七節 ひと恋、燃ゆる瞳

 朝である。

 共同の水場で顔を洗ったツクシが、裏口から酒場宿ヤマサンへ足を踏み入れると、

「ツクシさん、善い朝ですね」

「あ、ああ、ツクシ。今日は朝早いな」

 丸テーブル席からリュウとフィージャの挨拶があった。

「おう、お前ら。ネストに昼も夜もねェだろ」

 首から手ぬぐいを下げたツクシが捻れた挨拶を返すと、

「いやいや、善い朝ですよ」

「あっ! この方が今話題のツクシさんかな?」

「どもどもっす!」

「本当にこのツクシさんが、あのサムライ・ナイト?」

「ただのオッサンに見えるぜ?」

「ちょっとお、本業の探索者を相手に失礼でしょ。ごめんなさーい!」

 リュウとフィージャと同席していた男女混合の若者集団から六つも返事があった。

「何だあ、この馬鹿そうなガキの団体様は?」

 ツクシはリュウとフィージャと相席をしている若い連中を相手に不機嫌を大放出である。

「それは、ツクシさん、あのですね――」

 フィージャは口篭った。

「昨日の夜、フィージャがこの連中からご馳走されたらしいのだ」

 気まずそうなフィージャに代わってリュウが応えた。

「ご馳走だと? おう、お前ら、フィージャは俺の猟犬だ。気軽に餌付けするな。飼い主へ話を通してからにしろ」

 ツクシがフィージャを見やった。

「あっ、えっ、はい――昨晩、この皆さんに、私は夕食をご馳走をしてもらったのです――」

 フィージャが卓にいる若者たちを見回した。

「いやいや、ツクシさん。僕たちのほうが無理をいったのです。フェンリル族の方は初めて目にしましたからね。物珍しさに我慢ができなかったのです。フィージャさんは何も悪くないですよ」

 黒い短髪に黒ぶち眼鏡の若者が笑った。

「フィージャさん、また色々と面白い話を聞かせてください。勉強になりました」

 横にいる茶色い長髪の彼女である。

「俺はリザードマンも見たかったな。王座の街にいるって噂だったけどさ」

 眉尻も目尻も垂れた、お調子もの風の若者がいった。

「そうそうそう。リザードマン族、見たかったよねー」

 何度も頷いたのは、お調子ものの横に座る黒いポニーテールの彼女だ。

「異形種とやらも俺は一度は見てみたいな」

 筋肉で太い腕を半袖のシャツから覗かせた、銀髪の若者が不敵に呟いた。

「ええ、それは、怖いよおー。見たくない」

 ウェーブのかかった金髪の彼女が彼氏の太い腕に取りついた。この六人組は王国軍西方学会の大学部に通う学生で、休暇を利用してネスト探索を行っているとのことだった。現在、軍学会ではこれが実習扱いになっており、レポートを提出すれば単位も出るのだという。

「観光客かよ。お気楽なもんだな――ところで、リュウ?」

 若者たちの話を聞き流したツクシがリュウへ目を向けた。

「な、何だ、ツクシ――?」

 リュウは顔を上げたが、その視線の行き先がひどく不安定だ。

「おや、どうかしましたか?」

 無い眉を寄せてフィージャがリュウを見つめた。

 黒い鼻先がふんふん動いている。

「ああ、いや、フィージャ、な、何でもないぞ?」

 リュウは視線を斜め下へ落とした。

「シャオシンはどこにいるんだ?」

 ツクシは「ふぅん、そうかよ、へえ――」とそんなことをいいそうな態度だった。

「ああ、そういえばいないな――」

 リュウが天幕の酒場を見回した。

「ご主人さまは近くにいますよ。私が呼んできましょうか?」

 フィージャは獣耳を細かく動かしている。

「ああいや、フィージャ、いいんだ。大した用事じゃない。あのヘンテコな将棋の駒が、俺の貸し部屋の前に落ちていたぜ」

 ツクシが開襟シャツの胸ポケットから飛翼女王の駒を取り出した。これは敵陣で成ると、背にある羽がからくりで開いたりして変形する仕組みになっている。将棋モドキは精巧に造られた人形の駒を盤上で動かして遊ぶのだ。

「あっ――」

 リュウが表情を固めて絶句した。

「これ、シャオシンのだよな。テトの使っているのは安物だし――」

 ツクシが飛翼女王の駒の羽根を広げたり閉じたりして見せた。

「そ、それは俺からシャオシンへ渡しておく!」

 リュウがツクシの手から駒をひったくった。

「おう――ま、頼んでおいたぜ。ユンファちゃん」

 ツクシは首を捻ったあとに口角を歪めて見せた。

「――うっくうっ!」

 頬を赤くしたリュウがその悪い笑顔を凝視している。

「おやおやおや? リュウ、どうかしましたか?」

 フィージャは目を細めて白い牙を見せた。これも一応、笑顔である。フィージャの鋭敏な嗅覚は、リュウからツクシの匂いを嗅ぎ取っていた。

 それを口に出さないが――。

「――あっ、そうだそうだ。ツクシさんも是非ここに座ってください。朝食をご一緒しませんか?」

 黒ぶち眼鏡の若者がいった。言葉使いはていねいだが自信満々で優等生風の物言いだ。

「ツクシさんは、あの伝説の流離さすらいの剣士――サムライ・ナイトだって、リュウさんやフィージャさんから聞きましたよ。是非、私たちにも流離さすらいの剣士の冒険譚を聞かせください!」

 優等生風の横の茶髪女子も笑顔でいった。こちらも何ら人生で躓いたことがなさそうな態度と物言いだった。周囲にいた学生たちも、「うんうん」と頷いて、ツクシへ同席を勧める仕草を見せた。

「――おい、クソ馬鹿学生ども。お前らがどれだけお利口さんなのか知らんがな。ふざけてくれるな。俺は男芸者じゃねェんだ」

 ツクシは捨て台詞と一緒に踵を返してその背を見せた。その男の全身からどろりと濃く滲む、恐ろしくうらぶれた雰囲気にアテられて、若さと希望に溢れた学生たちの顔が「うっわぁ――!」と怯んだものになった。

 この世界の誰がどう努力したところで、この中年男の一度傾いたご機嫌をまっすぐに直すのは、とても無理そうに思える。

「それとだ、俺はそのサムライ・ナイトとやらでもねェ。俺は俺以外の何者でもないぜ――おい、テト、朝めしだ、すぐに寄越せ」

 超不機嫌な形相で吐き捨てたツクシが、カウンター席の右端から二番目の席に座った。

「はいよ、ツクシ!」

 裏手の厨房から顔を覗かせたのはパメラだった。その手には日替わりの朝食――今朝はベーコン・エッグとスモーク・サーモンのサラダ、それに黒い丸パンが乗った皿を持っている。

「おっと、今朝の接客はパメラ嬢ときたか。これは嬉しい誤算だ。おい、娘さんは朝寝坊中かよ。パメラがお相手をしてくれるなら、テトはずっと朝寝坊でもいいんだぜ」

 褐色肌のムチムチ美熟女(※人妻)を前に姿勢を正したツクシが、その口角をすごくだらしのない角度でゆるめた。

 ツクシはパメラが大好きなのである。

 人妻も大好きだ。

「接客が若い女の子じゃなくて本当にお気の毒様ね。テトは宿の裏でシャオシンと一緒にいたのを見たよ。ツクシの朝は、お水でいいの?」

 こってりと油の乗り切る、グラマラスな笑顔で応じたパメラがツクシの前にグラスを置いた。

「俺は朝から酒を飲まないぜ。自分でそう決めているんだ、キリがねェからな――何だ、テトはまた仕事をサボってるのか。この前は朝っぱらから二人で大博奕をしていたしな。大丈夫なのかよ?」

 ツクシがパメラの手でグラスへ注がれる冷水を眺めながらボヤいた。

「うーん、そういわれると、何やら二人で声をひそめて話し込んでたねえ――」

 パメラは視線を上へ向けた。

「博奕の負け銭で揉め事かも知れんな。さすがにあれは感心をしねェ。いくら何でも賭ける金が多すぎるだろ。あれは大人だって腰が引ける金額だったぜ――」

 ツクシは顔を歪めた。この前、シャオシンとテトがボード・ゲームの上で奪い合っていた金貨の山は最近のツクシの月給の三倍はありそうな金額だった。

「そういわれると、テトもシャオシンも何だか深刻そうだったかな?」

 パメラが頬にかかった髪を手で払った。厨房務めのパメラは頭を白い頭巾で覆っているが、ウェーブのかかった長々とした黒髪は質量と色気に過剰が過ぎて、とても頭巾に収まりきらない。

「パメラ、それみろ。やっぱり金銭絡みのトラブルだぜ。放っておいていいのか?」

 ツクシは舞った髪から滴り落ちる熟女の芳香を嗅ぎ取りつつ、上機嫌な角度で口角を歪ませた。

「ま、二人とも微妙なお年頃だからね。他にも色々あるんだろ。子供同士の話に大人が首を突っ込んでも、ね?」

 パメラが片目をしばたいて見せた。

 ウィンクである。

「あぁあ、パメラのいうことなら間違いないだろうなあ――」

 心の底から感動した顔で深く頷いたツクシが、パメラの笑顔に視線を残したまま、フォークを手にとった。

「――あっ、女将さん、こっちの注文いいですか?」

 丸テーブル席から声が上がった。

「はいよ!」

 パメラが注文を取りにいった。

 ツクシは一瞬で顔面に不機嫌を取り戻している。


 §


 酒場宿ヤマサンの側面には木製の空き箱やら空き樽が並んでいる。たいていはここに納入される酒瓶だの食材だのが入っていたものだ。これらは商品を納入しにくる業者が再利用するので天幕と天幕の間に積み上げられていた。

「ツクシがリュウと? その、ア、アレを二人で仲良く? ツクシの方が、リュウを一方的に乱暴したわけでなくて?」

 空き箱のひとつに腰かけたテトが強張った顔で訊いた。

 その横で三角座りのシャオシンが膝に額をつけたまま頷いた。

「昨日の晩にシャオシンがそれを見たの?」

 テトが震え声で訊くと、やはりシャオシンは小さく頷いた。

「――あ、あの男、本当に最低!」

 テトは吐き捨てた。横にいる美貌の親友へ何をどういったらいいものか迷ったテトが、そのままうつむいていると、

「おや、テト。それに、テトのお友達のシャオシンだったかね。どうしたんだい、こんな所で二人して」

 おばさんの声がかかった。

 テトは顔を上げた。

 シャオシンは顔を上げない。

「仕事はお休みかい?」

 紺色の前掛けをつけた中年女が突っ立っている。

「違うの。ドリスおばさん、そんなんじゃないけど――」

 テトが力なく笑って見せた。このドリスおばさんは酒場宿ヤマサンに隣接する天幕で乾物屋を営む中年夫婦の片割れだ。空のざるを小脇に抱えている様子を見るとヤマサンの厨房へ商品を納入してきたようである。

「そうかい? 何か困ったことがあったら、おばさんだって相談に乗るよ。子供は親に話したくないことだって、たくさんあるからねえ――」

 ドリスおばさんはテトとシャオシンを交互に見やったあと背を見せた。


 顔を上げたテトは王座の街の暗い空へ視線を送って、

「ま、ツクシがクズいのは前から知ってたけどね――」

 シャオシンの返答はない。

「――ね、シャオシン?」

 テトがシャオシンへ身を寄せた。

 お互いの肩が触れたところで、

「何じゃ、テト――」

 シャオシンの弱々しい返事があった。

「その、ネスト探索のことなんだけど――」

 テトは視線を落とした。

「何じゃ?」

 シャオシンが顔を上げた。

「シャオシンはネストに行くの、もうやめにしない? ずっと、シャオシンにいおうと、わたし、思ってたんだ」

 テトがいった。

「わらわがネストの探索を辞めてどうするのじゃ。生活をするにはお金が必要じゃよ。黄龍からの仕送りは随分前に来なくなったしの――」

 シャオシンは沈んだ声でいった。

「リュウもフィージャもシャオシンも、ウチで――ヤマサンで働けばいいじゃん。わたしから支配人トニーに頼んであげよっか?」

 テトは無理に笑った。

「――店の人手は足りているじゃろ」

 シャオシンは無理のある褐色の笑顔から目を背けた。

「地上は不景気だけど、王座の街は兵隊さんが増える一方だから。ほら、下層に――地下十階層のエレベーター前に屋台通りができたでしょ。そこへ、ヤマサン二号店を出店する計画があってね――」

 テトは必死で語ったがシャオシンは顔も上げない。

 そのうちシャオシンの肩が震えだした。

「ちょっと、泣かないでよ――ツクシって最低な男だよね――」

 テトはそう罵ったものの、どちらかといえば、リュウのほうに憤りを覚えていた。しかし、その理由はよくわからない。知りたくないような気分だったから考えないことにもしている。

「――ツ、ツクシは、ずっと」

 シャオシンの小さな声だ。

「うん、シャオシン。わたし、何でも聞いてあげるから――」

 テトが顔を寄せて少しだけ笑った。

「ツクシは、わ、わらわの家来になってくれると思っとった――」

 シャオシンは濡れた瞳を伏せて呻くようにいった。

「――ツクシが家来? ああ、シャオシンは黄龍ホァンロンの王様だから? でも、ツクシは誰かの家来になるの無理じゃない? ツクシいつもいってるじゃん。『俺はいずれ、この世界からふっと消えちまう予定なんだぜ』って――それなのに、ツクシはリュウとそんなコトをしちゃってさ――やっぱり最低だよね、あのクズ男――」

 テトも瞳を伏せて小さな声でいった。

「ツクシは――」

 シャオシンが呻いた。

「うん?」

 顔を傾けたテトが硬い笑顔で促した。

「わ、わらわとずっと一緒にいてくれるかも知れんと――」

 シャオシンがまた膝小僧の上に額を乗せた。

「――シャオシンの家来として?」

 テトが眉を寄せた。

「ツクシはすごく強いし。怒ると怖いけど、たまには優しいし――わらわと遊んでくれたから――」

 顔を伏せたシャオシンの表情はわからない。

 その小さな声と肩は震えている。

「シャオシン、ま、まさか、ツクシのことが好――そ、そんなわけないよね! あんなの、大酒飲みの、女の子にだらしのない、クズなオッサンじゃん。娼館へ毎日のように通ってるヨゴレだし。ない、ない、ないない、それはない! ああ、もう、びっくりさせないでよ、シャオシン!」

 テトは相手の返事が来る前に早口で捲し立て自分自分を納得させた。

「ニホンへ帰るツクシが、リュウと一緒になったらじゃ。リュウもツクシの故郷クニへ行ってしまうかも知れんじゃろ。そうしたら、わらわは独りぼっちになって――」

 シャオシンが顔を上げると蒼穹の瞳が揺いでいる。

「――シャオシンは独りぼっちにならない! フィージャだっているし、わたしだっているし――あっ、あとは誰かな――」

 テトは蒼穹から降り落ちそうな雨を止めようとしたが言葉が続かない。

「テト。わらわの故郷クニ――黄龍ホァンロンは、たぶん、国そのものが戦争でなくなったのじゃ。国がなくなれば王族も必要ないのじゃ。王族でなくなったわらわの家来でいる必要は、フィージャにもリュウにもないのじゃ。だから、リュウはツクシと一緒になることを決めて――もう、わらわには本当に何も残っていないのじゃ!」

 シャオシンは両腕で自分自身を抱いた。抱きつく相手が他にいない。リュウもフィージャもツクシもここにいない。テトにも――親友にも、これ以上の負担をかけたくない。亡国の王女には意地がある。

 それは悲壮ではあるのだが。

 シャオシンは君主の横顔を見せていた。

「――ね、シャオシン、やっぱりウチで働こう? 酒場宿ヤマサンここを、シャオシンの帰る場所にすればいいじゃん。帰る場所をこれから作ることはできるから」

 テトは無理に笑顔を作って、シャオシンの肩へ手をかけた。

「テト、わらわは黄龍王の子なのじゃ。君主なのじゃ――」

 シャオシンは小さく震えながらいった。

「うん、よく知ってる。本当のシャオシンは、黄龍の女王様なんだよね。王様って貴族様よりずっと偉いんでしょ? わたしには別の世界すぎてよくわからないけど――」

 テトが笑顔を何とか維持したままいった。

 今、わたしがシャオシンと一緒に泣いたら絶対にだめ――。

 テトの熱くなった喉が鳴る。

「国で一番偉い君主の子であるわらわが帰る場所は、やはり黄龍しかないのじゃ。そうしないと、わらわは――」

 シャオシンが蒼穹の美貌をテトへ向けた。

 その瞳の奥に点る炎を見たテトはぞっと背筋を凍らせて、

「シャオシン、やっぱり、ウチで働こうよ。ね、ね、ね、そうしよ?」

 テトは混乱している。

「わらわはネストの最下層で龍玉を手に入れるのじゃ」

 シャオシンが静かにいった。

 蒼穹に点った炎が燃え広がる。

 君主の瞳は雨を降らせようとしていたわけではなかった――。

「シャオシンがいつもいってるアレ? 龍玉を手にしたものは何でも望みが叶う王になれるっていう――」

 テトはうつむいた。

「そうじゃ、わらわは龍玉を手に入れて王になる。テト、わらわは強くなりたい。望んだものを、この手にできる、強さが欲しい」

 シャオシンの声にも熱がある。

 蒼穹を焼き焦がす熱である。

 紅蓮に輝く炎の龍を想わせる――。

「でも、でもね、シャオシン。わたしは――」

 うなだれたままのテトの言葉は続かなかった。

 シャオシンも返事をしなかった。

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