六節 造物主へ指令(弐)
「――賢者の石だ。平行世界の理でも、龍玉でもいいぜ」
ゲバルド少佐が上司の横顔を見やった。
「ゲバルド、まだその話なのか?」
ルシア大佐の視線は前方だ。
「いいから、俺の無駄話に付き合えよ。ルシアだって退屈だろ? 敵は消えた。ネストは安全だ。ここはもう異形の巣でも何でもない。先代文明の廃墟だぜ。何代前のものなのかは知らんがな――」
ゲバルド少佐の発言通りだ。カントレイア世界の地下深くでは遠い過去に滅び去ったらしき文明の遺跡が見つかることが多い。それらはたいてい、学者や趣味人の知的好奇心だけを満たすガラクタの集合体だが、極稀に有用な
「大体、今回の目標は小規模な
ゲバルト少佐が背後に続く隊列を見やって顔をしかめた。
「自分のお利口さんぶりを、きゃんきゃん主張するのが専門の子犬ちゃんだけではな、ネストの探索ひとつも満足にできんのさ。実際、あの
ルシア大佐がゲバルド少佐を見やった。
「おいおい、ルシア局長。俺は志願したんだぜ。この勇気をもっと高く評価してもらえないか?」
ゲバルド少佐はおどけた態度である。
それは蛮勇というのだ――。
ルシア大佐は口のなかで呟いたあと、
「ゲバルド、その呼称は――局長はよせ。そろそろ目標付近だぞ。その減らず口をしばらく閉じていろ。部隊、一旦停止。ウルスラ大尉、目標付近の状況をもう一度確認して――」
「いやいや、局長だよ局長。ルシアは陸軍諜報局の局長だよな!」
ゲバルド少佐は大声で上司の指示を遮った。
「ゲバルド少佐。私は口を閉じろと命令した筈だが?」
ルシア大佐の顔が強張っている。
「――局長? どうしてお前が局長? 俺が局長ではなくてか?」
ゲバルド少佐は顎に手を置いて視線を落とした。
「ゲバルド、私をからかっているのか。任務中だ。いい加減にしろ!」
大声であったが叱責ではない。
ルシア大佐は何かを祈っているような口調だった。
無視したゲバルド少佐はすぐ後ろにいたウルスラ大尉へ視線を送って、
「ルシアは局長命令でそこのウルスラをモノにしたんだろ。お前はビアンカにどんな言い訳するつもりなんだ。参考にしたいから俺に教えてもらえないか?」
この「ビアンカ」は、ルシア大佐自慢の妻の名前だ。ルシア大佐とゲバルド少佐、それに今は陸軍を退役してルシアの作った家庭に入ったビアンカは、タラリオン王国軍西方学会の同級生であり、お互いが最も親しい級友同士だった。
「ああ、この浮気な
ゲバルド少佐の痛罵が響いた。
異形神の大回廊で立ち止まった調査隊の面々は気まずい顔を見合わせた。
「――な、何をいってるのですか、ゲバルド!」
防毒兜の面当てを引き下げたままのウルスラ大尉がくぐもった声を上げた。
防毒兜の下の顔は真っ青になっているのかも知れない。
「ゲバルド、お前――」
ルシア大佐は言葉は続かった。確かに、このルシアという優男風の軍人は女癖が悪い。学生時代からルシア大佐とゲバルド少佐は同じ女性を奪い合うことも多々あった。ビアンカもそのうちの一人になる。しかし、これまで彼らがそれが元で喧嘩をしたことは一度もない。女を取り合うのもゲーム感覚だった。この二人はそんな友情関係を築いてきたのだ。
今、この時点までは――。
「――ルシア。お前は俺を認めていると、さっきいったな?」
ゲバルド少佐が顎をさすりながらルシア大佐へ目を向けた。
「確かにそういったが――」
ルシア大佐の額にじわりと汗が浮いた。ゲバルド少佐の目が発狂している気配はない。常日頃を変わらぬ良き友であり頼れる同僚であり、王国陸軍で屈指の腕を持つ
「いやいや、ルシア、それは随分と上から目線だぜ。お前より俺のほうが遥かに優秀だ。勘違いするなよ。これは俺の意見じゃない。『
ゲバルド少佐が視線を上へ送った。
その視線の先には異形の巣の石天井がある。
それ以外のものは何もない。
「今?
ルシア大佐が腰の赤色導式機関剣へ手を伸ばしたが遅かった。共に死線を幾度となく潜り抜けてきた友への情愛が、この極めて優秀な軍人の判断と行動を一瞬鈍らせたのだ。
ルシア大佐が戦闘態勢を整える前に、ゲバルト少佐はその懐へ踏み込んでいる。
ゲバルド少佐の歩幅を縮めたのは、Δ型導式機動フレームの跳躍力だった。ゲバルド少佐は赤色導式機関剣で逆袈裟でルシア大佐を切り上げ、さらに、振り上げた赤い導式の刃を振り下ろした。標的が持つ厚い装甲ごと両断できる導式の刃だ。機動力を重視して各所で装甲を肉抜きされた導式機関フレームではひとたまりもない。
バラバラになって路面へ落ちたルシア大佐は断末魔の声もなかった。
周囲にいた兵士たちが「ああ――」と息を漏らした。
「――これで、お前は大佐でも局長でも俺の上司でもなくなった」
ゲバルド少佐は古くからの友の死体を慈しむような目で見やりながら、防毒兜の面当てを引き下ろした。
「ウルスラ大尉、部隊へ指示を!」
ライフル銃を構えた中年兵士が怒鳴った。隊長だったルシア大佐の死亡は一目瞭然だ。副隊長だったゲバルド少佐の反乱も一目瞭然だった。
部隊の指揮権はこの場で一番階級が高いウルスラ大尉へ委任される。
「――部隊は
ウルスラ大尉は妻子がいると知りながら愛した男性の亡骸の前で絶叫した。
「
同時に、ゲバルド少佐は彼専属の兵士へ敵兵殲滅を命令した。
「了解デアリマス、騎士殿!」
即応したゲバルト少佐専属の兵士四十六名が、腰の左右に下げた赤色導式機関剣を引き抜いた。
二刀流である。
だが、その刃を振るう前に、
「何か、気持ち悪――」
「これは――」
「目っ、目が見えない!」
「げぼっ、苦、苦し――」
「あっ、あが、ごぼぼっ!」
白子兵の一団を取り囲む機動歩兵や導式剣術兵が次々と倒れた。全てではない。防毒兜の面当てを上げて顔を見せていた兵士だけだ。戦場に緑色のモヤが発生している。不注意だった兵士たちは全身の皮膚が内側から沸き立って、それがあぶくのように膨んだ。彼らを苦しめる肉のあぶくはパンパン弾けて、爆ぜた先から血を飛ばす。そのうちに倒れ、路面へ手足を打ちつけて悶えたあと、口や鼻や耳の穴から血を噴いて動かなくなった。導式陣・
「白兵戦闘を開始! 『俺の力』を見せてやれ!」
ゲバルト大佐が号令すると白子兵が上空へ駆け上がって散った。
「迎撃しろ!」
ウルスラ大尉が叫んだ。調査隊側の導式剣術兵と白子兵が持つ導式の刃が地上で上空で衝突する。赤い導式光残して走る刃同士ぶつかると、その先でガラスの割れるような音を鳴らして導式が光が散らした。
「――銃兵と導式術兵は後方へ距離を取って白兵戦力の援護!」
ウルスラ大尉は指示を出しながら自身も後方へ下がった。銃歩兵と導式術兵の集団が臨時で隊長になった女の背を追う。
その後方への退避中に死人がでた。
上空から突撃してきた白子兵の一体が、両手に持った赤色導式機関剣を振るったのだ。その一瞬で六名もの兵士が死んだ。そのうち一名は混乱した味方に胸を撃ち抜かれた。反撃する前に白子兵は導式の足場を駆け上がった。白兵戦力の包囲を突破して後方へ向かった白子兵に気づいた導式剣術兵が二名、宙を走って地上にいる銃班の援護に回った。
「銃兵、ライフル銃で敵を撃ち落とすんだ!」
ウルスラ大尉が号令したが、
「ウルスラ大尉、今発砲したら上空で戦っている味方に――導式剣術兵に当たってしまいます。気軽に撃つな撃つなよ!」
その横にいた導式術兵の若者が慌ててその命令を変更した。もっとも、味方の被害を考慮しなくて良い状態であっても、三次元空間を高速移動する白子兵を銃弾で撃ち落とすのは難しい。それにΔ型導式機動フレームには防壁展開機構も備わっているので、銃弾を弾き返すことも可能だ。ウルスラ大尉率いる銃歩兵・導式術兵の混成班は、ただ戦場を見守っているしかなかった。地上の戦場で鹵獲した魔帝軍のライフル銃(魔帝軍では開戦当時からこの金属薬莢を使う銃兵隊が少数存在していた)を参考に開発されて、タラリオン王国でも量産が開始されたボルト・アクション式ライフル銃も、この状況では活躍の機会がない――。
「――白子兵は導式機関剣を二刀で使ってるのか」
若い銃歩兵が呻いた。銃の照準の先で導式剣術兵二人を相手に白子兵は戦っている。連続で宙を蹴って身を捻り、双刀を使って赤い軌跡を描く白子兵は曲芸師のような身軽さだ。
「ヤバイぞ、白子どもは早い、早すぎる――」
横で壮年の銃歩兵が呟いた。白子兵演じる殺しの曲芸に巻き込まれた導式剣術兵の一人が血を散らしながら落下してくる。
「
若い導式術兵が防毒兜のなかで顔色を変えた。
味方の死体ばかりが増えている。
「収束器にできることはないぞ。導式術兵も回転弾倉式拳銃を使え」
ウルスラ大尉が自身も腰から回転弾倉式拳銃を引き抜きながら硬い声で指示すると、
「大尉、火薬を使った射撃はどうも苦手なんですが――おい、地上の機動歩兵がバタバタ死んでるぞ!」
腕の収束器を外していた導式術兵の三十路男が声を上げた。地上だ。収束器一体型の突撃盾と赤色導式機関剣を振るって、上空から突撃と離脱を繰り返す白子兵相手に奮闘していた機動歩兵が次々倒れてゆく。即死ではないようだ。倒れた白金の兵機は手足を石床に叩きつけて足掻いていた。
見ているうちに彼らは動きを止めた。
「腐食瓦斯だ。白子兵の撒き散らしている腐食瓦斯が、装甲の裂けた部分から入っているんだ――」
若い銃歩兵が呻いた。
「防毒装備だけでは対応不足だったのか――衛生兵! 導式陣・
ウルスラ大尉は魔導式・導式兵器へのマニュアル対応を今さらのように試みたのだが――。
「――ウルスラ大尉殿。導式陣を展開できる衛生兵は白子兵の攻撃でみんな死にましたよ」
横にいた導式術兵の男が震え声で伝えた。
「さっきの攻撃は、衛生兵の排除が狙いだったのか――もう構わん、全員、銃を使え。撃て、白子兵を撃ち落としてやれ!」
ウルスラ大尉は自分のなかの何かを殺した声で命令を下した。諦めたように銃班からの援護射撃が始まった。もっとも、この苦渋の決断がなされたとき、射線に掛かる味方の数はもう少なくなっている。発砲が開始されたのに気づいた白子兵の数名が宙をジグザグに駆けて、ウルスラ大佐率いる集団へ突撃してきた。地上から放たれた銃弾が白子兵を捉えた。捉えたのだが、それは白子兵が前面に展開した導式の防壁で弾き返された。
白子兵の虐殺が始まった――。
異形神の大回廊に響いていた銃声は無くなった。
ウルスラ大尉は兵士の死体に囲まれ震えている。
そのウルスラ大尉を白子兵が取り囲んでいた。
どういう理由からか白子兵は攻撃する手を止めていた。
「ウルスラ大尉。俺が作った軍隊はどうだった? 是非、お前の感想を聞かせてくれ」
血溜まりを踏んで、白子兵の列から歩み出た男が、赤色導式機関剣を両手で持ったままの手で防毒兜の面当てを引き上げた。
ゲバルド少佐である。
「――ゲバルト、よくも私のルシアを!」
ウルスラ大尉も防毒兜を引き上げた。まだ腐食瓦斯の危険はある。しかし、この彼女はその危険性を避けるよりも自分の怒りの形相を見せることを優先したようだ。
「ウルスラ、お前は俺の求婚を拒絶したよな。だがルシアとの不倫は随分とお楽しみだったようじゃないか。お前は何なんだよ。俺への嫌がらせのために存在している女なのか?」
ゲバルド少佐が癖のある顔を曲げて見せた。
「そ、それは、ゲバルド――」
瞳を伏せたウルスラ大尉の視線の先にあった右手には、銀色の回転弾倉式拳銃がまだ握られている。
まだ、戦える――。
「――ゲバルドォ!」
ウルスラ大尉が拳銃を構えた。
「何故、どいつもこいつもルシアの愛だけに応じるわけよ――?」
ゲバルド少佐が問い掛けに乾いた銃声が応えた。
「何故、どいつもこいつもルシアだけを評価する――このゲバルド・ナルチーゾ王国陸軍少佐を軽く見やがって。仕事もこの通り抜群にできる男だぜ。見ろ、ネスト制圧軍団の精鋭を瞬く間に全滅させたぞ。結果だ、この結果こそが全てだろ――」
ゲバルト少佐は自分の足元に転がった鉛弾を眺めていた。
ウルスラ大尉の銃撃はゲバルド少佐が展開した導式の防壁に弾き返された。
「ゲ、ゲバルド。お願い、私の話を聞いて――?」
ウルスラ大尉の視線はゲバルド少佐の顔にある。
しかし、その手元は震えながら拳銃の弾倉へ金属薬莢を詰め込んでいた。
「仕事の力量はもう十分に見せて来た筈だがな。ルシアがこれまで上げた功績だって、この俺の助力があったからこそさ。それでも、俺は正当に評価されないんだよな?」
ゲバルト少佐がウルスラ大尉を抱き寄せた。ウルスラ大尉の下がった手から回転弾倉式拳銃が滑り落ち、散らばった薬莢が路面で高い音を鳴らした。
「――ああ、わかった。俺が平民階級出身だからか。ルシアは貴族様だったよな。そこらは、どうなんだ。貴族令嬢のウルスラ・デ・アルメイダちゃんよ? おい、上官の質問だぞ。さっさと応えろ」
ゲバルド少佐が訊いた。ウルスラ大尉はカクンと真上を向いた。
薄く紅を差した唇が開いて血が流れ落ちている。
「ま、死んでしまっては返答ができんよな」
独り頷いたゲバルド少佐が、ウルスラ大尉の心臓を腹部から上へ向かって刺し貫いた右の手の赤色導式剣を引き抜いた。
支えを失って女性大尉の死体が路面に転がる。
「ああ、まだあんなところに――」
神妙な面持ちのゲバルド少佐が異形神の足元――レリーフのある壁際へ歩み寄った。
「サリイ、ああ、なんてこった、サリイ――」
壁際でマウロ少尉がへたり込んでいた。その若い少尉は手塩にかけて訓練した軍用犬の傍らにいる。血反吐を吐いて死んだ雌の大型犬サリイの傍らだ。匂いに敏感な犬が白子兵の撒き散らした毒物に怯えて逃げたのか、それとも、自分の手綱を握る主の安全を願って、そこまで無理に移動したのか――。
「――マウロ、すまなかった。サリイ嬢を巻き込むつもりは毛頭なかったんだが」
ゲバルド少佐がマウロ少尉の背へいった。
「ゲ、ゲバルド少佐――?」
顔を上げたマウロ少尉は息を呑んだ。
ゲバルド少佐は鎮痛な表情だ。
「――なあ、ゲバルド。僕にひとつだけ教えてくれないか?」
マウロ少尉が防毒兜の面当てを引き上げて泣き顔を見せた。ゲバルド少佐は堅苦しい形式を嫌う。どんな年若い部下を相手にしてもその態度は変わらない。「防衛省の外では俺をゲバルドと呼べ。敬称も敬礼も許さん」そんな台詞が口癖の軍人だった。仕事ができて、気さくで、豪放磊落な上官であるゲバルド少佐を幕僚運用支援班の備品調達(秘密工作に関わる特殊なものが多かった)を担当する、このマウロ少尉は本心から尊敬していた――。
「マウロ、悪いが重要な任務の最中なんだ。俺にいえる範囲なら応えるぜ」
ゲバルド少佐が苦く笑った。
「ゲバルド、お前、頭が完全にイカレちゃったのか?」
マウロ少尉はすがるような目で、自分を見下ろす苦笑いを見つめている。
「俺、狂ったのかな?」
ゲバルド少佐は首を捻りながら赤色導式機関剣を横殴りに振った。
マウロ少尉の喉元が割れて鮮血が飛ぶ。
「――いや、マウロ。心配になって今一応、
ゲバルドが号令した。
「ハイ、騎士殿!」
返事と一緒に走り寄ってきた白子兵四十名が隊長の前で二列隊列を作った。
「部隊は聞け。今、上層部から指令があった。現時刻は――
ゲバルド少佐は隊列の前を左右に歩きながら、小さな懐中時計――タラリオン王国軍西方学会卒業記念と裏蓋に飾り文字で刻まれた金色の懐中時計を手にして命令を下した。
「了解デアリマス、騎士殿!」
白子兵の返答が重なった。
「この作戦の目的は『陣地を死守』だ」
満足気に頷いて、ゲバルド少佐が薄ら笑いを浮かべた。
部隊名、
隊員四十七名。
ネスト地下十二階層の中央区で結成されたこの部隊の隊長は、ゲバルド・ナルチーゾ王国陸軍少佐である。
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