十五節 音無き制裁(弐)

 名もなき盗賊ギルドの構成員は、カントレイア世界全土に散らばっている。その数は多い。数の多い彼ら彼女らは全員が全員、生粋のワルだから、当然、同じ組織に所属するものの間でも諍いが絶えない。利害関係の不一致やら、その他の諸事情やら何やらで、しょっちゅうお互い殺し合っている。だが、組織はこれを大した問題として取り扱わない。最も悪く最も強い者が生き残れば良い。これが名もなき盗賊ギルドの古来から続く組織運営方針だ。

 しかし、組織の構成員を表の世界で生きるひとびと――王国の治安維持警備隊だの冒険者団だのに「売った」場合はまた話が違ってくる。

 裏切り屋ダンカンは、どちらかといえば表社会に所属する男だ。実際、アマデウス冒険者団の団員として、ダンカンは冒険者管理協会に登録されてもいる。ダンカンは建前上、堅気の男であり表社会の賞金首ではない。しかし、名もなき盗賊ギルドも関係していた数々の略奪者団レイダースを筋の通らない手段で壊滅させてきたダンカンの首には裏社会のほうで大枚の懸賞金がかかっていた。

 この裏社会の賞金首ダンカンに王都の闇狩人ダーク・ハンター――テージョが目をつけた。テージョはまず天幕街探索者組合に潜り込んで、ネスト探索者登録を得ると、ネスト内部で活動を始めた。

 ダンカン自身は戦闘能力が低いゴブリン族の男だ。

 アマデウス冒険者団の数は多くない。

 この狩りに時間はさほどかからんだろう――。

 当初、テージョは『ダンカン狩り』を簡単な仕事だと考えていた。しかし、それは違った。

 アマデウス冒険者団には、

 強力な魔導式を扱うシルヴァ団長、

 導式使いでキレ者のレオナ副団長、

 炎の精霊たちサラマンダーを使役するエルフ族のユーディット、

 内起動導式を扱うドワーフ族のエッポと配下の屈強なドワーフ戦士、

 これらを揃えた戦闘能力の高い危険な集団だった。さらに厄介なのは、月黄泉エルフ族キルヒの存在だ。どのような盗賊の技術をもって敵地へ潜入しても、奇跡の触覚を持つキルヒは潜入者の意図も行動も把握してしまう。

 まだ悪い状況が重なった。

 テージョはアマデウス冒険者団が定宿にする酒場宿メルロースを偵察している最中に感づいた。自分以外にもアマデウス冒険者団を監視しているものがいる。これは三ツ首鷲の騎士団が使役する厄病神の手の者だった。熟練の闇狩人ダーク・ハンターテージョといえども国家公認の非合法組織を相手にするのは分が悪い。テージョが手をこまねいているうちに、ネストダイバー連合レイドが消滅して状況が変わった。厄病神がアマデウス連合傘下に直接潜入して活動を始めたのだ。テージョの目標――ダンカンと警戒が必要な厄病神との距離は以前よりずっと近くなった。

 ネスト内部でダンカンの首を狩り取ることはもはや不可能――。

 そう判断したテージョは獲物が出てくるのをネストの外で辛抱強く待ち構えた。ダンカンは必ずアマデウス冒険者団を裏切ってネストを脱出する。テージョにはその確信があった。

 何故なら今、テージョが命を奪ったダンカンというゴブリンの男は、裏切り屋が本業であるからして――。

「――こいつ、首が完全に落ちてないけど?」

 山刀を片手に佇むテージョへ、道化師ハーレクインの少女が歩み寄ってきて、首が半分千切れたダンカンの死体を見やった。ガラス玉のような若草色の瞳だ。

 道化の少女はロレッタである。

「――切れ味の鈍い山刀マチェーテだ」

 テージョは呟くように応えた。

「あ、テージョの腕が鈍ったとか?」

 ロレッタが小首を傾げて薄く笑った。

「そうかもな――」

 テージョは何ら感慨のない声だ。テージョとロレッタがいるのは先ほどまでと変わらない円形交差点である。ロレッタが水の精霊たちウンディーニの力を借りて、この場へ撒き散らした毒物の効果に巻き込まれた何十人かのひとは、その場に佇んだまま、あらぬ方向を見つめ正体を失っていた。

 事前に例の苦い解毒剤を摂取したテージョとロレッタは平気である。

「――あっ、すご。金貨が五十枚以上ある」

 ロレッタがダンカンの財布を拾い上げてガラス玉の目を丸くした。

「珍しくもないだろう。たいていのゴブリン族は、死ぬ気で金を貯め込んでいるものだ」

 そういったが、テージョの声はいつもより人間味があった。この仮面のような顔を持つ冷酷な暗殺者でも臨時収入は嬉しいらしい。

「こいつにかかってた懸賞金より、これって多くない?」

 腰の四角いポーチへ、ダンカンの財布を大事そうに仕舞いこんだロレッタはニコニコわかりやすい笑顔だった。

「――多いかもな」

 テージョが山刀を投げ捨てた。

「――ん。そいつの首は?」

 ロレッタが路面でガランと音を立てた山刀を見やって眉を寄せた。盗賊ギルドの幹部――錠前の破壊者ロック・ブレイカーへダンカンの首印くびしるしを持ち込まないと懸賞金を受け取れない。テージョとロレッタは、ここで死体からその首を切り離さないと仕事が終わらないのだ。

「――ロレッタ。お前の苦無クナイを貸せ」

 ダンカンの死体の傍らで膝をついたテージョが黒い革手袋で覆われた手をロレッタへ突き出した。

「苦無で首を落とすの?」

 怪訝な顔のロレッタが、太ももに巻いたベルトから引き抜いた棒手裏剣――苦無を黒い手に乗せた。これは投擲用の武器だ。どう見ても、ものを切断するのには向かない。

「こいつも盗賊の端くれだ。『微塵隠れ』かも知れん。念のため――」

 テージョが気になっていた箇所へ苦無の先端をそろっと突き入れた。

 ダンカンは懐に右手を突っ込んだまま死んでいる。

 しかし、財布は地面に落ちていた。

「守銭奴のゴブリン族なら、自分の財布をかばって死にそうなものだが――」

 テージョは怪訝に思っていた。警戒していた爆発物はダンカンの懐になかった。その代わりにダンカンは巾着袋を握りしめていた。テージョがそれを手にとった。

 それはズシンと手に重い。

「こいつ、まだ財布を持ってたの?」

 ロレッタは呆れ顔だ。

 先ほどせしめた金貨五十枚以上だって相当な金額である。

「これは――」

 テージョの声が掠れた。

「うっ、嘘、嘘! テージョ、それって!」

 ロレッタは暗殺者の冷静さを完全に失った。

「タラリオン白金貨で四十七枚――」

 テージョは巾着袋のなかにあった財宝を手早く数えた。

「白金貨四十七枚! ほ、本物なの? 偽金でなくて?」

 ロレッタの声はガクガク震えている。

「本物だ」

 テージョは白金貨の重さと感触を指先で確かめて深く頷いた。

「ど、ど、どどど、どうしよう?」

 ロレッタはキョロキョロ周辺を見回した。撒き散らした毒の効果が切れていないか心配になってきたのである。自分を失ってふらふらと佇むひとびとの反応はない。だが、すぐ幻覚の効果は切れる。何日か頭痛は残るが、ロレッタの使用した毒物は水で薄めて使えば致死性のものではない。

「むろん、これは俺たちがいただく」

 テージョは財宝を懐に納め、手にあった苦無をゴミのように放り捨て、円形交差点を東に向かって歩きだした。

「テージョ、ダンカンの首は?」

 その横について訊いたロレッタはダンカンの死体へ視線を残している。

「小銭は必要なくなったな」

 テージョがいった。

「必要ない?」

 ロレッタは小首を傾げた。

「王都を離れるか――」

 テージョが呟いた。

「えぇえ、テージョは盗賊ギルドを足抜けするの?」

 ロレッタが視線を前へ送った。

「俺たちの道化師ハーレクイン――クラウンは王都を去った」

 テージョがいった。タラリオン王都で活動する闇狩人の取りまとめ役で、名も無き盗賊ギルドの幹部でもあった、通称で道化師ハーレクイン――アルバトロス曲馬団ではクラウンと名乗っていた若い女性の暗殺者はつい先日、グリフォニア大陸中央へ旅立った。

 テージョとロレッタの上司は「表の仕事」を優先したようだ。

「そうだけど――」

 ロレッタは視線を落として呟いた。

首領ボスは何もいわずに消えた」

 テージョが続けた。

「そうだね。クラウンは突然、消えた」

 ロレッタが無表情で頷いた。昨日までは仲間でも今日はお互い殺し合う。そんな世界でテージョもロレッタも生きてきた。仲間がドロンと消えるていど、普段なら気にも留めないような事柄だ。

「残されたものは好きにしろということだ」

 テージョはそう解釈したようだった。

「そうなのかな?」

 ロレッタは細い首をまた捻った。

「戦争の所為だ」

 テージョがいった。街路灯が道の脇に並ぶ商店街の大通りを歩くテージョとロレッタの正面から、治安維持警備隊の一団が斧槍や銃を片手に駆けてきた。そのまま警備兵の集団はテージョとロレッタの脇を抜けて西へ走っていった。

 二人の暗殺者は殺人を起こした現場から遠ざかっている。

「――戦争? いきなり何?」

 ロレッタは腰にある四角いポーチから右手を外して眉間を寄せた。

「王都の酒場にある酒が全部不味くなった」

 テージョは懐のなかに突っ込んだ手にあった毒ダーツを放した。

「戦争の所為で? だから、テージョは戦争をやっていない場所へ行きたいの?」

 ロレッタは怪訝な顔だ。

「そうだ」

 テージョは頷いた。

「テージョ、本当に盗賊ギルドの仕事を辞めるつもり?」

 ロレッタはガラス玉の瞳からテージョの白い鮫肌の顔へ視線を送った。

「ああ、辞めだ。今日から俺は一端の堅気になる」

 テージョは即答した。

「それで、私はどうしたらいい?」

 ロレッタの短い眉尻が少し下がった。

 注意して見ないとわからないていどの表情の変化である。

「俺たちのコンビはここで解散だ。あとはお前の勝手にしろ」

 テージョはロレッタの横顔を浮いた困惑を横目で眺めながら告げた――。


 §


 無機質な美貌を持つハーフ・エルフの少女、ロレッタ・ハーレクイン・リヒャルデス=ウンディーニは、過去、王都十三番区の女衒街の片隅で営業をしていた『娼館小っちゃな恋人たちパルゥム・ラバーズ』の性奴隷だった。ロレッタがどのような経緯でそこにいたのかを、テージョは知らないし、ロレッタも語らない。王都において混血種の人権などあってないようなものだ。娼館で客の相手を強要されていたロレッタは、どこかしらからさらわれてきたのかも知れないし、貧乏を拗らせた彼女の親が娼館へ叩き売ったのかも知れないし、他の理由でそこにいたのかも知れない。

 とにかく、ロレッタは性奴隷として娼館で働いていた。

 ロレッタがいた娼館は、その周辺で評判の悪い店だった。そこに務める娼婦はほとんどが十四歳未満の少女でヒト族と他種族の混血種だった。評判の悪い娼館を経営する、評判の悪い小太りの男性支配人は女衒街の労働組合で義務になっている従業員の定期健康検診を行っていなかった。よって、その娼館では従業員の間で性病が蔓延していた。小っちゃな恋人たちで飼われていた、おおむねは性病持ちの性奴隷の少女たちは裏手にあった掘っ建て小屋で共同生活をしていた。年若い性奴隷の少女がぎゅうぎゅう詰まって住むその建物は不潔で不健康で不健全だった。性奴隷の少女たちは見た目を小奇麗にしていた。しかし、みんな痩せ細っていた。顔色も悪い。目は虚ろだ。日々の食事もまともにとれていないように見えた。

 ある朝である。

 病気で衰弱して死んだ性奴隷の少女の死体がひとつ、娼館小っちゃな恋人たちの裏に打ち捨てられていた。それで、その周辺にあった娼館の経営者や近隣住民から苦情が殺到した。外法寸前だが娼館はあくまでお客様本位の商売である。

「近くでこんな非道い商売をやられたら、ここら一体に悪い評判が立つだろう。衛生に神経質な区の役所が目くじらを立てるかも知れない。傍迷惑な話だ」

 周囲で生活していたひとはそんな抗議をした。これまでも似たような抗議を何度もしてきたのだ。だが、小っちゃな恋人たちの支配人は贅肉で下ぶくれした青髭の濃い顔に鈍い笑みを浮かべて、周辺からの抗議を「へいへい、そうでございますねえ」と右から左に聞き流した。これも毎度のことだった。

 我慢にも限界がある。

 その界隈を縄張りにして、みかじめ料を徴収していた盗賊ギルドの幹部――ジャダ・バッドコックの耳に小っちゃな恋人たちの悪評が入った。女衒街の娼業組合から送られてきた金銭と一緒にだ。紙巻タバコ片手に考えたジャダは旧知の闇狩人ダーク・ハンターへ、この面倒事の始末を任せることにした。

「俺の名前を出して、もう一度、その支配人に忠告しろ。それでも駄目なら、お前の好きな方法で消せ」

 ジャダは金貨数枚を放って、テージョに命令した。

 仕事を受けたテージョは、その日のうちに小っちゃな恋人たちの支配人室を訪れた。しかし、そのときにはもう彼の仕事は終わっていた。支配人室の床で、全身から血を流した小太りの支配人が仰向けにぶっ倒れて死んでいた。死体の周辺には異常な量の血が広がっていた。その近くで血塗れの果物ナイフを手にしたロレッタが床に座り込んでいる。血の混じった水で形成された小さな乙女が何体か顔を寄せ合ってりるりるとお喋りをしている。

 ロレッタが使役した水の精霊たちウンディーニだ。

 少女の腕力では刃物を使っても大人に致命傷を作ることが難しい。支配人は恰幅の良い壮年の男性だ。そこでロレッタは敵に作った傷口から水の精霊たちの力を借りて、なかの血を全部引き抜いてしまったようだった。ロレッタも無傷ではない。抵抗した支配人から立てなくなるほど殴られたようだ。血の海に棍棒ブラック・ジャックがひとつ浮いていた。支配人はこれで反抗する性奴隷の少女をよく殴りつけていた。死んだ男はこの行為を何にも代えがたい趣味にしていた。

「おい、お前は――?」

 戸惑ったテージョはロレッタの細い背へ声をかけた。

 途端、ロレッタがパッと跳ね上がった。

 果物ナイフがテージョの心臓を狙う。

 だが、そこは、暗殺の専門家プロである。ひらりと身をかわしたテージョは、刃を突き出したロレッタの手を捻り上げた。そこで、ロレッタは体力の限界を迎えて脱力した。テージョは迷った挙句、気絶したロレッタを自宅につれ帰って傷の手当をした。仕事の手間を省いてくれた礼もあったし、当時は今よりまだ細身だったロレッタを、「これは、もしかすると、とびきりの美少年かも知れないぞ、しめしめ」などと勘違いもした。このテージョは男性だが男性が大好きな男性である。

 もっとも、ロレッタを担いで帰って、安宿屋の一室でその服を剥ぎ取ったテージョは、そこにあった少女の痩せた裸体を見て、心底から落胆したのだが――。

 それはともあれである。ロレッタに「殺しの才能」を見てとったテージョは自分の仕事を手伝わせるようになった。ロレッタもテージョの期待に応えた。男性が目標の場合、むしろ喜んで仕事に取り組んだ。ただ、ロレッタは絶対に女性を殺さない。手伝いもしない。テージョはそれに関して何もいわなかった。

 以降、テージョとロレッタは王都十三番区の女衒街にある安宿屋で共同生活を始めた。男性に極端な不信感を持つロレッタも、テージョの性的嗜好を知って安心した。テージョもロレッタも異性に興味がない。見た目も種族も年齢も違うが、この二人は似たもの同士だった。

 こんな経緯で数々の暗殺を手際良くこなしているうちに、テージョとロレッタは王都の裏社会で名の知れた闇狩人ダーク・ハンターコンビとなった――。


 §


 歩きながら、「うんうん」と二度深く頷いたロレッタが、

「じゃ、私は勝手にする。まずテージョをここで殺そう」

 ロレッタは無機質な光を放つガラス玉の瞳で、テージョの横顔をじっと見つめている。

 これは本気っぽい。

「――冗談だぞ、ロレッタ」

 まるで表情も声音も動かない不気味な相貌で、笑うことも滅多にないのだが、テージョは案外、お喋りも冗談も好きな男なのだ。

「テージョ、真面目に応えて。私たちはこれからどうするの?」

 ロレッタが怒った顔を見せた。いつも薄笑い顔のロレッタも、テージョとお喋りをしているときだけは感情の量が豊富になる。

「乗合馬車に乗って西へ向かう」

 テージョがいった。

「ここから西って――港のエイナリオス?」

 ロレッタが眉を寄せて訊いた。

「そうだ。港街だ。エイナリオスで船に乗って南へ行く」

 テージョが頷いた。

「――南って?」

 ロレッタが促すと、

「コテラ・ティモトゥレ首長国連邦」

 テージョは国名で応えた。

 タラリオン王国の南に隣接する海洋国家である。

「コテラ・ティモトゥレ――南国だね」

 ロレッタは王都から外に出たことがない。

「ああ、そうだ、南の国だ」

 テージョも王都の餓鬼集団レギオンに所属して生き抜いた孤児だから外の世界に疎かった。

「それで、南国へ行って、どうするの?」

 ロレッタが訊いた。

「この金があるんだ。俺たちはもう汚い仕事をする必要がない」

 テージョは胸に手をやった。

 今、この黒い暗殺者の胸には白く輝く財宝がある。

「――そうだね」

 ロレッタは神妙な顔で頷いた。

「南で一生、遊んで暮らす。出来る限りの贅沢をする」

 テージョがロレッタを見やった。

「――贅、沢?」

 うつむいたロレッタは難しい顔だ。このハーフ・エルフの美少女はこれまで贅沢といわれても、今ひとつピンとこない生き方をしてきた。

「俺は南で一等級の男娼を買って抱く」

 テージョの贅沢はこんな感じらしい。

「うん。それはよく知ってる」

 ロレッタはテージョをひどく冷めた表情で見やりながら吐き捨てるようにいった。一緒に生活をしているので、今さらいわれてなくても、よく知っている。

「ロレッタ、お前は好きなだけ女を買ってそれを抱け」

 テージョも吐き捨てるようにいった。まあ、これも、よく知っているのである。

 この二人はお互いのことをよく知っていた。

「うーん――」

 ロレッタがまた視線を落とした。女衒街には同性を相手にする娼婦や男娼も多い。しかし、ロレッタは素人の可愛い女の子が好みなのである。その気配が全然ない女の子を強引に押し倒すのが大好きだった。これは、かなり迷惑かも知れない。迷惑である。

 歩きながら視線を落として悶々と鼻息荒く考え込むロレッタを無視して、

「あとは、俺たちの家を買う。あまりひとの住んでいない小島の、静かな海辺に面した家がいい――ロレッタ。お前は南国の海を見たことがあるか?」

 テージョはいつか見た気がする美しい海辺の光景を思い浮かべながら問いかけた。

「ない、わたし、王都の他の街を知らないんだから、あるわけがない」

 顔を上げたロレッタは怒ったようにいった。

「そうか。これから見れる」

 テージョが頷いて見せた。

「――うん」

 ロレッタが表情を緩めて頷いた。

翡翠色エメラルド・グリーンに輝く海だ」

 そういったが、テージョは頭を悩ませていた。

 いつか見た美しい光景だ。

 それは、どこかの壁に掛かっていた絵画だったのか。

 それとも、他人ひとから聞いた話であったのか。

 それとも何だ――。

 少し考える素振りを見せたあと、

「――緑王石りょくおうせきみたいな色?」

 ロレッタが訊いた。

「そうだ、秘石ラピスの色で輝く海辺にある家だ。それを買う」

 テージョが強く頷いた。

「それって大きな家?」

 テージョとロレッタが住んでいる女衒街の安宿屋は二人で住むには少し部屋が小さかったし、できれば、ロレッタは自分の部屋が欲しいなとも思っていた。

「二人で住むだけだ。そんな大きくなくてもいい。適当な大きさだ」

 テージョがいった。

「――うん」

 頷きながら、それでも一軒屋なら、今住んでいる貸し部屋よりずっと大きいだろうなとロレッタは思う。

「色は白。真っ白な家がいい」

 テージョはこだわりがあるようだが、

「それは――どうでもいいかな」

 ロレッタは家の外装に興味がない様子だ。

「そこで、俺は毎日、良い酒を飽きるまで飲んで、好きなときに男を抱いて暮らそう」

 構わずにテージョは今後の予定を聞かせた。

「――私は、どうしよ?」

 ロレッタは困惑している顔だった。

 やはり、やりたいことが見つからない――。

「――お前がやりたいと思うことを、好きなだけやればいい」

 影ではない。

 ひとの声でテージョがいった。

「そうだ、私は学校へ行ってみたい! 絶対に女学校!」

 パッと顔を上げたロレッタが周辺に響く大声で叫んだ。絶叫である。十二番区の商店街を抜けたテージョとロレッタはペクトクラシュ河沿い大通りを歩いている。この周辺は交通量が多いのだ。周辺を歩いていたひとが、メスの雄たけびを上げたロレッタへ「おやおや、これは一体何事か?」そんな胡乱な視線を送っている。

「――お前の好きにしろ」

 テージョが顔を歪めた。

「うん。でも、テージョ?」

 瞳をうんと細めたロレッタが相棒に呼びかけた。

「どうした、ロレッタ?」

 テージョが相棒を促した。

「何で南にこだわるの?」

 ロレッタが横を歩くテージョをまっすぐ見上げた。ロレッタは年齢や性別で推し量ると長身の部類になる。しかし、テージョと比べるとロレッタの背は低い。

「南は一年中が夏らしい」

 テージョが視線を返した。

「それは、私も聞いたことある」

 ロレッタが小さく頷いた。

「陽差しも一年中、強いだろう」

 テージョが頷いて見せた。

「すごく暑そ――」

 暑さがちょっと苦手なロレッタは肩を竦める。

「南国の強い陽の光の下だ――」

 テージョが独り言のような調子でいった。

「うん?」

 小首を傾げてロレッタは促した。

「一日中、砂浜に寝そべって、俺は肌を焼く」

 テージョがロレッタへ顔を向けた。

 しばらくそのテージョの顔を眺めていたロレッタが、

「テージョ?」

 と、呼びかけた。

「何だ、ロレッタ?」

 テージョがいった。

「その白い鮫肌、ずっと気にしてたの?」

 そう訊いたロレッタは真顔だった。

 テージョは返答の代わりに苦い微笑みを見せた。

 この奇妙な関係性で結ばれた二人の暗殺者――テージョとロレッタは、この日のうちに王都を離れた。運良く楽園への片道切符を手に入れた二人は、その楽園を探す旅に出たのである。

 おそらく、テージョもロレッタも二度と王都へ戻ってこないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る