十一節 地下二五〇〇メートルの復讐(陸)
アマデウス連合の総勢三百名余は決死の撤退戦を開始した。
レオナ副団長の指示だ。南北に走る大通路の脇から続く脇道の一本へ、シルヴァ団長が魔導式陣砲――
幅の狭い通路を進む連合の隊列はどうしても長く伸びる。隊列の最後尾に配置された天幕街探索者組合が追撃してくるコボルトの群れを銃と収束器を使って、どうにか遠ざけていたが、そのうちグレンデルが突撃してきた。隊列の前方でコボルトの駆逐にあたっていたシルヴァが、後方に走ってグレンデルを処理した。グレンデルの攻撃は、そのあとも何度かあった。ユーディットもシルヴァ団長に協力して戦った。撤退は犠牲者を出しながら三時間以上も続いた。
現在、連合の隊列は半分まで数を減らしている。
「マ、ン、マァ、マンマァ――?」
路面に転がった巨大な白い首が金属を擦り合わせたような声で呻いた。
白い生首は胴体から離れてもまだ生きている。
胸に魔導光で大穴を開けた白い巨躯が倒れると、
「ギャ、ギャ、デッダイ、デッダイ!」
コボルトの群れが退いていった。連合の隊列の後方だ。シルヴァ団長が魔導式陣砲と亜空間斬撃を駆使してグレンデルをまた一体仕留めた。青ざめたという表現は通り越している。シルヴァ団長の顔が真っ白だ。そこに凍えるような汗が流れていた。
魔導式は常に負の対価を――運命の犠牲を使用者に要求する――。
「――処理は終わったな。よし、全体はこのまま北へ進め。ノロノロしていると死ぬぞ!」
レオナ副団長が隊列の先頭で怒鳴った。
「レオナ副団長、待ってください!」
声を上げたのはフィージャだ。
「何だ、フィージャ!」
レオナ副団長は怒鳴って返した。
「北の先からコボルトとグレンデルの臭いです。この先は大量にいます」
フィージャは鼻先を動かしながら北を見つめていた。
北は暗闇に染まって暗い。
眉を厳しく寄せたレオナ団長は照明用の光球を飛ばしたあとにフィージャを睨んで、
「――何もいないようだが?」
先の視界は確保されているが敵影は見あたらない。
「いえ、確かにいますよ。恐らく先の脇道に隠れているのでしょう」
フィージャはレオナ副団長へは視線を返さずにいった。確かにフィージャがいった通り、小路の先には脇道があって、そこに身を隠しているものがいそうな気配だ。
「犬どもは飛び道具を警戒しているな。さては、この先で待ち伏せか?」
リュウがいった。
「無理をすると、みんな死んでしまうぞえ――」
リュウの後ろに隠れたシャオシンが遠慮がちにいった。
「――シルヴァ。さっさと前へ出て、隠れている敵を排除しろ!」
レオナ副団長が振り返って怒鳴った。
「レオナ、ちょっと待ってくれよ――」
シルヴァ団長がユーディットの肩を借りて後方から戻ってきた。
「レオナ、あんた、ちょっと落ち着きなよ!」
ユーディットが高い声で叫んだ。
「――何?」
レオナ副団長は顔に露骨な嫌悪感を浮かべてユーディットを睨んだが、
「シルヴァはもう限界だ――」
ユーディットは自分に体重を預けるシルヴァ団長の横顔を見つめている。
「シルヴァ団長、大丈夫なのか?」
リュウが声をかけた。
「あっ、ああ、リュウ。だ、大丈夫じゃないかも――」
顔を上げて、シルヴァ団長が笑った。皮肉なことだ。疲れきったその若い笑顔には内容がある。シルヴァ団長は本心から笑顔を見せていた。
「――まだ、死ぬのは早いぞ」
リュウは顔を背けた。
横向けた美貌に痛みのようなものが浮いている。
「そっ、そうだよな。そのとおりだ。俺は若い。まだまだ、これからだよな――」
頷いたシルヴァ団長の笑顔が大きくなった。ここまでリュウとフィージャ、それにシャオシンはアマデウス連合に参加していても、シルヴァ団長やレオナ副団長からどことなく距離を取って活動していた。そのリュウが今、シルヴァ団長を心配する様子を見せた。シルヴァ団長は本当に嬉しそうな顔をしている。
「――レオナ副団長、また後方から敵が来ます!」
隊列の後方から警告だ。
「グレンデルが一体、近づいてきてるぞお!」
今度は怒鳴り声だ。
炎壁で閉鎖中の後方からコボルトの群れがグレンデルを鎖で引いてくるのが見えた。
「――全体、北へ突撃しろ。上がり階段はこの先だ、あと一息だぞ!」
レオナ副団長の判断は後方の守りを捨てて前進だった。
「レオナ副団長、待ってください。この先も敵の数が多い!」
フィージャが表情を厳しくして吠えた。
「フィージャ、東と西はどうだ?」
リュウが訊いた。
「東は数が多い。駄目です。西の脇道は敵の気配がかなり少ないですね」
フィージャは獣耳と鼻先を動かさずに即答した。
「
リュウが声を張り上げた。周辺にいたアマデウス冒険者団の団員が五十名余は、お互いの顔を見合わせた。天幕街探索組合に所属するものは後方にいる。
「おい、勝手な指示を出すなよ、リュウ!」
レオナ副団長が噴火した。
しかし、
「レオナ、ここはリュウのいう通りだよ。今は敵を回避しよう。これ以上戦うのは俺でも無理だ――」
シルヴァ団長はリュウの意見を支持した。
「昔から優柔不断。ここ一番では本当に使えない。全体が移動を続けるのはもう限界だろ。犠牲を承知で最短ルートの退路を選択するしかない。この馬鹿は、こんな簡単なこともわからないのか――?」
レオナ副団長は眉間を限界まで冷やした。
「レ、レオナ、今、な、何だって?」
シルヴァ団長の声が怒りで震えた。
そのシルヴァ団長を支えるユーディットがレオナ副団長を厳しく睨んでいる。
「
レオナ副団長が仲間の抗議を無視して叫んだ。
「みんな、西の経路が安全だ、こっちだ!」
リュウが吠えた。リュウはシャオシンとフィージャを伴って近い場所にあった、西へ続く脇道へ足を向けている。
「待て、リュウ、勝手な行動を取るのは許さ――」
レオナ副団長は怒鳴ったが、途中であっと表情を変えた。シルヴァ団長とユーディットもリュウの背を追っている。アマデウス冒険者団の団員も、レオナ副団長の顔を盗み見ながら、そろそろと西の脇道へ移動した。グレンデルを単独で排除できるシルヴァ団長は撤退戦の要だ。この魔人の青年から離れて行動すると死ぬ。レオナ副団長が気づかないうちに連合の主導権はシルヴァ団長に握られていたのだ。
「待ちなさい、シルヴァ!」
レオナ副団長が割れるような声で怒鳴った。
「――魔導式陣・
振り向いたシルヴァ団長は呟いて応えた。
周辺の空間と黒マントが
「――えっ?」
レオナ副団長は先に進もうとしたが足が動かない。レオナ副団長の両足を自分の影から突き出した魔槍が貫いている。流れ出る血が石床を濡らしていた。脇道の出入口に魔導の鉄格子が形成されている。
連合の隊列はこれを境に分断された。
「これで良し。フーッ!」
シルヴァ団長が前髪を揺らす大袈裟な溜息を吐いた。
「ああ、シルヴァ、何てことを――!」
異変を察知して振り返ったリュウが腑抜けた声を上げた。
「ひうっ!」
シャオシンは短い悲鳴を上げた。
「そっ、そんな――!」
フィージャがくふぅんと鳴き声を漏らした。
「みんな、見ての通りだ。レオナと天幕街探索者組合の連中が、追ってくる敵を食い止めてくれるってさ」
笑顔のシルヴァ団長が足の痛みに耐え切れずに膝をついたレオナ副団長へ目を向けた。
魔人の瞳は魔導の鉄格子の間から覗いている。
「こ、これは一体、どういう――」
レオナ副団長がシルヴァ団長を見つめた。
「昔から――学生時代から、俺はずっとこう思ってたんだ」
シルヴァ団長の空白の笑顔でいった。
「何、何をいいたいの、シルヴァ?」
哀れっぽい調子で、レオナ副団長が訊いた。
「レオナ、お前、ちょっとうるさいよ」
冷めた想いを伝えたシルヴァ団長は黒いマントをひるがえして元恋人へ背を向けた。
「アハッ、ハ、ハ、ハ、ハッハッハッハッ! ざっまあみやがれ、クソ女!」
その横できょとんとしていたユーディットは弾かれたように笑いだして、笑いながら踵を返した。
「何て奴だ――」
リュウが硬い声で呟いた。
「じ、自分の恋人を囮に――」
フィージャはへたり込んだレオナ副団長を見つめている。
「なっ、仲間もまとめて、非道な――」
シャオシンは瞳を揺るがした。魔導の鉄格子に分断された向こう側には、これまで一緒に戦ってきたひとがたくさん取り残されていた。この状況に気づいた何人かが――天幕街探索者組合の男たちが、「置いていかないでくれ」だとか、「畜生、何を考えているんだ」だとか、「ふざけるな」だとか、そんなことを喚きながら魔導で形成された鉄格子に手をかけた。そして魔導の紫炎に手を焼かれて悲鳴を上げた。
「さ、行こう、みんな」
シルヴァ団長が周辺を促してすたすたと脇道の奥へ歩いてゆく。その横にユーディッドがいる。そのあとを、アマデウス冒険者団の団員たちがのろのろついていった。視線を落としたリュウとフィージャと顔を真っ青にしたシャオシンも迂回路を進んだ。
「シルヴァ、待って!」
死地に取り残されたレオナ副団長が叫んだ。叫びながら、退魔の導式陣を展開しようとした。レオナ副団長は行く手を阻む魔導の鉄格子を導式の力で消去しようとしたのだ。それができなかった。レオナ副団長は足の裏を影槍で貫かれている。その痛みが精神の集中を妨害する。
歩くことすらままならない――。
「――待ってよ、ねえ、シルヴァってば」
導式陣の展開を諦めたレオナ副団長は涙声で呟いた。
「シルヴァ、ねえ、嘘でしょう?」
次に、甘い声で呻いた。
「おい、シルヴァ、私の話をちゃんと聞けよ!」
その次には厳しい声で呼びかけた。
「シィ、ルゥ、ヴァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーッ!」
最後に、レオナ・デ・カラヴァッジオは絶叫した。
レオナ副団長と一緒に取り残されたのは、ほとんどが天幕街探索者組合に所属するひとだった。南からはグレンデルを引きつれたコボルトの軍勢が迫っている。北の奥にある脇道からコボルトがぞろぞろと姿を見せた。フィージャが野生の力で察知した通りだ。異形犬の軍勢は先で連合を待ち伏せしていた。南からグレンデルが突撃してきた。
それを合図に乱戦が始まった。
悲鳴と怨嗟の声がひとつもなくなると、コボルトの獣染みた歓声が小路に満ちた。
§
ゾラが掌握した元アマデウス連合の第一戦闘班の四百名余と、アマデウス連合本部から離脱したアドルフ団長率いるスロウハンド冒険者団五十名余は、地下十階層の北西区の上がり階段前で合流に成功した。半円形の広間の北壁面に上がり階段を置くこの場所で、総勢四百五十名前後になった集団が南と東と西に続く大通路三方向から迫るコボルトの大群を相手に奮闘中だ。
彼らはあとにくる予定の集団を待っている――。
「――おいおい、弾幕が足りてねえぞお。もっと気合を見せろ、野郎ども!」
アドルフ団長が怒鳴り声で周辺を鼓舞していた。当の本人も導式陣砲収束器を使って各所で行われている防衛戦に参加している。
「そういわれてもな、アドルフ団長さんよ、俺の収束器はもうおネンネだぜ!」
南の大通路で戦っていた自分のところの団員から怒鳴り声が返ってきた。
「ああな、ゾラがパクッてきた備品のなかに代替用の導式機関があるだろ。すぐ走って取ってこい。それまで俺がそっちの面倒を見てやる!」
怒鳴り声と一緒に駆け寄ったアドルフ団長が自分の所の若い団員の首根っこを引っ掴んで集団から引きずりだした。
乱暴である。
「何だよ、団長、予備があるのかよ。それを先にいってくれよ。おおっ、首が痛え。手加減を知らないよな――」
うなじに手をやってぶつくさいいながら、その若い団員は広場の中央の備品置き場へ走った。たいていの備品はリヤカーの上に載ったままだ。
そこで、
「おい、それは俺が使うためにとってあったんだよ!」
「うっるせえ、テメエ、この野郎、すっ込んでろ!」
同じ導式機関筒に手をかけた若者同士が殴り合いの喧嘩を始めた。目的のものはあるにはあったがその数が少ない。見ると、似たような争いが備品置き場の周辺で発生している。
「おい、大概にしとかねえと、手前らからブッ殺すぞ!」
アドルフ団長は怒鳴り声と一緒に導式陣砲収束器の照準を備品置き場へ向けた。
それで備品置き場で発生していた喧嘩騒ぎはピタリと止んだ。
「――来てるぜ、団長、奴が来てる!」
アドルフ団長の近くで銃を使っていた中年の団員が怒鳴った。
「おい、マジかよ。もう
アドルフ団長が悪人面を歪めた。大通路を封鎖している
「くっそ、グレンデルが来やがったか。収束器持ちは炸裂弾を絶対に外すんじゃねえぞ、突っ込まれたらそこで終了――あんれっ?」
アドルフ団長が怒鳴っている途中で怪訝な顔になった。
「グレンデルの背面から攻撃?」
横にいた中年の団員も、怪訝な顔になった。背中の方から光球炸裂弾の直撃をもらったグレンデルが悲鳴と一緒に仰け反った。続いて、その首がしなる導式の赤い刃で切り落とされた。これは導式ウィップの攻撃である。
「炎壁の展開を停止しろ!」
アドルフ団長が吠えた。
「撃つな、撃つな、発砲を止めろ!」
「南から味方が来てるぞ!」
「あれはヴァンキッシュの連中だ!」
アドルフ団長の周辺にいた男たちの表情が明るいものになった。
南からボゥイ団長とヴァンキッシュ冒険者団五十名余が逃走してくる。
「――おいおい、生きて帰ってきやがったな、この猫耳野郎!」
アドルフ団長の嬉しそうな怒鳴り声がボゥイ団長とその仲間を出迎えた。
「ああ、生憎な、生きてるぜ――」
ボゥイ団長は荒げた呼吸の合間にいった。ボゥイ団長は意地でその場に佇んでいるが、追随してきた他の連中は息も絶え絶えの様子で膝をついている。
「ボゥイ、先行した班は――ベリーニ三兄弟の班はどうしたあ?」
アドルフ団長が顔を歪めた。
訊かなくても察しはつく。
しかし、それをあえて訊かなければならないときもある。
「限界まで粘ったがな、合流できなかった――」
ボゥイ団長が猫耳と顔を背けた。
灰色の猫耳が折れ曲がっている。
「そうかあ。あいつら駄目だったかあ――」
アドルフ団長が視線を落とした。地下十階層中央区に先行潜入して、コボルトの軍勢へ攻撃を加え、階層全体を戦場に変えた集団のなかには、ベリーニ三兄弟の他にスロウハンド冒険者団の団員もいた。全員が、その最も危険な任務に自ら志願した男たちだった。
「――それで、これからどうする、アドルフ?」
ボゥイ団長が訊いた。
「ボゥイ、ここは即時撤退――」
アドルフ団長が腰から吊るしてあった革水筒をボゥイ団長へ突き出した。
ボゥイ団長は何もいわずにそれを受け取って栓を抜いた。
「――即時撤退といいたいところだけどよ。まだメンヒルグリン・ガーディアンズも合流してないからなあ。それに、ツクシたちを置いていくわけにもいかねえだろ――」
アドルフ団長が南へ目を向けた。
「即時撤退って馬鹿をいうな。背を見せたら死ぬぞ、これ!」
怒鳴ったのはコボルトを殴り殺したゾラである。階段前広場に散開した導式鎧組とドワーフ戦士、それに彼らを指揮するゾラは弾幕を潜り抜けて突出するコボルトの処理を担当している。突破してくるコボルトの数が多い。炎壁の向こうで雄たけびを上げるコボルトの数はもっと多い。王座の街まではまだかなりの距離がある。戦いながら撤退するのは難しいだろう。
「――まあ、ゾラのいう通りだよなあ。ツクシは『まだ』なのかあ?」
アドルフ団長がボゥイ団長へ視線を送った。
「
ボゥイ団長が革水筒を周囲の仲間へ回した。
革水筒の中身は南国産ハーブ・ティーだ。
「そうだよなあ――」
アドルフ団長が南の敵影へ導式陣砲収束器の照準を合わせたところで、「フェェエン――」と例の情けない起動音だ。アドルフ団長の武器は稼働を停止した。
「野郎ども、ツクシの仕事が終わるまでは何とか耐えろよお!」
腹立ち紛れにアドルフ団長は怒鳴ったが、
「何とかっていわれてもな、もう俺の道具は死んでるぜ!」
「こっちもだ、今、割れた!」
「
四方八方からこんな怒鳴り声が返ってくる。
その上に、
「グレンデルがまた来てるぞお!」
怒鳴り声で警告だ。
「今度は東の大通路からだ!」
「いわれなくても見えてるよ、このタコ野郎!」
「収束器持ちはどこだ!」
「遊んでるんじゃねえ、こっちを援護しろ!」
「西も手が足りねえ!」
「西からもコボルトが来てる!」
「導式鎧組とドワーフどもはこっちも援護してくれ!」
怒鳴り声と罵声が飛び交う。
「くそ、予想以上に敵の進撃が早かったな――どうも俺たちはここで全滅なのかあ?」
アドルフ団長が薄ら笑いを浮かべた。
「ニック、リッキー、ハーヴェイ。お前ら少し頑張りすぎたみたいだぜ――」
ボゥイ団長が呟いた。
「ヒト族のむつくけき男と猫の男、そこを退け」
弦楽器で奏でる音楽のような女の声だ。
「――何だとお?」
面倒そうに振り返ったアドルフ団長の悪人面がバッキバキに凍りついた。
「――
ボゥイ団長は数歩分後ろへ飛んで距離を取った。
キルヒが後ろに佇んでいる。
「ちっ、畜生、キルヒはまだ動けたのかあ!」
まず、この脅威の半神が戦闘不能になっていることを大前提の上で、スロウハンド冒険者団とヴァンキッシュ冒険者団は復讐を決行したのだ。アドルフ団長が腰の導式機関剣へ手を伸ばして、また顔を引きつらせた。アドルフ団長は両手に肘まで覆う導式陣砲収束器を装着している。手の部分は自由になるので導式機関剣を鞘から引き抜けないこともない。しかし、戦うのは不便がある。
「キルヒ、お前はアマデウス冒険者団を助けにきたな?」
ボゥイ団長が導式ウィップを手にとった。
「――貴様ら、邪魔だぞ」
歌うように呟くキルヒの外套が風で舞い上がる。
フードが外れてその長い黒髪が広がった。
決して風が届かぬ筈の異形の迷宮に風が吹く――。
「――
アドルフ団長とボゥイ団長は同時に呻いた。
キルヒの背後に精霊の王が発現した。
風で形成されたたくましい体躯は視線を真上へ送るほど大きい。
「――よせ、アドルフ、ボゥイ! それと戦うな、確実に死ぬぞ!」
ゾラが叫んだ。エルフ族のゾラはキルヒが使役する契約者が如何に強力なものであるかを知っている。精霊の王と契約し永劫の
それでも武器を手にとったアドルフ団長とボゥイ団長は、半神の女と彼女の契約者を相手に戦う姿勢を見せた。見せたのだが、しかし、足が前に進まなない。顔を正面に向けることすらままならない。強烈な向かい風が二人の団長の進撃を妨害している。それでも前に進もうとするアドルフ団長とボゥイ団長を腕組みをしたシルフォンが見下ろしていた。
神話は暴風を呼んでいる。
「何の勘違いを――」
キルヒは眉を寄せた。
「愛しきひとよ、無理は――」
シルフォンも眉を寄せている。
「黙れ、さっさとやれ、シルフォン」
キルヒの眉が益々寄った。
これは不愉快そうな表情だ。
同じように顔をしかめたシルフォンは
「コォ、オ、オ、オ、オ、オ、オオオオオオオオオオオオッ!」
暴風の声でさらなる風を呼んだ。
悲鳴が上がった。
すべてコボルトの悲鳴だった。
大階段前広場で戦っていた男たちが突発した風と、その風による異形犬への攻撃に驚いて手を止めた。そして、どよめいて、やがて、歓声が上がる。シルフォンの手繰る風の刃が階段前広場へ迫るコボルトの大群を足止めしている。
「――
歩み寄って、ゾラが訊いた。
「キ、キルヒは俺たちを助けてくれるのかあ?」
アドルフ団長は目を丸くしている。
「アマデウス冒険者団を助けにきたんじゃないのか?」
ボゥイ団長はまだ警戒しているようだ。
その猫耳が後ろへ倒れている。
「もう一人いる」
キルヒがいった。
眉を寄せたゾラが「うん?」と首を捻った。
「因果の円環を断つものが、この場にもう一人――!」
キルヒが叫んだ。
アドルフ団長は怪訝な顔でキルヒの青い横顔を見つめている。
「無数ある世界で、因果の円環を断つものは、唯一人しかおらぬ筈。だが、確かに、この場には二人いる。
キルヒは訊いたが、ボゥイ団長は何のことだかさっぱりわからないので応えようがない。
「私は何としてでもその男に会わねばならぬ。その男を導くのが、我ら
キルヒが皮肉っぽい口調になった。
「いっ、愛しきひとよ、ここが地上ならば――」
シルフォンが風の声で呻いた。大階段前広場の戦況を見ると、シルフォンの力を持ってしてもコボルトの軍勢を押し留めるのが精一杯のようだ。この場に百八十度からコボルドが迫っている。シルフォンの手繰る暴風の刃も分散して発生させざるを得ない。広い範囲をカバーしている分、精霊王の攻撃は弱まっているようだった。
「――またそれか。くどい。黙って働け」
キルヒが青い美貌を歪めて吐き捨てた。
彼女は彼女の契約者に対して少々手厳しい。
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