十二節 地下二五〇〇メートルの復讐(漆)
アマデウス連合で生きて退避を続けているのは、シルヴァ団長と疲労した彼を支えて歩くユーディット、それにアマデウス冒険者団の団員が七十名余、それに追随するリュウとフィージャとシャオシンのみとなった。シルヴァ団長が率いる集団は導式で照明を確保しつつ(これはシャオシンがよく働いた)、フィージャの聴覚と嗅覚を頼りに注意深く小路を進む。進行は遅い。戦闘と移動が続いて全体が疲労してもいる。
「ここもまた西へ折れてください。みなさん、急いで」
フィージャが集団を先導している。
「フィージャ、そっちへ進むと、また上がり階段まで遠回りになるぞ。そろそろ、道を東へ折れてもいいんじゃないか。俺の疲労はだいぶ回復した。ここから先は敵を俺の力で蹴散らしていけばいい」
小アトラスの立体地図を眺めていたシルヴァ団長が立ち止まった。ユーディットも足を止めて闇の濃い方向を――T字路の東を見やった。ユーディットのエルフ耳が動いている。エルフ族はヒト族より長い寿命を持つ他に、もうひとつ、優れた種族特性がある。
鋭い聴覚だ。
ユーディットの長耳が大量の風切り音を捉えた。
「――シルヴァ、危ない!」
ユーディットがシルヴァ団長を突き飛ばした。
「うあっ!」
シルヴァ団長は前のめりに倒れた。うつ伏せになったシルヴァ団長の真横へ、カッカッと音を立てて、ねじくれた槍が突き立った。周辺にいた何人かの団員が槍に貫かれて悲鳴を上げている。T字路の東側に潜んでいたコボルトの群れが、足を止めていたシルヴァ団長へ向けて、槍を一斉に投擲したのだ。
「あっ、危なかった――」
顔を引きつらせたシルヴァ団長が背後へ視線を送ると、その場に佇んだユーディットが呻いている。背を貫いた槍の穂先がその肉体の前へ突き出ていた。
「ひっ、東の道はコボルトがいるぞ!」
「フィージャさんのいった通りだ、たくさん隠れてたんだ!」
「コボルトの群れだ!」
「お、多い!」
「逃げろ、西へ逃げろ!」
団員は西へ逃げていった。
周囲に残ったのは死体だけだ。
シルヴァ団長も慌てて逃げようとしたが、
「シルヴァ。私、身体が動かないみたい。ちょっと手を貸して――」
ユーディットが呼び止めた。ユーディットはシルヴァ団長へ手を伸ばしている。振り返ったシルヴァ団長は左の手を差し伸べるとユーディットは焦点が曖昧になった瞳を細めた。その口からゴボゴボと血が溢れている。鼻からも血が流れ落ちていた。
血塗れではある。
しかし、いつも表情にある毒が抜け落ちたユーディットの笑顔は美しく見え――。
§
ユーディット・イカルガ=サラマンダーは取り立てて珍しい経歴――ひとへ語って聞かせて喜ばれるような冒険的経歴のないエルフ族の女性である。
エルフ族はどういうわけか、男性の出生率が極端に低く、一夫多妻制度で家族を形成する文化がある。男性絶対優位の社会というわけではない。夫が妻をたくさん娶らないと単純にエルフの女が余ってしまう。ただそれだけの話だ。
ドラゴニア大陸西部にあるエルフの国家――エルフォネシア連邦国の北部、その湾岸にある小さな港街で生まれ育ったユーディットも成人になるとすぐ結婚話が持ち上がった。エルフ族の女性は嫁に行き遅れると悲惨なのである。ユーディットの夫は彼女の親と親族が勝手に決めた。結婚相手は五人も妻を持つ年寄りのエルフ男だった。
枯れた夫に満足ができなかった若いユーディットは、港街へ訪れる輸送船の船乗りや商人を相手に浮気を繰り返してウサを晴らした。全般的にエルフ族は保守的な性格の持ち主が多いのだが、このユーディットはまったく逆で開放的だった。ユーディットはどんな種族が恋愛の相手でも苦にしない。むしろ、その刺激を好んでいた。
エルフォネシア連邦の法律上、女性の姦通は重罪である。
些細なことから浮気が発覚し、その罪に問われたユーディットは夫から離縁を申し渡された。片田舎にある港街の保守的な暮らしに元よりウンザリしていたユーディットは、そこで生まれ故郷を捨てることにした。重罪を犯した女だ。引き止めるものもいなかった。悪い噂ばかりを振りまく、だらしない遊び人のエルフ女――ユーディットの周囲に近寄ってくるエルフ族の大人は、その街にいなくなっていた。しかし、ユーディットは子供たちとは仲が良かった。
いつも酒場にいる、きっぷの良い、ちょっとアダなお姐さん。
ユーディットはどんな種族の子供たちからも懐かれた。暇なときはユーディットのほうも子供と遊ぶ。定職についていなかったユーディッドは暇な時間も多かった。それに、ユーディットは子供が好む遊びすべてに滅法強い。これは一種の才能である。ただまあ、それで、ユーディットが何か得をしたということもないのだが――ともあれ、結婚生活が破綻し村八分にされたユーディットは自分の故郷を捨てる覚悟を固めたのである。
酒場で仲良くなった若いヒト族の船乗りのツテを頼って、ティモトゥレ諸島へ向かうハーブ茶葉の輸送船へユーディットが乗り込んだとき、港街に住む子供たちが総出で彼女を見送った。ユーディットに手を振って別れを惜しんでくれたのは彼女が持つ唯一に近い故郷の善き記憶、小さな、美しい思い出たちだった。エルフにあるまじきアバズレの女とユーディットを唾棄していたエルフ族の大人は親類縁者含め誰一人として見送りにこない。ユーディットは嬉しくなったり悲しくなったりして、このとき少し泣いた。
そのあと、故郷を捨てたユーディットは典型的な根なし草の生活を送った。
ユーディットは、その時々の気分で男を変えて職業も変えた。船乗りの愛人として商船に便乗することもあったし、酒場女を仕事にすることもあったし、陸路を行く隊商に賑やかしで同行することもあった。毎日面白おかしくを信条に生きるユーディットは流れても流れても特別な目的も行くアテもない。だが足が向くのは常に北へ北へ。嫌な思い出が多かった故郷から離れるように移動を続けたユーディットは、タラリオン王国中央の大都市ミトラポリスまで流れ着いた。そこでユーディットは酒場で知り合った羽振りの良い隊商を率いる髭の隊長の愛人になった。
エルフの国では余り物だ。
しかし、国の外に出てみると、若くて美しい容姿を長時間保つエルフ族の女は男に不自由しなかった。愛人相応の贅沢な暮らしを与えられたユーディットは、上等な酒場宿の一室で、いつも自分の男――髭の団長の帰りを待っていた。だがある日を境に髭の団長男はユーディットのもとへ帰ってこなくなった。西へ頼まれた荷を運んでいる最中、
その日から宿の酒場女に出戻りしたユーディットは、給仕の最中に若い男から声をかけられた。その若い男がシルヴァ団長だった。ユーディットはシルヴァ団長の誘いを受けてアマデウス冒険者団へ入団した。シルヴァ団長は荒くれものをまとめる冒険者団の長としては楽天的で、子供のような性格だった。そして若い性欲も持ち合わせていた。シルヴァ団長はユーディットへ夜の要求をした。ユーディットは二つ返事で「うん、じゃ、やろっか」と応じた。ユーディットはそんな生活を送ってきたので奔放である。シルヴァ団長はユーディットのことを「夜の仕事に手慣れた女ではないだろう(若い見た目から勝手な判断でだ)」と考えていたので驚いて腰が引けたようだ。シルヴァ団長は変に潔癖症で、素人の女に言い寄ることはあっても、商売女には手を出さないような男でもある。その夜、何回も繰り返された行為のあとのシルヴァ団長は、ユーディットに騙されたといいたそうな表情であったし、とても満足したような表情でもあった。
寝物語でユーディットはシルヴァ団長の過去を尋ねた。
「うーんと――俺はカントレイアの英雄になるために頑張ってきた」
シルヴァ団長は漠然と応えた。
「英雄になるためって――子供みたいだね」
ユーディットはけらけら笑った。仲が悪いわけではない。むしろ、シルヴァ団長もユーディットも快楽主義者的な性格で相性は良い。しかし、お互いの過去を語りたがらない二人は会話が続かない。だから、シルヴァ団長とユーディットは行為のあと、そのまま裸でベッドに寝そべりながら双六遊びをすることが多かった。それは知略よりも直感と運がものをいうボード・ゲームだった。シルヴァ団長は勉学のできる男――天才と称されたほどの男だが、カンは鈍いところがある。ユーディットは若く見えても人生経験が非常に豊富であるし、昔からこの手の遊びに滅法強い。ユーディットに軽くヒネられるたび、シルヴァ団長は顔を赤くして不満を示した。それを見てユーディットは「このひとは本当に子供みたいで可愛いな」と思った。ユーディットは実のところ子供どころか孫がいてもおかしくない年齢だ。本人は最後まで気づかなかった。
ユーディット・イカルガ=サラマンダーは彼女が持つ母性の部分で、その無邪気な性格の魔人を本心から愛していた――。
§
「――魔導式陣・
シルヴァは突き出した左手の先へ魔導式陣が形成した。
「あっ――」
ユーディットの身体を魔弾が貫く。後方から迫っていたコボルトの群れにも無数の魔弾が着弾した。突撃してきたコボルトの群れは、シルヴァ団長の魔導の力に怯んで足を止めた。足を止めなかったものは魔弾に貫かれて絶命した。
ユーディットの亡骸へ、
「あ、ユーディットも死んじゃったか――」
シルヴァ団長はそう言い残して西へ逃げていった。
唸り声を重ねて、コボルトの群れがそのあとを追ってゆく。
「だから、私は西へ急いでといったのに――」
フィージャは
後ろからコボルトの大群に追われて、シルヴァたちが逃走してくる。
「い、犬がたくさん追って来るぞえ!」
シャオシンが顔を青くした。
「――手筈通りだ。向こうの大通路に導式の光が見えたぞ!」
西へ視線を送っていたリュウが叫んだ。
「ご主人さま、このまままっすぐ、大通路まで走って!」
そう促しながら、フィージャが身を低くして迎撃態勢を作った。
「ひっ――」
シャオシンは身を固めた。
「ここは俺たちが食い止める。西へ走れ、走るのだ、シャオシン!」
リュウが竜頭大殺刀を構えて怒鳴った。
「向こうなら絶対に安全です、早く!」
フィージャが逃げてきたシルヴァたちとすれ違ってコボルトの群れに突撃した。コボルトの群れはねじくれた槍を突き出したが、その槍の穂先は導式の光を散らしてフィージャから逸れる。後方のリュウがフィージャへ防壁を張っている。
フィージャの戦闘爪がコボルトの喉を抉り取る。
「おっ、お前ら、止まれ、止まれ! フィージャを援護しろ!」
コボルトの悲鳴に気づいたシルヴァ団長が足を止めた。逃げ腰だった団員もフィージャが次々とコボルトの急所を貫く様子を見て武器を手にとった。
「ゴッヂモ、ニンゲン、ギダ!」
「ゴロゼ!」
「ゴロズ!」
「マンマ、マモレ!」
「あっ、うぅう!」
発砲音とコボルトの悲鳴を背で受けながら西へ走ったシャオシンは、小路を抜けて大通路へ出たところで立ち尽くした。獣染みた声でシャオシンを出迎えたのはコボルトの一団だ。ねじくれた槍の穂先がいっぺんにシャオシンへ向けられた。両手を胸元にやって棒立ちになったシャオシンは呼吸をすることも忘れた。
そして、蒼穹の瞳に虹が満ちる。
零秒間に七つ、決死の断線が疾走した。
二十体近くいたコボルトが、一瞬でバラバラに斬り裂かれて路面に落ちた。
その刃による死の宣告は犠牲者へ断末魔の声を上げる余裕も与えない。
「おう。シャオシンかよ」
崩れ落ちたコボルトの向こうで虹の色にきらめく死神が憮然と佇んでいる。
「あっ!」
シャオシンが肩を竦めて一歩下がった。
「
死神は不機嫌に唸った。
「ううっ――」
また、ひどく怒鳴られるのかな――。
泣きそうな顔のシャオシンへ、
「――危ないだろうが」
刃を携えたその死神は少し口角を歪めて見せた。
「ツクシ――!」
シャオシンが涙声で呟いた。
少し離れた場所で、ゴロウが小アトラスから照射された班の異形種討伐数を眺めながらニヤニヤしている。その近くで、ゲッコが逃げ回るコボルトを偃月刀を片手に追い回していた。
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