八節 瘴気満ちる異形のはらわた(壱)

 前回行われたネスト探索から数えて五日目の朝だ。

 スロウハンド冒険者団のネスト探索が再開された。王座の街からネスト地下十階層の屋台通りまで導式エレベーターを経由して、そこから同階層南西区にある下り階段へ向けて移動する。そこまででも半日以上かかる道のりだ。

 今回の目的地は、そのほとんどが未探索区となっている地下十二階層である。

「おいおい、どこを見ても観光旅行の団体様だらけだぞ――」

 ぶつくさいいながら不機嫌に歩くツクシは、やっぱりいつも通り不機嫌だった。

「はァ、そうだよなァ――」

 不機嫌の横を歩くゴロウは呆れ顔である。地下十一階層は他の探索者が多かった。隊列を作って進行するスロウハンド連合が大通路で出会うひとは風貌はさまざまだが、そのたいていは軽装で野営の道具だけを携えた素人探索者だった。何を考えているのか、通路で椅子に陣取って殺風景な風景画を描いている酔狂な老人までもいる。探索済み区画にある大通路にはワーラット工兵隊の手で導式灯が設置されて十分な照明がある。

 だから、ここで細かい作業だって、できないわけでもないのだが――。

「――いやあ、これは参ったな」

 アドルフ団長がボヤいた。

「暇人どもが――」

 猫耳と顔を横向けたのはボゥイ副団長である。

「ね、すごく迷惑――」

 鼻を鳴らしたゾラは見るからに不貞腐れている。

下層したで素人探索者に仕事の邪魔をされると困るね。備品の調達に散財したから、今回の探索はかなり稼がないと団の収支は赤字だよ――」

 イーゴリが視線を落とした。

「やけに静かだな」

 ツクシがいった。

「ツクシ、何を寝ぼけたこといってんだ。これ以上なく賑やかだろォ?」

 ゴロウが髭面をひん曲げた。少なくとも地下十一階層で大通路は歩いても歩いても、観光気分でネストを歩くひとのお喋りと足音が重なって響いている。小アトラスから照射された立体地図は虫食い状態だった。多くの探索者団(あるいは個人の探索者)が、無計画に探索データを収集した結果である。一応、十一階層にもまだ未探索の区画は残っているが、小銭を拾って歩いたところで、大人数を抱えるスロウハンド冒険者団は収支が釣り合わない。地下十一階層の状況を大まかに確認したゲバルド団長の指示は下り階段から地下十二階層へ直行だった。

 周囲から反対意見はひとつも出ない。

「いや、ゴロウ。静かなのはリュウたちのことだぜ」

 ツクシがいった。口半開きでペッタラペッタラ横を歩いていたゲッコも、「ゲロ?」と一声鳴いて、ツクシの視線の先を目で追った。少し離れたところで、いつもきゃあきゃあうるさい三人娘が口を閉じて歩いている。

「確かに、あいつら妙に静かだなァ。喧嘩でもしたのかァ?」

 ゴロウが太い眉根を寄せた。ゴロウが見たところ、リュウやフィージャが話かけても、シャオシンの反応が鈍い様子だ。

「何だろうな?」

 ツクシが眉根を寄せた。

「シャオシンの元気がねえようだが――おい、子供の体調が悪いと面倒だぜ。ツクシ、おめェ、ちょっと行って、様子を見て来い」

「ゲロゲロ?」

 髭面とトカゲ面が右と左からツクシの不機嫌な顔へ視線を送った。

「まあ、あいつらも色々とあるんだろ。パメラ流にいうと『三人とも微妙なお年頃』だしな――」

 ツクシがぶつぶついった。

「おめェ、何か知っているのか?」

 ゴロウが怪訝な顔になった。

「――ああいや。何もねェと思うぜ?」

 ツクシは視線を落とした。これを合図にしたわけではないが、そこで隊列全体の足が止まった。進行方向は暗闇に包まれている。その暗闇のなかで導式カンテラを手から下げた何名かの探索者たちが活動しているのが遠くに見えた。

 スロウハンド冒険者団は下り階段前広場の手前にいる。

「――下り階段前広場はまだ導式灯の設置されてなかったか。ワーラットどもの仕事が遅いような気がするが――うーし、ここからの進行は収束器フォーカス持ちが適当に周辺へ照明を確保しながら――」

 アドルフ団長が隊列へ指示を出したが、

「――アドルフ、わらわがやるぞえ」

 遮ったシャオシンが隊列から抜け出した。武装ハーフ・コートの裾を揺らして歩むシャオシンは身体の周辺に照明用の光球をいくつも作っていた。それが増え続ける。

「――おぉお!」

 団の隊列から感嘆の声が重ねて上がった。

「シャオシン、スタジアムの照明灯みたいになったな」

 ツクシは目を細めた。

 奇跡の光量で包まれたシャオシンは直視するのが困難なまでに強く輝いている。

「こっ、こんな無茶な真似をして、シャオシンは平気なのかよォ?」

 ゴロウは髭面を固めた。シャオシンは照明用の導式陣を機動しているのだが、奇跡の力を扱う専門家のゴロウから見ると、それは強力すぎるように見えた。

 扱いに危険を伴うまで強力な奇跡の力――。

「ゲロロ。シャオシン、眩シイ」

 ゲッコの感想である。

「これは凄いな――」

 猫耳を立てたボゥイ副団長が素直に感心していた。

「確かに凄まじい。あの強さの導式陣を機動させて、シャオシンは顔色ひとつ変えんのか――」

 イーゴリの顔つきが厳しくなった。

「シャ、シャオシンってこんなに強い奇跡の担い手だったんだね。ウェスタリアでは導式を陰陽導イェンヤンティンっていうんだっけ?」

 ゾラがリュウへ視線を送った。

「ゾラ、そうなのだ。だが、シャオシンが扱えるのは、五行・金乃陣と五行・水乃陣だけで――他人の血を見るのが、シャオシンは大嫌いだからな。強力な治癒の――五行・樹乃陣も使えるのだが、本人が使いたがらない――」

 リュウが気まずそうに応えた。

「ええ、ゾラ。ご主人さまは本当にすごいんですよ」

 フィージャは白い牙を見せた。狼の笑顔である。彼女は彼女の主を誇っているようだ。そのフィージャの顔が強い光を浴びて半分影になった。シャオシンが光球を一斉投射したのである。弧を描いで遠く近くに着弾した光球は炸裂するとその光を広げていった。先でおっかなびっくり動いていた素人探索者たちが悲鳴を上げた。周囲が突然、昼のように明るくなって驚いたのだろう。

 スロウハンド冒険者団の進行方向へ照明が確保された。

「――驚いたぜ。そんなにたくさんの照明を出せたのか」

 ツクシがシャオシンの背へ声をかけた。

「わらわならこんなもの、いくらでも作れるぞえ」

 シャオシンは少しだけ笑った。

「シャオシン、あまり無茶な真似をやるなよなァ。おめェの心臓にも俺の心臓にも悪いぜ――」

 ゴロウはまだ目を丸くしている。

「わらわは平気じゃよ」

 シャオシンが短く応じた。

「ゲロロ?」

 ゲッコが首を捻った。

 いつもなら、シャオシンはゴロウへ憎まれ口を叩くのだが――。

「ご主人さま、今回は随分とやる気みたいですね」

 フィージャが嬉しそうにいった。

「もう異形種はいないのじゃろ?」

 シャオシンは視線を前に送っている。

「い、今は見当たらなくなったが――シャオシン、そんな強い陣を機動させなくても――」

 リュウの歯切れが悪い。

「――匂いも音も異常はありませんよ。周辺で活動するひとだけは多いですがね」

 フィージャが獣耳と鼻先を動かして確認した。

「それなら、どれだけ派手に光を散らしても問題なかろ――」

 シャオシンが階段前広場へ向かうと隊列全体もそれに続いた。

 ここまで一日中移動を続けてきたスロウハンド冒険者団は下り大階段前広場で野営に入った。導式灯の設置がない広場はただっ広く暗い。この場で野営を始めた面々は団の備品から導式ライト・キャンプ・ストーブを引っ張りだして、それで料理を煮炊きしたり、照明代わりにしている。

 この広間にある階段を降りた先が地下十二階層だ。フィージャの鼻と耳による調査では階下で何かが動いている気配はないとのことだったが、それでも階段前には一応、スロウハンド冒険者団の何人かが夜警に立っていた。しかし、緊張感があるとはとてもいえない雰囲気だ。階段前広場は方々が雑談で湧いている。野営をしているのはスロウハンド連合だけではない。その他の探索者もそれぞれ床へ車座を作って酒を酌み交わしながら談笑中だ。まるで休日のキャンプ場のような有様である。

 今夜のスロウハンド冒険者団の給食は、ソーセージとザワークラウトの煮込み料理へ、まるっと茹でたじゃがいもを乱暴に突っ込んだものだった。

 給食を黙々と食べていたツクシの横へ、

「ツクシよォ。さっきからアドルフたちと熱心に話し込んでいる、あの子供ガキの集団は何者なのか知ってるか?」

 ゴロウがそう訊きながら胡坐をかいた。スロウハンド冒険者団の調理人――太っちょ給食係と粘り強い交渉をして他人の三倍の量を深皿に盛ってきたゴロウである。

「――あぁん?」

 ツクシはゴロウの手にある深皿を睨んでいる。大酒飲みだが健啖家というわけでもない。しかし、自分の皿にあるものがゴロウの皿より量がずっと少ない。その事実に迷うことなく苛立つツクシである。

「ゲッ、ゲロゲロ――」

 今夜の給食を誰よりも早く口のなかへ流し込んだゲッコはゴロウの皿をじっと見つめている。量が足りなかったようである。特盛りの給食をモリモリ食い散らかしているゴロウが、ゲッコの物欲しそうな視線を気にしている様子はない。

「あれは、この前、ヤマサンで会った若い連中だよな。学生の集団だったか――」

 その車座に加わって、もそもそと給食を食べていたリュウが離れた位置で大笑するアドルフ団長へ目を向けた。アドルフ団長とゾラが学生六人組を相手に話をしていた。アドルフ団長は上機嫌だ。黒髪に黒ぶち眼鏡の若者がドルフ団長の杯へしきりに酒を注いで話を促している。下り階段前で再会したこの学生六人組は「地下十一階層を探索していたんですよ」と、ツクシたちへいった。

「王国軍西方学会の大等部に在籍しているそうです。軍学生といったところですよね」

 フィージャはソーセージをふがふがやっている。

 その横で、もそもそ給食を食べるシャオシンは何もいわなかったし、うつむいた顔も上げなかった。

「たぶん、貴族のボンボンどもだ。生活に余裕がありそうな態度と服装だしよォ――」

 ゴロウが煮込み料理で頬を膨らませた髭面を曲げた。味に不満があるわけではないだろう。連合で不味い給食が出すと連合参加者と給食係で殴り合いの喧嘩になるのだ。これまでそんなことが何度もあった。

「ああ、あれはいかにも意識高い系のクソいけすかねェ若造どもだよな。しかし、アドルフは愛想良く相手してるぜ。あの子供ガキどもも随分と懐いてるように見えるし――」

 ツクシがエールの入ったピッチャーを手にとった。

 これも団からの支給品だ。

「あの若い奴ら、アドルフの後輩なのかも知れんなァ」

 ゴロウが空の杯をツクシを突きつけた。

「後輩? 学校の後輩のことか? アドルフはあんなナリで学歴があるのかよ?」

 怪訝な顔のツクシがゴロウの杯へエールを注いだ。

「アドルフは軍学会アカデミーの大学部卒だぜ。おめェ、知らなかったのか?」

 ゴロウが受けた杯を一息で空にした。

 ツクシがゴロウの無表情な髭面を凝視して、

「ア、アカデミーの大学部だと? じゃあ、アドルフは異世界こっちの大卒ってことになるのか? おい、ゴロウ、いい加減なことをいっているんじゃねェぞ。あの悪党面が学士様だなんてありえねェだろ。山賊専門学校卒とか何とかな、アドルフの学歴はそのていどなんだろう、おい――?」

 ツクシはこれまで学歴からぶっぱずれた人生を歩んできたから、高等教育の内実を知らない。だから、勝手な妄想で、学問に対して過大な評価をしている。これを俗に学歴コンプレックスという。

「あんだよ、山賊専門学校ってよォ。冒険者になる前のアドルフは王国陸軍の士官だったらしいからなァ。確か軍の士官は全員、軍学会の大学部卒だった筈だぜ?」

 ゴロウが、心ここにあらずの様子のツクシの手から、ピッチャーをひったくった。

「――おう、シャオシン、今日は、どうしたんだ?」

 一分くらい放心していたツクシが、ハッと手放しかけた魂を取り戻して、シャオシンへ目を向けた。

「――どうしたのじゃ、ツクシ?」

 ふにゃりと顔を上げたシャオシンの返答だ。その膝の上にある深皿には給食が半分以上残っている。左右に座るリュウとフィージャがその冷めた給食へ視線を送っていた。

「いや、シャオシン。俺の質問に応えろよ。何だか元気がないみたいだぞ」

 ツクシが眉根を寄せた。

「わらわは、そろそろ寝る」

 シャオシンが食べかけの給食を床に置いて立ち上がった。

「――おう。まあ、ゆっくり休めよ。明日は元気になって起きてこいよな」

 ツクシは立ってもうつむいたままの幼い美貌を見上げた。

「シャオシン、シャオシン! 要ラナイカ? コレモウ要ラナイカ?」

 ゲッコはシャオシンの残飯を手にとった。返事はない。頷いたゲッコがシャオシンの食い残しをパカッと開けた大口のなかへダーッと流し込んだ。

 最近のゲッコは他人の残飯を平気で食べるようになった。

 あまり感心できない行動だよな――。

 ツクシが残飯を丸呑みするゲッコを横目で眺めながら、

「おい、リュウ?」

「あっ、ああ。何だ、ツクシ?」

 リュウは自分たちの荷置き場で寝袋にくるまったシャオシンを盗み見ている。

「お前のところの王女様、様子がちょっとおかしいだろ。照明作りを気張りすぎて身体が参っているんじゃないか?」

 眉根を寄せたツクシである。

「そうだなァ。シャオシンは少し無理がすぎたんじゃねえか。あんな強引な導式陣の機動をしたら肉体や精神への負担は相当にあるぜ。リュウ、おめェだって素人じゃねえんだからな。わかるだろォ?」

 ゴロウも少し怖い顔でツクシに同調した。

「そ、そうかも知れんな――」

 リュウがうなだれた。

「リュウ、お前はシャオシンの保護者なんだろ。しっかりしろよな――」

 顔を歪めたツクシがエールのピッチャーをゴロウの手から奪い返した。

「そ、そうだな。ゲッコ、ちょっと俺の近くに来い」

 リュウがゲッコを呼んだ。

「ゲロゲ?」

 ゲッコが四ツ足でペッタラペッタラ寄っていくと、

「あーん」

 深皿を片手のリュウが自分の口を開けて見せた。

「アーン?」

 首を捻ったゲッコが口をパカッと開けると、リュウが自分の食い残しを、そこへダーッと流し込んだ。

「ゲロゲロ!」

 同意なしでリュウの残飯を与えられたゲッコは、たぶん、嬉しそうである。

「――リュウ?」

 呼びかけたのはフィージャである。座ったまま身を捻ったフィージャは背を向けて寝るシャオシンをじっと見つめている。

「何だ、フィージャ?」

 リュウがフィージャへ顔を向けた。

「軽率な行動だったかも知れませんね」

 フィージャはシャオシンへ視線を送ったままいった。

「フィージャは何がいいたいのだ。はっ、はっきりと――」

 リュウの顔と声がはっきり強張った。

「いえ、いいんです。ごめんなさい。それも酷ですよね、リュウはずっと――」

 今度はフィージャがツクシの不機嫌な顔へ視線を送った。どこか非難めいたような諦めたような、フィージャの表情だ。ツクシのほうは「何だよ、この犬っころ、面倒だから、いいたいことははっきりいえ」そんな表情で視線を返している。

「今晩は私も早く寝ましょう。この様子なら夜警に当たる必要もなさそうですし」

 ふっと白い牙を見せてフィージャが立ち上がった。

「おう、ゆっくり寝ろよ。フィージャ」

 エールの杯片手のツクシが頷いた。

「明日からは未探索区だからなァ。フィージャは忙しくなるぜ」

 ゴロウも歯を見せて笑った。

「ゲロロロロ――」

 低く鳴いたゲッコはフィージャの残飯のあるなしを素早く確認したが、深皿の煮込み料理は綺麗に平らげてあった。

「おっ、俺も寝るか――」

 落ち着かない様子のリュウも立ち上がった。

「リュウ、まだエールが残ってるぜ?」

 ツクシが顔を上げた。

「あ、ああ――今日はいいんだ。おやすみ」

 視線を一瞬迷わせて、リュウが背を向けた。

「あいつら揃って元気がねェな。一体どうしたんだ?」

 ツクシがピッチャーから自分の杯へエールを注ぎながらボヤいた。

「ツクシよォ?」

 ゴロウがツクシの手にあったピッチャーへ手をかけた。ツクシはそれを手放さない。「さっさとお前も寝てしまえ」そんなツクシの態度である。ツクシとゴロウと差し向かいで飲むとあっという間に酒がなくなる。

 目を細めたゴロウが、

「おめェ、リュウと何かあったな?」

 ゴロウは上手く説明できない厄介事の匂いを嗅ぎつけている。

「――いや、何もねェと思うぜ」

 ツクシの手がピッチャーを放した。ゴロウは何もいわずにピッチャーから自分の杯へエールを注ぎ入れた。野営地は雑談でまだ騒がしい。お互い手酌で酒を飲むツクシとゴロウの会話は途切れた。話を続ける気がお互いないように見える。

 ほどほど腹を満たして、ポカンとしていたゲッコが、

「ゲロゲロ」

 と、意味もなく鳴いた。

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