた。

「うむ、対応は迅速を要するぞ、オイラー博士! 消火器だ、兵隊ども、消火器をすぐにここへ持ってくるのだ!」

 禿頭白衣の太ったほうがプルンプルン震えながら喚き散らした。

 痩せたほうがオイラー博士で、太ったほうがモラクス博士というらしい。

「ま、間に合わんぞ、火が強いィーッ!」

 オイラー博士が悲鳴を上げた。

「う、うむ、これは間に合わんな。よし、コートで叩いて火を消そう――あっ、ああ! コートの胸ポケットには演算結果を記した私の大事なメモ帳があ!」

 モラクス博士は火が燃え移った自分のコートを振り回した。

「――オリガ、この機械と、その頭が悪そうなハゲ二人組は何なんだ?」

 無表情のツクシが無感動な声で訊いた。

「彼らはこれでも王国学会アカデミーの高名な学者だ。専門は導式回路工学と、あとは、何だったかな――とにかく、そこの馬鹿二人組がいうにはだ。そこで燃えている機械は過去に滅んだ文明――第四期文明の遺産らしい。侵入者へMCマインド・コントロールを施す機械だ。これに使われていた技術が元で、その世代の文明は消滅しただとかな――」

 オリガは眉間にシワを作って応えた。二人の学者がバタバタやっているうちに、どうにか火は消えていた。消火できたといっても、ツクシが叩き斬ったその機械は黒焦げで価値があるものに見えない。

「へえ、それはロクでもねェ機械だな。跡形もなくぶっ壊しておいて正解だぜ」

 ツクシがいうと、

「この貴重な試料を破壊したのはチミたちかねーッ!」

「これは、過去文明文献にあった『MC兵器構造』を読み解く重要な鍵であったのに、お前は何ということをしてくれたのだあ!」

 薄らハゲの学者二名は揃って振り向いた。

 ご丁寧にもツクシを指差してである。

 むっつり不機嫌なツクシは何も応えない。

 その眼光が恐ろしく鋭かった。

 どう見ても堅気でない雰囲気を察知した学者二名が、

「ともあれ、騎士オリガ。私たちはそこにいる彼らから、詳しい話をすぐにでも訊きたい」

「そうだ、騎士オリガ。ここにいる彼らも学会の貴重な試料だ。すぐ全員を拘束してくれ。あとで解剖したい」

「あ?」

「あんだとォ?」

「ゲロゲ?」

 ツクシとゴロウとゲッコが一斉に不満を表明した。

「――学者殿」

 オリガは抜刀した。

「あっ――」

「おっ――」

 導式サーベル――天然の秘石を使用したやたら高額で切れ味の鋭い兵器を目にして、オイラー博士とモラクス博士は硬い笑顔になった。うっかりして彼らは忘れていたのだ。この女性騎士オリガ・デ・ダークブルームの渾名を『タラリオンの赤い狂犬』という。

「今の私は貴様らのご高説を耳にしたくない気分なのだ」

 オリガは導式サーベルの切っ先をオイラー博士の首元に突きつけた。

「――あっ、はい、騎士殿!」

 オイラー博士は不格好な直立不動の体勢を作った。

「おそらくだがな、この男たちも同じ気分だと思うのだ」

 オリガが持つ導式サーベルの切っ先は、モラクス博士の丸い鼻先を突っついていた。

「――はい、騎士様殿!」

 モラクス博士もいい返事だ。

「もう口を閉じていろ」

 オリガが導式サーベルの刃をひとの血で濡らさずに鞘へ戻した。

 滅多にないことである。

 二人の学者はヘナヘナ崩れ落ちた。

「俺たちを連行するつもりか?」

 ツクシが訊いた。

「そんな無駄なことはせんよ」

 オリガは小さく笑った。

「その機械を破壊したのは俺だぜ?」

 ツクシは黒焦げになった機械へ顎をしゃくった。

「それも構わん。どのみち破壊する予定だったのだ。そのために遠方からこの場所を攻撃できる牽引型導式陣砲を持ち込んだ。あの重たい道具の所為で移動に手間どって到着が遅くなった。まあ、すべては無駄足だったわけだ――」

 オリガが大通路のほうへ視線を送った。

 遠くで砲兵が牽引型導式陣砲を並べている。

「えっ、それ聞いてない!」

「えっ、そうだったの!」

 オイラー博士とモラクス博士が顔を上げた。

 そのままオリガを凝視している。

 オリガは視線を返さなかった。

「オリガの部下の斬ったのだって俺だぜ――」

 ツクシが視線を落とした。

 それは咎を率先して受けたいような響きのある口調だった。

 ゴロウとゲッコがうなだれた。

「それも、もう知っている。貴様らの団の連中から大まかな話を聞いたよ」

 オリガが顎をしゃくった。そこにスロウハンド冒険者団の生き残りがいた。五十名前後だ。軍隊に囲まれた彼らは床に座っている。オリガの部隊に拘束されたのか保護されたのか。おそらく、その両方なのだろう。

「あァ、騎士の姐さんは、もう話を聞いたのかァ――」

 ゴロウが大きく息を吐いた。

「ゲロゲロ――」

 うなだれたままゲッコが鳴いた。

「ツクシ」

 オリガが鍔広帽子を手にとって呼びかけた。

「あ?」

 ツクシは不機嫌な返事をした。

「お前のところの団の亡骸も我々の手で地上へ運ぼう」

 オリガがいった。

「――死人が多いからなァ。騎士の姐さん、そいつはありがてえ」

 返事をしないツクシに代わってゴロウが応えた。

「ゲロロ――」

 ゲッコが頷いて見せた。

「――俺の班の連中だけは俺たちの手で運ぶ」

 ツクシはうつむいたままいった。

「あァ、リュウたちの――ツクシ、そうだな、それがスジなんだろうなァ――」

 肩を落としたゴロウが消え入りそうな声でいった。

「ゲロ、了解了解――」

 ゲッコの声も小さい。

「オリガ、他の仏さんは頼むぜ――」

 ツクシが呟くようにいった。

「――仏さんって何のことだ? ――うん、まあ、いい。それは貴様らが好きにしろ」

 眉を寄せて呟いたオリガがツクシへ視線を送って、送った視線をツクシから外した。怪我があるわけではないのだが、ツクシは何かに斬り裂かれたような表情かおをしている。

「じゃあ、ゴロウ、ゲッコ、帰ろうぜ――」

 ツクシが踵を巡らせた。

「あァ――」

「ゲロロ――」

 ゴロウとゲッコもあとに続いたが――。

「――畜生。もう一歩も動けねェ」

「――俺もだァ」

「――ゲロロ。ゲッコ、オ腹減ッテ眼回ル」

 数歩も進まないうちに、三人揃ってへたり込んだ。

 飲まず食わずで何時間も続いた死闘の直後である。

 体力の限界だった。

「私の隊がこの場所でキャンプを張る。貴様らもついでに休んでいけばいい。欲しければ隊の配給食と飲料も回してやるぞ」

 オリガが血のように赤い唇で笑みを作った。

「ああ、そうさせてもらう――」

「助かるぜ、騎士の姐さん――」

「感謝、感謝、騎士様――」

 ツクシとゴロウとゲッコは、それぞれ弱い笑みを返した。

「礼には及ばん。明朝からここで亡骸の整理をするからな。貴様らもそれに立ち会え――部隊、聞け!」

 オリガが隊全体への指示を始めた。

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