八節 地下二五〇〇メートルの復讐(参)
場所は地下十階層南西区、その北寄りの大通路。
大通路を埋めるコボルトの軍勢と、その軍勢が掲げるねじくれた槍は数え切れない。まるで黒い津波が大通路の東から押し寄せてきたように見える。銃声が鳴り響き、上空をひっきりなしに光球焼夷弾が飛んでいた。炎壁の向こう側からコボルトの咆哮と一緒に、ねじくれた槍が大量に飛んでくる。
「マンマァーァアッ!」
「マ、ン、マ、ァァァァアァァァァァァァアァァァァァァァァアァァァアアッ!」
ねじくれた槍に貫かれたひとの悲鳴の上に、グレンデルの絶叫が重なった。コボルトの大軍勢はグレンデルを二体引きつれていた。シルヴァ団長の亜空間斬撃と、後方から投射された光球炸裂弾が、グレンデルの一体を仕留めた。だが、神経結束を撃ち抜き損ねた別の一体は首を失ったまま走って連合本部へ突っ込んだ。その首無しグレンデルの強襲で死者が出た。運良く生き残ったものが細い声で救助を要請している。この場には負傷したものを手当てできるものもいた。しかし、それぞれが戦闘の対応で手一杯だ。怪我人は見て見ぬふりになる。死者は秒刻みで増える。そのうち炎壁を突き破ってコボルトの軍勢が進軍を開始した。体毛を火に巻かれながらの突撃だ。この捨て身の攻撃に混乱して「退け!」だの「いや、退くな!」だの怒鳴り声が飛び交った。ねじくれた槍に貫かれたひとが上げる悲鳴もそれに重なる。
アマデウス連合本部がコボルドの襲撃を受けている。
以前に見たことのない大規模なものだった。
「レオナ、敵が多い、これは多すぎる!」
シルヴァ団長が左手の先に魔導式陣・
「多いわね」
レオナ副団長が眉を強く寄せた。
「これは、どういうことだ!」
振り返ってシルヴァ団長が怒鳴った。
「――まず、敵の数だ。敵の総数を把握する。照明弾を東にあるすべて脇道の奥手へ撃ち込め! 復唱、復唱、全体へ伝えろ!」
レオナ副団長はシルヴァ団長へ返答せずに全体へ号令した。
「レオナ副団長の指示が聞こえたか!」
「銃声で聞こえねえよ、何だって!」
「脇道の奥手へ照明弾を上げろっていったんだッ!」
「おい、照明弾だとよ、
「こっちのはもう死んでる、さっき犬の槍でやられた!」
「くそっ、シルヴァ団長、こっちの照明作りを手伝ってくれ!」
「リュウさんはこっちを頼む!」
怒鳴り声が飛び交った。戸惑っていたシルヴァ団長も、手先から照明用の光球を脇道へ飛ばしだした。そのシルヴァ団長の顔が脇道の奥にあった光景を見て固まる。周辺にいた男たちの発砲する手も止まった。
「グ、グレンデルが五体、いや、もっと来る――」
シルヴァ団長が呻いた。まだ距離は遠い。しかし、脇道の奥にグレンデルの姿が連なっている。異形犬の決戦生体兵器が群れを成して連合本部へ進撃中だ。
「どの脇道も奥まで犬だらけだぞ!」
「グレンデルもたくさん来てる!」
「あんな数に突っ込まれたら、間違いなく全滅だ!」
「こっちも同じだあ!」
「どこも異形犬で埋まってるよ!」
悲鳴の警告が重なった。どの場所も状況は同じだ。危機的な状況である。
表情を固めたままシルヴァ団長が踵を返してレオナ副団長へ駆け寄った。
「レオナ、これはおかしいぞ。東の第一戦闘班は何をしてるんだ。対応しきれない敵に遭遇した場合は、追撃を抑えながら、本部まで下がってくる段取りになっていただろ。連絡はまだないのか?」
「これ、どういうことかな?」
レオナ副団長は戦場を睨んでいた。大通路に展開した連合本部へ脇道を経由して攻撃するコボルトの軍勢は戦力が分散している。脇道の出入口は連合本部の銃撃と導式陣砲収束器が封鎖済みだ。コボルトの軍勢が使用している経路は出入口が狭く圧倒的な数の優位性を活かしきれていない。連合本部は地の利で何とか耐えている。
「エッポからの連絡はまだないのか? 第一戦闘班にはあれだけの人員を割り振ってあったのに――」
シルヴァ団長が上を見回したが導式鳥が飛んでくる気配はない。
「この様子だと第一戦闘班が東に作った防衛線は、まったく機能していないみたいね」
レオナ副団長が脇道から突出したコボルトの集団へ視線を送った。導式鎧を装備した探索者たちが突出するコボルトへ対応している。彼らが装備しているのは、たいていが魔防機構が備わっていない旧式の導式機関仕様重甲冑――α型導式機動鎧だ。今では二回りほど型落ちしたこの導式鎧は、ネスト管理省へ申請すれば適当な価格で入手できる。ネスト探索者への支援目的なのだろうか。ネスト管理省は王国軍の装備品の払い下げを積極的に行っている。
「ひっ、東に展開していた第一戦闘班は全滅したのか?」
シルヴァ団長が呻いた。
「エッポが死んだですって? あれは味方を犠牲にしても必ず逃げてくる性格だと思うけど――アドルフ団長!」
レオナ副団長が声を張り上げた。
「――あーんでえ、レオナ団長さんよお。今、俺は忙しいんだぜえ。手短になあ」
アドルフ団長がだらだらとレオナ副団長へ歩み寄った。最新型の導式陣砲収束器を多く持つスロウハンド冒険者団の団員は散開してコボルトの足止めしている。
「アドルフ団長、ゾラ副団長はどこ?」
レオナ副団長の眉間が凍えている。
「――あれえ? いねえなあ? 用を足しに行ったかなあ?」
アドルフ団長が導式ゴーグルを額へ上げて周囲を見回した。アドルフ団長は手の甲から肘まで覆う黒い蟹鋏のような形状の
「ボゥイ団長も、この前から見当たらないのだけど?」
腕組みをしたレオナ副団長がアドルフ副団長へ視線を送らずにいった。
「猫人の男は気まぐれだからなあ。ネストの探索に飽きて
アドルフ団長もあらぬ方向を見やって応じた。
「本当に知らないのか?」
詰問するレオナ副団長の表情も声も凍えているが、
「知らんなあ、俺は奴らの子守じゃないからなあ、話が終わりなら仕事に戻るぜえ」
アドルフ団長は悪党面でニヤリと笑顔を作って離れていった。
「くそっ、ヒト族はやっぱり頼りにならないな。キルヒがいないと、こういう緊急時の切り札が――」
シルヴァ団長はのんびりと歩いて戦場へ戻るアドルフ団長の背を睨んでいる。
「シルヴァ、今から南に展開中の第二戦闘班と探索班を連合本部へ合流させるわ。今回の探索は中止。明らかに様子がおかしい」
レオナ副団長が決断した。
「そ、それが手堅い、のかな――」
シルヴァ団長は泣きそうな顔だ。おおむねは順風満帆に生きてきたこの魔人の青年は、何かに負けて撤退することがこれまでなかった。シルヴァ団長は敗北を受け入れることに慣れていない。
「連合本部全体へ通達、増援がすぐ到着する。もうしばらくの間、持ちこたえろ、復唱、復唱しろ!」
シルヴァ団長を無視してレオナ副団長が吠えた。力強い号令だった。その効果があったのか、銃声や導式陣砲収束器の音が多くなって、コボルトが苦痛に悶える声も増えていった。狂気に近い笑い声と聞くに耐えない罵声も方々で上がる。
これらは、ひとの声である――。
脇道を突破したコボルトが突破した先で半月状の刃に切りつけられた。
コボルトを葬ったのはリュウが身体の回転と共に叩き込んだ竜頭大殺刀の一撃だ。
「とうとう、始まったか」
リュウの足元に転がったコボルトが動かなくなった。
「わらわたちは、これから――?」
恐る恐る歩み寄ってきたシャオシンが声を震わせた。
「ご主人さま、大丈夫ですよ。私たちがついていますから」
フィージャがシャオシンへ身を寄せた。
フィージャの険しくなった獣面を見上げたシャオシンは、何かをいいたそうにしていたが、結局、黙ったまま頷いて見せた。
「ツクシ――」
リュウが大通路の北方を見やって死神の名を呟いた。
リュウ、フィージャ、シャオシンの三人は、アマデウス連合本部――シルヴァ団長とレオナ副団長がいる集団に帯同している。
§
レオナ副団長が全面撤退を決断したのと同時刻。
アマデウス連合本部の南方では多くの探索班が探索データの収集を行っていた。この探索班を援護するのは南に派遣された連合第二戦闘班の二百五十名余だ。この連合第二戦闘班へ高い戦力を持つメンヒルグリン・ガーディアンズがまるごと配属されてたが、その総指揮はユーディットに一任されている。これはレオナ副団長の意向だ。あくまで、アマデウス連合の主導権はアマデウス冒険者団にある。
この連合第二探索班もコボルトの襲撃を受けていた。大量の敵だった。大通路に位置していた連合第二戦闘班はコボルトに全方向を囲まれている。大通路の脇道から聞こえてくる唸り声の大きさで数が想像できた。
数えきれないほどの数だ。
ユーディッドは脇道に設置されていた爆薬樽を炎の精霊たち《サラマンダー》を使役して起爆した。埋まった瓦礫で脇道の出入口は封鎖された。
が、その封鎖を白い拳が突き破る。
「マ、ン、マ、ァァァァァァァァァァァァアア――?」
グレンデルが瓦礫から顔を出して呟いた。呟くだけでも口からは鉄塊を叩き壊したような大音声が漏れ出ている。グレンデルの背後に大量のコボルトが控えていた。第二戦闘班が混乱する。グレンデルの突撃はそれをされる以前の対応が必須だ。突撃前に対応できなければ大量の死人が出る。混乱した連合第二戦闘班の頭上を光球炸裂弾が飛んで、そのグレンデルに着弾した。
グレンデルの絶叫が響く。
「――銃持ちは何をしている。発砲しろ!」
ゲバルド副団長の怒鳴り声だ。メンヒルグリン・ガーディアンズの団員が導式陣砲収束器を使用して、グレンデルへ先制攻撃を加えた。光球炸裂弾の直撃を受けたグレンデルの胸元に大穴が開いている。
「奴の
ルシア団長が大声で促すと銃班の男たちがようやく発砲を始めた。硝煙の雲を突き破り、銃弾の雨に咽び泣き、グレンデルは前進する。そのグレンデルの顔面で光球炸裂弾が炸裂した。仰け反ったグレンデルは仰向けに倒れて起き上がってこない。第二戦闘班の面々が歓声を上げたのもつかの間だった。
今度は大通路の南方の脇道で爆発が起こった。
「何よ、何なのよ、この敵の数は。爆薬が全然間に合わないじゃない!」
ユーディットが叫んだ。
南の脇道の出入口を埋めた瓦礫を白い拳が弾き飛ばしている。
「敵は南からも来たか。
ゲバルド団長が両腕に装着した収束器の照準を南の脇道へ合わせた。
「導式鎧組は北の脇道から突出してくるコボルトを――」
ルシア団長が周辺に指示を飛ばしたが、
「全体は連合本部まで退くよ!」
ユーディットの叫ぶ声が遮った。
「ユーディット、探索に出ている連中がまだ合流していないが――」
ルシア団長が眉を寄せてユーディットを見やった。
「本部がすぐ撤退しろってさ。ほら、これ、これ」
ユーディットの左肩に本部から飛来した導式鳥がいる。
「連合本部からの撤退指示か――?」
ルシア団長が顔をしかめた。この周辺には探索データを収集している――恐らくはコボルトの軍勢に追われて、逃げ回っている探索者がたくさんいる。ユーディッドは周辺に散開している探索者の合流させる前に第二戦闘班を本部まで撤退させる判断をした。
大量の敵に囲まれたこの状況を見ると、この判断もやむを得ないと思えたが――。
「全体は集合だ。聞こえていないのか、急げよ!」
ユーディットが叫ぶと、第二戦闘班の面々が駆け寄ってきた。探索班よりも安全な戦闘班にはアマデウス冒険者団所属の団員が多く割り振られている。探索者班に回された人員――おおむねは天幕街探索者組合の流民のために命を張るものはいない。
「どうするつもりだ、ユーディット?」
ルシア団長が訊いた。その周辺にメンヒルグリン・ガーディアンズの団員が集まっている。そのほぼ全員が白いγ型の導式機動鎧装備の三十名ほどだ。統率が取れて、さらに最新の導式機動鎧を装備したルシア団長配下にいるこの彼らは連合第二戦闘班の主戦力になる。
「どうって、すぐ逃げるに決まってるでしょ。ルシア、早く貴方のところの団員も――収束器持ちも、ここへ合流させて」
ユーディットが元より
「――ゲバルド、即時撤退だ!」
諦めたルシア団長が怒鳴ると、不承不承といった態度のゲバルド副団長と、その近くにいた団員が駆け寄ってきた。
「じゃ、大通路をまっすぐ西へ移動!」
声を上げたユーディットを、
「待て、ユーディット。撤退は北の脇道を経由だ!」
ルシア団長が鋭い声で止めた。
「――何で? 大人数で入り組んだ小路を進んだら戦力が間延びするし、進行だって遅くなるでしょ?」
ユーディットは眉を寄せて険しい表情だ。
「幅の狭い道なら敵も密集せざるを得ない。光球炸裂弾で巻き込める敵兵も多くなる。コボルトの群れに進行方向を塞がれた場合、肉弾戦で完全に排除することは不可能だ。敵影は不明瞭なほど多い上、白兵戦闘に向く導式機動鎧は長時間の連続運用が難しい。導式機動鎧を装備したものも少なすぎる。生きて帰りたければ遠回りでも導式陣砲を活かせる地形を進め。我々の部隊が最後尾で撤退を援護する――部隊は私の指示が聞こえたか?」
ルシア団長の言葉に周辺の団員五十名余が無言で頷いた。普段のルシア団長は笑みを絶やさない優男風の偉丈夫だ。今はそれが徹底的に冷徹な戦士の
「ま、まあ、それでいいかな――」
ユーディットは顔を背けて同意した。
ここより連合第二戦闘班は小路を経由して、連合本部と合流するために北西に向かって撤退を開始する。
第二戦闘班に合流できず取り残された探索者は二百名以上――。
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