十六節 活人剣

 魔人シルヴァがその青臭い魂を散らした直後。

 ツクシたちと元アマデウス冒険者団は言葉数少なく上がり階段まで移動した。その途中、コボルトの襲撃はなかった。上がり階段前の半円形広場は精霊の暴風が吹き荒れていた。その暴風の刃に加えて怒号と鉛弾、それに各種の導式光球弾が飛び交っている。この階層にいるコボルトとグレンデルが、すべて階段前広場へ押し寄せていた。血煙、硝煙、黒煙、ひとと異形の悲鳴と発砲音、これらが逆巻く暴風に乗ってまさしく地獄の惨状だ。この状況を見ると、魔人の息の根を止めてきた漆黒の英雄の――ツクシの帰還を歓迎する余裕はなさそうに見える。

「――ようやく見つけたぞ、因果の円環を断つものよ!」

 一番最初に気づいたのは、シルフォンをこき使っていたキルヒだった。

「間違いない、その聖剣――!」

 表情を明るくして叫んだキルヒだったが、そのままふにゃりと崩れ落ちた。

「嗚呼、愛しきひとよ。俺は何度も何度も無理をするなと――」

 シルフォンは風の呻き声と一緒に大気へ溶けた。

高貴なるお方ハイ・エルフ、どうしました!」

 ゾラがキルヒを抱き起こした。ゾラの腕のなかのキルヒは青い美貌に汗の玉を浮かせ呼気を荒げている。疲労した身体で精霊を使役し続けた半神は運命マナの限界を超えてしまったのだ。

「うお、キルヒが倒れたあ!」

 アドルフ団長が怒鳴り声を裏返した。

「これは不味いぞ、アドルフ! 威厳あるのものインペリアルも消えている!」

 怒鳴って返したのは、突出してくるコボルトを相手に導式ウィップを振るっていたボゥイ団長である。

「精霊王の風がないと、この数のコボルトを抑えるのは無理だよ!」

 叫んだのはコボルトが侵入した大階段前広場で、ドワーフ戦士と一緒に大戦斧を振るうイーゴリだ。

「ツクシが戻ってきた。すぐ撤退するぞ! 全体、階段前へ集合――」

 アドルフ団長は怒鳴ったが、

「アドルフ団長、落ち着くんだ」

「ここから王座の街まで二日近くかかる。追撃してくるコボルト奴らを足止めしながら、その距離を移動するのは自殺行為だぜ」

 近くにいたルシア団長とゲバルド副団長が反論した。前述した通り本来の彼らは、タラリオン王国陸軍中佐と大尉だ。この場では詐称している身分のほうを表記する。

「ルシア、ゲバルド、そういわれてもなあ。他にはもう手がないぜ――」

 アドルフ団長が悪人面を曲げた。

「これは厳しいかもね」

 ゾラは自分の腕のなかにあるキルヒの青い美貌を見つめている。腰を下ろした彼が抱き抱えている彼女は防衛戦の要だった。キルヒが意識を取り戻す気配はない。

「――いや、おめェら、もう心配はねえぜ」

 西の大通路から歩み寄ってきたゴロウである。

「コボルトども、撤退しているな」

 リュウがいった。

 階段前広場へ迫っていたコボルトの軍勢が一斉に下がってゆく。

「コボルトはツクシさんに怯えていますね。グレンデルは、まだやる気のようですが――」

 フィージャがてふてふ舌を突き出した。

 絶対絶命の恐怖が異形の津波を押し戻していた。

 異形の群れへ恐怖を侵食させたのは、この戦場に遅れて登場した、薄暗がりの翼を持つ黒い衣の死神だ。

 死神の右手から白い刃が下がっている。

 魔刀ひときり包丁。

 階段前広場の中央で、魔刀を引き抜いたツクシが、零秒で多発する必殺の体勢を整えていた。

 虹色の殺陣がその足元から広がっている。

「ツクシはこれまで一体何匹、彼奴きゃつらをったのじゃ――」

 シャオシンが虹の煌めきに包まれるツクシを見つめた。

「ゲッゲッ、犬ドモ、腰抜ケ腰抜ケ!」

 ゲッコがゲコゲコ嘲笑った。

 獣染みた異形犬の声と白子の絶叫が消えると、ツクシは魔刀を鞘へ帰した。

 汗と疲労と安堵を顔に貼りつけた男たちと、少数の女たちが階段前広場の中央へ集まってくる。

 ツクシは言葉を失ったひとに囲まれて、

「――へえ、随分といい肉体からだの女だな。肌は妙に青いがな」

 こんなのが第一声だ。

 ツクシはゾラに抱かれたキルヒを眺めている。薄暗がりの外套がはだけて、キルヒの肉体を覆う際どいデザインの黒革鎧が見えた。豊満な青い胸元のあたりだとか油がのった青い太ももだとか、女性をアピールする部位の露出が非常に多い黒革鎧だ。防御効果があまりなさそうなエロ装備だ。その格好で濃い藍色の唇を軽く開き、なかにある桃色の粘膜をチラチラと見せながら、青い美貌に汗を浮かせて息荒げるキルヒから、独特の色気が猛烈にこぼれている。それをじっと見下ろすツクシは非常に鋭くぬめぬめとした眼光だった。周辺のいるひとは全員、そのツクシをじっと見つめている。

 ツクシは全然気にせずぬめぬめし続けている。

「ああよォ。ツクシ、おめェって野郎はよォ――」

 ゴロウが諦めたように口を開いた。すごく困り顔である。キルヒのホディ・ラインを査定するのに忙しいツクシからの返事は何もない。

「海のように青い肌じゃの。前からわらわは気になっておったが、これは一体、どういう種族なのじゃ?」

 ツクシの代わりにシャオシンがいった。

「少なくとも、アマデウス冒険者団の連中は誰も知らなかったな。耳の長いところを見ると、エルフ族のような外見ではあるが――」

 リュウが首を捻った。

「このひとからは、いつも深い森の匂いがしますね――」

 フィージャはふんふん黒い鼻先を動かしている。

「ゲロゲロ! コノ、メスエルフ野郎、精霊王トちぎりシ青キ者――!」

 ゲッコは珍しく及び腰だ。どんな相手でも喧嘩上等がリザードマン族の生き方だが、しかし、この半神族だけは例外であると、ゲッコは彼の村の長老から教えられた。

「この女は目が見えないのか?」

 ツクシは今さらのようにキルヒの目が眼帯で隠されていることに気づいた。

 これまでずっと肉体のほうだけを見ていたらしい。

「目は見えないが、それでも不便じゃないらしいぜ。ツクシ、この女は月黄泉つくよみエルフっていう種族だ。シーマの他にも王都にいたんだなァ――」

 ゴロウがいった。

「つくよみ? シーマ? ゴロウ、それは何だ?」

 聞き慣れない単語を耳にしてツクシが殺気立つ。

「ああよォ――簡単にいうと、これはエルフ族の大賢者様か、なァ?」

 ゴロウが困り顔になった。悪友ジャダが月黄泉エルフ族のシーマを情婦にしているので、ゴロウはこの神秘的な種族の知識がある。しかし、そこまで詳しいわけでもない。

「へえ、このいい肉体からだの女はそんなに偉いのかよ――」

 ツクシはキルヒの肉体にしか興味がないようだ。

 最低な男である。

「そそ、ツクシ、このひとはすごく偉いよ。四大精霊の王と契約できるのは、生身の伴侶を生涯持たないと誓いを立てた月黄泉エルフ族だけなんだ。普通のエルフ族はどんなに強い祝福を受けて生まれたものでも、精霊の女王までしか使役できない。ボクたちエルフ族とってはそれが『ことわり』になる。でも、ちょっとおかしいんだよね。普段の高貴なるお方ハイ・エルフは下界と接触して聖域の力を落とさないように『大森林の聖域グラン・ウッド・サンクチュアリ』で暮らしてるんだ。ウビ・チテム大森林の奥深くだよ。だから、人里でその姿を見ることは滅多にない筈なんだけど――」

 ゾラが説明したあと、またキルヒの美貌へ視線を落とした。

「へえ、そうなのかよ。しかし、めしいの女は情がうんと濃いって話だぜ――」

 ゾラの説明を適当に聞き流した(その内容はほとんど頭に入っていない)ツクシが獣染みた声で呟いた。

「あのよォ、ツクシ。月黄泉エルフ族には関わらないほうがいいと思うぞォ?」

 ゴロウが忠告した。

「何でだ。これはかなりいい肉体からだだろ?」

 ツクシはゴロウの困り顔を横目で睨んだ。

 キルヒの肉体を査定しているときとは違う。

 これは刃物のような眼光である。

「いや、ツクシ。月黄泉エルフ族こいつらはどうも『男の精を吸収して、自分の肉体の構造を変える能力』があるみたいなんだよなァ。だから、こいつらに手を出した男は干からびて木乃伊ミイラになるぜ。実際、俺ァそうなりかかっている野郎を知ってるんだ。まァ、そいつの場合は自業自得なんだがよォ――」

 ゴロウが苦い表情で教えた。「そうなりかかっている野郎」とは、もちろん、この彼の悪友ジャダのことだ。

「へえ、精を吸収か――おい、ゴロウ」

 深々と頷いて、ツクシはゴロウへ顔を向けた。

「あんだァ?」

 ゴロウは怪訝な顔である。

「それは男ができる最も理想的な死に方だぜ。腹上死ってやつだ」

 ツクシは真剣な顔だった。

「あのよォ。はァ――おめェは命懸けで節操のない野郎だなァ――」

 ゴロウは呆れ顔だが、ツクシはまたキルヒのボディ・ラインを熱心に査定している。

 そのうちにアドルフ団長の掛け声で全体の撤退が始まった。

 上がり階段から王座の街へ帰還する二日間の道程はたいへんだった。撤退組は総勢で四百五十名前後の人員だったが、混乱した戦闘でその人数を賄う備品は失われていた。食料も飲料も足りない。しかし、帰還する足を止めると全員死ぬ。いつコボルトの軍勢が追撃を再開するかわからない。ツクシたちは無理を承知で強行した。

 その間、倒れたキルヒは目を覚まさなかった。

威厳ある風精の王インペリアル・シルフォンが、契約者の消耗を恐れて眠りを強要しているのかも――」

 眠れる半神をリヤカーで運搬しているのはゾラだ。

「脈は正常だぜ。これでも普通に生きているみてえだ。何が原因で目を覚まさないのかは、よくわからねえなァ――」

 ゴロウがキルヒの脈をとった。

「ヤブ医者は本当に頼りにならねェよな」

 ツクシは吐き捨てて、いつも通りゴロウを激昂させた。

 ボロボロの撤退だったが、途中、コボルドの軍勢の追撃はなかった。王座の街に生きて帰った探索者は誰も何もいわずに解散した。全員、喉が渇いて腹が減って目が回っていたし、もう歩く気力だってあるかどうか怪しいものだ。眠れるキルヒをリヤカーに乗せて引いてきたゾラは半神の彼女を彼女の定宿――酒場宿メルロースまで運ぶといった。酒場宿という名目であるが実質は大娼館のそこは商売女の園だ。強い興味を惹かれたツクシは自ら率先してキルヒを運ぶゾラについていった。この男が自発的に行動を起こすのはこんなときだけである。疲労困憊した三人娘は、「すぐにでも休みたい眠りたい」そういいながら公衆浴場へふらふら歩いていった。それでも寝る前にみんなでお風呂へ入るらしい。彼女たちも大概である。ゴロウは病人が――意識が回復しないキルヒが気になったのでツクシについていった。

 ゲッコはいつも通りツクシの背を追う。


「キルヒ、こんな無茶をして!」

「目を覚まして、キルヒ!」

「キルヒさま――」

 酒場宿メルロースの正面出入口で眠れるキルヒを出迎えたのは、サラとルナルナ、それに、チョコラだった。アマデウス連合の帰還を耳にして出迎えのため宿の表で待機していたらしい。他の娼婦もお得意さんを迎える目的なのか表に出ているものが多い。

「――ああ、貴様ら。大声を出して。どうした?」

 キルヒがいった。

 たった今、意識を回復したようである。

「キルヒ、無理に動くな。喋るのも今はやめとけ」

 サラが顔をしかめた。

「良かった。生きてるにゃ――」

 ルナルナが大きな溜息を吐いた。

「そうだ。因果の円環を断つ男は――」

 キルヒは身体を起こそうとした。

「ええい、いってもいっても聞かない奴だ! ちょっと、そこの黒服の兄さん、すぐキルヒを部屋へ運び入れな!」

 サラがキルヒを押さえつけながら怒鳴った。迅速な行動だ。正面出入口の両脇に佇んでいた黒服の男が二名、さっと駆け寄ってキルヒを抱え上げた。

 サラ姐さんのご機嫌を損ねるとあとが怖い。

 黒服に抱かれて店内へ入ったキルヒを見送ったルナルナが、

「サラ、地上から布教師アルケミストを呼んで、キルヒを診てもらったおうにゃ――?」

「おいおい、姐さんたちよォ。俺がその布教師様だぜ。まァ、一通りはキルヒを診たが、身体に異常はまったくねえよ。しっかり栄養と休息をとれば、元気になると――」

 ゴロウが偉そうな態度で口を挟んだ。

「嘘吐け、あんたは山賊にしか見えない」

 長煙管片手のサラが冷たい口調でいい放った。

「にゃあ」

 一声鳴いたルナルナも頷いて同意する。

「――あ、ん、だ、とォウ!」

 ゴロウが髭面を真っ赤にして山賊のように怒鳴った。

「お兄さんたちが、キルヒを助けてくれたの?」

 長煙管を唇の端に咥えてサラが訊いた。

 ギシギシと歯ぎしりの音を立てているゴロウはまだ怒っている様子だ。

「お、お兄さんたち? そ、そうだけど、そうじゃないかも知れないし――そ、それは逆だね。ボクたちが、あの高貴なお方ハイ・エルフに――キルヒに助けられたんだよ」

 サラに性別を一発で見抜かれたゾラは目をぴよんぴよん泳がせている。

「キルヒはあんたらを助けたのか。そうなんだ――」

「あんなに疲れてたのに、キルヒはみんなを助けにいったんだね――」

 サラとルナルナが呟いた。

「――ん? おい、そこの子供ガキ

 そういったのは、メルロースの周辺にいた商売女をぬめぬめ眺めながら、あれこれ頭のなかで値踏みをしていたツクシだ。

「ガキ? ああ――」

「チョコラのことかにゃ?」

 サラとルナルナがチョコラを見やった。

「その猫耳、チョコラっていうのか。何だか妙だぞ。さっきから泣きも笑いもしねェし――」

 ツクシがチョコラへ目を向けた。白いゴチック風ロリータ・ドレスを着たチョコラは、天幕の軒先から下がった導式灯の光で極彩色に彩られた娼館の前にいると違和感がある。

 年齢があまりにも若い――。

「――可愛いね。年齢としはいくつ?」

 腰を屈めたゾラが美少女っぽい笑顔を見せてチョコラの注意を引こうとした。それはゾラ自慢の笑顔であったのだが、チョコラは透明な表情で周囲の大人たちを見上げているだけだ。

「まァ、猫人の子供だよなァ――」

 ゴロウはチョコラの垂れた形の猫耳を眺めている。

「ゲロゲロ」

 ツクシの横にきたゲッコが鳴いた。

「うげえ、これが――」

「にゃあ、これがチマキで噂の――」

 サラとルナルナが一歩下がった。「リザードマン族が王座の街にいるらしいぞ」そんな噂話をサラとルナルナは何度か聞いていたが、ゲッコを近くで見るのはこれが初めてだ。強面のゴロウに目一杯怒鳴られても平然としていた二人の美貌が完全に引きつっている。ゲッコの外見はまさしくモンスターで、これを詳しく描写すると二足歩行する大トカゲだ。戦闘能力も怪物級である。

 しかし、そのゲッコを見ても、チョコラは驚きもせずにじっと佇んでいた。

 平然としているというよりも、それは大切な何かを諦めてしまったような態度で――。

「――チョコラは、何かを必死で我慢しているように俺は見えるけどよ。どうした? 便秘なのか? 女は多いんだろ?」

 ツクシが眉根を寄せて訊いた。

 顔を上げたチョコラは、ツクシへ視線を返したが返答はない。

「――いや、ツクシ。ちょっと待てよ」

 ゴロウがチョコラに歩み寄った。

「あぁん?」

 待たされるのが大嫌いなツクシは不機嫌な声を上げた。

「これは導縛鎖どうばくさなのか? いや、こりゃあ、間違いなく隷属の首輪だよなァ。驚いたぜ、タラリオンの市場で流通してたのか――」

 それに構わず両膝をついたゴロウがチョコラの首についていた黒いチョーカーへ手をやった。

 チョコラは太い眉根が寄り切ったゴロウの髭面を黙ったまま見つめている。

「そっ、そっちのお髭のお兄さんは本当に布教師だったの!」

「そっ、そんな馬鹿な、世もマツだにゃん!」

 サラとルナルナが目を丸くした。

「あのなァ。姐さんたちなァ。そうやって、他人様ひとさまを見た目だけで判断するのはなァ、失礼ってモンだろうよォ――?」

 大きな肩を小さく震わせてうつむくゴロウは苦虫を噛み潰したような顔だ。

「何だ、ゴロウ。チョコラの首輪がどうかしたのか?」

 ツクシはチョコラのチョーカーを見やった。細い鎖で作られた黒い装飾品だ。何かに気づいたツクシが眉根を寄せる。それは一見、細い鎖を前の留め具で繋がれただけの飾りに見えた。しかし、じっと見つめていると真っ黒に焼かれた人骨が手と手を繋いで泣き喚く印象が眼球の裏側に浮かんでくる。

 おぞましい錯覚を呼ぶ造形。

 これと似たものを、俺はどこかで見たぜ――。

 ツクシの三白眼に殺気が揺らぐ。

 殺気立つほど嫌な記憶――。

「――ツクシ、これは魔道式具だ。隷属の首輪っていう。こいつをつけられた奴は主人に反抗すると呼吸が止まるんだ」

 ゴロウもツクシ同様、チョコラの首につけられた隷属の首輪を睨んでいた。

「魔導式具だと。この首輪はあの危なっかしい蜘蛛のブレスレットと似たようなブツなのか?」

 ツクシの低い声音に憤りがじわりと滲む。

「あァ、そうだ――」

 ゴロウが赤くなった髭面で頷いた。

「なるほど。その首輪がチョコラに悪さをしているんだな。よし、ゴロウ、お得意のチチンプイプイでそれを外せ。ホレ、すぐやれよ」

 不機嫌な顔のツクシが顎を何度もしゃくってゴロウを煽った。

「ツクシ、常時可動型の魔導式具は厄介なんだ。この形状はな、見た目と違ってえらく頑丈な造りなんだよ。強引に外そうとするとチョコラの呼吸は止まる。こいつを綺麗に切れるのは、よほど腕のいい導式具細工職人だけだろうなァ。いい道具も必要だぜ。トムのおとっつぁんならやれるだろうが、あれは業つく自慢だから、えらい金がかかるだろうなァ、きっと――」

 ゴロウはツクシの煽りに乗らなかった。

「誰がそんな厄介なものを子供の首につけたんだ?」

 ツクシの声が真剣なものになった。

「ああよォ、隷属の首輪は扱うのに強い魔導の力が必要なシロモノなんだ。だから、チョコラの首にこいつを巻いたのは間違いなくシルヴァの野郎だろうぜ。他にいねえよなァ――あンのクソガキめがよォ。もっと長い時間をかけてイビり倒したあとで、ていねいにブチ殺してやるべきだったよなァ。おい、あんなモンじゃあ、ちょっとばかり甘かったんじゃねえのか、ツクシよォ?」

 ゴロウは恐ろしい声音で唸った。

 チョコラは突っ立ったまま、憤る二人の中年男を透明な表情で眺めている。

「――シルヴァはやっぱり下層したで死んだのか。その髭のお兄さんが今いった通りだよ。チョコラはアマデウス冒険者団で飼われていたんだ」

 サラが長煙管をくゆらせながら眉を強く寄せた。

「子供を――チョコラを飼っていただと? それはどういう意味だ、姐さんよ」

 ツクシがサラへ目を向けた。

 刃のような眼光だ。

「お兄さん、それを私の口からいわせるつもりなの?」

 サラは苛立つツクシをまっすぐ睨み返して苛立った。

「にゃあ――」

 ルナルナは猫の瞳と猫耳を伏せた。

「ああよォ――」

 ゴロウがうなだれた。

「――そういうことか。おい、ゴロウ、そこを退け」

 ツクシがいった。

「おっ、おめェは、まさか!」

 ゴロウは魔刀の柄にあるツクシの右手を見て髭面を固めた直後、跳びはねるようにしてチョコラの前から脇へ退いた。

「チョコラ、顎を上げていろ。絶対に動くな――」

 ツクシが重心を落としながら告げた。

 死神の翼が広がる。

「――はい」

 チョコラが顎を上げた。

 一閃。

 誰の目にも留まらない。

 ただ白い光がこの場にいたものの網膜へ残った。

「――何だ、存外、やわいじゃねェか。あっさり斬れたぜ」

 ツクシは魔刀を腰の鞘へ帰しつつ呟いた。

「あっ、わたしの首輪――」

 チョコラが、はらりと外れて落下して、石床でシャリシャリ音を鳴らす隷属の首輪を見つめた。

 ツクシの魔刀がチョコラの隷属を両断した。

 魔人の呪いを真っ二つに割った刃は、少女の薄皮一枚も傷つけていない。

「ひっ、えぇえぇえぇえぇ――」

 サラの唇の端から長煙管が落下した。

「な、何も見えなかったにゃん――」

 ルナルナは石のように硬い笑顔だった。刃を納める動作を見て、ツクシがチョコラの呪われたチョーカーを叩き斬ったことを、かろうじて周囲は理解できた。

 恐るべきは魔刀のワザである。

「どうだ、チョコラ。首元がすっきりしただろ」

 ツクシが口角をぐにゃりと歪めて見せた。

 邪悪な笑顔を見上げて、

「ふっ、ぶえっ、えっぐぅ!」

 タメを作ったチョコラは、

「うぅう、うわぁあぁあぁーん!」

 両手の甲を目元に置いて、ギャン泣きを始めた。

「お、おうおう、ここで泣くのかよ――喜ぶと思っていたんだが――!」

 子供の泣き声と泣き顔に怯えて、ツクシの足がもつれるように後ろへ下がった。

「あーあァ、ツクシがまた子供を泣かせやがった――」

 ゴロウが笑った。

「ね、ツクシのワザも顔もほんとうに怖いよね」

 ゾラは苦笑いだ。

「ゲロゲロ、オ美事。流石、師匠!」

 ゲッコだけはツクシを褒め称えた。

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